学生時代からインドのカースト制の露骨な差別社会を聞いていた。
で、あまり行きたくない国だったが、ペルーの山中で、軽い高山病になって、
3人が途中でダウン、一時間ほど帰りを待つ間に、互いに行ってない旅行先
の情報の交換をしたが、その一人のお勧めが、インドだった。
 『あまり気がすすまない』という私に、『もし、旅行道という言葉があると
すれば、インドだけは欠かしてはならない!』の言葉が、妙に説得力があった。
 当時の会社の取引先に‘一人旅’が好きな人が二人いたが、そろって、
インドの素晴らしさを話していた。特にガンジス川の日の出をみて人生観が
一変してしまったという話が妙に頭に残っていたこともあり、インド行きを
決めたが、成るほど、そのとおりだった。妙に懐かしさは仏教国もあるが、
湧き出るような群集と、牛と乞食などが、街中で屯した雑然とした社会の
真っ只中に投げ出された感覚が、これまで経験したことがない世界だった。
私たちの社会でも露骨な差別社会があるが、一応、表立って隠されていて、
誰もが見て見ぬふりをしている。 国際線の機内は、それが集約され
露出されているが、まだ、値段の差と、割り切ることが出来る。
 子供の頃から、家柄、成績順、容姿で、格付けされ、進学するにつけて、
さらに、その格差が広がっていく。 社会は矛盾に満ちている。 今さら、
身の上を嘆いても仕方がないが、せめて知識の蓄積をしなければ!
 ー まずは、帰国直後の旅行記の幾つかをコピーする。
http://news.sina.com.cn/s/p/2010-08-23/074820954155.shtml
――――
2002/10/30
ある逸話ーインドで見たこと

インドの空港で帰国の時である。修行僧のいでたちの男、杖一本を
つきながらやって来た。素足で身に付けているののはパンツ一枚である。
それで飛行機に乗ろうというらしい。急を聞きつけた警察が数十名が周りを
取り囲んだが誰も手を出せない。空港の制服の女の人が間に立って説明をして
いるが、どうしても折り合わないのだ。パスポートも持たないでパンツ一枚で
国際線に乗ろうとしているのだ。

恐らくカースト制で身分が高いのだろう、素裸の男の態度がでかい。
大声で入国査察官を怒鳴りつけているのだ。状況から、恐らく「神の指示で
乗れといわれたのに何故乗せぬ!」と言って、強引に搭乗しようとしている
ようであった。最後の結末をみないで飛行機に乗ったが、インドの社会を
最後まで見せ付けられた出来事であった。

インドは普通の感覚では考えられない身分社会なのだ。牛が堂々と
街を我が物顔で歩いているのだ。宗教上で神聖な生き物なのだ。

以前にも書いたが、20%のある階級は餞民で人間とみなされない。
交通事故死でも警察が取り合わないという、牛なら騒ぎになるが。
実際その経験談を読んだ事がある。同乗した車が餞民を轢き逃げしたが、
その後新聞でも何も載ってなかったとか。轢いた本人も犬を引いた程度
としか思ってなかったのに驚いた、と書いていた。まあ凄い社会である。
一度はこういう社会を見てみるのも必要な事だ。

*4年前に書いた文章をコピー。
――――
 H1011 インド旅行記 ー私のみた北インド 

“インドとは...”など滞在一週間のツア−では表現できない。
面白いほど多様な国である。まず印象を列記してみよう。
� 汚く、臭く、多種多様な人種、動物が“ごった煮”されている国であった。
映画の“深い河”や二本のTVドキュメント、本は五冊読んで実際行ってみて、
ここまで貧しく、奇異に感じるとは!

� 大部分がバスの異動であったため、点というより線でインドを見れた。
“街の生活”や“田舎の街道”よりみた地域ごとの暮らしが印象に残った。
小さな節穴より垣間見た程度であったとしても沢山の事を見て、
感じ取ることができた。

� ヒンドゥ−教の聖地ベナレス。生まれて初めて見た“美しい日の出”
その日の出がガンジスに反射する陽光!そこでの聖なる沐浴の光景!
三千年前とほぼ変わらぬ宗教的行事という。その岸辺での火葬の情景!
帰りの道すがらの物乞いの一団。ふと気づくとライ病の集団に一人囲まれていた。

� インドの2/3が最下層に属し、ほぼ乞食に近い生活をしているといって
オ−バ−でない。野良犬、野良牛、野羊と全く同じ感覚で一緒に生活している。
日本の80%が中流意識とは対極にあるといってよい。
帰ってきて今でも日本が逆に奇異にさえ見えてきた。
−完璧すぎる平等と潔癖症。そして豊かさが。

� インドはヒンドゥ−教とカ−スト制を抜きでは理解できない。
おおよそ4階級に身分制があり、皮膚の色により白系(一億人)、
赤系(一億人)、黄色(一億人)、黒色(四億人)に分類されている。
我々が街で目にするのは最下層の人たちが主で、動物並みにしか上層の人より
見られておらず、本人達もそう思いこんでいる!
(ヒンドゥ−教の教えがその裏付けされている)。
白色ほど身なりがキチッとしているのは私達でさえ判断できた。
レストラン、ホテルなどそれぞれ決まっており、決して違う層は入れない。

・・・・・・
2007/08/15
2325, ベナレス −1               
                  ー読書日記ー
図書館から何げなく借りてきた本だが、一時間もしないうちに読んでしまった。
写真が半分以上だったこともあるが、死の世界が剥き出しになっている。
この本はTVの放送内容を本にしたもので、TVの映像を切り取った写真と
文章を中心に構成されている。実は数年前に、この番組をみていたのである。
本を読み終わってから思い出したのだから自分でも呆れてしまった。
早く読めたのも、その下地があったからである。
 ーー
著書もTVも、「NHKスペシャル アジア古都物語」
 ―ベナレス 生と死の聖地 ーである。
<その内容の一部を抜粋してみる>
 −−−
インド各地から遺体が運ばれてくるガンジス河中流域、
ヒンドゥーの聖都ベナレスのレポートである。
その中で、ガンジス川で沐浴をする誰もが言う。
「ベナレスで荼毘に付されれば必ず天界に行ける…」と。

全国から車やトラクターで運ばれてきた遺体は、路地を抜けるために
屋根から降ろされ、人びとの手によって担がれ火葬場へと向かう。
「ラーム・ナーム・サティヤ・へー、ラーム・ナーム・サティヤ・ヘー」
(神様だけが真実である、神様だけが真実である…)
担ぎ手たちはこの言葉を繰り返し口にする。こうして冥福を祈られながら、
やがて遺体はマニカルニカー・ガートと呼ばれる火葬場に到着する。

聖地ベナレスでもっとも聖なる場所の一つであるマニカルニカー・ガートは
ガンジス河をのぞみ、街の中心部に位置する。その歴史は数千年におよぶと
伝えられている。河に面して横長に伸び、その広さは五十mx二十mほどで
あろうか。焼き場は何もないスペースがあるだけで、多い時にはここで
十数体の遺体がいちどきに焼かれる。

ベナレスには二つの有名な火葬場があり、
・一つは街の南にあるハリシュチャンドラ・ガートという火葬場で、
・もう一つが、ガートが連なる河岸のちょうど真中あたりに位置する、
 このマニカルニカー・ガートである。
運び込まれてきた遺体は、まず、火葬場の中ほどにあるガンジス河へと
つながる階段を下り、ガンジスの水に浸される。そして組み上げられた
薪の上に安置され、そのたび油が注がれる。茶毘は伝統的な方法で行われる。
亡くなった人にもっとも近い親族の男性が喪主を務め、基本的に女性は
火葬場に立ち入ることはできない。喪主は、マニカルニカー・ガートに
ある床屋で髪の毛やひげをそり、白い装束を身に付け身を清めた後、
自分の父親や母親の亡骸に最初の火を自らの手で灯すのだ。

遺体が燃え尽きるまでの時間は、おおよそ二時間。
その間遺族は、焼かれて行く遺体から五、六メートルほど離れた場所で
肉体が消滅して行く姿をじっと見守り続ける。目の前にはガンジス河が流れ、
煙は何物にも遮られることなく空へと昇って行く。
聞こえてくるのは薪がはぜる音、人びとのささやかな声、
そして、遺体がまた運び込まれたことを告げる
「ラーム・ナーム・サティヤ・へーレ」という声である。

しかし、なぜこの街には、インド各地から遺体が運び込まれてくるのだろうか。
この疑問に対して誰もが"何故、そんなわかりきったことを聞くのだという
ような顔をして「この街で茶毘に付されれば必ず天界にゆける。そう信じて
いるからだ」とこたえてくれた。
ヒンドゥー教では、人生は「生老病死」といった苦しみに満ちていると
考えられ、そして生まれ変わるたびに、その苦しみを味わわなければならない
とされている。この考え方は、仏教にも影響を与えた「輪廻」という思想。
この「輪廻」の輪から抜け出ない限り魂の平安は未来永劫に訪れない。
こうした考えを信じる人びとにとって、ベナレスは生きることの苦しみ
から抜け出させてくれる救いの場所なのである。
遺体が焼かれた後、遺灰は目の前のガンジス河に流される。
最後に喪主の手で残された遺灰にガンジス河の水がかけられる。
こうして死者との別れの儀式は終わる。
ーー
以上のような文章と、写真が半々位で本が成り立っている。
しかし、読んでいても暗さがない。
いや、あるが、その先に明るさを感じるのである。
本の写真に死ぬ直前の人や、死んだ人の顔が次から次と出てきても、
何故か静かに見ることができるのである。
死を、ことさら大げさに見ることの方が寧ろおかしいのである。
                        つづく
・・・・・・
2007/08/17
2327, ベナレス −2
           。っω-)..。oо○(゜+。ぉレ£∋ぅ゜+。)
インドは強烈な印象の国であった。帰路の飛行場に着いたとき、実のところ
ホッとした。聞きしに勝るインドという国の文化に、良きにつけ、悪きにつけ
ショックであった。ヒンズー教カースト制度、貧しさと豊かさ、タージ・
マハールなどの霊廟や城、ガンジス川とベナレス、そして古代から現代
までが入り混じった社会。日本の日常とは全てちがっていた。

その中でもべナレスの街とガンジス川の沐浴と、舟からみた二ヶ所の火葬場。
ガンジス川からみた日の出。ガンジスの火葬場周辺にいる修行僧の顔と眼。
そして我が物顔で歩いている牛。そしてライ病の集団の物乞い。幼女の乞食。

この本ではベナレスの「死を待つ館」の数家族がありのままを映しだしている。
生死、貧しさも豊かさ、差別も、その全てがリアルにそのまま露出されている。
それが日本とは対照的なのである。
人生の折り返し地点を越えベナレスに引っ越してきた老夫婦や、老齢になった
ことで自らべナレスの僧院などにやってきた人びとなど、死期を間近に感じる
前に移り住む人もいる。

この街は「死を受け入れる街」として永年をかけて奥行きを広げ、
深さを増している。インド各地から運ばれてくる死体は多い時で100体。
また家族や、死者の灰をガンジスに流すために訪れる人も毎日数千人もいる。
なかには郵便で灰が送られてくるケースさえあるという。
ここは死者の為の街であり、その準備の為の街である。

ここの「死を待つ館」の人に、「死ぬのは恐くないですか」と聞いても、
「どうして怖いことがあるのか。ここは寺院もあり、ガンジス川もある。
この街が私を呼んだのだ」と答えて、平然としている。彼らにとって、
ここでの死は誇らしいものであり、ここに連れてこられること、
その家族にとっては、連れてくることが喜びなのである。
 死が喜びとは!素晴らしいではないか!
                        ☆ァディオス☆(`・ω・´)ノ
・・・・・・
2007年09月08日
ベナレス−5
  ー多様なるインド世界ー
インドは日本のおよそ九倍にあたる三二九万平方キロメートルの面積を持つ。
これは西ヨーロッパの面積にほぽ等しい広さである。
そこに現在十億を超す人びとが暮らしている。
多言藷・多民族の国家であることは言うを待たないが、宗教もまた多様である。
古代から育まれてきたヒンドウー教のほかに、仏教やジャイナ教が紀元前五世紀
頃に相次いで生まれた。紀元後ほどなくしてキリスト教が伝わり、ハ世紀には
唯神アッラーを信仰するイスラーム教が本格的に到来した。
またヒンドウー教とイスラーム教双方の教義を批判的に融合したスィク教も
十五世紀に興起する。
ヒンドゥー教と仏教は輪廻や解脱の思想を共有する、いわば兄弟のような
ものである。兄たるヒンドゥー教は古来からの儀礼やしきたりを守つてきたが、
そのためさまざまな迷信や俗信をも抱え込むことになった。一方、弟の仏教は
そういう兄を理詰めで批判し、外の世界に広がっていったが、インドでは
十三世紀にイスラーム教徒の仏教僧院破壊を機に、すたれてしまった。
仏教がインドで復活するのは二十世紀半ばのことである。インド亜大陸では
現在でも宗教問の争いが絶えないが、それは主として政治的不安定に起因する。
庶民は心の底から平和を祈っているのである。
ーーーーー
解)それにしても、3千年前にアーリア人がインドを征服した時に、地元民
との混血が、自分達の存在を脅かすと考え創った物語が三千年の時間をかけて
白・赤・黄色・黒の人種の垣根をつくり、それぞれ交わることなく現在に至って
いる。そして、今でも露骨な人種差別ーカースト制度ーが社会を支配している。
人間は平等です? そんなことは有りえない!それはあくまで奇麗事というを、
インドの社会が正直に露出している。考えてみれば平等などあるわけがない。
それを実現しようとした社会主義こそ、そのウソ、建前を知らなかったのである。
優勝劣敗は哀しいことに、世の習いである。

・・・・・・
2007/04/16
2204, ベトナムとインドの「交通戦争」
          おはよう!♪〜 ヽ(´π`)ノ
ーインドの追い越しー
外国に行くと、思わない文化の違いを見ることがある。その一つが交通事情。
インドの都市間をバス移動の時、対向車線の車が追い越しのため、進路から
正面に向かってギリギリのところまで迫ってくるあわや正面衝突!と、
思わず目をそむけてしまうほど危ない。彼らにとってそれが日常のため、
国道沿いには数キロごとに衝突の車を見かける。

慣れていない日本人は見ていて気分が悪くなり、町から町への移動の国道では、
誰も前の席に座りたがらない。沢木耕太郎の「深夜特急」という本の中で、
インドからパキスタンへの移動の高速バスで、その恐怖を書いていた。
実際に自分が体験をしてみて、これほど恐ろしいとは知らなかった。
それと中国のウィグル地区からパキスタンへのカラコルム・ハイウェーの
断崖の砂利道の暴走運転の恐怖を思い出した。
明らかに我われ日本人をカラカッタ運転だった。
その手の話題はいくらでも話題は出てくる。
ベトナム交通戦争ー       (略)

・・・・・・
2006/08/30
1975, 写真家はインドをめざす
              ー読書日記 \(^▽^*)おは!                     
インドを精通する写真家14人が描いたフォトエッセイが、
この1冊に凝縮してあり、読んでいて魂まで吸い込まれるようだ。
この本、この数年で5〜6回は図書館で借りてきては返している。
読めば読むほどに何とも魅力のある本である。いや本が魅力がある
というより、インドの地と、そこに住む人々の混在した多様性にひかれる。

カルカッタマザー・テレサの建てた「死を待つ家」。
路傍でまるでゴミのように死んでいく身よりの無い人々が、せめて屋根の
ある家で死んでいけるように建てた家の死を待っている老人達の写真を
冷静に撮ってあるもの。
 ・物乞いのライ病患者や、駅の隅で転がっている少女の死体?
 ・河の辺で焼かれている燃え上がっている死体。

インドをドック・アイの視線でカメラマンの目は鋭く一瞬を抉り撮っている。
白黒の写真が、むしろピッタリである。一人当たり7〜8頁の文章と、
10枚位の白黒写真がその文章の後にある。画家や写真家のエッセイは何故、
ここまで優しく鋭く人の心を捉えるのだろうか? 恐らく、一瞬の被写体
の中にある本質を見抜く感性が私たちの心の奥の共感を呼び起こすからだろう。
この本のトップの日比野宏の出だしの文章から、対象を鮮明に表現する。

チャイ屋で一服するのが、インドの楽しみである。
土蔵のような店の天井に吊り下げられた扇風機が、
湿気の無いヒンヤリした風を送ってくる。何げなく帳場をみると、
ゴキブリが油で揚げた菓子の上を通過し、ネズミが茶碗の周りを這いずり回る。
隣の男が茶碗にハエが入っていると怒ったら、店の主人が平然とした態度で、
スプーンで取り除いた。ハエや蚊は空気の成分と同じだという感覚が、
この土地で生活する条件の一つかも知れない。インドに入国してから
一週間も経ってない私だが、その状況に少しずつ慣れていった。
 −
という具合で、もう自分がインドの茶屋で、
お茶を飲んでいるような錯覚に陥ってしまう。

また7人目の「インドに想う」−鎌澤久也の写真も、文も素晴らしい。

カルカッタといわずインドは楽しかった。人と動物が一体となり、
平等な姿で共存するインド、大通りに牛が寝そべり、交通の妨げに
なっても、決して文句を言わないインド人、ヒンドゥー教においては、
牛は神聖視されているからなのだろう。

しかし、乞食に堂々とした態度で、お金をくれといわれたのには
ビックリ。いまだに残っているカースト制度に起因をしているのだろうが、
君はお金を持っているのだから、持っていない自分にお金をくれる義務
があり、自分は貰う権利がある。確かに理は通っているが、いまひとつ
納得がいかない。・・・それはそうと、ある夜、デリーの安宿で、屋上
から街灯で浮かび上がる街並みや、華やかな通りを眺めていると、
見るからに長期旅行者といった、20代後半の男性から、
「人生とは何でしょうか?」と、突然話しかけられた。
ウ〜ンと私はうなってしまった。
  ーーーー
「写真家はインドをめざす」
         青弓社(共同 著書)
なぜインドを撮るのか。混沌、喧騒、氾濫――。
人々は渦を巻き、聖なる河はすべてのものを飲み込む。
写真家というフィルターを通して切り取った凝縮のインド、悠々の営み。
(カバーのコピーより)
 ▼目次
1 インド合掌  日比野宏
2 旅と写真とその理由  青柳健二
3 インドへ、その向こうへ  富張佳子
4 サドゥ  石川梵
5 マルチサーカス  三浦麻旅子
6 ドッグズ・アイの旅  小野寺誠
7 インドに想う  鎌澤久也
8 ブッダロードに微光を求めて  永橋和雄
9 サドゥとともに  栗脇直子
10 死を待つ家  松本栄一
11 幕のない劇場  武藤滋生
12 「水に祈り、水になる」  伊東恭介
13 インドの宗教空間のなかで  田村仁
14 インドで写真を撮る  山田和
▼著者プロフィール
日比野 宏(ヒビノ ヒロシ)
 ●著…1955年、東京都生まれ。
 最初はファッション写真をめざしていたが、80年代後半より、
 アジアを中心とした旅が始まり、写真と文章の本を出していく。
 ー出版物に
『アジア亜細亜――無限回廊』『同――夢のあとさき』(講談社文庫)、
『エイジアン・ガール』『快!撮!アジア旅の写真術』(新評論)、

・・・・・・
5162,閑話小題 〜ペプシパラドックス
2015年05月03日(日)
  * ペプシパラドックス
ペプシパラドクス」なるものがある。コカコーラとペプシコーラの区別が
わからないようにし飲み比べると(ブラインドテスト)、「ペプシコーラの方が
よいとする人が多いが、実際に売れているのはコカコーラ」というパラドクス。
ブラインドテストでペプシが勝つのは、ペプシの方が甘いためとも言われる。
私が実際に目に触れる広告は圧倒的にコカ・コーラマインド・コントロール
されているため。マヨネーズも、「キューピー」だけ。味に慣らされてため。
   * 新潟駅前のホテルの状況は?
 昨日、家内が新潟の絵画展覧会に行ったおり、『列車から以前、経営していた
ホテルの斜向いの「グリーンホテル」が更地になっているのが見えた』と言う。
当初、40室だった客室を、10数年前に76室に増築したが、ネットによると、
2012年末で経営続行を断念したようだ。倒産の話は聞いてないので自主廃業か。
新潟駅再開発の道路拡張工事に引っかかっていたが、その延期で、維持しきれな
かった? 私は4年前に売上の激減で事業続行を断念をしたが、
三者が経営を同じホテル名で続けている(代がわり)。 その事業物件が
相場の半値八掛で、役員のカットで、更に値引き攻勢を目前でかけられれば、
これは当然の結果。その直撃を受けているホテルが、あと一つあるが、貸ビル
部門で何とか息をついているようだが、駅周辺に三棟もあるため厳しいだろう。
去年、地元の政治経済を対象にした雑誌社から、電話インタビューがあり、
『あなたのホテル事業断念は、駅前開発の道路拡張工事の延長のためですか?
その対象の地権者から、悲鳴が上がっています。』との内容。 
『いえ、リーマンショックによる、売上激減のため』と返答したが、実際は、
持続限界は、あと一年。 ところで、「あの地区の道路拡張など必要ない」
といえば、ない! もう、他山の石のことになる。 
・・・・・・
4797,閑話小題 ー倒産よもやま話 
2014年05月03日(土)
  * 苦悩の時間的推移
 この節目の一連の精神的苦痛の実感は
「 �痛いー> 
  �痛・哀しいー> 
  �痛・気持ち良い(痛みに慣れる)ー> 
  �痛・面白い(立場を客観視できる)」へと変化している。 
 もちろん七転八倒をした上のことだが・・ 
 私のすぐ上の姉の連れが20年前に亡くなった時に、葬儀の席で、一まわり
以上年上の従姉妹が、姉に『私の経験からみて、三年で哀しみは消えるよ!』
と慰めていた。 時間が解決する『時間薬』である。 
 青年期からの節目(挫折)の苦痛の経過を振返ると、大よそ上記の経過を
たどったが、大たい次の障害への取組で、それらが消えていった。前向きに
生きることが、如何に重要かである。そして、最後に、その痛いが無くなり、
「ああ、面白かった」だけが残るなら、ハッピーリタイアよりは良い? 
肯定的に捉えれば、それを境に全く違った新世界が開けることになる。
その世界からみると、節目前の自分が、何とも滑稽に思えるもの。
新しい自分の再生が、何とも奇妙な感覚である。「泣いても笑っても同じ空」
で、笑ってきたが、泣きが不足していたのだろう、私には。母親から聞いた話が
耳に残っている。 『小姑の虐めに、耐えられず実家に帰ったところ、母に
〈シッカリしなさい!一番辛い時が人生で一番良い時なのよ〉と励まされた』と。
見方によれば、この3年間が、私の人生で一番良い時? といえば、思い当たる
フシもある。いや、サホド辛くもなかった?どうだろう? 少なくとも、人生で
一番、内省できたことと、解放感があったことは事実。本当に精神的苦痛なんど、
あったのだろうか? それからも、解放された? 成るほど、人間は少しハンデ
を負って、《痛》が、頭に残っていた方が良いのかもしれない。
どの道、10年後には、8.9分は存在していないのだから。苦悩も、
解放も、知的欲求も、感動も、感謝も、至高体験も、生きている今のうち。
・・・・・・
4430,「死ぬのが怖い」とはどういうことか −2
2013年05月03日(金)
 * ルート1 心が幻想だと理解する道(脳科学の道) 
          ー「死ぬのが怖い」とはどういうことかー前野 隆司著
信長が、幸若舞の演目のひとつの「敦盛」を好んで舞っていたが、そこには、
「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり 一度生を享け、滅せぬ
もののあるべきか これを菩提の種と思ひ定めざらんは、口惜しかりき次第ぞ・・」
という詞章があり、織田信長がこの節を特に好んで演じたと伝えられている。
人生振り返れば全てが夢幻。 その辺りを以下のように述べている。
 ≪ 古くは進化論で有名なダーウィンが、感情は基本的に「幸福」「驚き」
「恐怖」「怒り」「悲しみ」「嫌悪」「軽蔑」の七つから成ると述べている。
また、心理学者エクマンは、表情から見た感情には、「幸福」「驚き」「恐怖」
「怒り」「悲しみ」「嫌悪」の六つがあるという。軽蔑を感情に含むかどうか
だけが異なるが、あとは同じ。「幸福」が感情だというと日本語ではやや
不自然な感じがするかもしれないが、「ハッピネス」を「楽しさ」と訳さずに
「幸福」と訳したと解釈すれば、違和感はない。ちょっと驚くのは、ポジティブ
な感情は「幸福(楽しさ)」だけで、他の五つないし六つはネガティブな感情と
いう点だ。ああ、人間のポジティブとネガティブは、なんて非対称なんだろう。
いずれにせよ、恐怖=怖さ。人間は、怖いという感情を持つ。ちなみに、
恐怖に限らず、あらゆる感情の記憶はすべて大脳辺縁系に蓄えられている
といわれる。このため、大脳辺縁系は心の中心だという人もいるくらいだ。
 ・・もし人間に感情が無かったら、人間社会は、ロボットの集団、ないしは
アリの集団のように、ただ役割分担をし、ただ生きて死んでいくような、無機質
な社会だったに違いない。・・・シマウマの群がライオンに襲われたとき、
一匹が犠牲になる。それはお布施と同じで、一匹の命をライオンに提供している
のだという。あたかもお布施のように思えるシステムが、種と種の間の調和の
ために成り立っていることは、進化の当然の帰結だと言うべきだろう。・・
要するに、生物種は、個体の死へのセンチメンタルを超えたダイナミズムに
よって進化を遂げただけ。それだけのこと。≫ 
▼ 一人称の死は存在しない。死んだ瞬間、無になるからだ。あるのは二人称と
 三人称の死しかない。怖いというのも感情の一つなら、心=感情は幻想と理解
すれば、死は恐ろしくないはず。固体の死への感傷を超えたダイナミズムが猿から
 人間に進化させたのだ。一人称の私の死など、真面目に考えることはない、
ということ。死ねば幻想が抜けたゴミでしかない。逆に、夢幻こそ大事にすべき
といえる。小説、映画、ドラマ、コミックも作者の創作という幻想。だから面白い。
・・・・・・
4056, 個性など、どうでも良い。的を絞った意欲と根気だけ!
2012年05月03日(木)
 * どう騒いでも、われわれは集合体の一部なのだ     
         ー 「人生を励ます黄金の言葉」中野孝次著 より
≪ 結局のところ、なにをどうしてみたところで、われわれは集合体なのだ。
 なぜといって、純粋な意味で自分の所有だといえるものなぞわれわれはごく
わずしか持っっていないのだから。われわれはみな、先人からも同時代人からも
受け入れて学ばねばならないのだ。どんな偉大な天才でも、なにもかも自分の
内部にたよろうとしたら、大したことはできないだろう。(略)
要するに、自分の内に持っているか、他人から得るか、独力で活動するか、
他人の力によって活動するか、こんなことはみな愚問。大事なことは、大きな
意欲をもち、それをやりとげるだけの技能と根気をもつことだ。それ以外は
どうでもいいことなんだ。 ≫  エッカーマンゲーテとの対話』
▼ 我々は何らかの形で人類の蓄えられてきた文化遺産の一分野にいるのであって、
 それから一歩も出ることが出来ない、ということになる。一歩出たところで、
それも際の範疇でしかない。そう思えば、あくせくすることもない。そのことに
気づきてしまえば、後は楽。個性とか、自分になるとかは、他と違うことを
なしうる能力に求めがちだが、本当に必要なのは、強い意欲を持って、やり
遂げるだけの根気。アランは『教育論』で、発明や、一般に天才とよばれて
いるものについて、長い間の勉強のあとでなければ出てこない、と述べている。 
個性など、その後の話でしかない。好きこそものの上手なりで、好きだから
こそ、辛抱づよく続けることが出来る。それを誤って才能と誤解してしまう。
 一人一人が意欲をもち、やりとげる技能と根気をもち努力するしかない。
他人と比較することもない。要は意欲と根気だけ。
 で、根気を持って、これ続けています。
 ・・・・・・・
3690, この随想日記も、まる10年か〜
2011年05月03日(火)
 今日で、この随想日記がまる10年、我ながらよく続いたと驚いている。
10年は大きな節目、今後どうするかである。これで自分の全てを出し切った
思いがある。あけすけに脳内を公開しているようなものだが、これを続けた
おかげで自分の中に、一人の記者の目が出来たようである。その結果、世界の
見方が変わってしまった。 いや世界そのものも大きく変わってしまった。
書き続けるために、常に数回分の文章を書きためておかなければならない
プレッシャーは大きい。が、それを逆に楽しむ面白さもある。
「一度でも休むと、もう二度と書き続ける気力が無くなるのでは」
という恐れが続ける後押しをしてきた。振り返って読んでみると、ここで
書いてきたことが私の限界線でもある。 一番のメリットは数年分の同月
同日の文章を毎朝、読むことが出来ることである。過去の痕跡の文章を早朝、
読み返しているから10年続いたのかもしれない。それと、「何人かの知人が
読んでくれている」という実感があることである。それと書き続けることで、
否が応でも常に読書を自分に強要できることである。 この10年で、
私の人生の支柱の一つとして残すことが出来たのは大きな収穫である。 他にも、
・最後は、こういう結果としても、四十年近くの事業の起承転結と、
・50回近い秘境ツアー、・そして10年間続けた随想日記。
・それと、好きな酒と肴を思い残すことなく、飲み食べたこと。  
・それと読書を十分にできたことなど、思い残すことはない。
そうこう考えて、これから続けるかどうか、止めれば張りが無くなるし、
続けるのもシンドイし・・「力を半減して、当面、続ける」が、現在の答え? 
・・・・・・
3325, やりたいことは三千五百万円もあれば
2010年05月03日(月)
 ー「知の衰退」からいかに脱出するか? ー大前研一 (著) −2
  * やりたいことは三千五百万もあれば・・・
・「死ぬ時に、楽しい人生だった」と言えるには、したいことは全部やった
  と思えること。
・ そのための金額は普通の人なら三千五百万もあれば殆んど実現できる。
  葬式代は350万もあれば充分。自分で葬式の手立てをしておけば三分の一
  で可能。(120万を前提に葬儀屋を何社か呼んで手はずを組んでおくこと)
・ 「漠然とした不安感で貯めておいた金を、この世に置いて後悔だけを持っていく」
 これが日本の大部分のバカな老後の姿である。 要は、考えてないからである。
▼ 以上のことは大前研一でなくとも私でも思うこと。要は考えないから。
 40歳の時、良い悪いは別にして「年間1000万は使い切る」と決心。しかし
当時、10歳前後の子供がいて大学を卒業するまで10数年は、それほど贅沢を
出来る金額ではなかったが、それでも年二回は家内と海外ツアーに行き続ける
ことが出来た。海外旅行代は総額3千万前後だろう。一点豪華主義?である。
月にすると10万になるが、普段の生活で節約をしていたので、使いすぎた
という感はなかった。その御蔭か満足した後半生を過ごしてきたと思っている。 
これまで46回のツアーに行ったが、これを、これから始めることは時代背景と
年齢を考えると無理。「べき時に、べき事を、べくすべき」を実行していて
良かったと満足をしている。したがって老後の心配は殆んどない?。三千五百万
といえば大金である。しかし家を売却して貸家に入っても「やりたいことを、
すべき」と思うが、いざとなると、これが出来ないのも分かる。
それぞれの事情があるから、これ以上は言えないか。もし何とか可能なら
40歳から100万×35年間で、不可能でもない?。無理?なら、50万は?
それも無理?月に4万の積み立ても無理? その前に、まず「自分は本当に
何をしたいのか」考えなくてはならない! で、ないと「漠然とした不安感で
貯めておいた金を、この世に置いて後悔だけを持っていく」ことになる。
そういう思いで、歳をとってから秘境に来ていた人と出会ってきた。それを
実感したので、迷いなく実行できたのである。 ーそれがどうした?って、
どうもしないが・・ くだらない自画自賛か! 宝籤を買うか!
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2950,人はどうしてオヤジになるか?
2009年05月03日(日)
 *『疲れすぎて眠れぬ夜のために』 内田樹著の
     《人はどうしてオヤジになるか》の問いかけが面白い。
この文章を読みながら( 私は「オヤジ」かどうか?)を内省してみた。 
オヤジといえば、オバサンである。現象に大きく左右され、考えることをしない
両性化した生き物。オヤジも長年かけて自分でつくりあげる生き物である。
常に自分の中で肥大化しようとしている化物として、監視しておかないと・・
 ー まずは、その部分から ー P・20
 人の誤解のうちに最も危険なものの一つは「不愉快な人間関係に耐える能力」
を人間的能力の一つと思い込むことです。その耐性はむしろ有害であり、命を
縮めることの方向にしか作用しません。「耐える」人の場合は、「耐えること」
が自己の中心にあります。それ以外のことは「耐えること」のために総動員
されます。「不愉快な人間関係に耐える」というのは、人間が受ける精神的
ダメージの中で最も破壊的なものの一つです。世の言う「中年オヤジ」という
のは、この耐えることが劇的に人格化されたものといってよい。会社で上司の
罵声に耐え、部下の暴言に耐え、クライアントのわがままに耐え、満員電車に
耐え、妻の仏頂面に耐え、セックレスに耐え、子供の軽蔑に耐え、巨額のローンに
耐え、背広の綻びに耐え、全身これ「忍耐」からできているのが「中年のオヤジ」
という存在です。 人生のある段階で、(たぶん、かなり早い段階で)不愉快な
人間関係に耐えている自分を「許す」か、あるいは「誇る」か、とにかく
「認めて」しまったのです。そして、その後、「不快に耐えている」ということ
を自分の人間的な器量の大きさを示す指標であるとか、人間的成熟の証しとか、
そういうふうに合理化してしまっている。蟹が甲羅に合わせて穴を掘るように、
人間は、自分でつくってしまったパターンに合わせて不幸を呼び込みます。
「不幸に耐えている自分」を「器量の大きい人間」と勘違いをしたら、
もうその後の「オヤジへの道」は一直線である。そういう人は不愉快な
人間関係だけを選択し続けることになります。本当にそうなんです。
▼ 以上だが、八割の人は、この「耐え人」の人生を過ごしている?
 自分の人生を振り返って、一番良かったことは何か?と、考えた時に、
「事業を立ち上げ、一度も営業赤を出さないで何とかやってこれたこと」
(今年度からは??) (字数制限のためカット2010年5月3日)
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2586, 日本の貧困率 ワースト2
2008年05月03日(土)       ヾ(´∀`o)+。才ノヽ…
 先日、Wowowで観た映画『しあわせの力』という映画。ウィル・スミス演じる
主人公が貧乏のどん底から成功者への階段を上っていく内容だが、その大部分が
「すべり台社会」を滑り落ちていく内容。リアルで他人事に思えない内容。
地下鉄のトイレや、教会の施設に並んで泊まったり、子供が一緒だから尚のこと
引き込まれてしまった。実話に基づいた内容だから、迫力があるのだろう。 
黒人のセールスマンが収入が無くなり、奥さんに愛想をつかれ子供を置いて
出て行く過程など現実的である。そして、最後はホームレスになる。
這い上がるのは無理という状況から主人公が成功を掴んだ要因は、
【息子への愛】と、どん底でも諦めない執念。何か身につまされる内容。 
人生で、何度もすべり台に立つ瀬戸際を経験した。一つの判断が致命傷になる、
それが創業ということ。 (字数制限のためカット2010年5月3日)