* 迫害されたウクライナ
 スターリンという悪魔 ーウクライナ人のジェノサイド「ホロドモール」。
  〜ネットによると、
≪ 1928年から1932年にかけ、ウクライナの農民が入れられたのは、
コルホーズではなく巨大な監獄のようなもの。村にいながら軍隊に包囲され、
飢えるままにされた。たとえ村から逃げ出せても都市に入ることはできない。
都市も軍隊に包囲されていた。その飢饉は、過ってロシアが経験したことが
ないほど厳しいもの。およそ一年半の間に人口の五分一の500〜700万人が
飢えて死に、人々の一部は、死んだ家族の肉を食べてかろうじて生き延びた。
 その迫害は、コサック撲滅政策という側面があった。当時のソビエトは、
コサックを迫害していた。コサックは、もともとウクライナ人の農奴から発生
した人々の集団。 当時のウクライナではユダヤ系の資産家が地主となり、
ウクライナ人の農奴が耕すという状態が続いていたため、ユダヤウクライナ
の顕著な対立がありました。1932年12月27日、国内パスポート制が導入され、
農民達は農奴さながらに村や集団農場に縛り付けられた。ウクライナの国境
は封鎖され、自由な出入りは許されなくなった。遂に人々は病死した馬や
人間の死体を掘り起こして食べるに至り、その結果多数の人間が病死し、
赤ん坊を食べた事さえあった。通りは死体が転がり、所々に山積みされ、
死臭が漂っていた。≫
▼ スターリンウクライナを計画的に絶滅させようとした酷いものだが、
 近年、ロシアはウクライナクリミア半島を併合をした。その歴史を知ら
ない訳がない鳩山元首相が、クリミアに尻尾を振って行くとは言語道断!
北朝鮮、中国、ロシアという隣国が、ジェノサイドの過去を持っている中で、
海に囲まれ、平和ボケをした日本は、この現実を知ってか知らずか内向き。
グローバル化では、閉鎖的体質はマイナスにはたらく。アメリカ大統領の
トルーマンによる、東京大空襲と、広島、長崎の原爆投下も、一般市民の
大虐殺だが、何故か誰も声高に言わない、いや言えない? 軍事的にも、
経済的にも、日本はアメリカの統治下にある既成の事実に慣化されている。
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4751,そんなに長生きしたいですか ー4
2014年03月18日(火)
       『日本人の死に時 そんなに長生きしたいですか』久坂部羊
   * 老後に安住の地があるか? 
《 この結論は「ない!」である。グループホームも、「認知症介護の切り札」
 として、マスコミで好意的に紹介されているが、現場は凄惨。グループホーム
は施設基準が緩いので、質のばらつきが大きくて住宅・不動産業界からの参入も
多く、専門性に疑問も生じる。職員は経験者が条件だが、無資格で働けるため、
最低賃金に近く、過酷な介護を担わせられたら、やめるか、手を抜くか、暴発
するか、いずれにしても、かなり危険な状況が多い。有料老人ホームの実態も、
ふれ込みはパラダイスだが、実態は大いに疑問のところが多い。介護企業の施設
も、本当に良いサービスをすれば評判が良くなり、顧客も増えるが、経営が
不安定になると、その理念など、簡単に捨てられる。公的な福祉は営利でない
ので、ある程度は信頼できるが、人手が足りなかったり、順番待ちが長かったり、
効率、工夫の点で、企業に劣っている。その点、企業の方が良いが、何か釈然と
しないものが残っている。・・徘徊の激しいおばあさんが、脳梗塞で寝たきりに
なったとき、世話をしていたお嫁さんがやつれた顔で「これで楽になります・・」
医師として不謹慎かもしれませんが、私は心から「よかったね」と思いました。》
▼ 老後の不安で大きいのが、終の住まい、生活がある。老いるほど、そこは
 決して安住の地ではなく、いずれも、非常に危険で、厳しい状況のようだ。
それも、薬漬けで脳をやられた廃人として、ただ生きているだけとしたら・・ 
 私たちは、その恐怖と不安のため、僅かな年金を節約して預金をする。
しかし、お金の余裕が有る無しに関わらず、「安住の地は無い」のである。
それなら、元気のうちが花。その日、その日を目いっぱい生きるしかない。
そう割り切ったら、妄想など当てにしないで、そのままを受け入れるしかない。
出来ることの一つが、死の知識の予習。もう一つは、般若心経の暗記か、
その読経の習慣である。色即是空、空即是色と諦念を心に植え付けることだ。
 安住の地は、心の奥底にしかない、ということ。 家は浄土真宗だから
南無阿弥陀仏の読経もあるが。安住の地など、考えてみたら、あるわけない。
誰もいない海の真っ只中で、安住の島を求めて彷徨っている漂流者の心持ちで
しかない!で、偶然だが、去年と2010年の同月同日の、以下の内容に続く! 
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4384, 背筋が寒くなる「一生時計」
2013年03月18日(月)
  * あと2時間しか残されていない?
 野口悠紀雄の「クラウド「超」仕事法」(講談社)を読んでいると、
その中に恐怖の「一生時計」というコラムが載っていた。アナログの時計で
一生を表すもので、1周が80歳になっている(日本人男性の30歳時における
平均余命が50歳であることを考慮して、80歳としている)とすると
40歳で時計上の6時の数字を針が指すことになる。著者の年齢からしては
10時半を過ぎている。それまでの経歴と歴史的事件が時計時間に振り分け、
人生を鳥瞰することが出来る。著者は、あと1時間半しかない。
その針が一刻一刻進むのを見ると背筋が寒くなるはず。これを応用した
一年時計も作れる。歴史的事件における自分の立場や、残り時間を鳥瞰する
にはアナログ時計を図示すればよい。 それからすると私の人生時間は
午後の8時過ぎ。あと4時間になる。
 これ商品化されている。買うかどうか迷っている。不摂生もあり、二時間
あるかどうか。それも不意に止まる可能性が充分ある。この年齢になると残存
時間も当てにならないのは周囲をみれば分かる。父は71歳で亡くなった。
一生時計では9時。あと一時間しかない。一番上の姉が12年前に現在の
私の年齢で亡くなった。時刻は8時である。 事業も二年前に清算したし、
やり残したことは殆どないが、せっかく与えられた時間を味わなければ。
あと一時間も5時間も永遠の時計からしたら、一瞬。この一生時計を机の前に
置いて刻々と過ぎていく時を眺めるのも一興か。目を背けて、まだまだ高を
くくっている。50から還暦まで残された人生分を圧縮して生きた分、
焦りは少ない。父の口癖、「死んでしまえば、それまでよ!」が実感。
 実際に同じ年代の人の4人に1人が既に亡くなっている。どの人をみても、
良い死に方には思えない。これが人生である。下記の2010年03月18日に、
「人みな骨になるならば」頼藤和寛著について偶然、書いてあった。
重ね合わせて読むと、連動する。
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4010,デジタル化の波間で
2012年03月18日(日)
  * 愛蔵書120冊を電子化
 蔵書70冊を業者に送り電子化した書籍がメールで送付されてきた。
それをダウンロードし、iPadに入れた。去年の暮れに50冊を電子化して
いたので、合計120冊をiPadに入力し終えた。これでiPadに120冊
の本と、2000曲の音楽が入力された。 外出先でiPad立ち上げれば、
そこが「自分の居場所」になる。かって読んだ書籍が瞬時に読めるのと、
目次の上覧のページ検索に見たいページの数字を入れると瞬時出てくることと、
 電子シオリを気楽に挟めるのがよい。 上覧のシオリの部分を押しておくと
次回に、そのページが出てくる。分類ごとに本棚が作れ、並べ替えも気楽に
できるうえ、本棚の移動も気楽にできる。これでは、数年で紙から電子ブック化
の流れは大きくなり、紙出版は半減するはず。
パソコンも、ノート型からタブレットへ流れは大きく変化する。
  * 朝日新聞デジタル
 電子新聞は、新聞社のブログがあるので必要はないのでは?と躊躇したが、
半年とってから決めようと、とりあえず入ってみた。朝日新聞の場合、新聞を
とっていると、プラス千円でよいが二つ必要かどうか?だが、今のところ、
その価値は認める。紙面の場合、その日が過ぎると二度と目にすることはないが、
これだと、過去一週間分が、直ぐに読めるところが良い。それと、当日の記事
内容で、気になった部分を再び読み返し、コピーできるところが便利である。
これは電子書籍にもいえる。デジタル化は、映画、TV、書籍、新聞などを
根こそぎ変えている。それがグローバル化を促進し、時代を激しく変動させる。
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3644, 地震 ―つれづれに  ー7
2011年03月18日(金)
 ここまできたら、今更だが、原発事故の順序が一号機、三号機、二号機、
四号機、次に、6号機の順番である。ジクザグに一つおきに重ならないように
火災が発生している奇妙さである。 すべてが手遅れのため、隣り合わせの
爆発を避けるため一つおきにガス抜きをさせているとみると整合する。
メルトダウンを始めた原子炉は最後まで行き着く(暴発)しかないと
実しやかに言われている。Jリーグのサッカーの欧州出身監督は殆ど帰った。
欧州はチェルノブイリ原発事故の情報を持っているので、その恐ろしさを
知っているため。それが現在進行形で最悪に向けてカウントダウンに入った?
 その最悪とは何?だろうか考えると。ますは本州が全滅の上に、地球上に
大量の放射能をバラマクことである。 少なくとも原発??キロ以内は、
立ち入り禁止地区になり、当分は国内の米・野菜が一切、食べられなくなる? 
雨水も飲めなくなるとすると?それが広島の数千倍?の放射能を放出であれば? 
それを誰も口には出せないのが現状。評論家は、その最悪の想定値の場合、
広島や、チェルノブイリ事故と比較して語らない。もし語ったらパニックに
なるからだ。フランスとアメリカが、特別便の飛行機で自国民の救済に向かった
という・・ 日本を壊滅させるほどの大被害をもたらすものとしたら? 
まずは一番の被害者は、今回の津波の被災者になる。 至上最大の原発事故が
目前に迫っている現在、大津波と、いま正に東北・関東地区に襲うとする原発
事故が重なっているところが、不思議である。新潟も福島から200キロの
ところに位置して、安全といえない場所である。 しかし、今回の政府は
首都圏の三千万の住民に万一に備える警告をしていない。むしろ、逆の情報を
流している。何故、国家非常事態宣言をしないのか! 万一に備え逃避の準備
を呼びかけないのか!この程度の人物が何ゆえ首相なのか!今日から明日が、
一番危ないと思われる。とはいえ、何処に逃げればよいのか? 200キロも
500キロも同じと放射線の専門家医師が言っている中で、ジタバタしても
同じということか。それにしても、日本人は暢気である。自分もだが・・
たまたま去年の今日、虚無主義の論が書いてあった。
人みな骨になるのだから、今更がたがたすることもないか!
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3279, 人みな骨になるならば −1
2010年03月18日(木)
         「人みな骨になるならば」 頼藤和寛 著
 なかなか面白い人生論である。 副題がー虚無から始める人生論ーである。
初めから終わりまで、「人はみな骨になるならば」の虚無の思想が、どの言葉の
後ろにピッタリと付いている。といって、読んでいて気分が悪くならないのは、
本人の持っている温もりのためか。この本を書き終わった数年でガンが発見され
亡くなった。そのプロセスを書きのこした本
「わたし、ガンです ある精神科医の耐病記」も出されている。
「斯う居るも 皆骸骨ぞ 夕涼み」(一茶)の句が、この本のテーマである。
そして次から次へと繰り返される虚無思想。
・「誰しも認めたがらないことではあるが、おそらくわれわれ
 一人一人の人生が一種の無駄である。」とか。
・「我々には何十年という時間が与えられてしまっている。・・どうあがいて
 みたっって、逃れられない人生という檻のなかに?我々は産み落とされて
 しまったからには、檻の仕組みや外側がいかようであれ、にもかかわらず、
 その檻の中で 一舞いしてみせる?しかないではないか」
・「人生に、意味なんて無い。けど、何かに意味を見出さないと人は生きて
 いけない。だから、自ら意味を作る。それはまるで、無神論者が祈る神の
 ようなものだ」とか。宇宙人?の視線である。
   ーここで「エゴ・トリップ」という幻想を紹介している。
【「わたしが生きようが死のうが大したことは、といった現実は非常に
 不愉快な現実である。たぶん宇宙から見れば、一匹のゴキブリや一本の松が
生きたり死んだりするのと大して変わりない。この現実から逃れるため人間は
実にさまざまのことをしてきた。われわれの自我は、その酷薄な現実に堪え
られないようだ。それに堪えるために人間は自分の意味を膨らませるために、
自分を誇大視するか、あるいは自分が属する何かを大層なものにするか、
に心をくだいた。・・自分の存在を「なにものでもない。」という実態から、
「なにものか」であるような幻想へと昇格させようという営みの全てを
エゴ・トリップという。 自分を膨張させようとする、あえない試みである。
 これは子供の背伸びから、青年の客気、男女の虚栄や見栄、年寄りのあがき
に至るまで、およそ人間の煩悩や業の全てに浸透している動機のひとつである。 
宗教的な修行や脱俗ですら、それによって自分を特別なものに昇格させたい
という目論見が透けて見える。 】
 ー考えてみれば、われわれの生活の中で何らかの努力をもった営み全てが、
エゴ・トリップと考えると、人生そのものがエゴ・トリップゲームになる。 
しかし、秘境ツアーで大自然の美しさや広大な姿に触れて、感動した経験を
多く持つ身にとって、それはエゴ・トリップとは違う、と思うが、どうだろう。
特別に昇格したいのでなく、対象に自分が溶け込んでしまう経験そのものが
良いからである。すべて夢の中 か〜 そして、すべてがエゴ・トリップで
しかないのか? そう思うと気が楽になるが!
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2904,清水洋の経済危機
2009年03月18日(水)
 この人のセミナーを東京まで行って何年前から聞いてきた。
今年の彼のセミナーの案内がきたが、去年に二度出席したので、
今年は行かないと判断した。ところが案内のパンフレットに、そのDVDを
販売するとあった。セミナーは3万8千円、二万円なら安いが関連の本が十冊
買うことが出来る。といって、時が時だけに現場の生々しい視点からの現状の
情報も興味深い。去年、三回の彼のセミナーを知人とシェアをした(二度私が
参加し、一度は取引先の社長が参加)。今回も再びシェアをと声をかけた。
それが昨日の午前中に届いたので、午後から4時間部屋でパソコンを通し
聞いてみた。今回は一切メモを取らないで一度、脳にいれた後に、印象として
残った言葉を待つ実験をしてみることにした。「脳に残らないのは、
必要としないこと」という言葉を思い出したからである。
 −印象を、そのまま書いてみると・・・
ハイパーインフレが数年後に起こる。そのタネを現在、世界中で公然と
 蒔き始めた。その芽が出てくるのが、数年後である。間違いなく、ある日に
 爆発的に発生する。
・不動産の暴落は、さらに大きく起きてくる。買いにきた初めの客に迷わずに
 売るべし。不動産の供給過剰は、これからの時代の趨勢である。東京の
 マンションや売りアパートは半値以下。それでも買い手がいなくなった。 
 銀行が金を出さないからである。 不動産の市場は想像を絶した惨状。
・三百年続いた近代工業主義社会が、この恐慌で間違いなく終焉した。 
 日本のバブル崩壊後に何とか主導してきた輸出立国モデルが崩壊した。
 これに替わるモデルが全く見当たらない現在、日本の将来に悲観的である。
・さらに少子化問題は、今後の日本にとって非常に大きなマイナス条件。
・金(きん)は、今後数年後には6〜7000円まで上がる。金が上がる
 というより、貨幣の価値が下がる。今度の金融恐慌に対して、世界中の
 トップが取れる政策は、ペーパーマネーを増発してハイパーインフレ
 起こすしか手立てはない。世界の資産家は、金の買い集めを始めている。
・実感として、そうじて40パーセント減である。政府は中小企業を潰さない
 ことを金融庁に指導している。その手立ての一つは、リ・スケジュール
 (返済計画の見直し)であり、それを利用すべきである。
・政府も銀行も信用すべきでない。自分の身は自分で守るべし。
▼ 以上だが、聞くたびに話しは辛らつになっている。私の事業は不動産の
 要素が7〜8割を占めるから、深刻である。再開発地区の物件だから、
救いがあるから、何とかやれているが・・・
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2540, ロシアの小話、8つ
 2008年03月18日(火)
小話といえば、ユダヤと、ロシア、そして中国などがある。その中で、一番
スリルとサスペンスがあったのはソ連の体制時の小話だろう。ひつと間違えば、
秘密警察に連行されシベリアに流される。そのギリギリの中で、ひねりを
入れた小話を「アネクドート」といいうが、ロシア人は食事時などに普段人
には言えない鬱憤をぶちまけるために作られたブラックジョークだからこそ、
毒があり捻りが味がある? その幾つかインターネットで探してみたが、
ブラックージョーク収集を趣味としている私でも、なるほどと含み笑いを
してしまう。まずは、強烈なやつから順に・・ 息子が服をボロボロにして
帰宅しました。「どうしたんだ、お前」? 父親が厳しく問い詰めました。
「隣りの子と喧嘩した」「なんてことをやらかしたんだ。これじゃ新しい
服を買わなければならないじゃないか。」「だからどうなの。」 
ー息子が自慢気に答える。「あの子を見てみればいいんだよ。
あの子のお父さんは新しい子供を買うことになるだろうさ。」
・母「ぼうや、大きくなったら、何になりたい?」、 
子「お母さん、僕、外国人になりたい」
・・・・・・・・・・
2007年03月18日(日)
2175, 14歳の君へ ー読書日記   (~Q~;)  おはよう??ファ?
  =「宇宙」について=
「14歳からの哲学」に引き続き、今度は「14歳の君へ」という本を買った。
池田晶子の本は、これで8冊目。こういうジュニア向きの本は、解りやすく
噛み砕いてあるので、読めば読むほど多くの示唆を受ける。去年の暮れの発刊
なので、亡くなる直近の本である。この二冊で取りあげてあるテーマは、多くが
重なっている。同じようなテーマのところを開きながら、見比べると切り口が
微妙に違っている。何じことでも新鮮に思えてくるから不思議である。
宇宙」について、哲学的に幾ら問いを立てても、答えは出つくすわけがない。
しかし、宇宙の存在の不思議は、切り口を変えて考えた分だけ面白い。
ーその面白そうなところをー
「14歳の君へ」ー?・君は誰だろう?ー の中の『宇宙』についての項目から。
ーP/128 ー「宇宙はいったいどうなっているのか」の問いは、これだけでも
充分にとんでもない。だけど、「どうなっているかわからない宇宙は、
どうして存在しているのか」という問いは、それ以上にとんでもない。
こういう問いはとんでもない、人間にはどうしようもないと気がついた人間は、
苦し紛れに「神」という答えを思いついた。宇宙は神が創ったものだから、
それが存在しているのも神の意志だとする考えだ。一般的に、これが宗教という
ものの始まりだ。そう答える方が、人間は安心する。 しかし、科学が発達し、
科学的知識を身につけた現代人は、こんな答えを到底信じることはできない。
宇宙の何処かにいて、宇宙を創った神様なんて、想像をしたって無理がある。
それなら、ビッグ・バンによって、ある時に突然始まったとする時の方が
まだ納得。だけどやっぱり納得できないが、この「ある時突然」というやつ。
たとえば、こんなふうに考えてみよう。天体望遠鏡で、百億光年向こうの星の
姿を君はみる。光の到達時間差から計算して、百億年前の星の姿を今見ていると、
科学は説明する。しかし、考えてみたら百億年前には、君は存在してなかった
はずだ。それなら、自分が存在してない世界を、なぜ現在みることができる
のだろう。これはおかしいことだろう両親が存在していない前の世界を、
生まれていないはずの君が今みているということなんだから。こういう
おかしなことについて、科学は説明をすることができない。これは当然だ。
科学は、宇宙と自分というものを、あくまでも別物とすることで成立している
のだからだ。そうでなくては、それを対象として観察、実験できないからだ。
しかし、なお良く考えてみれば、自分と宇宙を別物にすることなんか、できる
わけがない。宇宙を客観的に観察しているつもりの自分が、まさにその宇宙の
中にいるのだから。宇宙を知りたい、宇宙とは何かを考えたいと願う君は、
本当は、それを考えている自分とは何かをこそ、考えなければならないんだ。
「自分とは何か」、これはその意味で、宇宙の不思議に匹敵する問いなんだ。
百億年前の宇宙を今見ている自分は、百億年前にも存在していなければ
おかしいよ。(字数制限のためカット 2012年3月18日)