つれづれに

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  今日のYoutube

 鬱陶しい梅雨の雨が続いているが、そろそろ梅雨明けになる。
暑ければ暑い鬱陶しさがある。

 平成天皇が、「御退位の意思」を示されたが、あの日程からして、
当然である。天皇も、70歳の定年があって然るべきである。
 65歳でリタイアをしてみて、何か、これが丁度よいタイミングだったと、
実感する。天皇も、その役柄からして。80歳以上は無理である。

 ・・・・・・・
3400, おテレビ様と日本人 ー4
2010年07月17日(土)
  * 泥を食う豚、&、バカにつける薬としてのテレビ
 ここまでアメリカによって非植民地化人間に仕立てられてしまった日本。 
これまで何を考えてきたのか、何をしてきたのか、を考えさせられる言葉が続く。
冷戦下では、敗戦国として、これしかなかったのだろうか。一人の日本人として
考えなければならない。あてがわれた憲法を今も大切に、誇りを持って
維持している健気さ! 
ーP196ー【私は現在の地球上の国々に別称をつけている。印象的な、いくつか
の例を挙げれば次のようなもの。虎視耽々の虎(中国)、手負いの猪(アメリカ)、
砂漠の狐(イスラエル)、遠吠えの狼(ロシア)、追い詰められた野犬の群れ
(中近東)、老衰のハイエナ(イギリス)、踊るチンパージン(韓国)、叫ぶ山猿
北朝鮮)、昼寝のイタチ(フランス)、うずくまるピュ―マ(ドイツ)など。
 それでは日本は何かというと、無論、「泥食う豚」というところだ。
これ以上ぴったりのイメージは今のところない。 ・・食うている泥とは、
無論テレピだ。一昔は日本人は「蓼食う虫も好き好き」だった。どちらかと
いうと雑食系の日本人は個性があった。変人奇人、変わり種、自説を曲けない
一徹者、頑固おやじ、へそ曲がり、そういう人たちと議論するのは楽しかった。
ところが今の日本人は、一億全員、同じ声しか出さない。「ブー」である。・・】
ーP211【 アメリカがサダム・フセインを殺さねほならなかった理由は、
自分たちの知性を殺人という悪にすりかえての国際法に頼ったからだ。
フセインに知性がない暴虐だと裁断し、自分たちには知性があることを立証する
ために911で立証し、完全に他の絶対多数としてのバカたちを騙し、石油、経済
安定という偽善を打ち立てたのだ。でなければ、バカはもっと、とめどなくバカ
をし、知性の善を弱さとしてしまい、とめどない混乱が起きる。知性の善用は、
即、悪であり不幸の原因となる。なぜこんな大矛盾の不幸が人間に起きているか。 
テレビと人間の関係がそれ明かす。 機械が知性を先回りしすぎたのだ。
もし兵器が、この時代でもまだ弓矢の段階だったら、現在の国際紛争も丁度均衡
が取れているだろう。現在の人間の知性は、弓矢並みであり、それがフィット
しているのだ。 アメリカがイラク・アフガンに攻め込むのも、鉦や太鼓で鎧兜
程度であれば、これほど「悪」がはびこり、「悲惨」が現実になることはない。
人間はいまだにこの「悪」と「悲惨」を征服し、解消できないにもかかわらず、
核兵器を持ってしまった。 テレビを持ってしまった。それを知性化し、知性
利用することは不可能だ。 どうしてもテレビを悪用するしかない。唯一の
「バカにつける薬」こそ、テレビなのだ。残るのは、ほんの僅かな、
知性ある人間が悲憤慷慨し、嘆き哀しみ、絶望し、諦める現実だけだ。】
 ▼あの911事件は明らかに、私たちがテレビで植え付けられたものであり、
真実とは大きな隔たりがあると信じて疑わない。単純にアメリカ公共事業の
戦争屋の仕掛けた罠だけと言い切れないが、逆にアルカイダの単純テロでは
ないことは間違いない。それらが入乱れた複合的な結果だったとみるべきか。
いずれにしても日本人との差は歴然としている。そして、2012年には?
・・・・・・・・
3025, 閑話小題
 2009年07月17日(金)
* マッチ・ポンプ
 ーウィキペディアによるとー
【 マッチポンプとは「マッチで火をつけておきながら、それをポンプで消す」
 というように、自分でわざわざ問題を作り出しておきながら、そ知らぬ顔で、
自分がそれを解決することで賞賛や利益を得るような、偽善的な自作自演の手法
を意味する和製英語である。1966年、黒い霧事件第一弾の田中彰治代議士事件で
初めて使われ、元々は金品を巻き上げる意味で使われた。】
色いろのケースがあるが、同じことを繰り返すうちにアシアトを残す。 
金銭・物品が絡めば犯罪である。 そして、一番大事な信用と信頼を無くす。 
人間関係は、信用の上に成り立つ。
* 自民党の末期現象
  (字数制限のためカット 2010年7月17日)

・・・・・・・
2660, 幸福の4階建て ー2
2008年07月17日(木)

「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」とは? それも最上階の幸福という
のは何故か? 頭の中が混乱して、今も考え続けているが、実感として解らない。

エイズになった人が、果たして幸福なのだろうか?
ガン末期の人が、ライ病の人が、最上階の幸福なのだろか?
明日の朝、特攻で旅たつ若者が幸せだったのだろうか?
(実際にあったかどうか別として)キリストが十字架で意識がモウロウとした中で
「神よ私を見捨て給うのか?」というギリギリの苦悩が、幸福だったのだろうか?
深い絶望のうちに自らの命をた断たなければならない者が幸福なのだろうか?
自分の不注意で子どもを死なせてしまった母親の絶望が幸福なのだろうか?

問題提起としては重く、深いが、何か反発の方が強い。
もし「克服できない苦難の中にこそ、幸福がある」と思えたら、
それだけで苦難を幸福に切り替えていることになる。
その切口からすると、軽く否定するこもできない。

崇高な幸福は、そんなに甘いものではない?ということからみても
「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」というのも筋が通っている。
不幸の真っ只中の、その中心に実は幸福がある!ということなのであろうか?
どん底になったら、その底を掘れ」というが、そういうことなのか?

人生を振り返ると、実感として、どん底?から水が湧き出てきたのは解る。
その水が自分を支えてくれていたのも解る。 苦難の中にこそ、大きな喜びがあった。
事業では、問題にブツカッタとき、その問題の中心に解決の鍵があった。
(その理屈は知っていた) それからみると、最上の幸福は、克服できない苦難
の中に、幸福があるというのも筋である。ところで、屋上は何だろうか? 
それより、4Fの意味である。
「克服できない苦難の中こそ、幸福の『鍵』がある」なら解るが。

もし、この言葉が理解できたら、過去の出来事に対する視点が全く変わる。
いや、現在の世界観も根本的に変わる。 


・・・・・・・
2007年07月17日(火)
2296, また地震!どうなってる?まったく!
            才ノヽ∋― (゚▽゚*)♪
昨朝の10時過ぎ、居間で家内とお茶を飲みながらTVをみていたら突然、
地響きと同時に揺れが始まった。アレヨアレヨと思っているうちに、揺れが
大きくなって、横揺れから縦て揺りになり、茶箪笥の食器が飛び出してきた。
あわてて裸足で食器やガラスコップの破片の中、開きドアを閉めにいった。
慌てるとは、このことだろう。破片で怪我をしなかったものだ。
前回の揺れより大きいような気がしたが、気のせいではないかと思った。
すぐに玄関外の獅子の置物を見たが横に傾いていただけ。
庭の石灯籠も小さいのが3つ飛び散っているだけで、他の5つは大丈夫だった。
前回の地震で壊れものは破壊されてしまったので、被害は三分の一以下であった。
これでは長岡市内で大きな被害が出ているはずだ!近くに住む実兄に電話をしたら、
以前ほどではないという。TVでは、六強というから前回より激しいことになる。

午後三時過ぎに至近にあるスーパーとドラッグストアが開いているかどうか、
ウォーキングの途中に立ち寄ってみたが、二軒ともしっかりオープンしていた。
スーパーの酒売り場は何ともなかったかのように整然と並んでいた。
かなりの量の酒ビンが割れていただろうに・・・。惣菜と弁当は買出しの
ためか商品量は少なかったが、他はチャンと元通りに並んでいた。
地震の危機管理の訓練がしてあったのだろう!まあ、合格というより、流石!
お客は買出しのためか多く出ていたようだ。

その後、土手でウォーキングをしていると、何と余震が始まったのである。
もう余震は無いものと思っていたので驚いたが、前から歩いてきた三人が
何事もないように歩いているので、立ち止まったまま揺れの止まるのを待った。
土手の横の住宅が地響きをたてて揺れていた。震度四くらいか思っていたら、
携帯を持った人が震度六と話をしているのが聞こえてきた。
まさかと思ったが、帰ってから家内に聞くと震度六弱の地震があったという。

三年近く前に、あれだけの大地震があったので、日本で一番地震の起きる
確率の低い場所!と勝手に決め込んでいた。それが、何と同じ震度の地震など
ありえないことだった。それが再び起きたのだから、どうなっているのだろう?
本当に、こういうことが起きるのである。

脅かすわけじゃないけが、いま東京に住んでいるなら、一度、じっくり考えた
ほうがよい! リスクはあまりにも大きい。たしか今後30年で、大地震
起こる可能性が八割だったと思うが。刺激を求めるかどうか、その辺が微妙な
ところだろうが! 柏崎で全壊300世帯、半壊が600世帯で、死者が一桁
とは、信じられない。ますます中越地区は不景気になる。その後、連絡が
取れた柏崎に住む三人の義弟と義妹は無事だった。ただ家の中はグチャグチャ
という! 前の地震は殆ど被害が無かったので、今度は逆である。
平々凡々?の日々の中、刺激的なことが満ちている!
それも、そういうものと思えば娑婆娑婆である!!  
                 
・・・・・・・・・
2006年07月17日(月)
1931, 10年後の日本を考えてみると
            才八∋ウ_〆(∀`●)

十年後の日本で間違いなく起こっている問題点を考えられる限りあげてみた。
  ・消費税の20?以上の負担
  ・少子高齢化社会の到来
  ・外国人労働者の比率の増加による犯罪の増加と、治安の悪化
  ・フリーターの増加と、下層階級の増大
  ・年金財政の悪化と破綻、団塊の世代の大量定年後の負担の問題
  ・中国とインドの台頭と影響力の増加、それに付随する大混乱
  ・北朝鮮の崩壊と、朝鮮半島の混乱(これは数年先と思われる)
  ・2005年からの人口減と経済縮小
  ・介護保険増大による財政の悪化
  ・地球温暖化による大問題の噴出
  ・関東大震災の可能性の増大
  ・「ゆとり教育」で育った年代が人口の中心になってくる社会的大問題。
  ・行き過ぎた自由競争の弊害の噴出

これらを考えると、絶望的な気持ちになるが、間違いのない近い未来の
日本の姿である。逃げ切り世代で「運が良かった」と、ホッとしてはいられない。
現在、連載で塩野七生著「ローマから日本が見える」の読書日記を書いて
いるが、当時のローマと現在の日本が酷似している。
少子高齢化で衰退の危機に陥いり、さらに高齢化と経済の停滞である。
中流階級は没落し街に失業者があふれ、上流階級の人々は既得権を決して手放さない。
そのときに現れたのがカエサルである。支配地の国民にもローマ市民権を与え、
既得権を取り上げ競争を奨励した。
カエサルが、これほどの人物とは、この本を読むまで知らなかった。
現在の日本は、自民党の既得権を取り上げ、日本的社会主義を破壊しなくては
ならない時期に来ている。
先日、「10年後の日本」という本を買った。まだ飛ばし読みだが、
近々読書日記を書く。        (。・ω・)ノ☆゚+.バイ! 
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2005年07月17日(日)
1566, つれづれに

ユニクロ社長交代ー
ユニクロの社長に、創業者の柳井氏が返り咲くことになった。
全く流通に関係ない人が社長になったことに疑問を持っていたが、やはり
当然の結果となった。参謀とトップは別ものということが、理解できなかった
のだろう。それが現在のダイエーのトップ人事にもいえる。数年後に、
その失敗のカタチが表面化をしてくるだろう。

ー橋梁談合事件ー
この事件の、奥行きの深さが段々と見え始めてきた。
道路公団の元理事が逮捕されたが、道路行政に巣食う政治家の利権が複雑に
絡み合っている。これは、現在のゼネコンの世界の凝縮された姿である。
役人や政治家の利権も絡んだ構図が日本の隅々まで張りめぐらされている?。

ーイギリスの爆弾テロー
イギリスの爆弾テロの4人が特定された、とニュースにでていた。意外と早く
犯人が特定されたのには驚いたが、マークのされてない人達というのが不気味。 
次は日本という連想が出てくる。

ー大相撲も中日になるー
今場所も、朝青竜が抜け出してきた。ますます若手の外国勢の力が増してきた。
幕下では金髪の力士が出てきた。格闘技と思えばよい。そういえば、公開の
横綱総見の猛試合をTVで見ていて、朝青竜の抜群の強さには驚いた。
それと相撲に対する姿勢が、他の三役と比べて全く違うのが見て取れた。
当分は彼の天下が続くだろう。

・・・・・・・・
2004年07月17日(土)
1201, 仮説について

ー仮説を辞書で調べてみると、
ある現象を理論的に統一して説明するために立てられた経験科学上の仮定。
その真偽の検証は、仮説から必然的に演繹(えんえき)された諸命題を実験や
観察によるテストで確かめることによってなされる。検証された仮説は法則や
理論として公認される。 ーとある。事業では、生じてきた問題に対して
常に仮説を幾つか立てて、知るかぎりの情報を検証して判断決断をしてきた。

わたしの思考法として、
・自分の立てたテーマと結論に対して正反対の仮説を立ててみるという
「仮説思考法」
・本や人の論を全く疑ってみる「一刀両断思考法」
・喩えをつかって、その現象を一度パッケージ化をして、それを鳥瞰して
みる方法ー「喩え話鳥瞰法」
・KJ法をつかう方法(帰納法の一種だろう)ー「紙切れ書き出し思考法」
・テーマを考えて、それを構成する材料を集め、そのプロセスで考える方法
「テーマ思考法」(演繹法)などがある。

正・反・合を自分で組み立てる時、立てた説(正)の反対(反)を大胆に
考えることが重要である。往々にして、その反対の説の方が理が通っている
ケースが多い場合がある。そして、そのプロセスでよりよい案(合)を考え出す。

情報化社会へ大きく変動していている時代に生き抜くには、いろいろな状況に
対応できる幅広い考え方が必要になる。固定した考え方は、状況が一変した
ときに、それに対応できなくなってしまう恐れがある。
そこでは、シミュレーションする能力の「仮説」を立てる能力が重要になる。
「仮説」を立てる能力とは、「常識」を少し違った角度から構築することだ。
その為には「常識」を疑うことがまず必要になる。仮説には、仮説演繹法
実践仮説がある。

ー実践仮説 ー 実践の中での疑問・想起・想定・仮定・仮説 を立てる  
? まず実践者の行動の一部に「おやっ」とか「どうしてだろう」という疑問が
生じる。 
?つぎに「たぶん~だろう」という形を思う。 これを「想起」とここでは呼ぶ。
 想像が始まるのである。
?この想起が当たると、疑問は解消する。
?それでも当たらないと、「~か」と思う。想像にある方向性が生じる。 
これが想定である。
?この想起が当たると、疑問は解消する。
?それでも当たらないと「~か、あるいは~か・・・・・」となり。
 これを「仮定」である。 そして想像の分類が始まる。
?仮定を確認する作業を行う。それにより仮定が支持されると、疑問は解消する。
?それでも仮説が支持されない場合は、研究の懸案として残される。

ー仮説演繹法は考え方の手順を示している。
 その考え方として、以下のような手順を調べるー
 ?想起:
 ?確認可能な命題の形で仮説を立てる
 ?仮説を実験など実際に検証する
 ?検証されなかった仮説は採用しない
 ?検証された仮説を採用して論理を構成する
 ?それを考査
 このようにして構成された論理の体系が「科学」という。
科学的というと実験を連想しますが、実証する方法はなにも実験に限らない。
日常の観察で確認される事柄も、上記の手順に合致すれば、科学的な事実といえる。
仮説を意識して立てることは、実践を高める上で役に立つ。特にフィードバックを
瞬時に可能にする。「3案・5案を考えて、その中から選定すべし」というが、
それだけ多くの視点を持つべし、案を練りこむことになるからである。

・・・・・・・
2003年07月17日(木)
834, 沖縄の中学生のリンチ殺人事件

3年前の春の土曜日に、自宅近くの土手を散歩していた時のこと。川崎小学校裏
の土手を歩いていたら、一人の高校生?が相手を殴っているのが見えた。
瞬間に「この馬鹿野郎、、何をやっているんだ!」と走りよっていた。
ところが、その場に踏み込んだ瞬間とんでもない修羅場であった。
グループ同士の喧嘩の場で、2~3人が倒れて気絶している。15歳位の犬コロ
のような餓鬼3~4人が逆に粋がって『何だと、やるのか!』と迫ってきた。 
しまったと思ったが、もう遅い!

私も学生時代に合気道をやっていた経験がある、しかし実践には全く役に
立たない位はしっている。こういう時は物を持つのだ。目の前の木を拾い、
逆手に持った。その瞬間誰も突っかかってはこれなくなった。物を持つと
相手はそう簡単には殴りかかってこないことは知っていた。もし来たら、
目を狙えばよい。相手もじりじり迫って来るが、ヤバイ相手位は解ったようだ。
私の「警察沙汰になるぞ、留置所だけで済まないぞよく考えろ!」という言葉に
全員がひるんだ。その時、お互いが仲間に携帯電話で連絡をしあっている。
何か私の入る世界でない次元の違う世界であった。「もう殴るのはやめろ!」と
言って、その場を離れた。離れ際に「絞めてしまえ!」という言葉が聞こえてきた。
たまたま先日の沖縄の場合、殺人になってしまっただけでしかない。
いま考えても危ない瞬間であった。

5月の末に里帰りの千葉の姉と23時過ぎに、長岡駅裏のダイエーの前を
歩いていると、暴走族がオートバイを歩道の真ん中に乗り入れて道を阻んでいた。
当然のこと乱闘寸前、姉が間に入って事なきを得た。警察に電話をしたが、
まずフルネームをいえという言葉に、面倒だと途中で切った。
先日、道路に寝ていた若者二人を注意した人が殺される事件がおきた。
深夜はこの道を歩くのは当分やめることにした。

ところが、昨夜新潟で飲み会があった。十時近く、そこを通ったら7~8人の
警官が例の暴走族二人を取り囲んで言い合っていた。もし警官がいなかったら、
私と鉢合わせのところだ。通り過ぎたが、酔っている勢いで取って返して5月末
の顛末を言った。度々似たようなことがあり、警察に苦情があり取締りをして
いたようだった。5月末を思い起こすと、彼らの溜まり場で一種無法地帯の感。 
顔も割れてしまったのだから、これからは大っぴらな溜まり場では無くなって
ほしいが。「君子危うきに近寄らず」だ。

・・・・・・・
2002年07月17日(水)
459,危機一髪

今年2月、ある取引銀行が「ドルが必ず上がるはず買わないか」という提案。
当時130円、その時期は三月決算に向けて140円は誰の目にも明らかであった。
そこを銀行の担当もついてきたのだ。「上げるべき金利は上げないからドルを
買ってくれ!」 一瞬どうしようと迷った、そうするうちに週末になり翌週に
なってしまった。円が135円まで上がってしまっていた。そうすると大し
旨みがない。手数料を入れると139円になるからだ。
迷ったが、それでも132円辺りになったら買おうかと数字をみていた。

そのうち少し下がり133円辺りになり、さてと買いかなという時、大矢氏が
反対した。「もうリスクを負った金融をやらないと決めたはず。それと売買で
4円の手数料を取られ、銀行のテラセンの餌食でしかない。それも銀行に今に
なって薦められやるのはおかしい?!」
それも戦略的に円を買っていれば話は違うが、全くそのとおりである。
買っていたら今は1000万近く損をしていた? 途中で売っていたとしても
500万は損をしていた?

「まさかアメリカがここでバブルが破裂しようとは思ってもいなかった!!」
それで担当者は済むが、こちらはとんでもない事になる。 危ない所であった!
NTTの株で大損をしておいて(8000万)、またもやというところであった。
それと去年の春先に金融関係者が一斉に持ってきた「変額保険」 うたい文句が、
確か節税とかいうやつ。先日TVでとんでもないシロモノと放送していた。

30万件売ったらしいが、これが???らしい!「ある子狐が持ってきて断ると
手の裏をかえした」のもそれだった? 手数を稼ぐためには、何でもしなくては
ならない時代になってきたのか!!
本人に悪気がないから困ったものだ?恐ろしい時代になってきた。  
情報化とはこういうことだ!

・・・・・・・・・
2001年07月17日
 旅行中