<20歳からの人生の考え方ー外山滋比古著>
  * 我慢の善用活用、‘我慢内燃説’
 他の著書の中に、「キズをのり越える努力が、人を大きくする」がある。
<青森で朝市に寄ってリンゴを買った。私が、「キズのあるリンゴの方が甘いん
 ですよね」と言うと、おばあさんが「東京の人のようだけど、よく御存じで。
みんなに 嫌われているキズのついたリンゴ。傷をかばおうとして、力を出す
のであろう。無キズのリンゴよりうまくなる。キズのないリンゴがなまけて
いるわけではないが、少しいたんだ方が、おいしい。>
 人間も似ている。秀才は、傷なしの特上のリンゴ。天才は傷だらけだが、
特質の能力がある。このリンゴから例えると、よく理解が出来る。 
 ここで、「我慢の善用活用、‘我慢内燃説’」を述べる。 〜p-139
≪ 我慢を通せば、病気になるし、我慢をしないと無作法で反社会的になる。
どうしたら、悪玉我慢を善玉我慢に転化できるか考えどこ。長い間、考えた末、
ひとつの解決法を得た。 それを‘我慢内燃説’と勝手に命名した。
我慢のストレスは、ガソリンのようなもの。そのままで不用意に火を近づければ、
引火する恐れがある。我慢をガソリンとすると、そのまま発散すれば、その場限り
になる。じっと我慢すれば、内圧が高まって、ストレス化する。その内圧を燃焼
すれば、恐ろしいほどの力が生まれる。いつまでもストレスをためておくのは
愚かなこと。充分に高まったら、目的のため噴出させる。発噴とは、その内燃
を元に大きなことをうごかせる心的活動だと考えることが出来る。 ≫
▼ リンゴの自然治癒力と、我慢の善用活用、の作用は似ている。
 人生の節目時は、破壊から創造への変化への我慢時。それまでのプラス、
マイナスが、同時に覆い被さってくる『真実の時』。 その時、溜まった
エネルギーが新たな変化を生む。創造にはなくてはならない条件である。
既存の自分を一度、ゼロにして、新たな目標にむかう節目時である。
<順境には枝を、逆境には根を張れ!>という諺がある。リタイア時期を
過ぎても、枝にしがみついて人、例えば森元首相や、石原慎太郎のような人を
みるにつけ、人生の不条理を見る思いになる。人生も見切り万両である。
 でないと、人生にとっての「死に損ない」になる。

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5331,ノンセンス辞典 ー?
2015年10月19日(月)

 BRUTUSの「谷川俊太郎」の中の、ノンセンス辞典〜
 の、言葉の解説が面白い。 (▼は、私の意見)
≪ 【生ぎざま】= <生きかた>の商品名。
 <生きかた>を販売する場合には、この商標をつける方がよく売れる。
 但し、最近は投げ売りする者が多いので、先行き不安。 
 ▼「生きざま」というと、「生きかた」を少し生くさくしたもので、
  経験が加味された響きを持つ。
・【偽善】= 二十世紀後半においては、誠実の同意語とみなされているが、
  次のような古典的定義に固執する学者もいる。
  すなわち、偽善ーうそをついていると気づかずにうそをつくこと。
 【誠実】=うそをついていると知っていてうそをつくこと。
 ▼「誠実な人」という言葉に何やら欺瞞が隠されている。
  「偽悪」という私の好きな言葉もある。「露悪と偽悪」の区別も
  つかない連中に、目くらましにするにうってつけ。 
・【土着 】= 自分で自分を鉢植えにしている状態。肥料として人糞を
  用いることは稀。民族的肥料、文化人類学肥料を混用することが多い。
 ▼ 地元から一歩も出ないで、その社会を全世界と信じて疑いを持たず、
  鉢の中で良しとしている人。島国の日本も、鉢とすると、土着国家の
  住民が日本人ということになる。大陸の中国人からしたら日本は
 「小国民」と蔑視をしたくなる。その鉢が城下町となると?
・【知識人】= 知識についてはあらゆる知識をもっているが、知識でない
 ものについては、なんの知識ももっていない人。
 ▼ 境目は、その自覚が出来ているかどうか。知識でないものの一つに、
  「未経験」がある。それに対する姿勢、考え方が大きく、左右する。
・【情報】= 人間が本心をかくすために、まわりに煙幕の如くはりめぐらす
 膨大な量の知識。その量が余りに大きいので、当の人間すらその奥に
 かくされている本心を見失ってしまう。ほんとうの〈知〉と異り、しばしば
 売買や盗難の対象となるところから、商品の一種と推定される。
 ▼ 奥に隠されている本心すら、自分自身が知らないから始末が
  悪い上に、情報を知識化出来ないため始末が悪い。
 ―――
 今度、皮肉たっぷりの「私のノンセンス辞典」でも作ろうか。
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4966,閑話小題 〜ある男の動揺
2014年10月19日(日)
   * 80までは生きれると思っていたけど!
 ある飲み会で一年ぶりに出会った男が出会いがしらに、
「最近、切腹をした。もう長生き出来そうもない。片足、いや両足を
棺おけに入った。80歳までは生きると思っていたけど!」と悲鳴。やり手?
だが、人の弱点を見ると見境なく攻撃をする性格で、三年半前の私の倒産劇
以来、三度の会で、続けて露骨な嫌味を言っていた。三度目の会で、目前の座席。
早速、私への攻撃が始まった。「俺は学が無いので、哲学などは分からないが〜」
と、薄笑い。その言葉には(その様は何だ)との皮肉が込められていた。
それまでの二度は、聞き流していたが、この言葉にはカチッときた。 
 5年程前の話になるが、本人の趣味の茶器づくりが認められ、銀行のロビー
に飾られ本人が有頂天だった頃、その人と親しい知人から、「あの男、私生活も、
茶器づくりりも、仕事もスランプらしい」と聞いていた。たまたまポタリング
をしていると、車が停まり、当人が話しかけてきた。それが偶然、本人の会社前。
「まあ、お茶でも飲んでいけや!」と誘われるまま、事務所に行ったところ、
応接室に茶器が並んでいて、素人としてはナカナカの出来栄え。
「何でもよいから一つくれないか」というと、快諾。その数日後、自慢の豪邸?
に家内と行くことになった。その時の茶器の御礼に何かと考えた時思い出した
のが彼のスランプ。初心者用に噛み砕いた哲学を説く池田昌子
「14歳からの哲学ー考えるための教科書」を持っていった。それを逆手に
とって、皮肉を言ってきたのである。酒の勢いもあって「茶器は、作者の魂の
顕現そのもの。 あなたが茶器づくりなどでスランプというから、ヒントにと
本をあげたのだ!スランプ解消には『魂そのものが何か』が分からなくては
ならないはず・・ 『魂を叩き込むとは、自分の持っている全てを作品に
叩きつけることだろう。』」と、怒鳴りつけていた。 其処にいた、
ほかの何人かも、私の言葉に同調。その直後、幹事が会の予算が足りないと
当人に資金補助を頼みに来たところ、内ポケットの数万を私の前に投げつけた。
もし金に貧していたら深く傷ついただろうが・・ あまり経験出来ない面白い
遣り取り。それから一年ぶりの再会で、これ。 余命数ヶ月?に感じられた
深刻な様相だったが、それは恐ろしいだろう! 哲学の最大の問題は「死」。 
 余命を突然告げられ、まず考えるのが、 
☆死ぬとは、如何いうこと?
☆自分が本当に消え去るなど有得ない!
☆自分の生き様は、これで良かった? 等々、心は七転八倒。 
 最後の最後は当人の心奥の問題だが。 去年の5月の随想日記、
4429,ー「死ぬのが怖い」とはどういうことか?ー前野 隆司著の
「死の恐怖を克服する七つの登山道とは」を読めば、少し気が休まるだろうに。 
 こういう類は予習しておくしかない。他人事でないのが、この内なるブラック
スワンの死の問題。 先日、ある30人位のデナーの席で、三年前に旦那を
亡くした還暦過ぎの女性と、70歳過ぎのアマチュアカメラマンと、私の家内と
同席をした時の話。還暦過ぎの女性が旦那を見送った具体的話題をして、
本人もガン持ちと告白した。その女性が私に「変な話をして御免なさいね!」
というから、「別に全く問題はないです。この年齢になら言葉として表現するか、
しないかですよ」と、答えた。70過ぎのカメラマンも奥さんを最近見送り、
自分も何時、再発するか分からない、と達観?した様子だったが、内面は
穏やかではなさそう。即興になるが、「男は黙って、サッ、コロ、キエル」。 
そして誰も居なくなる。死の問題、一に準備、二に準備!である。
こういう話は、語りだせばキリがない!
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4599, 閑話小題 ー座りオシッコの話
2013年10月19日(土)
  * 座りシッコの話
 昔は無かったスタイルに、「洋式便器」での男の「座りオシッコ」がある。 
二年ほど前になるが、TVのバラエティーで、「男の洋式便器のオシッコの
使用時に、周辺に撥ねちらす量が思いのほか多く汚い」ことを、テーマに
していた。その飛び散るさまを色付きの水で、同じように放水し、周辺に
飛び散った水滴先を実証してみせていた。それを見た家内が、「今日から、
あなたも始めて!」と強く言われて数回、試みたが、何かオカマ?みたいで、
数回で止めた。でも、注意をしてみると、やはり? 数ヶ月前にみたシネマで、
老妻に先立たれ独り暮らしを始めた主人公が、一度、座ったが、もういい!と、
立ちスタイルで始めた姿が印象的だった。近くのスポーツジムに通い始めて
二年半になるが、盆暮れと祭日を除いて週5日間の昼間、休まず通っているが、
数ヶ月後に気づいたのが、男子更衣室の洋式トイレで、前の人が使ったあとの
下蓋が下りたままが多いこと。 ところが、日が経つにつれ、その頻度が
多くなってきて、今では三分の一。これからすると使用後、上蓋を下げる
人もあるから、半分近くが座りシッコをしていることになる。当初は、
こんなところで、何?をすることもないのに!と思っていたところに、
例の映画をみて成るほど!と気づいた次第。で、最近、家では心掛ける
ことにしたが一週間もすると、当初の抵抗感がなくなるから不思議。 
それも中性化の一つか? 最近の子供は自宅では殆ど?座りスタイル?  
で、私は自宅ではするが、SJで、しないのは、実際にジムでも実施して
いる半数の人と比べ、公共心が劣っていることになる。でも、あそこで、
座る気も起きないが。
  * 二代目・電動アシスト自転車
 ブレーキが前後とも壊れ、来春予定していた電動アシスト自転車を購入して
から、一ヶ月足らずになる。これまではマウンテンバイク(MTB)だったが、
今度ものはクロスバイク。値段は4年間で電動アシストの普及もあり、全体的
にみて3〜4割は値下がりをした。MTBはスポーツチェーン店の通販で買った
中国製。やはり故障続きであった。しかし、電動アシストの楽しさは十二分に
味わうことができ、既に1万キロは走った。冬期を除いた毎朝、一時間、年間
200日は乗るので、一回百円とすると、償却は済んだことになる。
実感としての価値は、300円〜500円はある。で、新しいクロスバイクは、
値段が二倍、一日200円になるが、価値は充分にある。雨の日にスリップして、
転倒したが、車さえ気をつけ注意をすれば、それほど危険でない。毎朝、
10キロ以上は乗って5日に一回の充電で済んでいる。クラッチを最大の重さ
にして、電力を使うパワーにして乗っているが、ロードレーサー並みの速さ。
少しオーバーに表現すると、地上を走る車輪付きのグライダーか、水上を走る
ミニエンジン付きヨットという感覚である。で、兼用して乗るつもりだったが、
一度MTBに乗ったが、もう乗る気がなくなり、昨日、知人に引取って貰った。
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4224, 閑話小題 ー地軸様 
2012年10月19日(金)
   * 地軸様
 何度か書いたことがあるが、30年来、近くの土手を散歩しているうちに橋の
上で呼吸法を取入れた深呼吸をするようになった。大きく息を吐き出しながら
シャガミコム。その時に地球の芯に気を落とすイメージを持つ。
そして、そこから大きな息を吸い上げながら立ち上がり、今度は空に向かって
気を吐き出すイメージで息を出す。それを一回につき7〜8回、続けていた
ところ、擬人化した地球軸に話しかけるようになった。「おはよう!」
「久しぶり!」とか。 ところが何回かするうちに、逆に地軸の方が、
「よう、昨日は散歩に来なかったな!」「より深く呼吸しろよ!」と思いも
よらない切口で呼びかけてくる。 サルトル的にいえば、「対自」と
「即自」の、掛け合いになる。ところが何時もの散歩道のコースに、大規模な
道路拡張工事が始まり通行止。そこで違うコースを迂回して歩いているうち、
電動アシスト自転車を購入した。試しに信濃川の土手を長岡大橋から大手大橋
を一周したところ、この景色と空気に魅されてしまった。三年前のことである。
それをキッカケに早朝ウォーキングがミニ・サイクリングへ変わってしまった。
ところがチャリだけでは、物足りなくなり、大手大橋を渡る時にヒキチャリを
しながら歩くようになった。 暫くすると、その地球軸が再び話しかけてきた。
「久しぶりだね、まあ、下世話なことなど考えてないで、ここを歩いている時
は360度のパノラマを味わえよ!」、「もっと深い呼吸をしな!」
「自分にせっかく出会えたのだから、エネルギーを、もっと吸い上げろ!」、
「何か考える時や、音楽を聞く時には、わたしが同一になったイメージを持つと、
感覚が鋭敏になる!」(ワシにも聴かせろ)とか、なかなか面白い。 
スポーツセンターで、ウォーキングマシーン上でiPodの音楽を聞きながら
運動している時などイメージすると、音楽に集中できる。で、この擬人化した
地球軸に何か名前をつけてやろうと、この数日で考えた名前が、「地軸様」。
知らない人が、これを読んだら、「この男、ついに頭にきたか」と思うだろうが、
私にとっては、20年以上の対話の過程がある。自分の魂を擬人化した「真魂様」
でもよい。常に話相手として擬人化して対話すれば、それで深い自己対話になる。
問題は意識してやるかどうか。アブラハム、キリスト、釈迦などは、
このエネルギーの大元と繋がっていたのでは? 魂とは、内的宇宙=地軸様。
 ・・・・・・・
3859, 釈迦でさえ非難される
2011年10月19日(水)
 釈迦にさえ、非難するものがいた。そのものに、釈迦は「あなたが私に腐った
ものを与えたとして、それを私が受け取らなかったら、それは誰のものになるか
考えてみよ。それは、あなた自身のものだろう。それが、私の答えである」と
言ったという。この言葉を知った時、何か内なる拘りの多くが消えた気がした。 
要は、自分の受けとめ方で、第三者の非難は、その人自身の問題を投影している
に過ぎない。それをマトモに受けとめるから、その辺の輩の言葉に傷を負って
しまう。要は、自分の信念となる「絶対言明」を確立してあれば、他人の傷口
から出てきた膿の言葉から、自分の傷口に毒が入ってこない。釈迦の言葉には
納得できるものが多い。この時節、釈迦の言葉は心に沁みる。
老年になると、無知は老害となる。
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* 思いわずらうな。 なるようにしかならんから、今をせつに生きよ。
* 沈黙している者も非難され、多く語る者も非難され、少し語る者も
  非難される。 つまり、世に非難されない者はいない。
* もし、清らかな心で生きている人がいたとしたら、
  幸福はその人の後に、かならずついていく事でしょう。
* 思慮のある人は、奮い立ち、努めはげみ、自制・克己によって、
  激流も押し流す事が出来ない島を作りなさい。
* 善をなすのを急ぎなさい。善をなすのにのろのろしていたら、
  心は悪を楽しむようになります。
* 水が一滴ずつでも滴り落ちるならば、水瓶でも満たすことが出来る。
* 他人の過失を見る必要はありません。
* 他人のした事と、しなかった事を見るのではなく、自分がした事と
  しなかった事だけを見るようにしなさい。
* 自分で自分を、励ましてあげなさい。
* まず、自分を正しく整えてから他人に指摘しなさい。
  そして、他人に指摘したことは、自分も実行しなければなりません。
*「わたしは愚かである」と認められる者こそ、賢者である。 逆に
 「自分は賢者である」と思っている者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい。
▼《 思いわずらうな、なるようにならんから、今をせつに生きよ 》 
 この言葉は、還暦を過ぎてからの生きる道しるべの言葉。
《「わたしは愚か」と認められる者こそ、賢者。逆に「自分は賢者である」と
思っている者こそ、愚者と呼ぶにふさわしい》は、上から目線で、教養の無さ
の目盛りになる。上記の一つずつが、日々の自分に対する戒めといっていよい。
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3494, 金が高騰
2010年10月19日(火)
 ここにきて金が高騰している。リーマンショック時には1トロオンイシス
900ドル代だった金価格が、先日1380ドルをつけた。何と二年で40%の
値上がり、年率で2割づつ上がっている。 国内価格は円高のため27%、
それでも値上り幅は大きい。ゴールドマン・サックスは一年後には1650ドル
まで値上がりを予測する。 二年後に3000ドルの予測もある。8年前に金の
上場投資信託ETF)が出来て、そこを通して機関投資家や個人の投資資金が
流入している。その残高も5年前の5・6倍に膨らんでいる。リーマンショック
による世界金融危機が一番の値上がり要素。各国は危機乗り切りのため通貨を
ばら撒いたため、投資家などに通貨不信がおきて金投資に向かっている。
「実はユダヤ資本が上げるだけ上げておいて、一挙に売りを浴びせられる」
という説は、先日ここで書いた。  (字数の関係でカット2011年10月19日)
・・・・・・・
3119、久々のジョーク ー6
2009年10月19日(月)
▼ 少女が女になるにはどれくらいかかる?    ひとつき
▼ 長年牧場の仕事をしてきた親方が、弟子を連れてしば刈りに行った。
 「親方。この木、じゃまだから切ってしまいましょう」「待て!50年前、
 わしはこの木の下で、男として初めての体験をしたんじゃ。思い出の木じゃ。
 残しておいてくれ」「へえ。そうなんですか。親方も隅におけないなぁ。
 じゃあ、あっちの木を切りましょうか」「待て!その初めての体験のとき、
 あっちの木の下で彼女の母親がじっと立っておった。やはり思い出の木じゃ。
 残しておいてくれ」「親方……。もしかして初めての体験のとき、相手の
 お母さんにずっと見られてたんですか?」「そうじゃ」「お母さん、黙って
 なかったでしょう。何て言いました?」 「モー」
▼ とあるパーティの席でのこと。母親に連れてこられていた三歳の男の子
 トニーが、突然母親に向かって「おしっこしたい」と大声で叫んだ。息子の
 無作法に母親は思わず顔を赤らめ、彼にそっと言った。「これからはおしっこ
 をしたくなったら『歌を歌いたい』と言ってごらん。そうすれば私はお前が
 おしっこをしたいのだとすぐ分かるからね」「『歌を歌いたい』だね?
 うん、わかった。これからはそう言うよ」そして、その日の夜― 
 父親と母親の間に寝ていたトニーは、おしっこをしたくなって目を覚ました。
 そこで父親を起こして「歌を歌いたい」と言った。何も知らない父親は
 びっくりして言った。「夜中は歌を歌う時間じゃないよ。明日まで我慢
 しなさい」 しかしおしっこが漏れそうなトニーは、どうしても今じゃない
 とだめと言う。 そこで父親は仕方なくこう言った。
 「じゃあ、布団の中でいいから、お父さんの耳元で静かに歌ってごらん」
▼ 友人に裏切られ、全財産を失い、荒れた暮らしで体を壊し、不治の病に
 冒され、ひとり寂しく死の床についている男がいた。 突然、目の前に妖精
 が現れて言った。 「どんな願い事でも構いませんので、あなたがかなえたい
 事を3つ言ってください」 男は即答した。「友情と財産と健康が欲しい!」
 そして、感激し男は続けた。「ありがとう!もう何と言ってよいのか..」
 「いいえ、どういたしまして」妖精は答えて言った。
 「こちらこそ、アンケートに御協力いただき、ありがとうございました」