つれづれに

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 三番目の姉の連れ合いが亡くなり、明日、葬儀。
一昨年の暮れには一番上の既に故人の姉の連れ合いが亡くなった。
 私たち世代に順番がまわってきたようだ。



・・・・・・
3764, ユング ー7
2011年07月16日(土) 
  * 集合的無意識と、元型
 潜在意識には、個人が長い年月を経て蓄積してきたさまざまな人生経験に
とどまらず、個人を超えた「普遍的なもの」とアクセスする場合がある。
この「普遍的なもの」から送られてくるメッセージによって、人類の長い歴史や
文化という大きな文脈の中における、自分の本質的な位置をとらえることができる。
▼時間と空間を超えて、すべてにつながっているもの <集合的無意識と、元型>
 〔1〕人類に普遍的に存在する「集合的無意識
 潜在意識には、個人の過去の経験とは無関係な誰もが普遍的に所有している
 無意識層があり、ここに、時代、国家、地域、 民族、文化、さらにはすべて
 の人類における「共通の意識」があると考え、これによって、人類が考え方を
 自然に共有できるとも考えた。 このような人類に存在する深層意識の共通点
 を「集合的無意識」とした。
 〔2〕集合的無意識に触れるから、自他との会話が可能になる
 古今、時空を超えた地域の神話や昔話が心をとらえたり、そこに自分と似た
 ような人物を見出したりする。また時代や地域の異なる宗教に真理を見出す
 ことが出来ある。時代や地域を超えた「普遍的なもの」に「自分」の本質的な
 位置を理解することができます。
 〔3〕元型
 集合的無意識を構成しているものを「元型」と呼び、世界各地の神話や伝説、
 遺跡や壁画、宗教、芸術、小説、映画、夢で「普遍的なイメージパターン」
 を生み出している。元型は、子を生んで育む母性イメージとしての「母親元型」、 
 厳格に教え導く父性イメージとしての父親元型」、男性の心の中の女性的な部分
(女性像)である「アニマ」、女性の心の中の男性的な部分である「アニムス」、 
 社会に適応するために身につけた外向きの顔である「ペルソナ」、自我を形成
 する過程で発達させることができずに抑圧さえた人格である「シャドー」がある。
 〔4〕自己
 特に重要な元型は「自己(セルフ)」と呼ばれるもの。これは「完全なるもの」
「最高なるもの」を意味し、この元型から生み出されるイメージパターンは、
 悟りや解脱などの宗教的境地や、イエス像・天使像・仏像などの頭上や背後に
 ある光の輪、あるいは、金やダイヤモンドなどのような物質に与えられた特別な
尊い、神聖な)意味などが挙げられる。「自己(セルフ)」の元型は、
 自分らしくない人生を生きている場合や、自分の人生が意味のないものに
 感じられる時に、生きる意味を与えたり、自分らしい人生を選択していく
 ための力となったりする。
◎ 我々が自然に安らぎを感じたり、太陽を崇拝することは人類に共通すること。
 その共通するものがあるからこそ、我々は自分とも他人とも対話したり、
つながることができる。民族に伝わる神話や昔話が、それぞれの民に共感するのは、
それぞれの集合的無意識が働くからである。ところでペットにも集合的無意識
あるんじゃない?共通項があるから可愛いのでは?


・・・・・・
3399, おテレビ様と日本人 ー3
2010年07月16日(金)
 * 限定的な陰謀、対極的な陰謀
 ここまで書いて良いものかと思うほど辛らつだが、これが真実である。さらに「ゆとり教育
で植民地人間=ブタ化の完成である。その典型が、その世代の10代後半から30歳半ばの青年たちは、
中国、韓国の若者達に大きく差がつけられてしまった。その上に携帯電話という思考停止マシーンで
育っているから目が当てられない。哀れというしかない! 他人事でない?
 ーまずは、その辺の部分を記してある部分からー  (P/177)
≪ 第二次大戦以降だろう、「地球エリート」とでも名づけたい一部の集団が確立して、具体的な
行動に取り掛かったのは人類に一定の知性しか持たせない「総白痴化陰謀」である。エリートを
揺るぎないエリート化するということは、結局その裏返し、それ以外全員を非エリート化することで、
全員を無知蒙昧のバカ者に仕立て上げておくということなのだ。・・・
何しろ人類を支えるあらゆる種類の「資源」には限度がある。食糧だけの問題ではない。知的資源
にも飽和限界というものがある。たとえばすぺての人間がデスクワークを望むようになれば、肉体
労働者はいらなくなるか、常に闘争が激化する。バカをバカのままにしておくことは、人類未来に
必要にして不可欠な状態なのだ。 人類全体の知的啓蒙、教育浸透は、昔単純に考えられていたほどに
素晴らしいことではなのである。 個人的な人生の幸福論から考えても、これに近い解答が出る。
人間は考えれぼ考えるほど、知れば知るほど不幸になり、苦しみも増える。それより、
「考えても仕方がない、知らないほうがいい」という結論が出る。 これを全人類、その時代時代の
人間全体に置き換えても真理なのだ。「人はみな、部相応に生きるのがもっとも幸せである」という結論。
背伸びをするほど、求めれば求めるほど、不満と不幸はつのる。無関心こそ幸福への扉なのだー、
と、少数エリート集団は見極めている。 間違っていない。正しい。 豚には豚のエサがある。
豚にライオンの食物を与えても食べられない。 もし与え続ければ、豚は餓死するしかない。 
であれば、豚には豚の好物を与え、ライオンに近づかせないことが豚の幸せであり、ライオンの幸せ
でもある。 大衆にテレビを与えよ。 その番組内容を、できる限り豚のエサに近くせよ。間違っても
ライオンの食事を横取りしたいなどと考えさせるな。彼らの幸せのために! この種の陰謀はイラク
から軍隊を撤収するかしないかとか、アフガンの今後をどうするかなどといった陰謀とは、まったく
性格を異にする陰謀なのだ。 白人から見た黄色人種、なかんずく日本人は、豚の中の豚である。 
人間のエサは決して与えてはならない。 人間のエサとは、何か? 考えることである。
思考力である。 これだけは絶対に食わせてはならない。 多少ビタミンが入っていてもいい。 
ミネラルも少しは混合しよう。タンパク質もごく少量。だが、思考力は絶対ダメだ。そんなエサがあるか?  
ある。テレビだ。 思考力を阻害する最善策。 忙しくさせておくこと。 時間を与えないこと。 
子供には勉強、部活、いじめ、そしてテレビで充分に時間がなくなる。 ≫
 ー現在の日本の世界に先駆けての恐慌も、ブタ化の結果である。リーマンショック以来、その弱点を
一番初めに曝け出してしまった。  それが現在の政治であり、経済の惨状である。更にケッタイな
日本的な街中無差別テロである。あの虚ろな目をした若者たち。
   ・・・・・・・・・
3024,明治・大正と昭和・平成の符号説
 2009年07月16日(木)
 「生の科学、死の科学」 -養老孟司 対談集ー  ~2
  【憂国の時代】 ー関川夏央
*明治・大正と昭和・平成の符号説
 この中で、関川が語っていた明治・大正と昭和・平成の符号説が面白い。
  ーその概要をまとめるとー
 現在の激変の時代を幕末から明治維新期に例えると分かりやすいが、明治・大正と昭和・平成の
符号説というのがある。「時代の状況」がそっくりに見えるのである。その平成も大正時代を越えて
21年になる。 大正という時代は、明治の近代国家づくりが日清・日露戦争を経験し完成。
大正デモクラシー」という教養を尊ぶ自由な時代。第一次大戦の好景気があり、関東大震災があり、
の5年後と言えば昭和の大不況の真っ只中。昭和・平成といえば、バブルと、その崩壊、平成不況と
阪神大震災とピッタリ符合する。そうすると、次にくるのは第二次世界大戦ということになる。
これから10年間は大恐慌の嵐が吹き荒れ、そして戦争? それとも、既に戦争があり、全ての国が
敗戦したのだろうか? 平成も昭和を引き継ぎ、戦後から数十年かけて豊かな経済社会になった一方で、
アメリカの陰の占領統治で、若者を始めとする社会的、精神的荒廃が進み、大正時代に似た社会現象が
現われている。明治が大正を生んだとすれば、大正は国家主義の生みの親?
そうすると、これからの方向は昭和の統制経済に立ち戻る流れになるのだろう。
 ーー
 そうこう考えると、現時点は日本は重大な岐路に立たされていることになる。2001年の9・11のテロと、
2008年の9・15の金融恐慌が日本に与えた大震動からきた惨状を目の当たりにすると、日本がアメリ
から離れて、戦後60年で自分の意思で大きく舵取りをしなければならない時期に入ったことを示す。
その意味で今回の選挙で自民党が壊滅し、その後の政界再編成は大きな意味を持つ。表面的には、
あまり変わった風ではないが、実態は終戦直後に街の彼方此方の焼け野原に闇市が立っている状態に
酷似しているといってよい。 悲観的に成るのは、アメリカが戦後半世紀をかけた占領政策もある。 
半世紀以上をかけて日本の文化、精神が粉々に破壊されてしまったことである。戦争か、ハイパー
インフレで実質所得が激減するかである。それは、間違いなく、ある日突然やってくる。
 ・・・・・・・・・
2659, コールド・リーディング
 2008年07月16日(水)
 本の新聞広告に「コールド・リーディング」という言葉が目についた。
そこで、フリー百科事典『ウィキペディアWikipedia)』で調べてみたら面白い。
 ーー
コールド・リーディング(Cold reading)とは話術の一つ。
 外観を観察したり何気ない会話を交わしたりするだけで相手のことを言い当て、相手に
「わたしはあなたよりもあなたのことをよく知っている」と信じさせる話術である。「コールド」とは
「事前の準備なしで」、「リーディング」とは「相手の心を読む」という意味である。詐欺師、占い師、
 霊能者などが相手に自分の言うことを信じさせる時に用いる話術であるが、その技術自体は
 セールスマンによる営業、警察官などの尋問、催眠療法家によるセラピー、筆跡鑑定、恋愛などに
 幅広く応用できるものであり、必ずしも悪の技術とは言えない。
・よく似たものでショットガンニング(Shotgunning)も、超能力者や霊能者を自称する者が用いる
 技術である。 彼らは実演する相手に大量の情報を話すが、そのうちのいくつかは当たるため、相手の
 反応を見計らいながらその反応に合わせて最初の主張を修正し、全てが当たったように見せかける。
 エドガー・ケイシー、ジョン・エドワードらはショットガンニングの疑いがもたれている。
コールド・リーディングの技法として、実際のリーディングを始める前に、読み取る者は相手の協力を
 引き出そうとする。「私には色々なイメージが見えるのですが、どれも明確ではないので、私より
 あなたの方が意味が分かるかもしれません。あなたが助けてくだされば、二人で協力してあって導き
 出しましょう」という。これは情報を引き出そうという意図である。そして分からないように相手を
 よく観察しながら、誰にでも当てはまりそうなごく一般的な内容から入る。
*「あなたは、自信がなくなる感じのすることがあるようですね。特に知らない人と一緒にいるとき
 などです。そのように感じますがどうですか?」(バーナム効果を参照) または、観察に基づき、
 より具体的にみえる内容(実は具体性はあまりない)に踏み込んで推測を行う。
*「私には年老いた婦人があなたのそばによりそっているイメージが見えます。
 少し悲しそうで、アルバムを持っています。このご婦人はどなたかお分かりになりますか。」
*「私はあなたの痛みを感じます。多分頭か、もしくは背中です。」相手はこれら具体性のない推測に
 対して、びっくりしたり思い当たることを話したりするなどの反応をすることで、リーディングを
 行う者になんらかの情報を明かしてしまうことになる。これを基礎に、リーディングを行う者はさらに
 質問を続けることができる。推測が次々当たれば、相手はリーディングを行う者への信頼をどんどん
 深めてしまう。もし相手に推測を否定されたとしても、態度を崩したりうろたえたりせず、威厳を
 もって「あなたは知らないかもしれないが実は私にはそのように見えるのです」と言い張るなど、
 信頼を損なわずうまく切り返す方法がある。 コールド・リーディングには確立した技術がある。
 多くの演者がこの技術を習っており、能力者を装って一対一の占いを行ったり、ジョン・エドワード
 のように「死者と対話する」などと題した公開の場で、観客に死んだ近親者からのメッセージを披露
 したりする。演者の中には、観客について言い当てて大喝采を受けてからはじめて、実は超能力は
 使っておらず、心理学とコールド・リーディングの知識だけあればできるとばらすものもいる。
  ーーー
 以上だが、少し前は宜保愛子、最近では細木数子などが、この手法を使っていた。スタッフに相手
 の下調べをさせたり、待合所に隠しマイクを設置して、情報をとる「ホット・リーデング」がある。
 営業にしても人間関係にしても、それを利用して悪いわけがない。この手練手管の営業の男を何人も
 知っている。 それも、どうも自分で意識をしないでしているから、恐ろしいのである。
 営業テクニックで、これを無意識でやる人こそプロ?である。
・・・・・・・・・
2007年07月16日(月)
2295, 中島義道の「池田晶子」追悼文 -1
                      ・д・)ノ〔● ォ'`ョゥ○〕
 自ら書いているように奇人変人の哲学者の中島義道が、池田晶子と知り合いであり、彼女への追悼文を、
ある月刊誌の中で見つけて驚いてしまった。この随想日記も中島は何回か取りあげてきたが、その奇人ぶり
には読んでいて、あきれていた。唯我独尊で、ただへ理屈?を並べ立てている姿、誰かに似ている。
かた方の変人の雄の池田と知り合いで、その追悼文を書いていたとは! 中島にしては、前半はシンミリ
とした感じであった。何か自分に劣らない奇人の死に戸惑っているようだった。中島は池田を哲学者と
認めてないようで、哲学者でも哲学研究者でもなく、著述業として切り捨てているところが、彼らしい。
昨年から池田晶子にはまってしまっているが、亡くなったことで更に、もう一歩踏み込んでいる。
とにかく根源的で、純粋であるのがよい。その彼女の姿を中島がどの様に見ていたかを知るのは面白くない
わけがない。哲学者の間では彼女は無視された存在であり、著述家としてしか、見られてなかったようだ。
哲学者にとっては哲学用語を一切使わないのは、それだけで、相手にされなかったのだろう。
初心者向けに絞って、哲学みたいな文を書いている女とみられていたようだ。
 前半は、中島が見た池田の哲学学者仲間としての心象。 後半は、中島独特の批判で構成されている。
  まずは、前半の中島の彼女の心象から・・・
 ー 月刊・新潮45?2007年・5月号ーより  P-152
ーー
池田晶子さんが亡くなった。四十六歳の若さである。新聞報道は三月二日の読売新聞が最初だが、
私は翌三日の朝日新聞社会面で知った。昨年末、新潮社の編集者と忘年会と称して呑んだとき、
彼女が癌を患っていることは聞かされていた。その口ぶりから、末期ということはわかったが、こんなに
阜く逝くとは思わなかった。ショックはないと自分に言いきかせていたが、その日大学にいても彼女の
ことばかりを考えて過ごした。いままで意図的に避けてきたが、ある種の独特の形で哲学に携わった
彼女に対する自分の気持ち(評価)をごまかすことなく語ってみようと思う。池田さんとは四、五回
会っている。はじめは十五年以上も前のことであるが、(いま慶応大学の教授である)斎藤慶典さんが
「おもしろいことを書く人が後輩にいるから」と「大森先生を囲む会(略して「大森会」)」に連れてきた。
池田さんは例会の日に、教室の入り口でそっとお辞儀をして入ってきた。そのころ彼女は三十歳位であり、
とびきり美人であることは誰の眼にも明らかだったが、そこにいた参加者たちはまったく無視していた。
水玉の(?)袖が長めの白っぽいワンピースを着ていたように記憶している。池田さんは、当時まったく
哲学仲間のあいだでは知られておらず、まだ本を二冊書いた程度であったから、世間的には、ほぼ無名
であった。そこには、永井均、野矢羨樹、飯田隆、丹治個治・・など、いまや日本哲学界を担う人々が
決集していたが、当時彼らは哲学界という狭い世界の中では評価されていたが、誰も世間的には有名では
なかった。

永井さんが有名になったのは『〈子ども〉のための哲学』あたりからであり、それが講談社のPR誌『本』
に掲載されていたとろから評判であった。そして、一九九五年の夏に『ソフィーの世界」が大ペストセラー
になると相前後して出版界は「哲学ブーム」という軽薄な掛け声と共もに浮かれ出し、池田さんの
『帰ってきたソクラテス」(新潮杜)、永井さんの『ウィトゲンシュタイン入門」(ちくま新書)、木田元
さんの「反哲学史」など、それぞれ部数を仲ぱした。・・(中略)
池田さんは、例会のあと渋谷での呑み会にも時々参加した。何を話したかすっかり忘れたが、彼女と
しぼらく話し込んでいると、丹治君がまん前に座り込んで、しげしげと二人を見比べ「やっぱり綺麗って
いいもんだねえ」と言った。私がそのあとを受けついで、「池田さんの欠点は、綺麗すぎる乙とレと言うと、
彼女はのけぞっで笑い「そうなの、中島さん?!」と言って、私の膝を,ハシヅと叩いた。・・(中略)
ある日、呑み会のあとで、数人を彼女の行きつけのバーに連れて行ってくれた。
(字数の関係でカット 10年07月16日)
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2006年07月16日(日)
1930, 二つ目のブログ
               ( ̄▽ ̄;)!! オハヨウ!               
新しいブログを二つ開設した。一つは、このHP上に貼り付けてある海外旅行の写真ブログ。
  (字数の関係でカット 09年07月16日)
・・・・・・・
2005年07月16日(土)
1565, 新潟駅周辺再開発が動き出す
ここにきて、新潟駅再開発が本格的に動き出した。昨日(7月15日)、近くの市民会館で住民説明会
が開かれた。一時間あまりであったが、400人位が来ていた。同じ内容で、この数日で6回も開かれるという。
当社のホテル4棟のうち2棟が駅東線道路の拡張に引っかかり、更に200坪の駐車場が明石紫竹線道路に
面していることもあり、このプロジェクトは非常に大きな要素を持っており、ホテル事業に大きな影響を与える。
丁度、ホテル建設から10~24年経っており建て替え時期になっているので、プラスになるだろう。また工事が
始まると工事関係者の宿泊に多大な影響をもたらす。10~30パーセントのアップが見込める。(朱鷺メッセと、
至近の東横インの入っている再開発ビル工事で実証済み)総事業費が1445億というから、新潟市にとっては
巨大プロジェクトになる。この事業構想から13年も経つが、やっと具体的な動きになってきた。年度内
計画決定を目指すという。事業完成目標は平成25年というから、決定をすれば工事は急ピッチになる。
 今までの大きなプロジェクトとして
ー県事業として
万代島再開発事業で  290億円     ・サッカーの新潟スタジアムに 300億円
ー市事業として
・市民芸術文化会館の建築費  180億円  ・市民病院建設費   220億円
 等々である。これに比べても、この1445億円の開発の大きさは新潟市レベルからみて大きいことが解る。
内訳として
・立体交差事業に  707億  
・駅周辺整備事業として 738億(鳥屋野線・85億 駅西線・85億 駅東線・129億 明石紫竹線・12億)
(字数の関係でカット 10年07月16日)
・・・・・・・・・
2004年07月16日(金)
 1200, ロマン・ロラン
 ー哲学についてー16
(以下、字数の関係でカット2008年7月16日)
・・・・・・・・
2003年07月16日(水)
833, 孤独について ?2
 以前も書いたが(あとでコピーしておきます)、再び孤独について書く。経営者は孤独でなくては
ならないとか、孤独であるという。特に創業は独に徹しないと、甘さが生まれてくる。山の中の孤独
というより、街の中の孤独である。街の中の孤独とは自分と他者の間にラインを引くことである。
お互いの距離をおくことである。
 ある本に孤独を「六独」6つに分解して、説明をしていた。
1 独想  2 独学  3 独行  4 独遊  5 独創  6 独楽
 これが出来るようになるには強い意志が必要だ。創業を何回か経験をすると深い孤独の経験をする。
独り着想と構想をねり、その為の情報を集め、分析をして決断、たった独りで嘲笑のなか行動開始、途中から
ゲーム化をして遊びまで高め、創りあげる。そしてその起承転結を楽しむ。しかし実際はつらい孤独業である。
つらさと楽しみは裏表であること知る。二代目が失敗をするのは、この孤独に耐えられないためである。
孤独に耐えるためには、宗教が必要である。日本人が平気で自分は無宗教と答えるが、グローバルで
見たときとんでもないことだ。欧米では自分が気違いだと言っているに近いことになる。
スモールS (多神教)の集まりを宗教観を前提で答えていることを、自覚していない為である。
                   ーつづく
・・・・・・・・
2002年07月16日(火)
458,一期一会
 以前にも書いたが、旅行の楽しみの一つが色々の人と会えることである。 それも字のとおり
「一期一会」である。 殆んどの人が初めて会い、2度と会うことがないことが解っているから、全てを
曝け出し、そして別れていく。「天国?に行く途中の舟で一時隣り合わせた人たち」に喩えることができる。
平気で自分を曝け出せる場でもあり、人生の学問の場でもありうる。お互いの人生の通知表を見せ合える場
であり人生の決算書を携えて来ているともいえる。 色々な人生があるものとつくづく思う。遠藤周作
「深い河」というインドのツアー参加者のそれぞれの人生を描いた小説があったが、正しくそれである。
直にそれを見れるのも、一種独特の圧縮された社会がその期間に形成されるからだろう。特に秘境系のツアー
には濃い人生を生きてきた人が多い。 私のように人間ウオチャーにとって、最高の観察ができる場でもある。