『美人の正体』〜越智啓太著 
   * 私の美女論
 女性は20〜24歳にかけて、美しさがピークになる。後は下がる一方だが、
その実例を姉達などから、<花の命は短かけれ>を見知っていた。20歳代に、
三重、神戸、金沢、千葉、東京などの地域で、それぞれの土地柄の美人が
青春を謳歌していた。あの一瞬の輝きは、一時的なものでしかない? 
一番のピークの時期に、早々、売りつけられて、後は、下がる一方の
奥方を一生、面倒を見ることになった男たちの悲鳴が聞こえてきそう!
 ところで、美容評論家の斉藤薫が、著書で、
< 私が街で振り返ってしまう女性は、いつも決まって同じタイプ。
   清潔感と色気がきっちり7対3の女たちである。> という。
 それを前提に、清潔感のあるファッションと、小物を身に付けるべしと!
女性の化粧は、本来、欠点をカバーするもので、アンバランスを調整する
のが基本。ブランド品でバランスを保つこと自体に疑問符があるとか。
〜そこで、ネットで「美人顔」を検索すると、
 「美人顔と思われる6つの条件」が出てきた。
1.肌がツルツル、スベスベ!
2.綺麗な目をしている・・・二重、一重は関係ない!
3.鼻筋がスッとしている
4.鼻と口の距離が近い
5.いつも口角があがっていて表情が美しい
6.顔全体のパーツのバランスが良い
 しかし美人全員それぞれのパーツを合わせると、逆にアンバランスな顔で
不自然な顔になる。美人顔は、各パーツが完璧な形を持ち合わせているので
はなくて、‘バランス’が良いためである。
 万人が「この人綺麗!」と思う顔とは
1.顔の縦、横の長さのバランスが良い
2.目、鼻、口など各パーツの位置関係が良い
3.目、鼻、口など各パーツの大きさのバランスが良い事が条件
 と言われている。
―――
あれだけ美人と騒がれた当時の美智子皇后も、現在、冷静にみれば、
少し可愛い程度でしかない。美の基準も、年々、変化する際物。
室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふ もの 」
ではないが、「ふるさと」を「お美人」に置換えると、何故か納得。

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5238,窃盗専門の「泥棒刑事」 −④
2015年07月18日(土)
              『泥棒刑事』 元三課部長刑事 小川泰平著
   * 泥棒の前科を嫌うヤクザ者
 泥棒と強姦罪と痴漢は犯罪者の中で、地位が最も低いというが・・ 
その中でヤクザが上位というのが合点がいかない。娑婆で、徒党を組んで、
弱者を苛め、恐怖という虚構でショバ代を取るのだから、忌み嫌われるて当然
と思っていたが、あにはからずである。娑婆の世界が、そのまま持込まれて
いるようだ。恐怖心の洗脳は、それだけ強いということ。 〜その辺りを抜粋〜
≪ ヤクザという人種は"男気"とやらを売りにしている関係上、格好をつける
輩である。彼らにとってみれば泥棒などはアウトローの片隅にもおけぬ、極めて
せこい存在にすぎない。実際、刑務所などでは泥棒、つまり窃盗犯は服役者の中
でも最も下位に位置し、受刑者の中で軽んじられている。刑務所内では受刑者
たちは暇に任せていろいろな話をする。そのときまず話題にのぼるのが犯行歴。
つまり「何をして刑務所に入ったのか」ということだ。
 一般的に雑居房ではさまざまな犯罪者が一緒に暮らしているが、そこで威勢
のいいのがヤクザ者。そしていちばん肩身の狭い思いをしているのが窃盗犯、
つまり泥棒である。刑務所のみならず留置場などでもそれは同じである。
泥棒は強姦犯や痴漢と並びどこへ行っても、肩身の狭い思いをする存在。
だが、ヤクザの中にも窃盗の前科前歴をもつ者がけっこういるのである。
その多くは、本物のヤクザになる前の不良時代のものだ。彼らは不良時代
や暴走族時代、何らかの窃盗事件で捕まっている者が意外と多い。
大半がオートバイ盗や部品盗、なかには事務所荒しや、出店荒しといった侵入盗
の窃盗前科をもつヤクザもいる。しかし、本物の組員となってからは泥棒に手を
染める奴はほとんどいない。そして泥捧の常習者であるヤクザというのも、
また聞いたことがない。≫
▼ 刑務所は悪党の巣窟。何度か犯行を重ね、出入りする度に、様々な犯罪
 手口を習得していく。悪党のための悪の教習所の役割になっている。特に、
泥棒同士の手口の方法、手順は具体的だろう。その手合いにあったら、
一般人は、防御が不可能。せめて金目の物は、銀行の貸金庫に預けて置く
しかない。玄関のドアがガラスなので、男物の靴を多く並べて置いているが!
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4873,閑話小題 ー初孫が産まれた
2014年07月18日(金)
   * 初孫が産まれた
 一昨日夕刻、二番目の息子から予定日より半月早い女児出産の電話が入った。
68歳の初孫である。家内が東京に出かけていて留守だったが・・ 嫁さんが、
高齢出産?で、万一を考えて、二ヶ月前から入院をして大事をとっていた。 
出産前に男女の識別は分かっていた?のだろうが、何も言わないことから、
女児だろうと推測をしていた。 亡くなった一番上の姉夫婦に孫がないので、
もしかして私たちも?と諦めかけていたが、これで御祖父さんの仲間入り!
孫は可愛いというが、これだけは持ってみないと? 
   * つれづれにー大相撲の若手人気力士『遠藤』の災難
 現在「遠藤効果」もあって大相撲人気が戻ってきた。一年前とは大きく違った。
八百長が少なくなり?、モンゴル、ロシア、東欧、フィリピイナの混血、エジプト
人などの真剣勝負が、内容を面白くしている。そこに去年、学生横綱だった
『遠藤』が数場所で、幕内に上がってきて停滞していた大相撲人気に火をつけた。
姿かたちと相撲内容に花がある力士で、見ていても面白い! 早速、『永谷園
のコマーシャルに出演し、取組み前の懸賞金が連日、出るようになった。 
ところが今場所から、その数が横綱よりも多くなってしまい、最後の仕切りで、
館内では横綱を超えた大声援。 そうすると何が起こるか。横綱に勝つのは至難
の技だが、自分と同じ位の力量の遠藤に勝てば、給料分の懸賞金が手に入る上に
注目される。そのため、嫉妬とライバル心を加え、目の色を変えて挑んでくる。
遠藤にすれば堪ったものではない。その中で、最後は6〜7勝をするのだから、
やはり力量があることは確か。これに白鵬朝青龍レベルの新人、二人
(照の富士、逸ノ城)が加わってきて、他の若手にも火がついてきた。
しかし、遠藤以外に日本人の有望力士が見あたらないのが気にかかる。 
ところで、三役昇進のタイミングに遠藤の四股名が『清水川』に決まったと
数ヶ月前の朝日新聞にあった。清水川は1938年に追手風部屋を創設した、
追手風の生みの親であり、元大関の名前。遠藤をはじめ、勝っても、負けても
面白い相撲をとる力士が、このところ、多く見かけるようになった。
数年前の大相撲存亡の危機の取組みの成果が、一挙に出てきたということ。
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4506, どうせ死ぬなら「がん」がいい ー1
2013年07月18日(木)
     『どうせ死ぬなら「がん」がいい』近藤 誠 (著), 中村 仁一 (著)
 『大往生したけりゃ医療とかかわるな』の中村仁一と、
『がん放置療法のすすめ』の近藤誠が「がん」と「死」を語った内容。
二人は20年以上前から、「がんは手出しをしなければ、痛まず穏やかに死んで
いける。治療せず放っておいた方が生存期間も長い、医者の常識に騙されるな」
と説いてきた。  まずは、ーアマゾンの内容紹介ーより
≪がん、医療の常識を覆す異色の医師対談。がんは放っておくと増殖・転移
し、痛みにのたうち回って死に至る…という悲惨なイメージは、医療界のでっち
あげだった。20年来、「『がん死』のお迎えは最高。ただし、治療しなければ」
(中村)、「がんの9割に抗がん剤は効かない。患者よ、がんと闘うな」(近藤)と
言い続け、実際に多くの「がん放置患者」の穏やかな臨終を見届けてきた2人が、
がんという病、医療の実態、そして人間の死について語り尽くす。≫
ー 印象に残った箇所を幾つか、書き出してみた。これ知っているか知らないかで
 大きく違ってくるー
* 抗がん剤の有効判定が(⇒がんのしこりが一定程度小さくなるだけで)
延命効果は実証されていないこと、逆に抗がん剤で 大きなダメージを受ける
のは正常細胞、不必要な手術と抗がん剤の副作用が苦しみ悲惨な最期を迎える
要因でしかない日本人に多い固形がんは抗がん剤は効果なしなら、やめるべき。
* 50歳を過ぎた男性の2人に1人は、死後解剖すれば前立腺がんが見つかる。
これは放っておいても大きくならない潜在がんで、何の害も及ぼさない。
また、甲状腺がんも、精密に検査できるなら、日本人の3人に1人はかかっている。
 しかし、実際に甲状腺がんで亡くなるのは、全ての死亡者の中のわずか0.1%。
つまり、1000人に1人のみである。* 現在の医学技術で「早期がん」として
発見できるのは、直径1センチ前後の大きさである。この程度の大きさは、
がんの一生の中では30回くらい細胞分裂を繰り返した後の晩期の段階である。
* 最近の研究では、「がんは大きくなってから転移する」というのは間違い
であることが明らかになってきて、「がん細胞はできるとすぐに転移する能力
がある」の方が正しい。
* 著者の経験によれば、逸見政孝さんのようなスキルス性胃がんの場合、
胃の全摘出手術を受けずに放置した患者で1年以内に死亡した例は皆無で、
ほとんどの人は3年以上生きていた。
* 世間でがんと診断される病気の中には、本物のがんと、がんもどきがある。
がんもどきは治るが、本物のがんは発見された時すでに他に転移を繰り返して
いるので治らない。がんもどきは放置しておいても命に関わりがないので、
手術をしてもしなくても 同じ。本物のがんは手術してもすぐ再発するし、
手術で体力が落ちることからかえって死期を早める。本物のがんを放置した
患者の多くは末期になってもほとんど痛まない。患者の多くは最後まで意識を
持ちながら、苦しむことなく枯れ死んでいく。がん治療しようとすると、治療
による痛みに苦しめられ、通常の人間らしい暮らしを根こそぎ奪われてしまう。 
というわけで、がんは治療せずに放置するに限る……。
*「予防医学は患者を呼ぼう医学」「大学病院は、いい実験を受けられる病院」
 など・・・
*「早期発見と早期治療でがんは治る」という世間の常識とは、
現実はまったく逆である。悪性は、関係ない?
▼ 「悪性のガンなら、遅かれ早かれ死んでしまう。それなら手術や抗がん剤
 などの治療などすべきでない」という 二人の主張するのも道理で、身近の人
のガン死をみていると同感である。とはいえ、ガンで死なない注意をしているか
どうかで大いに違ってくるのも確か。タバコを吸い、酒をビールなら二本、
日本酒なら2合以上を飲み続け、ストレスと運動不足などが加わると、ガン
リスクは大きくなるのは当然。還暦まで生きたら、後は野となれ山となれ、か。
・・・・・・
4132, 脳の中の小さな存在
2012年07月18日(水)
 体操の内村航平のインタビューの中の言葉に驚いた。「どうして一秒の間に、
あれだけの回転が出来るのですか?」の問いに対する答えが凄い。
「私の脳の中に小さな自分がいて、彼が冷静に自分を見ていて次の指示を出して
いる。終わってからでも内容を憶えていて、間違いを正してくれる」等であった。 
これは訓練の繰り返しで、色いろのことを自問自答する中から自然に出来上がった
「セルフ」である。その精度が高いため、世界のトップになれたのだ。
その小さな存在には科学的訓練のベースの裏づけがある。擬人化した「セルフ」
には、無意識のレベルに達した自己客観視する自分が、幾重に重なっていて、
直感的連続動作を冷静に見つめていて、瞬間の動作を修正している。柔道でも、
同じような話を聞いたことがある。世界のトップクラス相手の攻撃に対した防御
は、考えて対処するのでは無理、練習の重なりで直感的反射防御まで訓練して
いないと防げないという。世界一流まで持ち上がたレベルの高い「小さな存在」
に、自分を委ねているのと同じである。 親とか、小さな地域的価値観から
一歩も踏み出すことが出来ない「小さな自分」に縛られているそれもあるが、
その辺の下世話な内容は、ここでは止めておく。ここは世界的アスリートの話。 
天才的芸術家や小説家などは、その小さな自分が、冷静に現象の中の本質を直感
して、それを脚色、新たな創造をする。野球のイチロウにしても、こういう右脳と、
左脳の論理が組み合わせが出来た上で、脳の奥で瞬時に動作を指示する司令塔が
あるようだ。 将棋や囲碁の名人にも同じである。 少し話は変わるが、毎朝、
過去の、この随想日記を読みかえしているが、毎日繰り返していると、読み返して
いる自分が別人格として存在しているような妙な気持ちになる。3、5、10年
前の同月同日の自分と対話している毎朝の自分の存在である。
私=自分は、それぞれの瞬間瞬間いて、これを書いていた。しかし、時間の経過
と同時にTPOSは変化していく。その上に自身も変わっていくため、それぞれを
含めた自身の範囲として、「自分」が立ち上がってくる。哲学的になるが、
脳の奥の小さな存在は、言葉だけでなく、直感も持っている。そのセルフの
直感こそ、天の閃きになる。それでも上手くいかないケースもある。
世界を知れば知るほど、自分の卑小さを直感するが、小さな存在は確実に
真の言葉と直感は研ぎ澄まされていく。 真なる自己、真実の時は、感謝、
感激、感動、極限の時、静粛の中に存在する。 この瞬間は永遠である。
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3766, ユング ー9
2011年07月18日(月)
      〈 ユングー地下の大王  コリン・ウィルソンー� 〉
   * 幽体離脱とは          
 事故などで仮死状態の時の幽体離脱の色いろな体験談を聞くが、共通点がある。
 私も何度か幽体離脱と思われる経験をしたことがある。突き詰めれば夢だろう・・
 夢にしては、あまりにリアルである。 ユングが六八歳のとき、散歩中凍った
 道路で滑って、くるぶしを折って、その二、三日、はげしい心臓発作に襲われた
 時に、幽体離脱をし地球の大気圏の境目辺をさ迷った時の体験の手記がある。 
 幽体離脱は、人間の限りないエネルギーが、あるキッカケで、その外に出て
 しまい、外から自分の肉体を眺めているイメージをいう。
【 ユングはこの神秘に対して一つの鍵を与えるように思われる一つのケースを
 挙げている。彼は一人の女性の患者が難産の末に死にそうになり、彼女自身が
 自分の肉体の上方の空中にあって、自分の肉体を見下ろしているような感じに
 なったと述べている。彼女は医者がヒステリックになったのを見ることができた。
 それから、彼女の家族が入って来た。彼女は彼らの反応を見た。彼女は自分の
 後ろに春の花が咲いている公園のような不思議な光景があることを知った。
 それは「別の世界」への入口であることを彼女は知っていた。
 彼女は、もし自分がそれを見たら、自分の体を再度入れたくなるかもしれない
 ことを知っていた。それで彼は目をそむけ続けていた。彼女が目を覚ました
 とき、看護婦に自分が見たことを話すことができた。看護婦は、この患者が
 医者やその他のことについて言ったことを正しいと認めざるを得なかった。】
【 ユングはあからさまに言うことはあきらかに気が進まないが、彼が一般的な
 意向は明白である。一九四四年に彼自身が死に近づいた経験をしたために、
 彼は心は肉体から独立していると確信するようになった。これは、死後の生活
 が実在しているという意味であるように思われる。事実、一九三四年に書いた
「魂と死」という論文で、彼はもうすんでのところでこのことを肯定しそうに
 なり、生命とは「死という究極の目標」の一つの準備だという考えを、世界の
 宗教は受け入れているように思われると注釈している(ここでも彼はことばを
 慎重に選んで話しているので、だれも、死後の生命を信じていると、彼を非難
 することはできない)。このような「体外遊離経験」はー
「意味のある偶然の一致」と一まとめにして考えると、宇宙が混沌とした集合で
 ないことを確実に示している。 ーP183 】
▼ 体の外に出た自分を眺めている夢は、あまりに現実的過ぎる内容である。
 人間の脳は、あまりに奥行きが深い。夢は犬でもみるが、人間は幻覚をみる。
 
その幻覚が思わぬ人知をこえた幽体離脱を生み出すだすのだろうか。
・・・・・・・
3401, おテレビ様と日本人 ー5
2010年07月18日(日)
 この本を読んでいて他人事でありながら、実は自分自身のことではないか?
自分が、そのまま嘲笑されているのではないか?と感じとり自分の過去を振り
返ってみた。 テレビが家に入ってきた50年前の中学校二年の頃に、熱中して
成績が落ちる一方であった。そして、ある時にハッと気づき急遽、高校受験に
熱中したが、タッチの差でギリギリセーフあった。高校時代はテレビなど見て
いる余裕は全くなく、ただ授業についていくのに精一杯。ある意味で健全だった。
ところが、東京の学生時代の二年目にテレビを買ってしまったのが大失敗と、
これを読んで気づいていた次第。私も御多分にもれずテレビ大好き人間。 
相撲に、プロ野球、ドラマ、映画、etc、と、これまで、バカ製造機の餌食に
なっていた。それでも毎日、数時間の読書をしてきたから半分はブタ化?を
逃れたと、心の中で言い訳をしている始末。 私と比較ならないほど更に家内が
TV好きなので、そのブタ化が合せ鏡のように見て取れる。
反面、学ぶところもある。ほぼ一切のジャンルを問わないで、世界、日本の
ナンバー・ワンのものを見ている。スポーツといえば、ゴルフ、テニス、
サッカーなどの騒がれ中継されているもの。教養?番組では絵画、クラシック、
各種演奏会。 映画も名作と騒がれていたものの殆ど。これほどのものなら、
TVの弊害というより、有用だろう。 世界一流の絵画を解説つきで見ると、
成るほど理解度と、対象の輝きが更に増す。ということは、有害になってブタ化
していたのは、むしろ私のほうではないか? まあ、いいか! 
そこで私が録画をしたTV番組のタイトルを改めて見てみたが、著者のいう
毒番組が過半数以上?。 現在では、代議士まで、いかにTVに出て、自分を
さらすかに苦心をしている。実際のところ、それが次の選挙対策なる。
彼らにとって、選挙民の投票で現在の地位が保たれているからだ。政治家として
の能力より、タレントしてのパフォーマンスが要求される。だから、あの宮崎県
知事なっている何某が、臆面なく御笑いパフォーマンスで役割を果たしている。
世も末だ。 その意味、愚衆から選ばれた政治家が政治をした結果が愚衆政治
になっているのである。TVの出だしの頃、西部劇などで、白人の主役が
インディアンに襲撃にあい、反撃して殺しているのを喜んでみていたが、
あのインディアンは、我われの姿でもあったのである。白人=善人、
インディアン=悪人という洗脳でしかなかったのである。ハリウッド映画が
全盛を極めているが、その内容には隠された洗脳も多く含まれている。
・・・・・・・
2009年07月18日(土)
「生の科学、死の科学」 −養老孟司 対談集ー 3
        【生きる哲学との出会い】 ー橋口譲二(写真家)ー
 *清水次郎長殿山泰司の顔がなくなった
養老 いまの日本に「清水次郎長の顔がなくなった」と、TVに写真が出たとき
  ‘あっ’と思った。ちょうどブータンに行ってかえってきて、向こうには
  よくある顔だったんですね。人生やることは大体やってきて、修羅場も踏み、
  この辺で落ちついたという『まあ、こんなものだ』という顔。そういう顔が
  日本人からなくなった。 ブータンの顔は日本人によく似ている。
  モンゴロイドがゴチャゴチャの混ざった顔。 ・・そこで思い出したのが、
  黒澤明七人の侍」です。 あの役者の顔が、幾らでもいるのです。
橋口 侍のような顔がなくなったのはのは、何でだと思います?
養老 「都会になったから」です。 都会人の顔になった、役人の顔になった。
  一種つくられた顔です。
橋口 何時ごろだと思います。
養老 気がついたのは15〜20年前からです。「面構え」「面魂」という
  言葉が死語になった。
橋口 僕が新宿の街角で少年達の顔を撮りはじめたのが1981年で、その頃
  からと今とでは変わりました。それはバブルの影響が大きい。バブルは人を
  とにかく豊かにして、しかし努力をして得たものでないので、落ちていった
  と思います。文化の享受の仕方が一面的になったというか、何か平たくなった
  印象です。以前に新宿にいたのは、いわゆる不良で、彼らは、自分を取り
  繕っていないし、自分を隠していない。不器用で、去勢されてない。
  ブータンの役人の顔が日本人に似ているのは、ある種、器用で要領のいい
  日本人の顔が浮かび上がってくる。
   ーー
 情報化の影響もあるのだろうが、世界が情報で溢れかえって、地区地区の
土着の味が無くなりつつある。日本の地方の辻浦々まで、情報が行き渡って、
その地区の特有の人間性とか祖先から受け継いできた 風習が損なわれてきて
いるからである。意識の全国総都会化で、地方のブロックが希薄になった。
また時代のエネルギーが消沈している時は、脂ぎった者同士が塀の上で争う
場面が少ないということか。