<「人生楽しいかい?」ゲオルギー・システマスキー著>

【指令14】衝突をコントロールする
 【指令15】分かち合う
  【指令16】任せる
   【指令17】生きろ

  * 【指令14】衝突をコントロールする
 〜神様は、弱い人間には、それなりの試練しか与えない。しかし、
力のある人間には必ず、それに見合った大きな試練が訪れる。
 一流は相手の力を受け流す。そして、超一流は、触れた瞬間、相手の
敵意を癒す。
 どんな人の中にも活用されない膨大なパワーや自発性、スピード、精度
が備わっている。力みと恐怖(否定的感情)を取り除けば、強力な性質が
目覚め、成長し、あらゆる対立で優位に立てる。
― 
  * 【指令15】分かち合う
 〜人生をかけて取り組み仕事というのは、長編小説の何百倍の分厚い
本をよむようなもの。

  * 【指令16】任せる
 〜指示を出すときは、「自分で判断する余地を残す…」。
自分で判断し、行動することにより、人の能力は最大限に発揮される。
これは、前の「分かち合う」とセット。細かい指示を出さず、大まかな
目標だけを共有する。あとは、自分の裁量でがんばる。但し、情報は共有
する。互いに批判や責め立てず。

  * 【指令17】生きろ
人が生きている、ということは、人間らしく、清々しく生きていることだ。
「生きること」を全力で楽しむこと。


▼ システマの教えは、人生の基本だが、両親の生き様の後姿から、
「何事も楽しくなるまで徹底しろ」を学んだ。楽しいと思えれば、あとは
儲けものと思える。たった一度の人生、「人間らしく、清々しく生きなければ、
生れてきた甲斐がない」と思って生きるかいないとでは、雲泥の差ができる。
 それにしても、その逆の生き方の人が多く見かけるが… 

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5602,恋愛心理学 〜? 「美人=性格が良い論・悪い論」
2016年07月17日(日)       
           『美人の正体』〜越智啓太著 
   * 「美人=性格が良い論・悪い論」
・「美人=性格が悪い」論には、妬みと「天は二物を与えず」的世界観がある。
多くの人は「神様は平等であり、すべての人に等しく才能を与えているのだ」
という、幻想を信じたいと心の底から思っているため、「美人は性格悪い」と
考えたい側面がある。明治時代の「修身」の教科書には「美人は往年、気驕り
心緩みて、却って、人間高尚の徳を失ふにいたるものなきにあらず・・」とある。
明治時代に芸者上がりで「容姿は美しいが、家柄が良くない」という女性が、
社会的地位があり、経済的に裕福な男性と結婚して社会的な地位を上げたという、
いわゆる「玉の輿」現象が発生していた。これに脅威をおぼえたのが、社会的に
高い地位の女性で、顔姿が、良くない女性たちは、あまり良い気持ちを持たな
かったため、美人に対してネガティブな噂を流したという論がある。
・同じ女性をメークアップした状態と、逆にメイクダウンした状態で、実験
参加者に見せた結果、メイクアップした状態の方を「やさしく」「好感が持て」
「陽気」「落着いていて」「チャーミングで」「ファッショナブルで」
「きちんとしていて」「ロマンチックで」あると認知されることが分かった。
土曜日のバラエティーに、普通の主婦をファッショナブルに変身させる番組が
あるが、上記の内容そのものである。
私が、これまで若い女性と接してきた感想は、圧倒的に「美人=性格良い」論。
そして著者の研究結果も、それを示している。美しい人は、善の循環で、プラス
が蓄積されていて、それそのままが顔と全身など美容に現れ出ていることが多い。
5年以上通っているスポーツジムの女インストラクターに、顕著に現れている。
第二の皮膚といわれるファッションのセンスに、それが加わる。 〜つづく

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5237,窃盗専門の「泥棒刑事」 −?
2015年07月17日(金)
             『泥棒刑事』 元三課部長刑事 小川泰平著
   * プロの仕事「二点三角破り」 〜窃盗の基礎知識
 犯罪の4分の3が窃盗。そのうち万引きと空巣が多くを占め、無施錠のドアか、
 窓を割って進入する方法が多い。そこで、プロの「二点三角破り」がある。
≪ 外国人の荒っぽいのに比べると、日本人の泥棒には芸の細かい者が多い。
彼らはクレセント錠近くのガラスをドライバーを使い破る方法を好む。
「こじ破り」という方法でガラスを小さく割り、鍵を開けるのである。
少し具体的に言うと、マイナスドライバー1本を使い、2枚引きサッシ窓の
クレセント錠付近の部分の、ガラスとゴムパッキンの溝にドライバーを差込み、
こじるようにすると、窓ガラスにヒビがーつ入る。同様にもう1本ヒビを入れる。
クレセント錠の付近に2本のヒビが入り、三角形の形に破れるわけである。
これをブ回の仕事「二点三角破り」と呼んでいる。プロ中のプロになると、
2センチくらいに破る者もいる。同様の手ロで「三点四角破り」の常習者もいる。
ごの方法だと音もほとんど出ないしガラスが飛び散ることもない。そうして
破った隙間から指またはドライバーの先端でクレセント錠を開錠して室内へ
侵入するのである。こうした窓破りの道具で最も多く使われるのがドライバー。
しかし、ドライバーを持ち歩いていると、職務質問にあったとき不都合が生ずる
場合もある。そうした職質でドライバーを持っていたために挙げられてしまった
経験をもつ泥棒のなかには、侵入用具のドライバーを直前にコンビニ等で購入
する場合もある。そのほかには、侵入用具を現調する者も多い。
現調とはドロ刑の隠語で、「現場調達」を縮めたものである。現調に用いられる
のが多いのは、「移植こて」である。ベランダ等でのガーデニングには欠かせない
園芸用のスコップである。そのスコップを使い、ガラス窓を「突き破り」
「叩き破り」の方法で破kのである。そのほかでは、石を使う方法もある。
石を靴下などに入れ、それをガラスに叩きつけて割る方法。・・・ ≫
▼ 空巣に入られた経験がないが、20年程前に、仏壇の小さな仏像が
何時の間にか消えたことがあったが、見当はついていたが、警察には
届けなかった。空巣に荒らされた現場の写真を見たことがあるが、箪笥から、
本棚、押入れの全てが引き出され、部屋全体が見るも無残に散らかされた様は、
それは酷いもの。プロは、そこまで徹して捜し出す。
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4872,「事業人生を決心して45年」の語り直し ー40
2014年07月17日(木)
   * 類似ホテルが2年もしないうちに!
 2年もしないうちに、このコピーホテルが隣地にオープンしたのに驚いた。
近くの居酒屋の主が隣の旅館を買収をして、全く同じレイアウトで建ててきた。 
不意打ちだが仕方がない。私の後を追うように、駅裏に二棟合計350室まで・・ 
更に、ある不動産会社の紹介で富山の材木商が訪ねてきた。 その翌年から、
全国に大量出店をした『αー1』の社長である。
『百億の不動産があるが、その有効活用にビジネスホテルを考えているが、
如何なものか?』 の調査である。そして10年もしないうちに、至近距離に
200室のホテルを建ててきた。現在は?数千室もあるだけに引くに引けない? 
簡単にコピー可能なこれ、何の価値がある?と、深刻に考えてしまった!
その時が、節目。 決断するまで考えられなかったのだから、私もしれたもの。
 当時、雑誌記事で『一時期、ビジネスホテルを成功させたが、嫌気がさし
転業した』人の手記を読み、方向を考えたが、350室から500室への拡大
戦略を止めることはなかった。長期の装置産業のホテル業を選択したことに
問題があったが、10年間の期限を切らなかった方が問題?長期装置のため、
暇を持て余し『ぼんやり時間』を充分満たすことができた収穫でもあったが・・
 「上手く転進して二桁のホテル展開をしていたより、豊潤な時間を充分に
味わうことが出来た」という見方も出来るが、どうだろう? 現在の、αー1、
ルート・インの姿。 どの道、好きで選んだ道、「毒を食わらば皿までも」か。 
それでも万一の備えがあったので、最悪に至らず、こんなことを書けるのだ。 
20年目で気づいたことは、「この事業の営業指数が日本経済の先行指数として
現れ出ている!」ということ。装置産業だけに金利原油価格、為替などが
直接コストに跳ね返ってくる。 今だバブル崩壊による深刻なデフレから
立直れずにいる日本の近将来に悲観的なのは、先行して大波に流された自分の
裏づけがあるため。 どの道、遅いか早いかの差だが。
この時期の東京オリンピック開催は?それを覆い隠す目暗ましでしかない。
阿部首相の隣に苦渋に満ちた?副首相の顔を見るにつけ、それもヤムナシが、
政冶? 隠れた‘世界恐慌!’ なぜ直視しない?   
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4505, 大往生したけりゃ医療とかかわるな ー5
2013年07月17日(水)
           『大往生したけりゃ医療とかかわるな 』中村仁一著
 死んでいくにも準備が必要である。それが具体的に分かりやすく書いてある。
筆者の主催の「死を考える集い」から生まれたのだろうが、分かりやすい。
私も年内には、幾つか選び、実施するつもりである。あまり気持ちが良くないが、
死に装束、骨壷、棺桶、位牌は通販で取り寄せることができるし、戒名は自ら
つくってあるので、書き込めばよい。遺言も、このコーナーで書いたこと、
そのものになるが。ブログをネット上の墓場と想定して書いているので、
別に必要がない。 問題は物の整理だが、「物」より「こと」を重視して
きた事もあり、物は殆どない。会社も消滅、自宅は家内名義。 
一番、重要なのが、「事前指示書」である。
  * 「自分の死を考える」ための具体的な行動十五カ条
1.遺影を撮る               2.遺言を認(したた)める
3.別れの手紙、録音、録画を準備する     
4.「余命6カ月」を想定して、したいことの優先順位を書き出す
5.死装束を誂える             6.骨壷を用意する
7.棺桶を手に入れる(入ってみる)     8.事前指示書を完成する
9.献体、臓器提供の手続きをする      10.墓地、霊園を手に入れる
11.戒名をもらう             12.散骨の手続きをする
13.人生の節目に“生前葬パーティー”を行う 
14.事あるごとに家族や周囲と「死」について語る 15.物の整理をする
 ひとつひとつの項目に対して自分なりの答えを出して、具体的に行動すことで
死がより身近なものになります。死がより身近になるということは、生がより
身近になるということでもあります。
▼ 特別養護老人ホームの医師になって四百人近い老人の死に立ち会った
 体験から、著者は「自然死」の本当の姿を知らない現代医療の本質的問題点
をついている。 同時に「私たちも患者のひとりになり得る」医療に対し、
“まともな”あるべき姿はどうあるべきか、死をどうとらえるべきか?
を問うている。そして50〜60歳代になったら、近代医療と関わるな、
まだ末期ガンを幸運と捉え死んだほうが良策という。 
以下の去年の同月同日の内容が関連している。
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4131, 夏目漱石の「自己本位」という生き方
2012年07月17日(火)         
 ♠ 夏目漱石の「自己本位という宝の発見!」   
           〜『定年後 ー豊かに生きるための知恵』加藤仁著
 著者は、25年にわたり定年退職者の退職者の取材を続けてきて、ゆうに三千人
を超えているという。「はじめに」で、まず夏目漱石の47歳時の講演
『私の個人主義』で、当時としては思い切った「自己本位の勧め」を取上げている。
私の場合、20歳の時点で創業を決意した時から、「自己本位」になっていた。
しかし勤め人にとって、定年後が第二の人生の創業になる。「定年後の人生こそ、
自己本位であるべし」が痛いほどよく分かる。他人の思惑から遠く離れた自己
本位の生き方に大きなヒントがある、という言葉が痛いほど分かる。
定年後は自己本位への第一歩から始まる。
 ー以下は、漱石の『私の個人主義』の中の一部を抜粋したものー
≪*「 私はこの世に生まれた以上何かしなければならん、といって何をして
 好いか少しも見当がつかない。私はちょうど霧の中に閉じ込められた孤独の
 人間のように立ち竦んでしまったのです。・・そのころ、明治33年、33歳の
 時に、文部省から突然、英語研究のためとして、英国留学を命ぜられる。
 そして1年が過ぎ、苦悩が極まった時に、あることに気づきます。
 自分はこれまで「他人本位」だったのではないか、そして、それこそが「空虚さ」
 や不安の根本原因だったのではないかということです。(私の個人主義
*「今まではまったく他人本位で、根のない『うきぐさ』のように、そこいらを
 でたらめにただよっていたから、駄目であったということにようやく気がついた
 のです。私のここに他人本位というのは、自分の酒を人に飲んでもらって、
 後からその品評を聴いて、それを理が非でもそうだとしてしまういわゆる人真似
 をさすのです。(〜中略)ましてやそのころは西洋人のいうことだといえば
 何でもかでも盲従して威張ったものです。だからむやみに片仮名を並べて人に
 吹聴して得意がった男がどれもこれも皆是なりといいたいくらいごろごろして
  いました。(〜中略) つまり鵜呑みといってもよし、また機械的の知識と
 いってもよし、とうていわが所有とも血とも肉ともいわれない、よそよそしい
 ものをわがもの顔にしゃべって歩くのです。しかるに時代が時代だから、
 またみんながそれを賞めるのです。」(同前)
ー苦しみの中から、漱石はあることに気づきます。それが「自己本位」。
「自分を主体にし、個性を大切にする」ことに気づいたことで「他人本位」が
 自身の根源的な問題であると気づいた漱石は、「自己本位」こそが「空虚さ」
 から脱出する鍵を握っていると考える。つまり、外から無批判に「鵜呑み」
 で受け入れた「よそよそしい」知識や価値観を用いて生きるのではなく、
 丁寧に吟味し咀嚼して「わが血や肉」と呼べるものを自分の中に養成し、
 それにもとづいて生きる生きかたに目覚めたわけです。
*「私はこの自己本位という言葉を自分の手に握ってからたいへん強くなり
 ました。彼ら何者ぞやと気概が出ました。(〜中略) その時、私の不安は
 まったく消えました。私は軽快な心をもって陰鬱なロンドンを眺めたのです。」 
ー 1914年に学習院での講演で、47歳の漱石は、それまでの人生における煩悩を
 告白し、いかにして袋小路から抜け出したかを語っている。
「他人本位」から「自己本位」に脱し、自身の神経衰弱を克服した漱石は、
 次代を生きる若き聴衆に向けて、次のように熱く語りかけている。
『 ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた! 
 こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたははじめて
 心を安んずることができるのでしょう。(〜中略)もし途中で霧か靄
 のために懊悩していられるかたがあるならば、どんな犠牲を払っても、
 ああここだという掘り当てる所まで行ったらよかろうと思うのです。
(〜中略)だからもし私のような病気に罹った人が、もしこの中にあるならば、
 どうぞ勇猛にお進みにならんことを希望してやまないのです。もしそこまで
 行ければ、ここに俺の尻を落ちつける場所があったのだという事実をご発見に
 なって、生涯の安心と自信を握ることが出来るようになると思うから
 申し上げるのです』(同前)≫
▼ この漱石の言葉は、現在でも、私たちに強く響いくる。当時の学習院
 での講演で、「自己本位」を説いたのだから、さすが漱石である。
キリストも、「自分を愛するように他人を愛しなさい」と言ったので
あって、他人を優先して愛しなさいとは決して言ってない。
・・・・・・
3765, ユング ー8
2011年07月17日(日)
 フロイト邸でおきた、ユングのオカルト現象は有名だが、フロイトは半信半疑
だったようだ。ユングには、特殊の超能力があったのは事実である。 以下の
フロイト邸での出来事は、知る人ぞ知る事実である。
【 1909年3月、ユングとエンマはウィーンのフロイドを訪問した。 
 そしてフロイト邸で、「本棚のボルターガイスト」という有名な事件が起ぎた。
「オカルト現象」に関しては、フロイトは完全に懐疑論者だった。1909年までに、
心霊現象のまじめな研究者によって、ボルターガイストー物を投げる霊ーは、
通例は精神的な悩みのある思春期の人と関連があることがあきらかになった。
そしてこれから、ボルターガイスト活動は、思春期の人の無意識的な心、
いわば、はげしい内部葛藤の「外在化」ーによってともかく引き起こされる
という説が生まれた。ユングはこの説を信じ、ボルターガイスト活動を
「外在化現象」とよんだ。フロイトユングが超常の実在について論じていた
とき、突然本棚から大きな爆発音が起こり、二人とも跳び上がった。
「そら、これが外在化現象の一つの実例ですよ」とユソグは言った。
「ばかな!」とフロイトは言った。「いや違います。私が正しいことを証明する
ために、しばらくすると、もう一度音がすることを今予言します」。
ユソグがこう言ったとき、本棚で第二の爆発が起こった。フロイトがその後
ユングに出した一通の手紙から判断して、フロイトは半分以上納得したらしい。
しかしその後フロイトは数回こういう音を聞いた。そこで彼は、なんらかの
自然の原因があるという結論に達した。ユングフロイトと議論すると横隔膜が
熱くなるのを感じたから、自分がそれを引き起こしたのだとかたく信じていた。
フロイト派の注釈者たちは、音は、乾ききった本棚の木材から起こっただけの
ことだといつも主張していた。しかし実際になにが起こったのかを知ることは、
今日では不可能である。】
▼ 父親が亡くなった直後から10年間あまり、私に特殊な感覚が身について
 いた時期があった。(偶然の一致が、あまりに多いのは)現在も残っている。
この10年は哲学にはまり、論理的になったこともあり、その感覚が薄れて
しまったようだ。人間の存在、いや、自分の現にある存在の方が遥かに不思議
というのが哲学。実際に、そのとおりである。