* 専門主義と、教養       『パワレルな知性』鷲田清一
 人生を振返ると、あらためて教養の必要性を感じる。仕事や、目先の事象に影響する経験や知識でない
純粋に知っておくべきことがある。古典文学、芸術、音楽、大自然の景観に感動することや、世界の果てから、
あらためて現在の自分を振返ることも、教養である。その積み重ねが、複眼で問題を見ることを可能にする。
見識が狭いと、その枠内でしか考えることが出来ない。  ーその辺りからー
≪ 学者や、専門家は、ながらく、みずからの知的努力を一つの専門領域に絞り、専門外の領域に対しては、
 越権行為としてみずから禁じてきた。逆に、専門外の意見は、受け入れようとしなかった。しかし情報化の
時代に、そんな態度はとれなくなってきた。 ・・・協同するプロたちにとって、組む相手はいずれも、
じぶんの専門領域からすればアマチュアだということだ。とすれば、ほんとうのプロというのは他のプロと
うまく共同作業ができる人のことであり、彼らにじぶんがやろうとしていることの大事さを、そして
おもしろさを、きちんと伝えられる人であり、そのために他のプロの発言にもきちんと耳を傾けることの
できる人だということになる。一つのことしかできないというのは、プロフエッショナルではなく、
スペシャリストであるにすぎない。
 このことが意味しているのは、ある分野の専門研究者が真のプロフエッショナルでありうるためには、
つねに同時に「教養人」でなければいけないということ。「教養」とは、一つの問題に対して必要な
いくつもの思考の補助線を立てることができるということ。いいかえると問題を複眼で見ること、いくつもの
異なる視点から問題を照射することができるということである。このことによって一つの知性はより客観的な
ものになる。そのためには常日頃から、じぶんの関心とはさしあたって接点ない思考や表現にふれるよう、
心懸けていなければならない。じぶんの専門外のことがらに対しいつも感度のいいアンテナを張っていること、
そう、専門外のことがらに対して狩猟民族がもっているような感度の良さが必要である。・・≫
▼ 穴を深く掘ろうとしたら、間口を広くしなければならない。その間口の広さが、知識の幅になる。
 ここで、スペシャリストとプロフェッショナルとの違いが分かりやすい。そのために、人の話を聞くこと、
本を読む、何事にも興味を持つ、一流のものに接する、とにかく変化する、など長年かけた習慣が必要になる。
情報化の時代、専門主義では大波に一瞬で流されてしまう。それにしても我が教養の少なさを実感する。
これも自覚できるか、出来ないかの違いでしかないが! 高学歴ほど、それが分からないから始末が悪い!
 知れば知るほど、膨大な未知の世界の存在に気づくはずなのに、である。 専門分野も、掘り下げれば
下げるほど、専門外の知識が必要になって然るべきだが? 掘り下げが中途半端だから、視野狭窄になる!
・・・・・・
4560・横尾 忠則の老人論 ー3
2013年09月10日(火)
 「猫背の目線」横尾 忠則 (著)
    * コスプレの公開制作が面白い!
 コスプレとはアニメやゲームなどの登場人物やキャラクターに扮する行為を指す。画家が、自分の描く風景の
登場人物のコスプレで公開制作とは面白い。これまで色いろな職種を経験してきたが、制服を着た当初はコスプレ
のような感がした。それも数日で同化するから不思議。それは事業も同じで、無我夢中で取り組んでいるうち、
その機能になってしまうもの。人生もコスプレのように、服装も心も身体も全身仮面で時節ごと付け替えているに
過ぎないのではないか。化粧と服装も、自分が主役のTPOSに合わせたコスプレ? ギャルとか、
キャバクラ嬢の見なりは、その典型・・
  ーその辺りの箇所からー
《 1980年代にさしかかった頃、グラフィクデザインから画家に転向したが、当初アトリエがなかったため美術館
 のスペースで絵を書く事が多かった。それもただで場所を提供してくれるところはなく、「貸してあげるが
公開制作にしてくれないか」という条件が出された。絵は本来アトリに独り籠ってかく孤独な作業なのに人前で
描くということは考えてもいなかったので、果たして描けるかどうかに頭を痛めたが、やってみると意外と抵抗なく、
むしろスイスイ描けることに我ながら驚いたものだ。
 それ以来アトリエができるまであちこちの美術館で公開制作を行ってきた。人前で描くことは確かにプレッシャー
になったり、ストレスの原因を生むが慣れてしまえぱ平気である。背後の観客から、集中する僕に突き刺さってくる
のがヒシヒシとわかる。こんな想念がぼくの中でエネルギーに変換されてより創造的になることを発見した。
この場合の創造というのは無私になること。不思議なことに雑念が去来しなくなるのである。そう言う意味で
座禅に近いのかもしれないが、座禅とて雑念に振り回される場合が多い。その点、公開創作の方が「私」意識が
薄れるのである。それはは考えるということと描くということが一体化されるからだ。おまけに描くスピードが
早くなり、手と心が同化していくのがよくわかる。だから時には一日で150号大の作品が描き上がることさえある。
観客がこちらの一挙手一投足を固唾を飲んで見ているのが体に伝わるので、思わず手を休めるのを忘れ描き続けて
しまう。このことが描きてであるぼくを解放する。公開制作の味を占めたぽくは最近また続づけるようになった。
しかもコスプレによって制作する。 公面制作で描く絵は、ぼくが近年描き続けている「Y字路」である。
そこで道路で作業している現場の人たちと同じ格好で絵を描くことにした。街でよく見かけるー幅の広いズボンに
ベスト着用、頭にはタオルを巻いてー とこんな風景をよく見かけるでしょう。つまり鳶職スタイルである。
他の学芸員も道路工事の関係者の役回りになってもらう。最初は観客は度肝を抜かれ、ギョッとした顔になって、
次はケラケラ笑う。それも一瞬、こちらが真剣に絵を描くものだから、あとは会場は水を打ったようになる。
 よく仮面効用というが、コスプレはまさに全身仮面になり、人格も他者になるわけだから不思議な解放感に襲われ、
その結果、実に自由な気分になるのである。そして描く行為そのものも絵と同じように作品化されてしまう。
だから観客はパフォーマンスを鑑賞することになる。制作の休憩時間に美術館のレストランにこの格好で入っていくと、
まずお客は場違いなものを目にしたわけだから、なんとも当惑した顔をする。われわれに向ける視線には明らかな
拒否反応の色が見える。「作業着のままでよく、ソフィスティケイトされた美術館のレストランに入ってくるわね」
という視線を投げてくると同時に「レストランの人たちは何もいわないのか」と。ぽくがコスプレしていることが
わからないのだけど。そんな反応をぼくは実は楽しんでいるのである。これも仮面の効用で、普段体験できない
経験にほくは悦に入っているというわけだ。》
▼ それは、自分自身にも人間そのものにも当てはまる。 両親合作の心身を「魂らしい自分の芯」が、コスプレ?
 としての自分を見つめ続けている。さすがに横尾忠則である。描き手の目線を、その環境の一人として、まず
服装から当事者になってしまう。そして観客も、その場の一人として引き込んで、作家のイメージの世界に誘導する。
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4185, 呪いの時代 ー4
2012年09月10日(月)
             「呪いの時代」内田樹
  * 脊髄反射的その場のつくろい       ー 第3章 「後手」に回る日本 ーより
 島国の閉鎖的社会では、問題を荒立てないために「その場のつくろい」も必要である。
しかし、情報化社会では、それは許されるものではない。現在の日本の政治は、毎年、首相を交換させることで、
その場のつくろいをしているに過ぎない。それを国民が求めているから首相は、問題解決の痛みを敢えて
強いることをしない。そして一年もしないうちに引きずり下ろされる。ー以下の部分は、その理由を端的についている。
≪ 日本の政治家とアメリカの政治家の違いというのは、武道で言うと、アメリカは基本的に「先手」の人であり、
「日本は後手」の人ということ。欧米では、とりあえず国家が行くべき道というか、実現すべき国家像という
ビジョンがあり、それが国民的規模で共有されている。日本には、そんなものはありません。終戦時に、それがなかった。
とりあえず「アメリカ人が日本がかくあるべしと考えていること」をもって国是とした。「自分で与えた憲法の理念と
背馳する命令が出せるほどの強大な国家には従属するしかない」という経験則が存在したということです。
それが日本の国是です。アメリカに従属する。 ・・相手が次に打ってくる一手に最適対応すべく全神経を集中すること。
どれを武道では「居着き」と言います。物理的には足の裏が地面に張りついて身動きならない状態ですが、構造的に
「負ける」ことです。日本の政治が三流であるということはそういうことです。政治家個々人の資質がどうこうでなく、
構造的に負けているのです。国家像が描けない、統治原理が語れない、外交戦略が起案できないというのは個別的な
知性の問題でなく、日本人全員が罹患している国民的な病です。・・・ ≫
▼ 現在、日本が直面している問題は、まさに上記のことによる。数十年に渡って、間接的米国隷属国家として、
 当然、と言えば当然で、これしか出来なかった。上司と部下の関係である。アメリカには建国の精神がある。
独立宣言書である。何かあると、ここに立ち戻って、立て直す。問題があるのは、それから軌道がそれたと理屈づけ
軌道修正をしてきた。明治維新も、太平洋戦争の敗戦も、アメリカの圧力で変化を余儀なくされた。それに日本人の
特質もあり、後手という守りしか手が打てなかった。
現在の領土問題も、これから起因して周辺各国から遊ばれている状態。  つづく
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3820, 哲学人 ー�
2011年09月10日(土)
   * 現実と経験と言語は一緒ではない       ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
  ー まずは、「現実把握は、言語的分類次第で決まる」という部分から ー
【 言語が経験を構成するというのである。この見解についてジョーン・サールが、明快に述べている。
≪ 私は言語が現実をつくると言っているのではありません。とんでもない。むしろ、私が言おうとしている
 のはこういうことです。何を現実とみなすか ーどういうものをグラス一杯の水として、一冊の本として、
一脚のテープルとしてみなすか、どういうものを同じグラスとか違う本とか二脚のテープルとみなすかー は、
私たちが世界に押しつけるカテゴリーしだいなのです。そして、こうしたカテゴリーはたいてい言語的なものです。
それだけではありません。世界を経験するとき、私たちは経験そのものを形成する際に役立つ、言語的なカテゴリーを
通じて世界を経験しているのです。 世界はもとから物体と経験に分かれて存在しているわけではありません。
何を物体とみなすかは、もともと私たちの表象体系の一機能の結果であり、経験のなかから世界をどう知覚するかは、
その表象体系に影響を受けているのです。 言語を世界に適用することを、いわばみずから独立自存する物体に
ラベルをつけることだと想定するのは間違いです。私の考えでは、世界は私たちが分類するとおりに分類される
のであり、事物を分類する主な方法は言語によるものなのです。現実の把握は、言語的なカテゴリーしだいなのです。≫
 この考え方はいまなお、哲学者ばかりか、文学や言語学をはじめとする他分野の専門家たちによって、さらには、
一部の社会学者や人類学者たちによって唱えられている。「何を物体とみなすかは、もともと私たちの表象体系の
一機能の結果であり、経験のなかから世界をどう知覚するかは、その表象体系に影響を受けている」という点について、
私もサールに賛成したいし、誰もが同意しなくてはならないだろうが、私としてはこれをカント哲学的な意昧に
解釈したいと思う。 ただし、その表象体系に含まれるカテゴリーが基本的に、もしくは第一に言語という性質を
もつとする点は認められない。考え方としてはわかる。 わからないのは、そしてこれまで一度として理解できた
ためしがないのは、どうしてそんな考えを抱けるのかということだ。というのも、それは私の直接の経験によって
真っ向から否定されるように感じるからである(この点に関して私が特殊であるとは思えない)。】
▼ 事業が、この結果(倒産)で終わった。総括は頭を冷やした来年早々にするつもりだが、それが、この30年の
 構成の提示になる。創業10年、中間期10年、最後の10年、そして最後に、どのような終わり方をしたか?、
その時の断面は、どうだったか。それを、どういう切口で分類し、評価するかである。30年、人生の事業生活の
大部分を注ぎ込んだ、この結果は? 要は、倒産で終わったということ。その視点を失うと、総括は不可能になる。 
炎上している世界経済と、ネット社会の移行の中で日常が音を立てて変化している。その中で、言語的分類の
枠組みを立て直すことが、まず求められる。「3つの震災が何もかも飲み込んだように見えるが、実は情報化の
潮流に飲み込まれたのが真の理由だったのか?」これも言語的分類。分類は分析の第一歩。そのプロセスが総括。
そこで価値(意味)を自ら下げることもない。今までの価値観のコペルニクス的転換の時。ここの小テーマが
「現実と経験と言語は一緒ではない」である。 当然、この小テーマが問題になる。「言語は、それを構成する」だけ。
消滅してしまった事業の総括。ただ、それだけだが・・あと講釈でしかない、だから冷静に見つめないと。
意思決定から45年である。
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3455, 渥美俊一氏死去
 2010年09月10日(金)
 ペガサスクラブの主催者で、日本リテイリングセンターの渥美俊一氏が亡くなった。チャーンストア時代の大きな
転換期の目安になる。そこには、桜井たえ子という渥美先生の片腕の女史がいるが、彼女がペガサスを支えることが
できるかどうか?  昭和30年半ば大手スーパーや専門チェーンの創業経営者のほとんどが渥美先生の元に終結
成長・拡大し、そして消えていった。現在でも流通界におけるカリスマ的指導者、亡くなる直前まで講義を続けていた。
氏が主宰していた「ペガサスクラブ」の指導は厳しいのは衆知のこと。日本の高度成長を流通面から支えた貢献は多大。 
バブル崩壊後は、ダイエー・マイカル・西武流通グループの倒産が象徴するように、チェーンストア理論が必ずしも
有効に機能しない側面が表面化し、これまでの勢い失っていった。最近ではユニクロのように、ペガサスに創業当初
から属さない成長チェーンも出現してきている。 学生時代、大学の近くの書店で月刊誌の「販売革新」を手に取り、
渥美俊一が「ペガサスクラブ」を立上げ、ダイエーヨーカ堂などのチェーンのコンサルタントをしていることを知る。
そして「チェーンストアへの道」という10巻シリーズのチェーンストアつくりの戦略、手法が書かれている理論を
貪り読んだ。そして、それをベースに卒論「流通革命」を書いた。それもあってジャスコの創業一期生として入社。
そうこうあって渥美先生には、大きな影響を受けた。そして現事業の立ち上げでは、その裏づけとしての理論的
背景にチェーン理論があった。 セミナーだけで、50〜60回は出続けた。 その費用は、長岡市郊外の二つの
土地転がしで直ぐに元は取れた。立地論から、バイパス沿いの若い土地の短期転売で利益を得て、その正しさを確認した。 
しかし20年前にバブルが弾けた彼の理論は、時代とはかけ離れたものとなってしまった。
「バランスシートの右と左を拡大しながら店数を増やしなさい。それも町のバイパス沿いのヘソ(要所)を見つけ、
自店舗を建てることで価値をあげ、それを担保に拡大出店を続けなさい」という理屈である。
 またアメリカの流通事例を見せるため店舗見学ツアーを組んで、2、300人と連れて行くのである。
私も二度、参加したことがある。大量生産、大量消費の時代、流通システムが全く旧態だった日本に、新しい
バイパスとして、スーパーや、総合量販店、専門店を、チェーン化で、販売経路の拡大戦略を指導してきたのである。
彼は死ぬ直前まで、「日本の流通は未完である」と、その指導の手を緩めることがなかったのは、
やはり経営コンサルタントとしては、超一級だった証である。 ご苦労様。 ご冥福を! 
 ・・・・・・・
3080,再び死について考えてみる
 2009年09月10日(木)
 一昨日、従姉妹の通夜に参列をしてきた。地元の米屋に嫁に行ったが、小姑が多く難儀をしていると聞いていた。
「この世に、今時にこんな厳しい嫁の環境があるのだろうか」と思われるほどの重荷を背負っていたようだ。その
10日ほど前に、長岡のグリーン・ホテルの先代社長が先月27日に亡くなったと死亡広告にあった。
一度、当方の事務所に来たことがあったが、創業時にホテル業についての話を聞きに行った事があった。
暗い顔をした気難しそうな人だった。「自分の兄弟二人が、新潟駅前でホテルをしているのを知らないね」と言われ、
それさえ知らない無知を恥じた記憶がある。 三条、柏崎、長岡三棟、東京の上野近くで6棟を建て、子供たちに
一棟ずつ与えるのが夢だったというから、それはそれで・・。ところで、身近な知り合いと第三者の中間の立ち位置の
「二・五人称の人」が死を考えるに最適という。第三者と第二者=知人と中間の立場の立場の死から多くのことが
見えてくる。知っている程度の人である。「死ぬ=無になる」、という論理の矛盾(無になる〜無には成りようがない
ー無いものに何故なる?)という池田晶子の言葉の通りに、死という言葉のイメージが刷り込まれる立ち位置にある
のが2・5人称の人。10歳の頃、親戚の葬式に親と出席した時に思った「何で人は周囲の眼を気にして好き放題
生きないのだろうか?」と。子供ながら凄い疑問を持ったのである。そのうちに、その疑問を忘れてしまったが、
次の疑問は父親の死に接した時である。 
 死の瀬戸際から、逆に「生きる輝き」を逆噴射して見つめた視点である。死に際で「あと、せめて三年、生きたい」
という生への渇望の言葉を聞いた。それが日々強くなっていった。その時に「人間は生きているそのことだけで
ベストである」ことを肌で感じ取った。そのためか、父親が亡くなってから人生観が変わってしまった。
「一日一日を生ききること」が人生から与えられた責務と!知人の死だけでなく、身近な人の死も多く教える。
生老病死 苦集滅道 とは よくいったものだ。 般若心経をパソコン画面に貼り付けておこうか! 
・・・・・・・・・・
2715, 「要素還元論」と「二元論」
2008年09月10日(水)
 島田雅彦・対談集「無敵の一般教養」の松井孝典の対談で
松井孝典が、考える方法として「要素還元論」と「二元論」を解りやすく手短にまとめていた。
  ーまずは、その箇所である。
【物事を深く理解しようと思うと、考える枠組みをよりシャープに細かくとっていかないと、解くべき問題を
設定することすらできない。それがわれわれの脳の仕組みと合っているのかもしれない。だから、時代とともに、
より細かく対象を分け、より細かい領域で物事を明らかにしてきた。 それが要素還元論です。しかも自然と
人間とを分ける。考える主体と認識される客体を、とりあえず分けなければ思考はスタートしないわけで、
それが二元論でしょう。 現代を生きる人は、これまでの教育でそれを徹底的にたたきこまれているわけ。
「わかる」とは何なのかについて、それ以外の「わかる」ということは考えられないわけです。ぼくは今、
地球学とかアストロバイオロジーとかで、二元論と要素還元主義の枠を超えて、昔のようにとりあえず現代の知の
体系のすべてを認識しましょうということを主張しています。何か新しい方法論が出てこないと、
「生命の起源と進化」という問題は解けないと思うからです。
そういう過激な認識を持っているわけです。 とりあえず、二元論と要素還元主義に対抗する方法論として、
「システムと歴史」という見方で、もう一回すべてを見直そうとしています。宇宙も地球も生命も人類も文明も
全部一緒に論じようとしています。数学は言葉です。経験しない現象を語れることばが数学なんです。
宇宙の始まりは過去のことで我々は経験しえない。そういう現象を語るためには数学以外に語ることばがない。
いわゆる言語はすべて経験によって意味が裏付けられている。そういう種類の以外のことばを持たない限り
語れないでしょう。】  〜〜以上である。
 なるほど、こういう思考の捉え方があるのには驚いた。「帰納法演繹法」発想法として「KJ法」
「テーゼ、アンチ・テーゼ、ジンテーゼ」とか、情報収集の中での発火(発想)方式などあるが、「要素還元法」
「二元法」も、上記の中でしていたことである。この年齢になって初めて初歩的な知識を得ることの、
何か恥ずかしいような、無知の再確認をさせられているようである。それに加えて、松井教授は「システムと歴史」
という考え方を提示している。これは宇宙、地球システム、人間の歴史、個人の歴史、全てに当てはめて考える
ことができる。要素還元法、二元法の限界を、一度「システムと歴史」という視座に入れて考えると、限界を
超えることができるという。「システムと歴史」の意味が理解できなかったが人間の歴史、個人の歴史に置き換えて
考えてみたら理解できた。「システムと、これまでの始まりとプロセス」ということ。
「数学は言葉です。経験しない現象を語れることばが数学なんです。
  (字数の関係でカット11年09月10日)
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2007年09月10日
べナレスー7
3、 多くの化身を持つヴィシュヌ神
インドには石造りの壮大な寺院から路傍の祠にいたるまで、様々な神様が祀られている。
それらの中で現在最も信仰を集めているのが、ヴィシュヌ神シヴァ神である。
  (字数の関係でカット08年09月10日