「老後の生活破綻 - 身近に潜むリスクと解決策」西垣 千春 (著)
   * 健康面から見る、高齢社会の現実
  ー健康面から、高齢社会の現実を要約するー
《 日本人の要介護期間は平均約七年と、2008年にWHOより報告されているが、軽いものを含めると十年前後。
介護を要するきっかけは、脳血管疾患が最も多いものの、認知症や老衰、関節疾患、骨折・転倒とばらつきがある。
認知症、老衰、関節疾患の多くは緩やかに進行するが、脳血管疾患や骨折は突然起きることが多く、生活の急変をともなう。
 65歳以上の死因別死亡率は、約半数が心疾患、ガン、脳血管疾患の三大病で亡くなっている。後期高齢者は増加すると、
肺炎や、老衰で亡くなるものが増える。注目するのは、不慮による事故による死亡が死因の6番目にあること。
交通事故、入浴中や、転倒によるもので、予期せぬ人生の終末は、周囲のものにとっても後悔を残す。60歳以上の自殺者は、
全体の3割を占めている。55〜65歳で三番目の死因が自殺。高齢者の自殺原因で、健康問題が半分、経済問題4分の1が
動機になっている。まずは、ウツになり、それが自殺につながる。目先に迫ってくる死の影に慢性の鬱症がつきまとう。
 恩師、上司、同年代の友人、配偶者、時には子供の死などが身の回りに次々に起きて、周りのつながりが、どんどん減る。
さらに体調が悪くなり慢性的に不調を抱え、収入も減り、医療費の支出が増えたりして経済的に不安定になる。
それらが増えるのに対し、鬱憤を晴らすチャンスが減る。それが自己否定になり、生きている意味を感じられなくなる。
高齢者の自殺の6割が健康問題が動機。その中で、ひたすら峠を歩くことになる。・・・ 》
▼ 峠からみる下界も時に美しく光り輝くこともあるが、人間の肉体は生(なま)もの。時間とともに、腐っていくのが
 老いであり、病気である。それをカバーするには、運動と読書と趣味の深耕を続けること。その気力が衰えれば、
思い出の宮殿に入るしかない。欧米の公園で年寄りがボンヤリ座っている姿は、思い出の宮殿の中にいる抜け殻の姿。
50歳代で、数人の友人が亡くなったが、老いの経験をしないで済んだプラス面もある。としても、長く生きていたい。
特に、これから10年、厳しいが面白いはず。眺めは良いが、風は冷たく強い。荷物を一度下ろして、思いきった整理の時!
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4285, 閑話小題 ー痴呆老人?の罵声
2012年12月09日(日)
   * つれづれに ー痴呆老人?の罵声と娑婆
 最近、近所で徘徊している?80歳過ぎの痴呆のような老人がいた。一年前から2〜3回見かけるが、服装は普通だが何か変。
一月以上前になるが、駅に向かっていたところ、その老人が突然、7mほどの道路の反対側で並列状態で歩いて大声で喚き出した。 
私を罵倒しているような、しかし何を言っているか意味不明。見ると目をさける。100mほどすると、そこは土手で民家が
無くなる。恐ろしくなったのか、少し離れて更に大声で喚いていた。 汽車時間がギリギリだったので、通り過ごしたが、
列車に乗ってから急に腹が立ってきた。帰った後に警察に相談に行って「収容をしないのか?」というと、「無理」。 それと、
「あなたの言っていること自体本当かどうか?」だと。 実は痴呆でなく、私の現状を近所で聞きかじった「寂しい老人性欝病者の
鬱憤ばらい」か、など考えてしまった。それにしては異常な怒りかた。上下の黒スーツに白ワイシャツ、14時からして、
「近所の孤独死をした老婆の49日法要の帰りで酒が入った勢いだたのか?」と仮説を立てると、怒りは増す。
「怨みの時代」の一現象だろうか、何だろう、これは。 私の事業整理は内情を知らない人からすれば計画倒産そのもの。
 私には外海の大津波(金融恐慌)が内海に向って押し寄せているのが実感できるので、この事業整理には割り切りが出来ている。
しかし倒産にしては、今でも自宅に住み続けているし、大型車はそのまま。(20年乗った査定ゼロ車など知る由もない) 毎日、
何処かに出かけ、それまでと変わらない生活。 誤解され罵倒されても仕方ない状態。その上、旅行バックを持っていれば・・
あれは軋轢のあった?地元の人たちの罵声を代表したと思えば、一つの具象として分かる現象。 シラミの世界は、こんなもの、
真当に生きれば当然!と、納得するしかない。 地元に住む限りは半年に一度は、と割切っているが・・ ゾンビ?は無感覚で
襲いかかってくる。 私が「死にぞこない!」と怒鳴り返せば大打撃だろうが、痴呆老人との言い争いレベルに下がる。でも、面白い?
あの怒り、色いろな顔を思いかべ当てはめるとドレもコレもピッタリ。その数の多さに今さらの感がする。  
神様は丁度良いタイミングにボケ老人を遣わし、忠告したと感謝するしかない。 
 ここで、アメリカ、中国、韓国、そして日本の選挙と政権交代が進行中。 変動期には何かが起こる可能性が大きい。 
株式・国債相場の暴落か戦争を機会に世界経済は恐慌に入る。ある朝、突然に始まるが、それを境に想像を遥かに超えた日々になる。 
特に経営者は厳しい。それより何気なく病院で検査を受けた結果が、死の病の宣言!の方が、よほど恐いか。人生は喜劇、かつ悲劇。 
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3910, ファイナル・クラッシュ ー2
2011年12月09日(金)
   「ファイナル・クラッシュ 世界経済は大破局に向かっている!」石角完爾著
常日頃いっている、リーマンショックを史上稀なる大地震とすると、ファイナル・クラッシュは「大津波の本体」の言葉の
違いでしかないと言えば、それまでのこと。 何とか今年におそってくる筈だった大津波を先送りをして、体力の弱い中国・インドに
世界中の資源会社を買収させたり、ゴールドの蓄積をさせて、来る恐慌に対して準備期間を与えている。それを声高々に述べている。 
具体的にシンガポールとかオーストラリアに、泥舟日本からの脱出を勧めているという面では、読むべき価値は十分にある。
恐慌の恐ろしさを99%以上の人は実際に分かってないし、オボロゲに分かっても手の打ちようがないのが現実。 
夫婦で一億以上の資産があったら、手順を踏んだ方がよいという。 これから10年で日本は豊かな国から貧しい国になる。
 ー この本には原書のネタ本がある。それを知った経緯の部分を書き出してみる ー
  * 原書のファイナル・クラッシュとの出会い
 ファンド、とくにヘッジファンドが行っているデリバティブ金融派生商品)やCDS(信用リスクを移転する取引)の売買は、
基本的に相対取引であり、なおかつ口頭か、紙ベースで行われている。コンピューター時代の今も、一般人がアクセスで計る
パソコンのスクリーンには一切出てこないのだ。誰がどういう動きをしているかは、そういう閉ざされた情報交換の中に入らない限り、
わからないしくみになっている。日本の金融関係者でそうした場に参加できる者はほとんどいない。この秘密の会合の一つを組織している
クラブの本部がロンドンにある。私はその会員となった後、クラブの主催者から「カンジ、これはすごい本だから、ぜひ読んだほうがいい」
と勧められ、一冊の本をプレゼントされた。 それが「TheFinalCrash」だった。 主催者自身、それ一冊しか持っていないという貴重な本。 
主催者は女性であった! その本を入手できたのは、著者もまたこのクラブの会員で、自著をクラブ主催者に直接プレゼントしたからだった。
主催者の勧めに従って一読し、私はその内容に驚愕した。「これは本物だ。大変なものだ」そう感じた私は著者に直接話を聞きたくなり、
本をくれた主催者に「会わせてもらえないか」と頼んだ。そして彼女は、イギリスとフランスの間にあるタックスヘイブンガーンジー島
住み、そこからほとんど出てこないという著者に連絡をとってくれた。ガーンジー島は、ロンドンから空路で一時間ほどの距離にある。
対岸のスウェーデンに住む私とお互いの予定を合わせ、クラブの本部があるロンドンで三人で会うことになった。 二〇〇九年のことである。
本で紹介されている簡単な経歴によれば、著者はイギリスの全寮制の名門パブリックスクールの一つ、ラグビー・スクールを出ている。
ここは、数学者で『不思議の国のアリス』の著者・ルイス・キャロルや、五九代イギリス首相のネヴイル・チェンバレンなどが
輩出した有名校である。
ー 目次 ー  第1章 借金が市場を炎上させる    第4章 日本経済の行方
        第2章 世界経済ブラックアウト    第5章 自分の資産をどう守るのか 
        第3章 迫り来るメルトダウン     第6章 クラッシュ後の世界
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3545, 「そう思う」と「本当に、そうである」とは違う
2010年12月09日(木)
 これまでの人生で、「そう思う」を、「本当に、そうである」と勝手に思い込んで失敗したことは数知れず。
これは、人間の判断を大きく間違えさせてしまう。行動するの「行」には判断という意味が含まれる。判断し、動くのが行動。
その判断の基がいい加減になっていることに人は気つかないで、大体が「そう思った」で、「そう動いてしまった」ことになる。
 ー池田晶子は、そのことを以下のように述べている。
【 「本当に、そうである」とは、如何いうことか? というと、間違っていたとしても、それが正しいと思えば、
「本当に正しい」と思うようになる。だからといって、それが正しいということにはならない。正しいことは正しいし、誤りは誤りである。 
では、正しいとは何か?というと、考えつくし誰もが認めることが正しいということになる。「そう思う」から「本当に、そうである」に
いきつくには、「考える」ことによって、はじめて可能になる。誰にとっても正しい定規、たった一つの正しい定規である。・・・ 】
 振り返ってみて、考えて生きてきたつもりだったが、まだまだ考えが足りなかったと、この歳になってシミジミと思う。
10年前から真剣に哲学書を読むようになってから、その思いは深まる一方。 考えて考えてきたつもりだったが、振り返って
みれば、まだまだ考えが足りなかったことに気づく。良書との出あいが少なすぎたということか。 「そう思う」を一度、
「そう思っている、このことは本当に正しいのか」と一度、考えて、「そう考える」まで、練ってから判断をしないと、大きく間違う
ことになる。事業計画がそうである。「本当に、そうである」と信じて実施したことが、時代の激変で、「そんな激変するとは」に
様変わりしてしまう。それより日常の情報も同じである。「そう思わせる情報操作」で、簡単に「本当に、そうである」に一般大衆は
洗脳されている。情報化社会で情報が溢れている現在、それぞれが考える能力を養っておかないと、気の毒な大衆に陥ってしまう。
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3170,つれづれに ー閑話小題 
2009年12月09日(水)
* 長岡の死体遺棄事件の背景は不況!
 長岡の死体遺棄事件で、大手製造機器メーカーの営業課長が殺人容疑で逮捕された。取引先からの発注の取消しのイザコザで
殺害したものだが、業界不況が背景にある。このリーマンショックで、「売り上げが半分以下」で、ツガミも一月に人員整理に入り、
埋め立てた場所も閉鎖になった工場という。 ここで1000万円の穴は、即刻首である。本人は納品したといっていたが、集金はまだ
ということになっていたという。何処もかしこも、こういう話である。 長岡の北部には工場地区があるが、
それが去年のリーマンショックで直撃を受けた煽りの事件である。 日本炎上?
* 翠点(すいてん)
 南方熊楠は 「世の中の事象は、曼荼羅の、因果の世界である。しかし、これら因果は無秩序に支配されているのではなく、
ある一点に集まってくることもある。核の周りを動く電子の軌跡のような線と、そこにクロスする直線いくつかの自然原理が
必然性と偶然性の両面からクロスしあって、多くの物事を一度に知ることのできる点、それが「翠点」である!と、
マンダラの中に翠点を発見した。 分かったような分からないような論だが、「モノゴトを色いろな角度から俯瞰し、
一点に交わるところ(翠点)を探ると、その翠点付近は、物事があいまいな状態で存在している」という発見である。
「要点」の意味に似ているが、マンダラの中で見つけたところがミソ。 
* 国家予算の六割が借金!
 この予算が組めるのは、来年で終わり。 それ以上は、国債の暴落と株の暴落を引き起こす。
(字数制限のためカット 2010年12月9日)
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2805, オバマという人物
 2008年12月09日(火)
オバマという人物を、いま一つ解らない部分がある。父親がケニア人で、母親がアメリカの白人。 
しかし経歴といえばアメリカ社会のエリートコースを登りつめ、史上初の大統領にまでなった人物である。
しかし何か得体の知れない危なげな匂いを感じもする。そのことを産経新聞の「世界を斬るーオバマアメリカ」
岡本行夫佐藤優の対談で、佐藤が次のような見方をしている。
 ーまずは、その部分である。ー
オバマさんはキメラ(多様な要素を併せ持つギリシャ神話上の生物)だと思います。何者でもあるし、何者でもない。
よい目つきで見ると、エリートの要素も、低い要素も、すべてを備えているように見える。国民の能動性を引き出すのもうまい。
勝利演説でネットで5ドル、10ドル、20ドルを入れてくれた人に感謝していますね。政治参加する人は少額でも、100万ドル、
1000万ドル払う人と権利が全く同じだと。アメリカ人とは何かという根本的なところで、アメリカを思い、
アメリカのために行動する人がアメリカ人だと。新たな統合原理をつくることに今のところ成功していると思う。
   (字数制限のためカット 2010年12月9日)
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2007年12月09日(日)
2440, 哲学の効用とは?      ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は〜♪
最近、コペルニクス的に世界の見方が変わってきたのは、情報化による情報の質量のレベルアップと、還暦を過ぎた為と思っていた。
しかし哲学書をこの数年間読んできたことも大きく影響していた!と中島義道の「哲学の教科書」を読んで気づかされた。
世の中の価値観や、常識を自分の頭で根底から疑ってみる習慣が少しずつ付いた結果である。考えるということは、驚き、感動し、
根こそぎ新鮮な感覚で周囲を見直すこと。元々、その傾向は強いつもりだったが、それがマスマス強くなった結果である。
 まずは、その部分を抜粋してみる。
(P・228)     −中島義道「哲学の教科書」
メルロ"ポンティは「哲学とは世界を見なおすことである」と言っております。これは、先に挙げた(第2章)プルーストの言葉
「芸術家がわれわれに与える喜びは、われわれがもっている宇宙の上にもう一つの宇宙を教えてくれるところにあるのではないだろうか」
に比べると、やはり哲学の特性を表している。ここに「見なおすこと」と言って、「思索しなおす」とか「解釈しなおす」とか
言っているのでないことがミソです。次章でゆっくり話しますが、私が法学をやめて哲学をしようと思いたち、大森荘蔵先生のお宅に
伺ったとき「哲学にとって一番重要なことは何ですか」と新聞記者のようなことを聞いたことがあります。
その答えは、やはり「よく見ることです」というものでした。前章で考察したような哲学の問い「時間」「因果律
「私」「他人」「意志」「存在」などは、われわれがちょっと注意して「よく見れば」足元にころがっているものです。
私は「哲学の小道」という類のものを信じません。それは、じっと腕を組んで「善とは?」とか「自由とは〜」とか
瞑想に耽リながら散歩するのによい静かな小道なのでしょう。哲学とは何よりもまず「よーく見る」ことですから、
必ずしも、こうした浮世離れした環境は必要としない。とくに、「今」とか「よい」とか「ある」とか「私」とか
「意志」といった卑近な言葉のうちに謎のすべてが詰まっておりますので、ホームドラマやスポーツ解説や、天気予報からも
いろいろヒントを受けることができます。さきほど申しましたように、哲学は何の役にもたたないのですが、
こうした言葉を使うとき前提されている底を打ち破ってみせることは、間接的にでも何らかの役にだつのかもしれません。
つまり、哲学はすべてのことを徹底的に疑うところから出発します。 普通の人々が前提している善悪の骨格を揺さぶります。
したがって、例えば、戦争が悪であるのは第一に戦争は人を殺すからですが、哲学者は「聖戦はあるのか」とか
「原爆投下は正しかったか」といったレベルの議論にではなく「なぜ人を殺すことが悪なのか」といったレベルの議論に
照準を合わせます。もちろん哲学者とて、その社会に適応した人間ですから「人を殺してよい」と思っているわけではなく、
(字数制限のためカット 2011年12月9日)
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2006年12月09日(土)
2076, 経験についての一考察       オッ(*^○^*)ハ〜ヨウサン!
経験について考えてみよう。
「経験」は、「経験を積む」や「経験者」のように、『くり返しおこなってきたことから得られた知識や技術』をさす。
それに対して「体験」は、「面白い体験」「戦争体験」など直接感じた行為経験をいう。「人生経験」を例にとると、
体験などを通して腑に落ちること、了解したことをいう。その蓄積が人生経験豊富ということになる。 経験は、過去の積み重なね
としての現在の自分を構成している。したがって、年を重ねただけ了解した蓄積が多く、何をしても、何を読んでも、そのプールが
面白くなっていく。経験そのものも貴重だが、それ以上に、そこから何を、どのように学ぶかが重要である。
バーナードショーは、「人間が賢くなるのは、経験によるのではなく、経験に対処する能力に応じてである」といっている。 
経験から学ぶことこそ「経験を生かすノウハウ」である。人は経験から学ぶと同時に、忘れる動物である。 
忘れるから生きていける部分もあるが、喉もと過ぎれば何とかで、経験を消化する前に忘却してしまうのが人間の性である。 
汝自身を知れ!、そう消化しないで忘却する自分を知れ!こそ経験を無駄にしないことになる。 汝自身を知れとは!とは、
この意味で考えると腑におち、納得できる。消化できない自分の無知さえ自覚できない愚かな動物である、
ということを経験といえば他人の経験からも学ぶことができる。それが文化・文明をつくり上げてきたのである。 
他人の不幸・失敗は、その経験則を把握さえすれば、自分の経験則に織り込むことが可能になる。
これが「合理的・合理性」である。この歳になり、過去が未来より圧倒的に多いと実感してくると、他人の経験則の吸収と、
自らの経験を消化する知力の至らなさを痛切に後悔するようになる。生きるとは、失敗こそが意味を教えてくれる切り口になる。 
失敗こそが人生である。全てが失敗といってよい。最近は後悔すべき過去がフラッシュのように、頭を過る。 
しかし、人生は失敗・後悔の塊と割り切ってしまえば、深く人生を見直すこともできようし、分別もできよう。 
砂に喩えれば、砂金も少しはみつかるだろう。石ころも混ざっているが!大したことがあるわけない人生、意味など今さら
考えても仕方ないが。意味は価値だろう、価値の後つけほど馬鹿馬鹿しいものはないのに、自信がないから、裏づけが無いから、
記億の修正のため、そして疾しさを正当化するため、経験を歪めてしまうのである、
経験は、先生である! 先生の話は、よーく聞くべきだった!            (。^0^。)ノサイナラ!
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2005年12月09日(金)
1711, 道路の経済学     ー読書日記   
 学生時代の武澤ゼミの一年後輩から一月ほど前に電話が入った。 (。・ω・。)】ゝモシモーシ (*´o)8 ohisasi
  あるプロジェクトの相談である。 その詳細は書けないが、かなり難しい問題である。
 ・戦略の失敗を戦術でカバーできないか?ということか、
 ・再構築のための情報収集ということか、その両方だろう。そ
字数の関係でカット(2007年12月9日)
(^_^)/~~ja~
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2004年12月09日(木)
1346, 23歳の日記−5
実際のところ、書きうつしていて気持ちの良いものではない。三十五年前の自分と直面するのも恐ろしい。
正常と異常の塀の上を一日一日歩いているようなものだった。それが若さということなのだろう。
字数の関係でカット(2008年12月9日)
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2003年12月09日(火)
979, 結婚30年
 一昨日で、結婚30周年になる。昨日気がついた。今までは結婚祝いなどしたことはない。
結婚という視点からいうと、「30年は短かった」というのが実感である。
女性問題でもめたことは一切ないし、夫婦の危機は一度もなかった。
(字数制限のためカット 09年12月09日)
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2002年12月09日(月)
 ある時間の断片-19
10月12日 1968年
8時起床。11時半に長岡に出発する。15時過ぎに帰宅。家はやはりよい。 両親が帰ってくる。
学校町と柏崎のおばも来る。兄の三郎さんが婚約したという。どんな人か早く会ってみたいものだ。
長岡の街を歩いてみる。街が禅寺に行っていたせいか何かよい。西村さん夫婦は旦那の実家に行っていたため会えず。
夜半の3時までオリンピックをみる。世の中も変わったものだ。小学生の頃のメルボルン大会をラジオで
やっと聞こえたのに。12年でカラーTVで見れるのは夢のようだ。
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2001年12月09日(日)
 264,税務調査ー2
野村沙知代が脱税で逮捕された。
悪質の為だが、それにしても実の息子に告発されるとは異常だ。国税局の査察の場合大部分が内部告発だ。
全国の会社の15?で経理の不正が行われているという。そしてあまり表ざたにならないのは、多かれ少なかれ、
脱税が行われているからだ。
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12月9日 1968年
  9時半起床。11時45分に上野へ、正子さんを迎えに行く。上野の寿楽で食事をしていると、軽井沢で知り合った、
  小林君と大井君でバッタリ会う。 彼等と一時間話をする。やはり方向に迷っているみたいであった。