【幸福優位7つの法則ー幸福と成功の意外な関係】ショーン・エイカー著
  * 法則6: 20秒ルール
 森(現役)から、サバンナ(御隠居)の生活に移動するについて、まず考えたことは、
ウツ対策。そこで、毎日の習慣を、更に厳格にする実行することにした。
< 4時起床。 この文章の修正と完成、アップの後、一時間のミニサイクリング。
 9時から11時半まで、読書と、ブログの下書き。
午後からは、スポーツジムと、ポタリングか、図書館、テレビなど自由時間にあて。
17時から20時までは、居間で食事やテレビなど。そして20時過ぎに就寝。 >
 20分ほどの誤差は出るが、ほぼ毎日この日程である。我ながら真面目だが、習慣(日程)
は第二の天性と信じ、このパターンを続けている。 この20秒ルールを、早速、取り入れたが、
早朝など、寒さで布団から出れない時、ピッチャから投球を受け、制限時間20秒以内の投球動作
のイメージを持つと、何故か不思議に行動に移れる。コツはキャッチャーが球を渡すタイミング。
  ー要点を纏めるとー
≪ 私たちは「単なる習慣の塊」。そして、習慣は「初期設定」を変更しないと変えられない。
そして初期設定は、一番楽なこと、に集約されていく。著者はギターが趣味だが、忙しくて弾く
機会がなかった。そこで一念発起、「毎日30分ギターを弾く」誓いを立てた。 習慣が身につく
には21日かかる研究結果から、21日分のカレンダーに✓マークをつけることを想像していたが、
その計画は4日で頓挫。そこで、著者が学んだのは、[一番の問題は、「ギターがギターケースに
入れられ、リビングのソファーから歩いて20秒かかるクローゼットにしまってあること」]
そこで著者はギタースタンドを購入、ソファーの座る位置から手が届くよう配置したところ、
21日後に著者は、✓マークが21並んだカレンダーと、ちょっと上達したギターのテクニックが
ついたという。 この二つの事例の違いは、クローゼットまでギターを取りに行く、
20秒しかかからない行動の「面倒くささ」が習慣化を拒んでいた、ということ。 
重要なのは、「望ましい行動」を「最も抵抗の少ない道にする」ということ。
 著者は正反対の実験へと自らを進める。彼は帰宅後にだらだらテレビを観てしまう
習慣を何とかしたいと思いつつ、やめることができずに、オフィスから自宅に戻ると、
リビングのテーブル上にあるリモコンでまずテレビのスイッチを入れてしまうのだ。 
そこで、テレビのリモコンから電池を抜き、リビングから20秒かかる部屋の引き出しにしまい、
代わりに積ん読の本を自分が座る位置に置いた。もちろんギターも手に届く場所にある。
当初は、帰宅すると、電池が抜いたことを忘れてリモコン操作してガッカリしたが、
そこで引き出しまで電池を取りに行ったか? 面倒だから行かないのである。立ち上がって
テレビまで行って操作するのも面倒だと。その代わりに、すぐそばにある本を手に取って
パラパラめくったり、手許にあるギターを弾いて時間を過ごすようになった。
著者は、テレビ番組に対する興味が薄れている自分に気づいた。そしてその代わりに
読書とギター練習という、より「望ましい」習慣を身に付けた自分を発見した。≫
▼ 老齢化には、これは有効に働く。とにかく、億劫になってしまうが、ピッチャーの
 20秒以内の投球制限のイメージを持って次の動作に移る習慣化は、有効になっている。
これは実際に、回数を重ねるしかない。そういえば「大リーグで、来年から更に厳格に
実行される」とニュースで報じていた。
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4650, 老後の生活破綻、そして死 ー3
2013年12月09日(月)
           「老後の生活破綻 - 身近に潜むリスクと解決策」西垣千春 (著)
   * 健康面から見る、高齢社会の現実
  ー健康面から、高齢社会の現実を要約するー
《 日本人の要介護期間は平均約七年と、2008年にWHOより報告されているが、軽いものを
 含めると十年前後。介護を要するきっかけは、脳血管疾患が最も多いものの、認知症や老衰、
関節疾患、骨折・転倒とばらつきがある。認知症、老衰、関節疾患の多くは緩やかに進行するが、
脳血管疾患や骨折は突然起きることが多く、生活の急変をともなう。65歳以上の死因別死亡率は、
約半数が心疾患、ガン、脳血管疾患の三大病で亡くなっている。後期高齢者は増加すると、肺炎や、
老衰で亡くなるものが増える。注目するのは、不慮による事故による死亡が死因の6番目にあること。
交通事故、入浴中や、転倒によるもので、予期せぬ人生の終末は、周囲のものにとっても後悔を残す。
60歳以上の自殺者は、全体の3割を占めている。55〜65歳で三番目の死因が自殺。
高齢者の自殺原因で、健康問題が半分、経済問題4分の1が動機になっている。
まずは、ウツになり、それが自殺につながる。目先に迫ってくる死の影に慢性の鬱症がつきまとう。
 恩師、上司、同年代の友人、配偶者、時には子供の死などが身の回りに次々に起きて、周りの
つながりが、どんどん減る。さらに体調が悪くなり慢性的に不調を抱え、収入も減り、医療費の
支出が増えたりして経済的に不安定になる。それらが増るのに対し、鬱憤を晴らすチャンスが減る。
それが自己否定になり、生きている意味を感じられなくなる。高齢者の自殺の6割が健康問題。
その中で、ひたすら峠を歩くことになる。・・・ 》
▼ 峠からみる下界も時に美しく光り輝くこともあるが、人間の肉体は生(なま)もの。
 時間とともに、腐っていくのが老いであり、病気である。それをカバーするには、運動と読書と
趣味の深耕を続けること。その気力が衰えれば、思い出の宮殿に入るしかない。欧米の公園で
年寄りがボンヤリ座っている姿は、思い出の宮殿の中にいる抜け殻の姿。50歳代で、数人の
友人が亡くなったが、老いの経験をしないで済んだプラス面もある。としても、長く生きたい。
特に、これから10年、厳しいが面白いはず。眺めは良いが、風は冷たく強い。
荷物を一度下ろして、思いきった整理の時!
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4285, 閑話小題 ー痴呆老人?の罵声
2012年12月09日(日)
   * つれづれに ー痴呆老人?の罵声と娑婆
 最近、近所で徘徊している?80歳過ぎの痴呆のような老人がいた。一年前から2〜3回
見かけるが、服装は普通だが何か変。一月以上前になるが、駅に向かっていたところ、その老人が
突然、7mほどの道路の反対側で並列状態で歩いて大声で喚き出した。私を罵倒しているような、
しかし何を言っているか意味不明。見ると目をさける。100mほどすると、そこは土手で民家が
無くなる。恐ろしくなったのか、少し離れて更に大声で喚いていた。汽車時間がギリギリだったので、
通り過ごしたが、列車に乗ってから急に腹が立ってきた。帰った後に警察に相談に行って
「収容をしないのか?」というと「無理」。それと「言っていること自体が本当かどうか?」と。 
実は痴呆でなく、私の現状を近所で聞きかじった「寂しい老人性欝病者の鬱憤ばらい」か、など
考えてしまった。それにしては異常な怒りかた。上下の黒スーツに白ワイシャツ、14時からして、
「近所の孤独死をした老婆の49日法要の帰りで酒が入った勢いか?」と仮説を立てると、怒りは増す。
「怨みの時代」の一現象だろうか、何だろう、これは。 私の事業整理は内情を知らない人からすれば
計画倒産そのもの。 私には外海の大津波(金融恐慌)が内海に向って押し寄せているのが実感
できるので、この事業整理には割り切りが出来ている。しかし倒産にしては、今でも自宅に住み
続けているし、大型車はそのまま。(20年乗った査定ゼロ車など知る由もない)毎日、何処かに
出かけ、それまでと変わらない生活。 誤解され罵倒されても仕方ない状態。
その上、旅行バックを持っていれば・・ あれは軋轢のあった地元の人の罵声を代表したと思えば、
一つの具象として分かる現象。 シラミの世界は、こんなもの、真当に生きれば当然!と、
納得するしかない。地元に住む限りは半年に一度は、と割切っているが・・ ゾンビ?は無感覚で
襲いかかってくる。 私が「死にぞこない!」と怒鳴り返せば大打撃だろうが、痴呆老人との言い争い
レベルに下がる。でも、面白い? あの怒り、色いろな顔を思いかべ当てはめるとドレもコレも
ピッタリ。その数の多さに今さらの感がする。 神様は丁度良いタイミングにボケ老人を遣わし、
忠告したと感謝するしかない。 ここで、アメリカ、中国、韓国、そして日本の選挙と政権交代
進行中。 変動期には何かが起こる可能性が大きい。株式・国債相場の暴落か戦争を機会に
世界経済は恐慌に入る。ある朝、突然に始まるが、それを境に想像を遥かに超えた日々になる。 
特に経営者は厳しい。それより何気なく病院で検査を受けた結果が、死の病の宣言!の方が、
よほど恐いか。人生は喜劇、かつ悲劇。 
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3910, ファイナル・クラッシュ ー2
2011年12月09日(金)
   「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」石角完爾著
 常日頃いっている、リーマンショックを史上稀なる大地震とすると、ファイナル・クラッシュは
「大津波の本体」の言葉の違いでしかないと言えば、それまでのこと。 何とか今年におそってくる筈
だった大津波を先送りをして、体力の弱い中国・インドに世界中の資源会社を買収させたり、
ゴールドの蓄積をさせて、来る恐慌に対して準備期間を与えている。それを声高々に述べている。 
具体的にシンガポールとかオーストラリアに、泥舟日本からの脱出を勧めているという面では、
読むべき価値は十分にある。恐慌の恐ろしさを99%以上の人は実際に分かってないし、オボロゲに
分かっても手の打ちようがないのが現実。一億以上の資産があったら、手順を踏んだ方がよいという。 
これから10年で日本は豊かな国から貧しい国になる。
 ー この本には原書のネタ本がある。それを知った経緯の部分を書き出してみる ー
  * 原書のファイナル・クラッシュとの出会い
 ファンド、とくにヘッジファンドが行っているデリバティブ金融派生商品)やCDS(信用リスクを
移転する取引)の売買は、基本的に相対取引であり、なおかつ口頭か、紙ベースで行われている。
コンピューター時代の今も、一般人がアクセスで計るパソコンのスクリーンには一切出てこないのだ。
誰がどういう動きをしているかは、そういう閉ざされた情報交換の中に入らない限り、わからない
しくみになっている。日本の金融関係者でそうした場に参加できる者はほとんどいない。この秘密の
会合の一つを組織しているクラブの本部がロンドンにある。私はその会員となった後、クラブの主催者
から「カンジ、これはすごい本だから、ぜひ読んだほうがいい」と勧められ、一冊の本をプレゼントされた。 
それが「TheFinalCrash」だった。 主催者自身、それ一冊しか持っていないという貴重な本。 
主催者は女性であった! その本を入手できたのは、著者もまたこのクラブの会員で、自著をクラブ
主催者に直接プレゼントしたからだった。主催者の勧めに従って一読し、私はその内容に驚愕した。
「これは本物だ。大変なものだ」そう感じた私は著者に直接話を聞きたくなり、本をくれた主催者に
「会わせてもらえないか」と頼んだ。そして彼女は、イギリスとフランスの間にあるタックスヘイブン
ガーンジー島に住み、そこからほとんど出てこないという著者に連絡をとってくれた。
ガーンジー島は、ロンドンから空路で一時間ほどの距離にある。対岸のスウェーデンに住む私と互いの
予定を合わせ、クラブの本部があるロンドンで三人で会うことになった。二〇〇九年のことである。
本で紹介されている簡単な経歴によれば、著者はイギリスの全寮制の名門パブリックスクールの一つ、
ラグビー・スクールを出ている。ここは、数学者で『不思議の国のアリス』著者・ルイス・キャロルや、
五九代イギリス首相のネヴイル・チェンバレンなどが輩出した有名校である。
ー 目次 ー  第1章 借金が市場を炎上させる    第4章 日本経済の行方
        第2章 世界経済ブラックアウト    第5章 自分の資産をどう守るのか 
        第3章 迫り来るメルトダウン     第6章 クラッシュ後の世界
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3545, 「そう思う」と「本当に、そうである」とは違う
2010年12月09日(木)
 これまでの人生で、「そう思う」を「本当に、そうである」と思い込んで失敗したこと数知れず。
これは、人間の判断を大きく間違えさせてしまう。行動するの「行」には判断という意味が含まれる。
判断し、動くのが行動。その判断の基がいい加減になっていることに人は気つかないで、大体が
「そう思った」で、「そう動いてしまった」ことになる。
 ー池田晶子は、そのことを以下のように述べている。
【「本当に、そうである」とは、如何いうことか? というと、間違っていたとしても、それが
 正しいと思えば、「本当に正しい」と思うようになる。だからといって、それが正しいことにはならない。
正しいことは正しいし、誤りは誤りである。では、正しいとは何か?というと、考えつくし誰もが認める
ことが正しいということになる。「そう思う」から「本当に、そうである」にいきつくには、「考える」
ことによって、はじめて可能になる。誰にとっても正しい定規、たった一つの正しい定規である。・・ 】
 振り返ってみて、考えて生きてきたつもりだったが、まだまだ考えが足りなかったと、この歳になって
シミジミと思う。10年前から真剣に哲学書を読むようになってから、その思いは深まる一方。 考えてきた
つもりだったが、振り返ってみれば、まだまだ考えが足りなかったことに気づく。良書との出あいが
少なすぎたということか。 「そう思う」を一度、「そう思っている、このことは本当に正しいのか」と
一度、考えて、「そう考える」まで、練ってから判断をしないと、大きく間違うことになる。
事業計画がそうである。「本当に、そうである」と信じて実施したことが、時代の激変で、
「そんな激変するとは」に様変わりしてしまう。それより日常の情報も同じである。
「そう思わせる情報操作」で、簡単に「本当に、そうである」に一般大衆は洗脳されている。
情報化社会で情報が溢れている現在、それぞれが考える能力を養っておかないと、
気の毒な大衆に陥ってしまう。
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3170,つれづれに ー閑話小題 
2009年12月09日(水)
* 長岡の死体遺棄事件の背景は不況!
 長岡の死体遺棄事件で、大手製造機器メーカーの営業課長が殺人容疑で逮捕された。
取引先からの発注の取消しのイザコザで殺害したものだが、業界不況が背景にある。
このリーマンショックで、「売り上げが半分以下」で、ツガミも一月に人員整理に入り、
埋め立てた場所も閉鎖になった工場という。 ここで1000万円の穴は、即刻首である。
本人は納品したといっていたが、集金はまだということになっていたという。何処もかしこも、
こういう話である。 長岡の北部には工場地区があるが、それが去年のリーマンショック
直撃を受けた煽りの事件である。 日本炎上?
* 翠点(すいてん)
 南方熊楠は 「世の中の事象は、曼荼羅の、因果の世界である。しかし、これら因果は無秩序に
支配されているのではなく、ある一点に集まってくることもある。核の周りを動く電子の軌跡のような
線と、そこにクロスする直線いくつかの自然原理が必然性と偶然性の両面からクロスしあって、
多くの物事を一度に知ることのできる点、それが「翠点」である!と、マンダラの中に翠点を発見した。 
分かったような分からないような論だが、「モノゴトを色いろな角度から俯瞰し、一点に交わるところ
(翠点)を探ると、その翠点付近は、物事があいまいな状態で存在している」という発見である。
「要点」の意味に似ているが、マンダラの中で見つけたところがミソ。 
* 国家予算の六割が借金!
 この予算が組めるのは、来年で終わり。 それ以上は、国債の暴落と株の暴落を引き起こす。
(字数制限のためカット 2010年12月9日)
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2805, オバマという人物
 2008年12月09日(火)
オバマという人物を、いま一つ解らない部分がある。父親がケニア人で、母親がアメリカの白人。 
しかし経歴といえばアメリカ社会のエリートコースを登りつめ、史上初の大統領にまでなった人物。
しかし何か得体の知れない危なげな匂いを感じもする。そのことを産経新聞
「世界を斬るーオバマアメリカ」の岡本行夫佐藤優の対談で、佐藤が次のような見方をしている。
 ーまずは、その部分である。ー
オバマさんはキメラ(多様な要素を併せ持つギリシャ神話上の生物)だと思います。
 何者でもあるし、何者でもない。よい目つきで見ると、エリートの要素も、低い要素も、
すべてを備えているように見える。国民の能動性を引き出すのもうまい。勝利演説でネットで5ドル、
10ドル、20ドルを入れてくれた人に感謝していますね。政治参加する人は少額でも、100万ドル、
1000万ドル払う人と権利が全く同じだと。アメリカ人とは何かという根本的なところで、
アメリカを思い、アメリカのために行動する人がアメリカ人だと。新たな統合原理をつくることに
今のところ成功していると思う。   (字数制限のためカット 2010年12月9日)
・・・・・・・・・
2007年12月09日(日)
2440, 哲学の効用とは?    ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は〜♪
 最近、コペルニクス的に世界の見方が変わってきたのは、情報化による情報の質量のレベルアップと、
還暦を過ぎた為と思っていた。しかし哲学書をこの数年間読んできたことも大きく影響していた!と
中島義道の「哲学の教科書」を読んで気づかされた。世の中の価値観や、常識を自分の頭で根底から
疑ってみる習慣が少しずつ付いた結果である。考えるということは、驚き、感動し、根こそぎ新鮮な
感覚で周囲を見直すこと。元々、その傾向は強いつもりだったが、それがマスマス強くなった結果。
 まずは、その部分を抜粋してみる。
(P・228)     −中島義道「哲学の教科書」
メルロ"ポンティは「哲学とは世界を見なおすことである」と言っております。これは、先に挙げた
(第2章)プルーストの言葉「芸術家がわれわれに与える喜びは、われわれがもっている宇宙の上にもう
一つの宇宙を教えてくれるところにあるのではないか」に比べると、やはり哲学の特性を表している。
ここに「見なおすこと」と言って、「思索しなおす」とか「解釈しなおす」とか言っているので
ないことがミソです。次章でゆっくり話しますが、私が法学をやめて哲学をしようと思いたち、
大森荘蔵先生のお宅に伺ったとき「哲学にとって一番重要なことは何ですか」と新聞記者のようなことを
聞いたことがあります。その答えは、やはり「よく見ることです」というものでした。前章で考察した
ような哲学の問い「時間」「因果律」「私」「他人」「意志」「存在」などは、われわれがちょっと
注意して「よく見れば」足元にころがっているものです。私は「哲学の小道」という類を信じません。
それは、じっと腕を組んで「善とは?」とか「自由とは〜」とか瞑想に耽リながら散歩するのに
よい静かな小道なのでしょう。哲学とは何よりもまず「よーく見る」ことですから、必ずしも、
こうした浮世離れした環境は必要としない。とくに「今」とか「よい」とか「ある」とか「私」とか
「意志」といった卑近な言葉のうちに謎のすべてが詰まっておりますので、ホームドラマやスポーツ
解説や、天気予報からもいろいろヒントを受けることができます。さきほど申しましたように、哲学は
何の役にもたたないのですが、こうした言葉を使うとき前提されている底を打ち破ってみせることは、
間接的にでも何らかの役にだつのかもしれません。つまり、哲学はすべてのことを徹底的に疑う
ところから出発します。 普通の人々が前提している善悪の骨格を揺さぶります。
 したがって、例えば、戦争が悪であるのは第一に戦争は人を殺すからですが、哲学者は
「聖戦はあるのか」とか「原爆投下は正しかったか」といったレベルの議論にではなく
「なぜ人を殺すことが悪なのか」といったレベルの議論に照準を合わせます。もちろん哲学者とて、
その社会に適応した人間ですから「人を殺してよい」と思っているわけではなく、
(字数制限のためカット 2011年12月9日)
・・・・・・・・・
2006年12月09日(土)
2076, 経験についての一考察       オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
経験について考えてみよう。
「経験」は「経験を積む」や「経験者」のように、
『くり返しおこなってきたことから得られた知識や技術』をさす。
それに対して「体験」は、「面白い体験」「戦争体験」など直接感じた行為経験をいう。
「人生経験」を例にとると、体験などを通して腑に落ちること、了解したことをいう。
その蓄積が人生経験豊富ということになる。 経験は、過去の積重なねとしての現在の自分を構成している。
したがって、年を重ねただけ了解した蓄積が多く、何をしても、何を読んでも、そのプールが面白く
なっていく。経験そのものも貴重だが、それ以上に、そこから何を、どのように学ぶかが重要である。
バーナードショーは、「人間が賢くなるのは、経験によるのではなく、経験に対処する能力に応じてである」
といっている。経験から学ぶことこそ「経験を生かすノウハウ」である。人は経験から学ぶと同時に、
忘れる動物である。忘れるから生きていける部分もあるが、喉もと過ぎれば何とかで、経験を消化する
前に忘却してしまうのが人間の性である。汝自身を知れ!、そう消化しないで忘却する自分を知れ!
こそ経験を無駄にしないことになる。 汝自身を知れとは!とは、この意味で考えると腑におち、
納得できる。消化できない自分の無知さえ自覚できない愚かな動物である、ということを経験といえば
他人の経験からも学ぶことができる。それが文化・文明をつくり上げてきたのである。 
他人の不幸・失敗は、その経験則を把握さえすれば、自分の経験則に織り込むことが可能になる。
これが「合理的・合理性」である。この歳になり、過去が未来より圧倒的に多いと実感してくると、
他人の経験則の吸収と、自らの経験を消化する知力の至らなさを痛切に後悔するようになる。
生きるとは、失敗こそが意味を教えてくれる切り口になる。失敗こそが人生である。全てが失敗と
いってよい。最近は後悔すべき過去がフラッシュのように、頭を過る。 しかし、人生は失敗・後悔の
塊と割り切ってしまえば、深く人生を見直すこともできようし、分別もできよう。砂に喩えれば、
砂金も少しはみつかるだろう。石ころも混ざっているが!大したことがあるわけない人生、意味など
今さら考えても仕方ないが。意味は価値だろう、価値の後つけほど馬鹿馬鹿しいものはないのに、
自信がないから、裏づけが無いから、記億の修正のため、そして疾しさを正当化するため、
経験を歪めてしまうのである、経験は、先生である! 先生の話は、よーく聞くべきだった!