<「賢い子」に育てる究極のコツ 瀧 靖之 (著)>
  * 「子」を「自分」に置換えると?
 「賢い子」を、「賢い自分」置換えると、どうなるか。
 その3つの秘密道具=「秘密道具1ー図鑑」、「秘密道具2ー虫とり網」、
「秘密道具3ーピアノなどの楽器」のキーワードを、現在の私の世界の道具に
すると、どうなるか。
・まずは『図鑑』 〜図鑑の対象を難しい哲学や、とっつきにくい聖書、
古典文学、世界の聖地、秘境・異郷、大自然の絶景を図鑑にした本がある。
空間と配置と重視し、絵入や文字の大小で鳥瞰しやすくしてある。 
学業が強くなかった原因を、現在から振り返ると、ノートのとり方に問題が?
ノートの記録を図鑑を参考に応用すれば良かったのだ。読返す度に、書き足し
ていけば良かった。 それも、後講釈でしかない。 現在ではアイコンと、
ファイルの配置のパソコン画面が、それにあたる? ウィンドウズ95が、
画面を図鑑にするアイディアで、世界を変えてしまった。
・『虫とり網』 虫を情報として捉えると、網はネット(検索)になる。
現実社会の上を、ネットが覆ってネット社会が新たに出来てしまった現在、
これを如何に使いこなせるかどうか。この随想日記も、ネット検索が無ければ、
連日、書き続けることは不可能。
・『ピアノなどの楽器』 〜これを幼児期に身に着けたかどうか。耳からの
情報収集が大きく人生を分ける。楽器演奏は、集中力と、継続力が無くては、
決して習得できない。そこに、それを指導する先生の存在が必要になる。
それも、幼児期の頃からというから。ということは、このテーマの「自分」
の置換えは、テーマとして成立しなくなる。「今さら・・」だが、何か一つでも、
楽器演奏をしておけば、より豊かな心を持てたはず。 学生時代からステレオを
身近に置いていた。現在は買い集めたCDの2000曲入りiPhoneを二つ。あくまで、
早朝のポタリングの走行中だけ。
「賢い子」を、<「心豊かな自分」に育てるコツ>をテーマにすべきだったか。
PCと、ネット活用は、少しは、賢い自分を育ててくれている。で、このザマ!

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5278,「読書の腕前」 ー③
2015年08月27日(木)
            〜「読書の腕前」岡崎武志著 ー読書日記 〜
   * 独りの楽しさと、読書
 半世紀近く、早朝と午前中の読書の時間は、私にとって至福の時間である。
これに30年まえからウォーキング(7年前から自転車散策に変更)が、15年
前からネットが加わった。これと秘境ツアーの蓄積が、人生の財産である。
 読書に関しては10歳までの習慣化が必要と言われるが、その割りに、
底が浅いのは、20歳辺りで、ようやく面白みを知ったため。〜その辺りから〜
≪ 「いまの日本には楽しみがあふれているのに、楽しみ方が下手だ」
 谷川俊太郎の『「ん」まであるく』というエッセイ集のなかにある言葉だ。
たしかに、余暇というと多くの人が、ゴルフへ行く、家族でディズニーランド
へ出かける、ショッピングセンターへ買物に行き、ついでに食事もする、
というかたちで時を過ごす。それが悪い、と言うのではない。しかし、
あらかじめ用意された場所や装置がないと、時間がつぶせないというのでは、
「楽しみ方が下手」と言われても仕方がないだろう。このことを、もう少し、
谷川の文章に添って考えてみたい。 ー続けて、こんなふうに言う。
「文学、芸術に関する限り、私たちは楽しさよりも先ず、何かしら
〈ためになること〉を追うようだ。楽しむための文学を、たとえば中間小説、
大衆小説などと呼んで区別するところにも、自らの手で楽しむことを卑小化
する傾向が見られはしまいか。感覚の楽しみが精神の豊かさにつながって
いないから、楽しさを究極の評価とし得ないのだ」と。
 ここ数年のベストセラーリストを眺めていると、自己啓発本がつねに上位を
占めている傾向に気づく。多くの人がいまの自分に満足できず、なにかを変えた
がっているようだ。スキルアップを図り、それを仕事に結びつけて出世したい。
本もそのため「役立つ」なら読む。そういう気持ちがリストから透けて見える。
出世を願う気持ちを否定することはできない。しかし、本一冊を読み、いきなり
自己を変革しようというのはあまりに安易だ。そして、なにか「ためになる」
ことがないと、本に手を出さない姿勢もいびつだ。それもこれも、「本を読む」
ことのほんとうの楽しさを知らないから、いつまでたっても即効性を願う本
ばかりに手を出してしまうのである。 本は栄養ドリンクではない。
「つつしむことのできぬ精神はひよわだ。楽しむことを許さない文化は未熟だ。
詩や文学を楽しめぬところに、今の私たちの現実生活の楽しみかたの低の浅さも
表れていると思う」と、谷川は言う。また楽しみはもっと孤独なものであろう、
とも。恋人と、あるいは大勢の仲間といっしょに音楽を聴いたり、映画を観たり
するのは楽しい。しかし、その瞬間だって、その楽しさを腹の底から感じる
のはいつだってひとりの自分なのだ。
 いつも誰かといっしょでないと不安で仕方がない、ひとりでいるのはみじめ。
だからケータイやメールで他人とつながって生きている。こうして孤独、という
言葉を恐れるあまり、自分ひとりで感じることのできる力をないがしろにしたら
どうなるか。「ひとりじゃいられない病」にかかってしまい、いつの間にか、
伸び切ったゴムのように魂は弛緩してしまうだろう。
『教養とはつまるところ自分ひとりでも時間をつぶせる』ということだ。
それは一朝一夕にできることではない。「働き蜂たちの最後の闘いは、膨大な
時間との孤独な闘い」 そう書いたのは中島らも(『固いおとうふ』双葉文庫)。
「教養」という、うさんくさく実体のない言葉を、なんとうまく表現している。
「自分ひとりでもうまく時間をつぶせる」人のことを「孤独な人」とは言わない。
なぜなら、その人の時間はきわめて充実しているからだ。私はつまるところ、
「孤独」を克服し、たったひとりで自分の内面を深めるのは「読書」以外にない、
と考えている。 また谷川は前掲書のなかで、自分だけが感じる「楽しさ」を
ちゃんと見つめることが「成熟」だと言っている。≫
▼ 今では、ネットサーフィンという遊び方もある。逆に、誰とでも気楽に、
ツイッター」や「リンク」で結びつくことが可能だ。それと、自己啓発本
偏っていたこともある。『教養とは自分ひとりでも時間をつぶせる』という点
では、充分、教養があるはずだが、それが浅いと実感するのは、10歳までの
ベースがないため。その割切りをしておけば、読書の楽しみは増えるはず。
 それよりも、現実社会があまりにも面白い!ということか。
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4913,世界の美しさをひとつでも多く見つけたい ー5
2014年08月27日(水)                
     『世界の美しさをひとつでも多く見つけたい』石井光太
  この著書を読んでいて思い出したのが、以前に取上げた、
<京大工学部の新宮教授の「幸福の4階建て論」説。
               (古今東西の幸福論を読み漁った結果)
 4階:克服できない苦難や悲しみの中に、幸福がある。
 3階:苦難や悲しみを経験し、それを克服する。
 2階:獲得した「快」を永続させる。
 1階:人間の本能的な「快」(恋、富、名誉など)を得て、増やす。>  
『世界の美しさを一つでも・・・』の著者・石井浩太は、それが壮絶であるほど
余計なものが剥ぎ取られた人間の泣きたくなるほど、その美しさが浮上るという
説に重なる。このルポも、時代の要請なのだろう。
  ーまずは、その辺りを抜粋ー
≪ なぜ過酷で壮絶だったりする現場に赴くのか。それは過酷な現場であれば
 あるほど、「人間の美しさ」が見やすいからです。良心、善意、優しさ、強さ
といったものです。暗い場所であればあるほど、光はより明るく輝きます。
それと同じで、悲しくてつらい世界だからこそ、人の優しさやたくましさがより
鮮明に浮き上がる。 たとえば、マドウと薬草売りの関係が、ニューヨークの
高価な私立病院の個室でくり広げられるお金持ちの病人と専属看護師のそれだと
したらどうでしょうか。高級病院の専属看護師は、コルカタの薬草売り同様に
お金持ちの病人を必死に励まそうとしているかもしれません。しかし「高額な
お給料をもらっている」「最新の医療を受けている」という事実があることで、
専属看護師の善意は見えにくくなります。コルカタの路上で人間が裸同然で
うごめくように生きています。良し悪しは別にして、余計なものが一切ないから
こそ、薬草売りのマドウに対する善意がはっきりと目に見えるし、それが
泣きたくなるほど温かな行為として感じられる。そして、薬草売りとしての
美しさが鮮明に浮き上がるのです。私は先ほど「人生観が変化するような感動
を見つけ出したい」というようなことを書きました。過酷な現場へ向かうのは、
そのためなのです。厳しい状況の方が人間の美しさがより輝いて見えるので
あれば、必然的に向かう先もそこになります。過酷な現場を見たいから行く
のではなく、より多くの人間の輝きを発見できるからこそ赴くのです。・・≫
▼ 幸福の4階建て論に疑問が残っていたが、これを読んで、成るほど合点が
 いった。著者が、この論を知っていたかどうかは知らないが、克服できない
不幸も、見方を少し変えると、こうも違って見えてくる。3年前の節目も、
実際に経験をしてみて、それまでとは社会と人間が違って見えてきたのに
驚いている。死を悟った時とか、克服できない苦難や悲しみの中にこそ見える
様ざまな感動が、人生観を変える。逆に、ただ、思い込みの壁で、物事が全く
見えてない人と、過っての自分の姿が見えてくる。漆黒の闇の中こそ光は輝く!
ふと気づいたが、4F説の、1階が壮年までの生、2階が老年、3階が病気、
4階が死ぬまでの葛藤?で、屋上は死、自分から解放された無限世界!  
(一言多いが)平屋もマンションもある・・・
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4546,閑話小題 ー小学、中学校の同級会で、どうしてるの?
2013年08月27日(火)
   * 小学、中学校の同級会で、どうしてる?
 数ヶ月前になるが、家内が真剣な顔で、「中学の同級の女子会に初めて出席
するけど、会社を興し、ワンマンで好き放題のアナタが、話題が合わないはず
なのに、何時もどうして時間を過ごしているの?」と、聞いてきた。
それに対し「殆ど毎年、出席して30数年、慣れがある。相性の悪いのは近くに
来ないし、最初の30分さえ過ぎれば『場』が出来るので、それまでの我慢。 
早めに酔ってしまうのがコツだが、気を許さないで悪意の話に乗らないで、
ただ黙々と酒を飲む。話題が合わないのは当り前と割り切っている」と。
「それにしては、毎回、いそいそ行くじゃない」というので、
「小中高校の集まりは魂の故郷。合う合わないでない。魂の故郷の温もりを
味わうだけで充分良いもの」と。地元受験高校から、女子短大を卒業して、
実家の取引先である上場メーカーのオフィスで、丸の内勤め二年をした後、
結婚先は実家同様、お手伝いがいて(10年前まで)、今だTVドラマと、
現実の境目が分からない人が、40年、柏崎の世界で地道に生活している人と、
この年齢で出席してかみ合う訳がない。 で、家内が柏崎から帰ってきて、
「どうだった?」に 「・・・・・」。何があったか黙して語らず。 
時間が経つと出たくなるのが同級会、それが魂の領域であるため、
が分からないようだ! で、暫くしてから「二度と行かない!」 
   * ビデオカメラから覗いたロス市警警官の日常
 先週の金曜日に上映時間が変わっていたため見れなかった
エンド・オブ・ウォッチ』を、昨日午前に見てくる。
(番外は、年に2〜3回はある)ロス市警のコンビの警官の勤務をリアルに
浮かび上がらせている。その手法が、車の中のビデオカメラと二人の警官が
胸に遊びで付けた?小さなビデオカメラで映し出す手法。それが臨場感があり、
ロス警官の日常勤務に観客を引きずりこむ。更にギャングにも、グループの
一人が悪ふざけでビデオカメラで撮影している設定をしてあり、その目線も
重なっている。それがリアルで、次の瞬間何が起きるか恐怖が先にたつ。 
観客目線より、主役と脇役それぞれの役割目線のアングルが良い。
ロスのサウス・セントラルでは、年間10万件、5分に一度の割に事件が
起こっている全米最悪の地域。 特にメキシコ系と黒人系のギャング争いを
リアルに映し出しているが、それが恐ろしい限り。その中で、二人の警官の
生々しい、ビデオレポート風の映画とすれば・・ Googleが、眼鏡フレームに
ビデオカメラを付けたものを実験販売をしたが、映画も、個人目線の映像が
交差する物語が多く出てくることになる。これは、そのハシリということか。 
Youtubeのようなサイトから、面白映像が溢れかえる流れが激しくなる。
次にどのような端末が出てくるか、楽しみである。 
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4171, 閑話小題 ーつれづれに
2012年08月27日(月)
   * つれづれに
 このところ尖閣諸島竹島北方領土に、中国、韓国、ロシアが意図的に
仕掛けてきている。現在の首相がレイムダック状態で、組みやすいタイミング
とみてだ。しかし日本にとって、沖縄米軍基地問題の中、その存在を考えるに
丁度良い問題。関連している各国全てが良い上に、国民の目をそこに引きつけて
くれる。もう直ぐに、中東で決定的な何かが起こすための目先の意図的な小競り
合いの要素がある。 中国は権力の移行期における軋轢が起こっている上に、
景気は減速。韓国は、現大統領の側近が収賄などで次の選挙に立候補さえ出来ず、
失職後に恒例の暗殺か、自殺?か、逮捕劇が待っている。極東も不安定状況に
なってきた。 アメリカの穀物が異常気象で干ばつというニュース。 
深刻なら経済が一挙に際どくなる。一昨晩のBS/TVで、欧州の経済不況の現場を
特集していた。スペイン移民が住宅ローンの破綻で、家の明け渡しのトラブル
とか、アルゼンチンにUターンをしている事例とか、深刻な内容。
5年、10年後の日本の状況である。   
   * iPad導入、一年
 去年の8月25日にiPadを購入して一年になる。当初の熱は冷めたが、
使い勝手が良いこともあり、今では必需品である。居間と書斎に卓上型のiMac
置いているが、居間のPCは家内が専ら使って、そこで私はiPadを使っている。
TVに飽きたり、コマーシャルの間、ネット・サーフィンをしたり、本のチョイ
読みが専らである。気楽に自由空間を飛びまわっている感覚が良い。 
電動アシスト自転車が三年、未来型TVが二年、iPadが一年。
それぞれ大きく日常の生活を変えてくれた。 新しいツールが、
日常を大きく変えている。 馬鹿になっているだけだが!
・・・・・・
3806, 哲学人 ー�
2011年08月27日(土)
  * 歴史の知識が、物事の理解の仕方に及ほす影響       
              ー「哲学人」ブライアン・マギー著より
【 歴史の専攻に費やした五年間(パブリック・スクールでの二年間と大学での
 三年間)は、一般的な遺産をひとつと、個別的な遺産をいくつか残してくれた。
一般的な遺産として私の頭のなかには、古代ギリシャかち現在までつづく西洋の
歴史に関する概略的な知識が残った。こうした知識は習得に数年間の研究を
要するので、当然たいていの人は、いや、高学歴の人でさえもっていない。
物事の理解の仕方へのこの知識の影響は根深いらしく、私の考え方には、対象が
音楽であれ、演劇であれ、政治であれ、哲学であれ、ともかく決まって歴史的な
側面が認められる。私にはあらゆるものを、その成り立ちや今後の展開といった
観点から眺める傾向がある。また、過去の人物をより広い文脈に置く傾向もある。
そうやって、その人々が住んでいた社会の様子や、彼らが活動していた当時の
状況、その時代にはまだ起きていなかったこと、彼らが知リえなかったことなど
を認識するのである。さらに私は、現実が絶えず変化しつづけることを踏まえ、
‘現在には特別扱いすべきところなどない’とわきまえている。
いま起きていることには特別な重要性がある、そう思いこんでいる人が大勢いる
ようだが、私はそうではない。過去全体がいまへとつながっているのであって、
かつてのどのいまとも同じように現在は一時的なものであり、ときに総体として
の過去のなかの一瞬にすぎなくなることを私は知っている。過去、現在、未来を
問わず人は誰しも、複雑で途絶えることのない大きな歴史の流れのなかの任意の
時点に人生をはめこまれるのであり、その歴史の流れは絶えず変化し、各個人の
死後もつづいていく。その流れのなかに、ほかと比べて特権的な時点などなく、
ほかより多少なりとも絶対的な時点もない。こうした思いが私の骨の髄まで染み
こみ、芸術と知的生活のどちらに対する態度にも行き渡っている。】
▼ ついつい我々は、「自分の生きてきた時代を特権的かつ絶対的な時点」
 と思い込んでしまう。それが自分が生きてきた時代という理由だけで・・ 
しかし過去を振り返れば、長い歴史の中の一コマでしかないは明白である。
従って、日本史や、世界史を何度でも読み返し、自分の置かれた時代を冷静に
見つめるため、地球儀と世界史の本を身近に置いておくべきである。
グーグルアースとは別に。
 ・・・・・・・
3441, 政治談議
2010年08月27日(金)
  * 小沢一郎が、民主党党首に立候補
 日本の歴史始って以来の危機の時期に、小沢が立候補を決断をした。
この恐慌を乗り越えるには、自民党民主党という枠を超えた大連合しかない。
その断行は待ったなし。管首相以下の三人が政権運営維持、難局に対処出来る
など考えられない。面白いもので、小沢が立候補のニュースをみた直後、
月刊誌の「現代・プレミアムーノンフィクションと教養」を手に取ると、
週刊文春などの編集長などをいていた花田紀凱小沢一郎批判をしている文に
行き当たった。田中角栄直伝の集金システムの手法は、そのまま続いている。
ここで、1993年、小沢が新生党を結成した時に立花隆朝日新聞に痛烈な
批判の文章を取上げていた。  (字数の関係でカット09年8月27)
 ・・・・・・・・
3066,ウワサを考えてみる −2
2009年08月27日(木)
「うわさ」をもう一歩掘り下げて考えるために「オレルアンのうわさ」と
「和服美人局のうわさ」を対比してみる。似ているところは、バックにある
犯罪組織の臭いと、性的な危うさ、そして「ユダヤ人経営者」=「女好き経営者」
への虐め。違うところはオレルアンが若い女性の間の噂だったのが、長岡は街の
酔い客である。前者は根も葉もないデマだったと後で判明したが、後者は
ファジーのままで終焉したこと。「うわさは愚者に始って、賢者で終わる」
というが、冷静になれば風評ということが分かるはず。 人は「事実より、
信じたいことを信じる」傾向があり、心の闇に符号することには更に強くなる。 
「悟りとは、平気で死ぬことでなく平気で生きること」というが、うわさなど
一々気にしていたら自分の世界を小さくするだけである。特に地方では小さい
世界を更に小さくしてしまうことになり、生き辛くなる。 女性週刊誌は芸能人
の「うわさ」(とくに下ネタ)を商売のネタにしている。芸能人も売名のため、
自分の方からネタを売り込む場合もある。「火のないところに煙がたたない」
というが、うわさをたてられた当人が火ではなくて、うわさを好んでする
「劣化した連中の口が火元」になるから、複雑になる。 中世の頃にあった
魔女狩り」や、第二次大戦の東京大空襲直後の「朝鮮人狩り」とか、デマが
真実と信じられ殺害にまで至る。今では「2チャンネル」のサイトが、その機能
を果たしている。人間の心の弱点には「自分の心の不安を言葉に言い換えた物語
を信じてしまう傾向」がある。それをついたのが新興宗教、占い師である。 
週刊誌の記事は売らんがために、不安のネタを見出しにし、あらゆる手法を使う。
それを額面どおりに受け止めるのも問題だが。この選挙のキャンペーンにも、
不安を煽って物語をつくり、自分を解決の主役にしている輩を多くみかける。 
それを選挙民が求めているいるのだから、虚像でもよいから演じるのは当然、
といえば、その通りだが。