〜BRUTUSの「谷川俊太郎」ーノンセンス辞典〜
  
≪ ・【思想】= 思いつきの別名。その思いつきが新奇であればなおいい。
  たとえばひとりの子どもが、〈空は青くないよ、空は茶いろだ〉と言えば、
 あの子には思想がある、というふうに用いる。思想を体系化しようと試みたり
 思想に生命を賭けたりすることは、今日では邪道とみなされている。
 ▽ 思想を思いつきとは言い得て妙で、本来、そんな大げさなものでもない。
 カントの〈コペルニクス的大転換の『対象に認識が従うのではなく、
 認識が対象を従える〉も、初めは思いつきだったのだろうか? 
 過去、現在、未来の時間軸を入れると、直感でわかることだが。
・【文化】= 蝿が一匹もいないこと、または蝿が適度にいること、
 または蝿が無数にいてもちっとも気にならぬこと。
 ▽ 蝿がいるのは、それが発生する環境があるから、気にならないのは、
  慣れてしまうこと。それも文化?
・【前むき】=頭部を前方にむかって固定した状態。人によってその頭部が
 やや左へ、或はやや右へ傾くことがあるが、後さえふり返らなければ、
 三六〇度どの方向をとっても、前だと言える利点がある。
 ▽ 「前向き」の人とは、人生を振り返っても、慙愧の念に捉われない人。
  振返ると、そこには後悔することばかり、「今、ここ、私」の垂直の
 瞬間には前向き方が、遥かに楽である。
・【ミクロ・デス】= メガ.デスの反意語。メガ.デスは、他人が大量に死ぬ
 ことを意味するが、ミクロ・デスは、自分がたったひとりで死ぬことを意味する。
 ごく最近の新造語らしく、用例はまだ見当らない。
 ▽ 誰もが最期は独り、ミクロ・デスで終わる。孤独死は万人のもの。
・【わいせつ】= 写真、絵画等に描写された陰毛を、黒インク等によって
 抹消することにより、消滅すると考えられている人間の基本的属性。
 常に快感を伴っているが、快感を不快感とする事実誤認の例も少くない。
 ――
 ▼ 『狂気なしでは、何事も成し遂げられない』ーエヴァ・ペロン
   (アルゼンチンの政治家1919〜52年)の言葉がある。
 ここで思いついたのが、以下のノンセンスな言葉!
【創造】=創造をなす新しい着想は、既存からみたら狂気であり、
それを全身全霊で成す行為は己を凶器にする覚悟がなければ進まない。
〈創造は、狂気の着想を凶器になって体現すること〉というノンセンス
の言葉が成り立つ。その結果、<お前は一体、何をしてきたというのか!>
の後悔の念が苛むこと。一番の苦悩は「何も手ごたえがなかったこと!」
・・・・・・
4968,閑話小題 ー女のカースト制度
2014年10月21日(火)
   * 美人カースト制度
 先日のTVのトークショーで、ある女性タレントが、女世界の
「美人カースト制」の存在を話していた。言われてみれば成るほど! 
『女社会には、美しさの三角形をなしたカースト制があり、美人ほど、
その階層が高く、歴然とした序列が決まっている。美人は同レベルの人
だけで仲間をつくり、それ以外は仲間に入れない。入れると、僻み妬みが
入りバランスが崩れるため。』とか。女という生きものは、自分を引き立たす
ため、少し劣っている人を仲間にすると思っていたが・・ 女性職場の経験
からみて、思い当たる節がある話。特にギャルまでは、美しさが大きな価値
判断になる。それまで育ってきた過程で、彼女らには値踏みが付いてきたし、
自覚がある。美人かどうかは、両親からの問題(親の因果が子に報い)だが、
これは本人には、どうにもならない運命の問題。私の姉4人は美人系だったが、
顔と身体の均整が取れているだけで、それが何?でしかない。が、独身時には
うら若い女性となると、全く違って見えてくる。 初対面の女性同士はまず、
相手の年齢や服装や住所やバッグなどの持ち物から「相手のレベル」を察知、
自分に近いかどうかを判断してから付合い方を決めてくる。  
 女カーストには、他にマンションカースト、ママカースト
 ヒルカースト、キャリアカースト制度がある。
◎マンションカーストは、住んでいるマンションと、住んでいる階層で、
◎ママカーストは、旦那の社会的格付けで、
ヒルカーストは、そのヒルズ(丘の上の住民)のレベルで、
◎キャリアカーストは、職場などの、キャリアで格付けされる。
面白いといえば面白いが・・ 逆に超越さえしてしまえば、本当に楽なだが・・
それにしても、美人カーストの存在とは、面白い! で、往年の美女? 
その後、どうなった? 年齢でバランスを崩してしまえば、ただの?? 
だから、コンプレックス広告に引っかかる。バランス修正で世界が一変する
なら、韓国みたいに、どんどん整形すればよい! 即席で、化粧があるが、
見慣れてしまえば、皆、同じ。いや、そうでもないか? 
まあ、娑婆は面白い! 石も集まりゃ、砂利だが。
・・・・・・
4601, 読書という体験  ー3
2013年10月21日(月)
          「読書という体験」 岩波文庫編集部 (編集)
  * 読書欲のすすめ ――「本をものにする、これは快感だ!」齋藤孝
 前回の藤原正彦の授業内容がアップダウン方式に対し、斎藤孝は、読む本を
受講者自らが選び、直接、受講生同士が、情報を交換させる方式。一長一短が
あるが、融合も可能。 読書の質量を増やすに非常に効果的である。ーその辺りー
《 私は今、「読書しない人間撲滅運動」を展開している。といっても、
 明大の教職課程の授業での話だが、これがなかなかいい線まで来ている。
読書をしないのは、受講生約四百人中残り五人ほどになってきた。この場合の
読書しない基準は、一週間何も読まなかったというケースだ。一週間ごとに
何冊読んだかをチェックする。週二、三冊読む者も30%を超えるほどになった。
やり方は簡単だ。一週間に読んだ本をコメント付きのリストにして書いてきて
もらい、それを持って教室内を自由に動き回り、学生同士で情報交換をして
もらう。これは効く。教師が本をすすめるだけでなく、学生同士の方がむしろ
刺激が強い場合もある。大いに本を読んでいる人間と出会って話を聞くと、
自然に読書欲がかき立てられる。おすすめ本の情報交換は読書のきっかけづくり
にはもってこいだ。「本を読む読まないは個人の自由だ」と言う学生がいる。
私は、「本を読まない人間には教師になる資格はない」と言い切ることにして
いる。本を読み、勉強し続け、知識を得る喜びを常に味わい続けている者からは、
知識に対する「あこがれ」の熱気が発散される。それが生徒たちの向学心に
火をつけるのだ。私自身が、そうした読書好きの先生たちから多くのいい影響
を受けてきた。授業のはじめに、そのとき読んでいる本の内容を楽しそうに
紹介する先生がいた。本を律疏むことがどれほど楽しいことであるかが、
その話しぶりや表情から伝わってきた。本は買って、線を引きながら読むもの。
本は自分のものにすることが大事。全部読み切れなくても気にすることはない。
途中で倒れても、読んだことにしてしまう。とりあえず読書の目安は文庫百冊。
並行的に何冊も読みすすめる。スポーツと同じ。量が大事だ。人から借りた本
は本気で読めない。本が自分のものにならないと身を入れて読むことができない。
本を自分のものにしてしまうのだ。読んでいるときには微妙な判断力を働かせ
ながら読んでいるものだ。...》
▼ 一週間に読んだ本の学生同士の情報交換方式は、素晴らしい。ネットで、
 この直の方法を兼用すれば、更に良い。その点、私たちの時代より、現在の
方が遥かに知的レベルが上がっているはず? 各自に読書日記専用のブログを
持たせ、イントラバックさせれば良いが、教室内で、手書きで、自由に、直接、
交換するところがミソ。知人のブログは読みやすい、のと同じ。一二年間、
このブログが続いているのは、久々に会う知人が、思いのほか親しげに、評論し、
励ましてくれる要素が大きい。読んだ感想を文章化する効用は非常に大きい。
それも同級生同士はライバル心がある為、本の選定から、読み方、受け止め方、
すべてが変わってくるはず。少ないブログの愛読者の中で、誰かブログを公開
して欲しいが。何とか千回、続ければ病みつきになる。 底の浅さの公開は
勇気がいるが、所詮は、こんなもの、と開き直ればよいだけ。

・・・・・・
4226,雑談ネタ、酒の肴ネタ ー1
2012年10月21日(日)
 このー「ルーツ大全」、なかなか面白いエピソードで満ちている。
身の回りのあらゆる「モノ」「コト」の由来を、習慣から衣食住の由来を
面白おかしく取り上げている。まずは食品から取り上げてみる。
  * クロワッサンの形は、トルコ国旗の紋章         
             ー「ルーツ大全」インフォペディア編 より
 クロワッサンの形には、国家間の対立による深い経緯があった。面白いもの。
≪ クロワッサンの特徴は、なんといっても、あの三日月形だ。かなり独特の
 形だが、そのルーツは一七世紀のオーストリァとオスマン帝国(トルコ)の
戦争にあると聞けぽ驚くのではなかろうか。あの三日月形はオーストリア軍が
トルコ軍を退けた証である。一六八三年、トルコ軍がオーストリアの首都
ウィーンを取り囲んで攻撃していた時のこと。ウィーンはなかなか陥落せず、
業を煮やしたトルコ軍は、ある日の早朝、密かに地下にトンネルを掘り進めて
侵入をはかった。オーストリア軍は当初これに気づかなかったが、地下から
聞こえる怪しい物音をいち早く察知した人たちがいた。朝早く起きてパンを
焼いていたパン職代たちだ。パン職人の通報によりトルコの急襲を知った
オーストリァ軍は、敵の侵入を未然に防ぎ、ウィーンの町は救われた。
喜んだ皇帝は、パン職人に特別な権益を与えた。おいして、パン職人たちが
その返礼に献上したパンが、トルコの軍旗である三日月パンである。
その形には「トルコを食べる」という意味が込められていた。以後、三日月形
がクロワッサンの定番となっていった。ただし、そのころのクロワッサンは
まだ層状を成しておらず、サクサクとし食感ではなかった。その後、
オーストリアの皇女マリー・アントワネットがフランスへ嫁いだ時に同行した
パン職人によって、クロワッサンはフランスに広まり、一九二〇年代の
パリにおいて今のようなクロワッサンが完成した。≫ 
▼ 隣国が接している欧州では、民族対立による争いは根が深い。
トルコはアジアと欧州の境にあり、国旗の絵柄をパンの形にして、
それを食べるほど忌み嫌っていたことになる。ルーツを探していくと、
歴史に触れることになる。
・・・・・・
3861, スポーツジムの景色 −4
2011年10月21日(金)
  * スポーツジムで見えてくること
スポーツジムに行って一番面白いのは人間ウォッチングである。 
自分も、その一人だが、30歳から80歳以上の老若?男女で、何気なく見て
いるだけで面白い。 肥満、血糖値、40肩対策など、それぞれ事情を抱えて
いる人から、私のように健康を兼ねたレジャー目的の人など様々である。 
少し痴呆が入っているお婆さんもいる。 私は午前中の開店直後の10時〜正午
までの二時間、滞在している。 時間帯からして7割が主婦。 明らかに水商売
仲間内のグループもいる。 スポーツクラブは女性がメインで、男は60歳以上
のリタイヤしたて?の人が目立つ。 弁当や御握り持参で、ロビーで食事をとる
女性仲間の社交界の場的要素もある。といって、男の私が肩身が狭いことはない。 
自分で選択したメニューを独りでこなして終わったら帰るという気楽さがある。
大方の会員の平均滞在時間は、二時間だろうか。
 このようなジムに入会したのは、長い人生で初めてだが、もし実情を知って
いたら、10年前から入っていたはず。パソコン教室も、スポーツジムも、
サロン的要素が強いが、私のように誰とも会話することもなく、自分のコースを
人的気づかいなしに済ますことも出来る。 通勤列車と思えばよい。 
私が行っているのは昼だけコース(平日10〜17時ー金・日、休みー)。
中高年がほぼ八割で、自分の年齢世代が目立つことはない。エアロビでは、プロ
のインストラクターが指導するプログラムが多く、若い男のインストラクター
の追いかけに近い中年オバサンが見ていて微笑ましい。男の場合、色々の場数を
仕事などでこなしているので、こういう場では、一会員として群れることなく運動
をしているが、高年齢になるほど、自分の社会を背負って、それに拘っている姿が、
(本人には分からないが)私には異様に見えてくる。 要は、田舎ということ。 
とはいえ、半年前の盛況ぶりは、現在はない。3・11の影響が、大きいのは
何処も同じ。ネット辞書に、「スポーツセンターのインストラクターの仕事は、
一見華やかに見えるが、給料は安いわりに希望者が多いため、ワーキングプア
要素が強い」と、あった。その目で、彼らを見ていると、また違って見えてくる。
ただ、一人ひとりが個性的で、一生懸命に指導している姿は、光ってみえてくる。 
半年少したって、効果はといえば、大有り。足腰が、この数年来衰えたと感じて
いたのが半分以上は回復した。毎日キッチリ運動を続けると続けないとでは違う。
何事もまずは半年。
 ・・・・・・・・
3496, お金の教養 −2
2010年10月21日(木)
  ーお金の教養ーみんなが知らない「お金の仕組み」泉正人著
 * 一番の無駄は生命保険?
 ここで著者は、保険の無駄を指摘している。例えとして、25歳から
月3万円」の終身保険を加入したケースをあげている。年にすると36万に
なるので80歳まで払い続けたとして、36×55年=1980万、つまり
終身保険は2千万の買い物になる。それを、「月額3万円」の分割払いをして
いるだけのこと。保険屋の甘い言葉につられて、考えないで印をおしてしまう。
30歳代の10年間で死亡する確率は1パーセントという。その間に払う金は
何と360万円になる。それを年利5パーで運用をすれが500万近くなる。
 命をかけた博打にしては全く採算に合わない。これに対し損害保険の方が、
ずっとましである。年間5万も払えば、対人賠償も、対物賠償も、無制限で
万一の場合も保証されるし、自分の事故保険も5万をかけたとして、合計年間
10万円で充分。それに対して生命保険ほど馬鹿馬鹿しいのはないと断じている。
もちろん生命保険を個人として入ったことはない。あれは人間の不安を利用した
悪徳商法ぐらい知っていたからである。
 * マイホームは買うべきか、それとも借りるべきか? 
                (以下の半分は私見が入っている)
 一番の資産は、まず家屋敷である。親から家を貰えない人は、家を一生
かけて購入しなくてはならない。しかし、その購入に対して少しも考えない。 
少しオサライでマンションの購入を考えてみる。もちろん商売だから、業者は
土地を購入し、建物を建て、営業マンを雇い、利益を加算した値段で売却する。
考えなければならないのは、これから。それは売り手の論理。買い手は、買った
と同時に販売経費分は消滅する。その瞬間に、それは中古品、一年一年古くなる。
捨てるほどの金があれば別だが、新しいマンションを買うのはドブに金をすてる
のと同じ? それでもマンションに住みたいなら、中古マンションの掘出し物を
数年にかけて探しだし買う方が段違いに有利。 都心なら新宿とか、渋谷近くの、
駅から数分の、競売物件とかである。中古の場合は、新興業者だけは避けるべき。
住友とか三菱とかの系列なら、数十年先の信用がついてまわるから、年月に
耐えられる商品を前提に計画される。しかし、数年前までは、全国の駅周辺に
多くみられた「穴吹工務店」「ライオンズマンション」「ダイヤパレス」などは、
既に消滅している。 著書では、物件価格は家賃の200倍以内が妥当という。
更に30年後の価値想定もしておかなければならない。10分1か、5分1である。
(例外もあるが・・) 私は、マンションは中古以外で考えるなら一戸建住宅を
勧める。何故なら、家の価値の半分を占めている土地は腐らない。だから買うなら
若い将来性のある立地の住宅地を選ぶべき。 特にデフレになると無知からくる
矛盾が現れる。他人ごとでない? 娑婆は、幻想でなりたっているから、
夢を買うのにケチをつけるこはないが・・・