ー日本社会を埋め尽くすカエル男の末路ー深尾葉子著 
  日本社会を築いてきたのがカエル男。「依存としがみつき」を良しとして
 物事の本質(国債原発事故、政治改革等)にメスを入れない?政治と社会。
そのカエル男社会の治安を乱したホリエモンは、世論に推された検察のシナリオ
で逮捕された。小さな井戸では蝦蟇カエルは、ジャマのようだ。
   * カエル男の4つのタイプとは
 ★ 依存型カエル男(妻にしがみつく) 
  〜月の小遣い1〜3万。独立や転職を「妻、子供がいる」
  と断念したことがある。私服がダサい。妻の話をよくする。〜
 ★ 攻撃型カエル男(家庭外で鬱憤を晴らす)
  〜議論が大得意。親分肌。ミスを部下に押し付ける。使えない部下を
  怒鳴りつける。接客態度が悪い居酒屋で、怒鳴りつける。
 ★ 自己犠牲型カエル男(終身雇用にしがみつく)
  〜35年の住宅ローンを組んでいる。何年もスーツとYシャツ以外の
  服を買ってない。自分は「そこそこ甲斐性がある」と思っている。
  自分は定年まで会社に居れるが、若い後輩は気の毒と思う。
 ★ 現実逃避型カエル男(自己啓発と絆に逃げ込む)
  〜若い愛人がいて、仲間内で不倫自慢をしている。酔っ払うと
  愚痴を言ってしまう。会社は居心地が良く、サービス残業も良しとする。
  休日はイオンや、ヨーカ堂で過ごすことが多い。
▼ 攻撃的型と、現実逃避型カエルは、我身に覚えがある。いずれの要素も
 誰もが少なからず持っている。 『今夜は遅くなる!、○時にはカエル』と、
あいも変わらず毎晩、鳴いている。ひたすら均質性を求める池や田圃では、
彼等のコピーの子カエル、子タガメを再生産をする。大都市へのアクセスが
30分以内が国民の7〜8割を占める日本で、このシステムに何の疑問を
持たない善良な人たちが、日々を過ごす。この「箍」から逃れるには、
アメリカ的価値観から逃れれば良いが、そこは世間様とかが立ちはだかる。
 このシステムは、悲しいかな、敗戦国日本の行きついた姿。これに
スマフォが行渡ったのが、現在の社会現象に、そのまま現れ出ている。
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4752,閑話小題 ー6年ぶりのパソコンに挑戦中!
2014年03月19日(水)
   * 6年ぶりのパソコン
 四月半ばのWindowsXP終了にともなって、新しいパソコンを導入して三週間。
(年金暮しで、ローンだが)これまでのPCは、iMacにWindowsVistaをのせて
6年以上使ってきたが、XP終了後からは本来のMac画面を切り替えて使う予定。
現在、ブログは今までのPCを使っているが、徐々にWindows8に移行をしていく。
 数ヶ月かけ、迷いに迷った末に選んだのは、ソニーの21インチのテーブル
トップ(大型タブレット)と、デスクトップの両用が可能。「型落ち」
(一シーズン前の秋冬シリーズもの)で、三割以上の値段が下っていた。
3・9キロと軽いので、居間と寝室と書斎に手軽に持ち運べて、使い勝手は
理想的。ほぼタブレットPCと同じ機能で、充電が出来て、WiFi機能もあり、
家では、無線で何処でも持ち運び可能。当然、6年前のVistaとの使いかって
の段差が大きい!「パソコンは四年で入れ替えるべし」の意味を実感している。 
SEの知人の助言、「新規の選定は、タッチ式が前提!」も、なるほど納得。
 パソコンは、デスクトップ、ノート型も、「タッチ式、直感的画面操作」
の流れである。 これで一挙にパソコン難民が使いこなせることになる。
慣れるに、iPadと同じく3ヶ月〜半年はかかるが、面白い!iPad以来の興奮。
旧来のWindows/Vistaが、本来のiMacになるので、アップスケール(脱皮)。
iPadも含めて果てしない情報機器の進化の恩恵である。この進化も、メガネ、
腕時計、チョッキなどウェアラブルPCになっていく。 面白い時代である。
   * 追憶の写真旅
 Yahooのブログに、過ってツアーで行先の写真を、ネット上で探し載せて
いるが、これが奇妙な感覚で面白い!同じ対象を違う人の視線で見ると、
自分が見ているような錯覚が起こる。例えば長岡花火を、後日、ネット上
からみると、分かるはずだが、違う視線を幾つか加えると、その時の臨場感
が鮮明に思い出される。実際は、混雑の中のお祭り騒ぎが加わり、面白み、
迫力が違うが、それでも、ネットで行先の写真をみて、感じとった一瞬は、
当時を彷彿させる。現場感覚があるのが、追憶の旅を面白くする。
それはTVの旅番組で同じ。後退的だが、情報化の恩恵の味わいも良い。
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4385, 「うつ」かもしれない ー1
2013年03月19日(火)
     ー「うつ」かもしれない ー死に至る病とどう闘うか〜磯部潮著
 うつ病に関しての書評を幾つか書いてきた。
【2012/05/09 本当は怖い抗うつ剤
【2012/01/23 他人を責める「新型うつ」について】
【2011/11/24 「現代型うつ」とは】
【2010年02月13日(土)「うつ」9つの症状】【3246,新・欝の時代】
【2007/06/05 2254 ビョーキな人々探訪記 *鬱病について】
【2006/10/27 2033, 躁鬱病について】【2005/12/18 1720, 生きるのがつらい】
【2003/07/15 「阿弥陀堂だより」−映画日記】 よく書いたものだ。
 平均、それぞれ4回として、9×4=36回は書いたことになる。
それぞれの視点で切り口を変えた本は、病気というより人間の本質を教える。
著者は年に何人も死なせている。だから、うつ病の恐さを知り尽くし警告する。
  ーアマゾンの内容紹介ーより
【 私が精神科医として働き始めて、二〇年近く経ちます。その間、私自身が
 把握しているだけで数十人のうつ病の受け持ち患者さんが自殺しています。
必ず毎年、数人の患者さんが自殺してしまうのです。そしてその度に
「もっと適切な方法があったのでは」「私が主治医でなければ自殺しないで
済んだのではないか」という慚愧の念に強くとらわれます。(略)・・
 今回、うつ病の本を書くにあたり、これまで私の記憶から排除しようと
していた、死に至った患者さんたちのことを思い起こしました。(本文より)】
 ここで、一般に「「うつ」は、心のカゼであり、早期治療でクスリを飲めば
治る」というような解説が多いが、著者はこのような考え方を明確に否定し、
「うつ」に罹った人のうち一定数は必ず自殺する」という認識をしている。
 本来「うつ」としてきっちりと治療すべき人を「自律神経失調症」として
安易に診断していたり、「うつ」で休職した人を無理に早く職場復帰させる
ことはとても危険であるという。
 以下の九項目のうち五つ以上該当し(1と2のどちらか含まれる)、
  それが二週間以上続いていたら「うつ」と判断される。
1、一日中気持ちがしずむ 2、これまで好きだったことが楽しく感じられない
3、急に体重や食欲が落ちる 4、眠れない、あるいは眠りすぎる  
5、ソワソワと落ち着かなくなったり、反対に動作が鈍くなる
6、毎日体がだるく、なにもする気がしない  7、自分をダメ人間だと考える
8、なにも決められなくなり集中して考えられない  9、死にたいと思う
▼ 多くの「うつ」に関する本を読み、身近の人の相談にのったり、青年期の
 ウツ症状の時、独りで本などを読み乗り越えてきたが、人間の心身は生もの。
いつなん時、襲いくるか分からない。これは慢性病になる可能性があり、下手
をすると死に至る病。九項目の中で、一つか二つはあるが、それも一瞬の間だけ。 
そういえば、節目時に、「虚無感」に陥ったことがあった。あの不思議な捉え
どころない自信喪失というか、虚無感、脱力感。 振り返ってみても底知れぬ
心の状態である。現在の私の状況、最もウツになりやすい事態だが、戦争時に
ウツは出ないのと同じ。それと遊んでいる? とすると痴呆かい
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4011, ビジネスマン退職後の誇りある生き方 ー4
2012年03月19日(月)
   ービジネスマン退職後の誇りある生き方章ーキングスレイ・ウォード著
 * 実業界には三種類の成功者群がある  ー 翻訳者の、後書きより ー
【 実業界には、三種類の成功者、つまり二億ドル人間と、二千万ドル人間と、
 二百万ドル人間がいるといわれます。二億ドル人間は、自分の起こした事業を
世界的規模に育てあげて市場を征服することに夢を託す本来的な企業家、実業家。
その結果蓄積される個入の財産は二億ドル(約二百四十億円)を下らないでしょう。
一方、二千万ドル人間は、むしろ経済的な成功の成果である富で普通の人には
できない豪華な生活、つまり豪邸に最高級車、使用人がいて、海外の別荘で
ゴルフといった生活を楽しみたい人たちです。二千万ドル(約二十四億円)以上
の財産がなければ、そのような生活は望めません。そして二百万ドル人間は、
ウォード氏のような人たちです。製造業の例をあげるなら、二億ドル人間は
ホンダの創業者本田宗一郎、二千万ドル人間はホンダと創業をともにした
本社の幹部や部長たちと、関連会社の部品などの経営者たち、二百万ドルは
自営業の域を出ない下請けの町工場の事業主ということになるでしょう。 
二百万ドルは家族を養い、善良な市民の務めを果たしながら二百万ドルの資産
を築けば、よくやったと自分をほめてやれる、ごく普通の金銭感覚を失わない
市井の入です。本書で述べられているウォード氏の意見が私たちの共感を呼び、
私たちにとって適切な助言になるのは、ウォード氏がビジネスマンとして
成功しながらも、市井人の心を失わない二百万ドルであるからです。 
お金は生活を保証するもの、人生にはお金で買えないもっと大切なものがある
というのがウォード氏の持論です。大企業の創業者の人並みはずれた才能、
努力、そして時代を彩るまばゆいばかりのドラマをウォード氏に期待する
ことはできませんが、人生の成功者としてのウォード氏の功績は、決して
彼らに劣りません。ウォード氏は普通の人たちの普通の悩みや喜びを語る
ことによって、人生の成功者になるための秘訣を明らかにしています。 】
 ▼ 三種の成功者の分類が面白い。 娑婆は、それで色分けをして
人の価値を決めていく。日本でも、この数値が百〜二百万、千〜二千万、
一〜二億ドルと少し下がるが、こんなもの。これが人間の価値と信じて
疑わないのが、俗に言う世間様。一歩ひいてみると滑稽に見えるが、世の中
の9割が金で買えるという幻覚の中にいると、それはそれで目安になる。
3つの震災で実業界から退場してみて、「娑婆など死んで三日も経てば、
‘それがどうした!’でしかない儚い世でしかないのが分かる。
逆に、これも肯定してみるのも一つの理で面白い。事業人生を決心してから
去年までの45年間は面白かったが、赤裸々の人生。しかし45年間を通じて
人間社会の実態を多くを学ぶことが出きた充実感が残った。
それも3つの大震災で崩壊。敗者の弁かい!
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3645, 地震 ―つれづれに  ー8
2011年03月19日(土)
  * 震災 まる一週間
 地震も、昨日でまる一週間になる。当初は、ここまでの大震災とは思って
もいなかったが、時間が経過するにつれて、歴史的な大震災の姿が現われ出て
きている。その上に原発事故の誘発である。大津波だけでも歴史的大災害の上に、
大爆発をして日本中が被爆をしたら本州全体が破綻してしまう可能性がある。
3月11日から日本は、全く違う国になってしまったのである。村山が首相に
なった時に神戸震災、そして今度の首相で、この大震災である。現在、我われは
誰もが身近にデジタルカメラとビデオを持ち歩いている。そのために生生しい
写真とビデオが、あらゆる角度から映し出されている。それが規制無しでネット
で多く飛び交っている。その結果リアルの現実が直接、目前に突きつけられる。 
一つ例に挙げると、私の学生時代の友人が、仙台を気に入って終の棲家として
仙台飛行場近くの漁村に住んでいる便りを貰った。恐らく巻き込まれたのでは
と、その村の名前を検索したところ、その地の震災の惨状の写真が、その村の
ブログに載っていた。跡形もない村の惨状に、驚いてしまった。。
   * 原発事故のリアルな現実
 福島原発事故で、20〜30キロ内の屋内退避が県外退避に転換され
大型バスでの移動が始った。この圏内には14万人が居住していて、今後、
一斉に退避が始まるが、問題はガソリンや食料がないこと。米国などでは、
80キロ圏内の避難を指示しているが、福島原発の80キロ圏内には、更に
数十万人がいる。最悪の大爆発が生じて、放射能が日本中を覆うことになれば
日本壊滅になってしまう。 それが、この数日中に発生する可能性が大と
いうから、何をいわんかである。 リーマンショックで疲弊している上に、
この大震災と原発事故の二重の打撃は、日本経済は致命傷になってしまう。 
まず早急に消費税などの直接税が20パーセントも現実問題になる。
これは15パーの収入減と同じことになる。もちろん、この事態では当然、
受けいれるしかないが、体力を消耗してしまった中小企業は致命傷になる。
日本全体が被災者という現実がある。
 ・・・・・・・
3280, 人みな骨になるならば ー2
2010年03月19日(金)
  * わたしは特別か?          
ー まずは、次の部分の抜粋から  P−41
自分だけは大丈夫と感じる原初的な感覚を、E.エリクソンは「基本的信頼」
と名づけた。幼児期における適切な保護か養育者との愛着関係によって成立して
いるかに信じられている。個人差はあるだろうが、相当の怖がりやでも心の底に、
「自分だけは大丈夫だろう」という最低限の楽天性が備わっている。たしかに、
数百の卵子と、数億個の精子のうちの、一つずつが合体することでも大変な
奇遇である。・・ われわれは生きているというだけですでに、宝くじを三回
買って三回とも当たったぐらいラッキ-な人物なのである。そのことを特別な
存在だと感じても不思議ではない。もちろん、自分が特別だと感じる根拠はそう
した生物学的事実によるのではなくて、われわれが直接的体験として自分しか
与えられていないといった心理学的(認識論的)事実に基づいている。 
われわれは各自の心しか直接に知ることがない。それ以外はすべて憶測である。
目の前にある花やコップでさえ、自分の感覚を信じないことには「在る」と
断定できない。ましてや自分以外の全人類は「在る」のかもしれないが、他方
すべてが幻影や書き割りのようなものなのかもしれない。コギト(われ思う)は
不確かだが、スム(われ在り)だけは確かなのだ。そもそも現在の自分の在り方を
「存在」と規定しないかぎり、それ以外に存在を規定する原理はない。
しかし、そんな特別な存在が地球上に何十億とひしめいているらしいのである。
そのことを認めたとたんに自分が特別でもなんでもないことを思い知らされる。
なにしろ、自分は特別だと実感している人間が自分以外にも六十億近くいる
ようなののだ。これならあきらめるしかない。わたしは特別な存在ではなく、
せいぜい六十億分の一の特別さにすぎない。宇宙において、わたしが生まれたり
死んだりすることの重要性は、地球の裏側でアンデスインディオの一人が
生き死にすることの重要性と何らかのかわりのないものである。・・・
「人間は特別」という価値観は人間だけにしか共有されてないからである。
 ー
 人間は誰も、自分は特別の存在と思っている。で、還暦を過ぎて、そろそろ
ゴールが目前と感じ、自分の存在が必要とされないと気づいた時、特別の存在の
はずの自分が、逆に邪魔なものと思い悩むことになる。初老の身体の変わり目と、
それに気づく時期が重なり鬱症・鬱病という人生の節目が訪れる。 
宇宙の視点からみて「わたしは特別ではない」のは当たり前。
その当たり前のことを知らないまま、一生を終える。
・・・・・・・・・
2905, 寝入る瞬間を意識したことがあるか
 2009年03月19日(木)
 * 寝入る瞬間を経験したことがあるか?
ある随想に、「寝入る瞬間を経験しようと狙っているが、まだ経験をしてない。
それは死ぬ瞬間に類似しているのではないだろうか?云々・・・」とあった。
以前ここで書いたことがあるが、10年ほど前に、その経験をしたことがある。
その時に「過去の二万回で初めての経験だから貴重の経験だろう。無へ狭間の
瞬間の実感してみた」と記憶として刻印した。 具体的に、どうだったか?
というと、「TVを消した時の画面の感覚で、一瞬のスッと小さな点に意識が縮小
し消えいく感覚。もしかしたら、死ぬ時は、あの感覚ではないだろうか。」
一般的に多くの人が経験していることなのか、してないかは、私は知らない。 
先日、図書館で借りた「現代哲学がわかる」というAERAMOOKという
雑誌の特集号の中で、マギーという哲学者が「哲学人」という著書で、
「何故、人は眠る瞬間を意識できないか?」というテーマで論じていると。
(詳細は書いてなかった)とすると、その瞬間は意識できないことになる。
しかし私は、その一瞬を捉えたのは間違いない事実。私が特殊経験をしたのか、
それともマギーが正しいのか? ネットで「寝る瞬間をけいけんしたか」と
検索したが解答はなかった。ーマギーの「何故、寝入る瞬間を把握できないか」
の論旨を知りたいが、私の推論をしてみる。<寝入ったとは意識が無くなると
いうことだ。 意識が無意識への瞬間など捉える由はないのは、その瞬間の
無の際を経験しようがないのは自明のことだ。見たという一瞬の知覚は、
まだ寝入っていない意識であり実は寝入ってなかったのである。
意識から無意識への移行の瞬時など膨大な無意識が小さな意識の一瞬の補足
できようがないのである。向こう側(寝入ったサイド)から見ると、その
瞬間=扉は、すでに無の世界である故、その瞬間など捉えられない・・ >
ーマギーは、こんなわけの解らない論旨ではないはずだが。しかし、私は
間違いなく、その瞬間を捉えた事実は事実としてあるし、夢ではなかった。
マドロミの中で、漂うことは何時ものことだが。
今度、この本を読んでみるつもりである。
・・・・・・・・・
2541, ウェブ時代 5つの定理 ?3
2008年03月19日(水)
まず梅田望夫の第四の定理について述べている部分を抜粋してみる。
 ーー    
第4定理は「グーグリネス」である。グーグリネスとは、ウェブ時代を
リードするグーグルという会社の気質やグーグルらしさを表す言葉だ。 
グーグルの経営・組織・文化における独自の論理は、ここまで取り上げた
アントレプレナーシップ」「チーム力」「技術者の眼(め)」が、高い
レベルで統合された最新で最良の実例と言える。 私はシリコンバレー
数多くの会社を見てきたが、その中でグーグルは、これまでの会社とは
「種」が違うのではないかと思うほどの、突然変異とも言うべき「変な会社」
である。こんな奇妙で不思議な会社は、かつて存在したことがない。
そう断言できる。しかし、こういう会社がビジネス社会の中心に躍り出て
きたことが情報化社会たる現代の特質なのであろう。
≪ いま、世界は(以前と)本当に違う。それは、君たち一人一人が
 世界中の どんなことについても「情報を得る力」を持ったからだ。
 私が学校に通っていたころと、本当にまったく違う世界だ ≫
これは数年前にグーグル創業者の一人、サーゲイ・ブリン(1973年生まれ
が高校生向けに行った講演での言葉である。 80年代と比べて今が
「本当にまったく違う」のは、行き着く先は「時間」。「時間」だけが私たち
一人一人に平等に与えられた貴重な資源だ。グーグルは「頭脳の拡張」の世紀の
リーダーであるとともに、私たちが自発的に過ごす「時間」からしか創造的
イノベーションは生まれない、という思想の信奉者なのである。グーグルは
このやり方を貫き、創業から9年でトヨタ自動車時価総額と肩を並べた。
しかも、社員数はトヨタの約20分の1にすぎない。
ーー
解)インターネットの、その中の検索こそが世界の要になると
 確信した信念が世界を変えたのである。下手の考えより、己をグーグル化
した方が手っ取りはやいのかもしれない。時間という資源を最大限活用できる
という面から見たら正しいのだろう。インターネット下のオープンソース
潮流の中で頭脳のネットに己をリンクすることこそ、一番合理的かもしれない。
ただし己というベースが確立してある前提が必要だが。それと五つの定理を
マスターした上での自発的に過ごす時間の重要性である。