つれづれに

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   今日のYoutube

 今日は、千葉の「新検見川」に住む3番目の姉の連れ合いの葬式の参列のため
8時半の新幹線で出発予定。 4人の姉の連れ合いのうち、3人が亡くなった。
姉4人のうち、1人が亡くなっているので、夫婦8人の半数の4人が鬼籍に入った。
 三番目の姉の2Fに一年間、下宿をしていたことがある。
常日頃、「相方は分身。死んだら半身不随になる」と言っていたが。
 

 


・・・・・・
3400, おテレビ様と日本人 ー4
2010年07月17日(土)

   * 泥を食う豚、&、バカにつける薬としてのテレビ
 ここまでアメリカによって非植民地化人間に仕立てられてしまった日本。 これまで何を
考えてきたのか、何をしてきたのか、を考えさせられる言葉が続く。冷戦下では、敗戦国として、
これしかなかったのだろうか。一人の日本人として考えなければならない。あてがわれた憲法
今も大切に、誇りを持って維持している健気さ!
 ーー
ーP196ー 私は現在の地球上の国々に別称をつけている。印象的な、いくつかの例を挙げれば次の
ようなもの。虎視耽々の虎(中国)、手負いの猪(アメリカ)、砂漠の狐(イスラエル)、
遠吠えの狼(ロシア)、追い詰められた野犬の群れ(中近東)、老衰のハイエナ(イギリス)、
踊るチンパージン(韓国)、叫ぶ山猿(北朝鮮)、昼寝のイタチ(フランス)、うずくまる
ピュ―マ(ドイツ)などである。それでは日本は何かというと、無論、「泥食う豚」というところ。
これ以上ぴったりのイメージは今のところない。
・・・食うている泥とは、無論テレピだ。一昔は日本人は「蓼食う虫も好き好き」だった。
どちらかというと雑食系の日本人は個性があった。変人奇人、変わり種、自説を曲けない一徹者、
頑固おやじ、へそ曲がり、そういう人たちと議論するのは楽しかった。
 ところが今の日本人は、一億全員、同じ声しか出さない。 「ブー」である。・・・・
ーP211 アメリカがサダム・フセインを殺さねほならなかった理由は、自分たちの知性を殺人と
いう悪にすりかえての国際法に頼ったからだ。 フセインに知性がない暴虐だと裁断し、自分たち
には知性があることを立証するために911で立証し、完全に他の絶対多数としてのバカたちを騙し、
石油、経済安定という偽善を打ち立てたのだ。でなければ、バカはもっと、とめどなくバカをし、
知性の善を弱さとしてしまい、とめどない混乱が起きる。知性の善用は即、悪であり不幸の原因となる。
なぜこんな大矛盾の不幸が人間に起きているか。 テレビと人間の関係がそれ明かす。 機械が知性を
先回りしすぎたのだ。もし兵器が、この時代でもまだ弓矢の段階だったら、現在の国際紛争も丁度
均衡が取れているだろう。現在の人間の知性は、弓矢並みであり、それがフィットしているのだ。 
アメリカがイラク・アフガンに攻め込むのも、鉦や太鼓で鎧兜程度であれば、これほど「悪」がはびこり、
「悲惨」が現実になることはない。人間はいまだにこの「悪」と「悲惨」を征服し、解消できないにも
かかわらず、核兵器を持ってしまった。 テレビを持ってしまった。それを知性化し、知性利用すること
は不可能だ。どうしてもテレビを悪用するしかない。 唯一の「バカにつける薬」こそ、テレビなのだ。
残るのは、ほんの僅かな、知性ある人間が悲憤慷慨し、嘆き哀しみ、絶望し、諦める現実だけだ。
 ーー
あの911事件は明らかに、私たちがテレビで植え付けられたものであり、真実とは大きな隔たりがあると
信じて疑わない。単純にアメリカ公共事業の戦争屋の仕掛けた罠だけと言い切れないが、逆にアルカイダ
の単純テロではないことは間違いない。それらが入り乱れた複合的な結果だったとみるべきか。
いずれにしても日本人との差は歴然としている。そして、2012年には?

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3025, 閑話小題
 2009年07月17日(金)
* マッチ・ポンプ
 ーウィキペディアによるとー
【 マッチポンプとは「マッチで火をつけておきながら、それをポンプで消す」というように、自分で
 わざわざ問題を作り出しておきながら、そ知らぬ顔で、自分がそれを解決することで賞賛や利益を得る
 ような、偽善的な自作自演の手法を意味する和製英語である。1966年、黒い霧事件第一弾の田中彰
 代議士事件で初めて使われ、元々は金品を巻き上げる意味で使われた。】
 色いろのケースがあるが、同じことを繰り返すうちにアシアトを残す。 金銭・物品が絡めば
 犯罪である。そして、一番大事な信用と信頼を無くす。 人間関係は、信用の上に成り立つ。
* 自民党の末期現象
 それにしても、麻生の首相としての感覚はおかしい。 自民党はもちろん、国家、世界のことなど
 全く考えておらず、首相の座の役割に酔って遊んでいるに過ぎない。彼もまた、安部、福田と並んで、
 日本を奈落の底に落とし込んだ首相として歴史に刻まれることになった。その結果として自民党
 大敗は火を見るより明らかである。 最後は、自民党そのものに石打ち追われるのだろうが、 
  (字数制限のためカット 2010年7月17日)
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2660, 幸福の4階建て ー2
 2008年07月17日(木)
「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」とは? それも最上階の幸福というのは何故か?
頭の中が混乱して、今も考え続けているが、実感として解らない。エイズになった人が、果たして幸福
なのだろうか? ガン末期の人が、ライ病の人が、最上階の幸福なのだろか?明日の朝、特攻で旅たつ
若者が幸せだったのだろうか? (実際にあったかどうか別として)キリストが十字架で意識がモウロウ
とした中で「神よ私を見捨て給うのか?」というギリギリの苦悩が、幸福だったのだろうか?深い絶望
のうちに自らの命をた断たなければならない者が幸福なのだろうか? 自分の不注意で子どもを死なせて
しまった母親の絶望が幸福なのだろうか? 問題提起としては重く、深いが何か反発の方が強い。
もし「克服できない苦難の中にこそ、幸福がある」と思えたら、それだけで苦難を幸福に切り替えて
いることになる。その切口からすると、軽く否定するこもできない。崇高な幸福は、そんなに甘いもの
ではない?ということからみても「克服できない苦難の中こそ、幸福がある」というのも筋が通っている。
不幸の真っ只中の、その中心に実は幸福がある!ということなのであろうか? 「どん底になったら、
その底を掘れ」というが、そういうことなのか? 人生を振り返ると、実感として、どん底?から水が
湧き出てきたのは解る。その水が自分を支えてくれていたのも解る。苦難の中にこそ、大きな喜びがあった。
事業では、問題にブツカッタとき、その問題の中心に解決の鍵があった。(その理屈は知っていた)
それからみると、最上の幸福は、克服できない苦難の中に、幸福があるというのも筋である。
ところで、屋上は何だろうか? それより、4Fの意味である。「克服できない苦難の中こそ、幸福の
『鍵』がある」なら解るが。もし、この言葉が理解できたら、過去の出来事に対する視点が全く変わる。
いや、現在の世界観も根本的に変わる。 
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2006年07月17日(月)
1931, 10年後の日本を考えてみると
                     才八∋ウ_〆(∀`●)
 十年後の日本で間違いなく起こっている問題点を考えられる限りあげてみた。
・消費税の20?以上の負担                   
少子高齢化社会の到来
外国人労働者の比率の増加による犯罪の増加と、治安の悪化  
・フリーターの増加と、下層階級の増大
・年金財政の悪化と破綻、団塊の世代の大量定年後の負担の問題 
・中国とインドの台頭と影響力の増加、それに付随する大混乱
北朝鮮の崩壊と、朝鮮半島の混乱(これは数年先と思われる) 
・2005年からの人口減と経済縮小
介護保険増大による財政の悪化              
地球温暖化による大問題の噴出
関東大震災の可能性の増大              
・「ゆとり教育」で育った年代が人口の中心になってくる社会的大問題。
・行き過ぎた自由競争の弊害の噴出
これらを考えると、絶望的な気持ちになるが、間違いのない近い未来の日本の姿である。
逃げ切り世代で「運が良かった」と、ホッとしてはいられない。
 (字数制限のためカット 2010年7月17日)
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2005年07月17日(日)
 1566, つれづれに
ユニクロ社長交代ー
 ユニクロの社長に、創業者の柳井氏が返り咲くことになった。全く流通に関係ない人が社長に
 なったことに疑問を持っていたが、やはり当然の結果となった。 参謀とトップは別ものと
 いうことが、理解できなかったのだろう。それが現在のダイエーのトップ人事にもいえる。
 数年後に、その失敗のカタチが表面化をしてくるだろう。
ー橋梁談合事件ー
 (字数制限のためカット 2010年7月17日)
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2004年07月17日(土)
 1201, 仮説について
ー仮説を辞書で調べてみると、
ある現象を理論的に統一して説明するために立てられた経験科学上の仮定。
その真偽の検証は、仮説から必然的に演繹(えんえき)された諸命題を実験や観察によるテストで
確かめることによってなされる。検証された仮説は法則や理論として公認される。 ーとある。
事業では、生じてきた問題に対して常に仮説を幾つか立てて、知るかぎりの情報を検証して
判断決断をしてきた。わたしの思考法として、
・自分の立てたテーマと結論に対して正反対の仮説を立ててみるという「仮説思考法」
・本や人の論を全く疑ってみる「一刀両断思考法」
・喩えをつかって、その現象を一度パッケージ化をして、それを鳥瞰してみる方法ー「喩え話鳥瞰法」
・KJ法をつかう方法(帰納法の一種だろう)ー「紙切れ書き出し思考法」
・テーマを考えて、それを構成する材料を集め、そのプロセスで考える方法「テーマ思考法」(演繹法
などがある。
正・反・合を自分で組み立てる時、立てた説(正)の反対(反)を大胆に考えることが重要である。
往々にして、その反対の説の方が理が通っているケースが多い場合がある。そして、そのプロセスで
よりよい案(合)を考え出す。情報化社会へ大きく変動していている時代に生き抜くには、いろいろな
状況に対応できる幅広い考え方が必要になる。固定した考え方は、状況が一変したときに、それに対応
できなくなってしまう恐れがある。そこでは、シミュレーションする能力の「仮説」を立てる能力が
重要になる。「仮説」を立てる能力とは、「常識」を少し違った
 角度から構築することだ。その為には「常識」を疑うことがまず必要になる。仮説には、
仮説演繹法と実践仮説がある。
ー実践仮説 ー 実践の中での疑問・想起・想定・仮定・仮説 を立てる  
ーまず実践者の行動の一部に「おやっ」とか「どうしてだろう」という疑問が生じる。 
ーつぎに「たぶん?だろう」という形を思う。 これを「想起」とここでは呼ぶ。想像が始まるのである。
ーこの想起が当たると、疑問は解消する。
ーそれでも当たらないと、「?か」と思う。想像にある方向性が生じる。 これが想定である。
ーこの想起が当たると、疑問は解消する。?それでも当たらないと「?か、あるいは?か・・・・・」となり。 
 これを「仮定」である。 そして想像の分類が始まる。?仮定を確認する作業を行う。それにより仮定
 が支持されると、疑問は解消する。
ーそれでも仮説が支持されない場合は、研究の懸案として残される。
ー仮説演繹法は考え方の手順を示している。
 その考え方として、以下のような手順を調べるー
ー想起:
ー確認可能な命題の形で仮説を立てる
ー仮説を実験など実際に検証する
ー検証されなかった仮説は採用しない
ー検証された仮説を採用して論理を構成する
ーそれを考査
 このようにして構成された論理の体系が「科学」という。科学的というと実験を連想しますが実証
する方法はなにも実験に限らない。日常の観察で確認される事柄も、上記の手順に合致すれば、科学的
な事実といえる。仮説を意識して立てることは、実践を高める上で役に立つ。特にフィードバックを
瞬時に可能にする。「3案・5案を考えて、その中から選定すべし」というが、それだけ多くの視点を
持つべし、案を練りこむことになるから。
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2003年07月17日(木)
 834, 沖縄の中学生のリンチ殺人事件
3年前の春の土曜日に、自宅近くの土手を散歩していた時のこと。川崎小学校裏の土手を歩いていたら、
一人の高校生?が相手を殴っているのが見えた。瞬間に「この馬鹿野郎、、何をやっているんだ!」と
走りよっていた。ところが、その場に踏み込んだ瞬間とんでもない修羅場であった。グループ同士の
喧嘩の場で、2~3人が倒れて気絶している。
15歳位の犬コロのような餓鬼3~4人が逆に粋がって『何だと、やるのか!』と迫ってきた。 
しまったと思ったが、もう遅い! 私も学生時代に合気道をやっていた経験がある、しかし実践には
全く役に立たない位はしっている。こういう時は物を持つのだ。目の前の木を拾い、逆手に持った。
その瞬間誰も突っかかってはこれなくなった。物を持つと相手はそう簡単には殴りかかってこないこと
は知っていた。もし来たら、目を狙えばよい。相手もじりじり迫って来るが、ヤバイ相手位は解ったようだ。
私の「警察沙汰になるぞ、留置所だけで済まないぞよく考えろ!」という言葉に全員がひるんだ。
その時、お互いが仲間に携帯電話で連絡をしあっている。何か私の入る世界でない次元の違う世界であった。
「もう殴るのはやめろ!」と言っていた。その場を離際に「絞めてしまえ!」という言葉が聞こえてきた。
たまたま先日の沖縄の場合、殺人になってしまっただけでしかない。いま考えても危ない瞬間であった。
 5月の末に里帰りの千葉の姉と23時過ぎに、長岡駅裏のダイエーの前を歩いていると、暴走族が
オートバイを歩道の真ん中に乗り入れて道を阻んでいた。当然のこと乱闘寸前、姉が間に入って事なき
を得た。警察に電話をしたが、まずフルネームをいえという言葉に、面倒だと途中で切った。先日、
道路に寝ていた若者二人を注意した人が殺される事件がおきた。深夜はこの道を歩くのは当分やめること
にした。ところが昨夜新潟で飲み会があった。十時近く、そこを通ったら7~8人の警官が例の暴走族二人
を取り囲んで言い合っていた。もし警官がいなかったら、私と鉢合わせのところだ。通り過ぎたが、酔って
いる勢いで取って返して5月末の顛末を言った。度々似たようなことがあり、警察に苦情があり取締りを
していたようだった。5月末を思い起こすと、彼らの溜まり場で一種無法地帯の感じだった。顔も割れて
しまったのだから、これからは大っぴらな溜まり場では無くなってほしいが。「君子危うきに近寄らず」。
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2002年07月17日(水)
 459,危機一髪
今年2月、ある取引銀行が「ドルが必ず上がるはず買わないか」という提案。当時130円、
その時期は三月決算に向けて140円は誰の目にも明らかであった。そこを銀行の担当もついてきたのだ。
「上げるべき金利は上げないからドルを買ってくれ!」一瞬どうしようと迷った、そうするうちに週末に
なり翌週になってしまった。円が135円まで上がってしまっていた。そうすると大して旨みがない。
手数料を入れると139円になるからだ。迷ったが、それでも132円辺りになったら買おうかと
数字をみていた。そのうち少し下がり133円辺りになり、さてと買いかなという時、大矢氏が反対した。
「もうリスクを負った金融をやらないと決めたはず。それと売買で4円の手数料を取られ、銀行のテラセン
の餌食でしかない。それも銀行に今になって薦められやるのはおかしい?!」それも戦略的に円を買って
いれば話は違うが、全くそのとおりである。買っていたら今は1000万近く損をしていた? 
途中で売っていたとしても500万は損をしていた?「まさかアメリカがここでバブルが破裂しようとは
思ってもいなかった!!」それで担当者は済むが、こちらはとんでもない事になる。 
危ない所であった!NTTの株で大損をしておいて(8000万)、またもやというところであった。
それと去年の春先に金融関係者が一斉に持ってきた「変額保険」うたい文句が、確か節税とかいうやつ。
先日TVでとんでもないシロモノと放送していた。30万件売ったらしいが、これが???らしい!
「ある子狐が持ってきて断ると手の裏をかえした」のもそれだった?
手数を稼ぐためには、何でもしなくてはならない時代になってきたのか!!
本人に悪気がないから困ったものだ?恐ろしい時代になってきた。情報化とはこういうことだ!
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2001年07月17日
 旅行中