つれづれに

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    今日のYoutube
 
 免許書換え葉書がきた。 毎回、ここで眼鏡の入替えになる。
私の場合、効き目が右で、左が極端に悪い。 右手を下にするのも
影響するのだろうか。甥っ子が、今まで「眼鏡スーパー」の店長を
して、家族割引を2割してもらっていた。しかし、お祖父ちゃんの
葬式で、祝電が「眼鏡トップ」にかわっていたので、転職をしたのだろう。
で、どっちに行くか迷っているが・・・  今日明日にも決めないと!



・・・・・・
2805, オバマという人物
2008年12月09日(火)
 
 オバマという人物を、いま一つ解らない部分がある。
父親がケニア人で、母親がアメリカの白人。しかし経歴といえば
アメリカ社会のエリートコースを登りつめ、史上初の大統領にまで
なった人物。しかし何か得体の知れない危なげな匂いを感じもする。
そのことを産経新聞の「世界を斬るーオバマアメリカ」の岡本行夫
佐藤優の対談で、佐藤が次のような見方をしている。
 
ーまずは、その部分である。ー
オバマさんはキメラ(多様な要素を併せ持つギリシャ神話上の生物)
だと思います。何者でもあるし、何者でもない。よい目つきで見ると、
エリートの要素も、低い要素も、すべてを備えているように見える。
国民の能動性を引き出すのもうまい。勝利演説でネットで5ドル、10ドル、
20ドルを入れてくれた人に感謝していますね。政治参加する人は少額でも、
100万ドル、1000万ドル払う人と権利が全く同じだと。
アメリカ人とは何かという根本的なところで、アメリカを思い、
アメリカのために行動する人がアメリカ人だと。
新たな統合原理をつくることに今のところ成功していると思う。
実は1930年代当時の日本の国際情勢の本にはニューディール政策の解説
があり、ルーズベルト政治を「ファシズムの一類型」と説明している。 
要するに、自由主義的な資本主義から離れて社会格差を是正していこうと
いう運動で、イタリアのファシズムに近いというわけです。人種神話は
なくて、ナチズムとは全く別の思想ですよ。1920年代の初期ファシズム
「イタリア人とは何か」の問いに始まるんです。イタリアを思い、
イタリアのために行動する人がイタリア人で、老いも若きも男も女もない。
一握りの資本家が太って、庶民が街頭で職にあぶれているのはおかしいと。
オバマさんも「ウォール街だけが潤っているのはいけない」と、ムソリー
と同じ表象を使っている。このファシズムがナチズムと融合さえしなければ、
福祉国家的思想になったかもしれない。 そういう構造が今
アメリカで起きてることと似ている。ロシアの現象とも似ている。 
歴史は反復し、資本主義が格差拡大で行き詰まると修正が出てくる。
そういう観点でアメリカを見ていくことも重要だと思いますね。】
 --
ムッソリーニを応用して戦略を立てたのだろうか、それともあくまで偶然
であり、時代の要請だったのだろうか。アメリカ大統領は世界に大きな影響
を与える立場にある。 彼に不気味なマイナスを感じるのは私だけだろうか。
それとオバマ政権が元クリントン大統領の内閣のメンバーが多いのも気になる。
日本にとって、厳しい対応になるだろう。

・・・・・・・・・
2007年12月09日(日)
2440, 哲学の効用とは?

   ○( ̄ ̄ ̄ ̄o ̄ ̄ ̄ ̄)○ おっ W( ̄ ̄ ̄ ̄∇ ̄ ̄ ̄ ̄)W は~♪
最近、コペルニクス的に世界の見方が変わってきたのは、情報化による
情報の質量のレベルアップと、還暦を過ぎた為と思っていた。しかし哲学書
をこの数年間読んできたことも大きく影響していた!と中島義道
「哲学の教科書」を読んで気づかされた。世の中の価値観や、常識を自分
の頭で根底から疑ってみる習慣が少しずつ付いた結果である。考えるという
ことは、驚き、感動し、根こそぎ新鮮な感覚で周囲を見直すこと。元々、
その傾向は強いつもりだったが、それがマスマス強くなった結果である。
 
 まずは、その部分を抜粋してみる。
 ---
 (P・228)     -中島義道「哲学の教科書」
メルロ"ポンティは「哲学とは世界を見なおすことである」と言っております。
この言葉は、先に挙げた(第2章第3節)プルーストの言葉
「芸術家がわれわれに与える喜びは、われわれがもっている宇宙の上にもう一つ
の宇宙を教えてくれるところにあるのではないだろうか」に比べると、やはり
哲学の特性を表している。ここに「見なおすこと」と言って、「思索しなおす」
とか「解釈しなおす」とか言っているのでないことがミソです。
次章でゆっくり話しますが、私が法学をやめて哲学をしようと思いたち、
大森荘蔵先生のお宅に伺ったとき「哲学にとって一番重要なことは何ですか」
と新聞記者のようなことを聞いたことがあります。その答えは、やはり
「よく見ることです」というものでした。
前章で考察したような哲学の問い「時間」「因果律」「私」「他人」「意志」
「存在」などは、われわれがちょっと注意して「よく見れば」足元にころがって
いるものです。私は「哲学の小道」という類のものを信じません。それは、
じっと腕を組んで「善とは?」とか「自由とは~」とか瞑想に耽リながら
散歩するのによい静かな小道なのでしょう。哲学とは何よりもまず「よーく見る」
ことですから、必ずしも、こうした浮世離れした環境は必要としない。
とくに、「今」とか「よい」とか「ある」とか「私」とか「意志」といった
卑近な言葉のうちに謎のすべてが詰まっておりますので、ホームドラマ
スポーツ解説や、天気予報からもいろいろヒントを受けることができます。
さきほど申しましたように、哲学は何の役にもたたないのですが、こうした
言葉を使うとき前提されている底を打ち破ってみせることは、間接的にでも
何らかの役にだつのかもしれません。つまり、哲学はすべてのことを徹底的に
疑うところから出発します。普通の人々が前提している善悪の骨格を揺さぶります。
したがって、例えば、戦争が悪であるのは第一に戦争は人を殺すからですが、
哲学者は「聖戦はあるのか」とか「原爆投下は正しかったか」といったレベル
の議論にではなく「なぜ人を殺すことが悪なのか」といったレベルの議論に
照準を合わせます。もちろん哲学者とて、その社会に適応した人間ですから
「人を殺してよい」と思っているわけではなく、殺人犯をえらいとは思いませんが、
ありとあらゆる論調が殺人を当然のごとく非難する現状を見ますと、
そこに思考の停止を認めて揺さぶりをかけたくなるのです。
 ーー
 
世界の見方が変わってくると、過去の自分が恥ずかしくなる。 
「おい、お前、何を考えていたんだ!」「あの時の、あの人は、こういう
考えではなかった」とか、違う視点で己を振り返ることになり、ある意味
では辛いことになる。 それだけ自分が拡がったと言い換えることもできる。
情報の溢れかえる時代に、逆に独りジックリと考える時間こそ求められる。
                   
・・・・・・・・・
2006年12月09日(土)
2076, 経験についての一考察
       オッ(*^○^*)ハ~ヨウサン!
経験について考えてみよう。
「経験」は、「経験を積む」や「経験者」のように、
『くり返しおこなってきたことから得られた知識や技術』をさす。
それに対して「体験」は、「面白い体験」「戦争体験」など直接感じた
行為経験をいう。「人生経験」を例にとると、体験などを通して腑に落ちること、
了解したことをいう。その蓄積が人生経験豊富ということになる。経験は、
過去の積み重なねとしての現在の自分を構成している。したがって年を重ねただけ
了解した蓄積が多く、何をしても、何を読んでも、そのプールが面白くなっていく。

経験そのものも貴重だが、それ以上に、そこから何を、どのように学ぶかが
重要である。バーナードショーは、「人間が賢くなるのは、経験によるのではなく、
経験に対処する能力に応じてである」と、いっている。 経験から学ぶことこそ
「経験を生かすノウハウ」である。

人は経験から学ぶと同時に、忘れる動物である。 忘れるから生きていける部分
もあるが、喉もと過ぎれば何とかで、経験を消化する前に忘却してしまうのが
人間の性である。 汝自身を知れ!、そう消化しないで忘却する自分を知れ!
こそ経験を無駄にしないことになる。 汝自身を知れとは!とは、この意味で
考えると腑におち、納得できる。消化できない自分の無知さえ自覚できない愚かな
動物である、ということを経験といえば他人の経験からも学ぶことができる。
それが文化・文明をつくり上げてきたのである。 他人の不幸・失敗は、その
経験則を把握さえすれば、自分の経験則に織り込むことが可能になる。
これが「合理的・合理性」である。この歳になり、過去が未来より圧倒的に
多いと実感してくると、他人の経験則の吸収と、自らの経験を消化する
知力の至らなさを痛切に後悔するようになる。

生きるとは、失敗こそが意味を教えてくれる切り口になる。失敗こそが人生。
全てが失敗といってよい。最近は後悔すべき過去がフラッシュのように頭を過る。 
しかし、人生は失敗・後悔の塊と割り切ってしまえば、深く人生を見直すことも
できようし、分別もできよう。 砂に喩えれば、砂金も少しはみつかるだろう。
石ころも混ざっているが!大したことがあるわけない人生、意味など今さら
考えても仕方ないが。意味は、価値だろう、価値の後つけほど馬鹿馬鹿しい
ものはないのに、自信がないから、裏づけが無いから、記億の修正のため、
そして疾しさを正当化するため、経験を歪めてしまうのである、
人間というものは!          (人・・)それで(・・人)                    
経験は、先生である! 先生の話は、よーく聞くべきだった!                     
・・・・・・
2005年12月09日(金)
1711, 道路の経済学     ー読書日記   

 学生時代の武澤ゼミの一年後輩から一月ほど前に電話が入った。 
あるプロジェクトの相談である。 その詳細は書けないが、かなり難しい問題。
・戦略の失敗を戦術でカバーできないか?ということか、
・再構築のための情報収集ということか、その両方だろう。その時の電話で、
現代新書から
「道路の経済学 」を出版したところ、半年たらずで3万部も売れたので
是非読んでほしいという。そこで、先日ネットで発注して読んだが、道路に対して
全くの素人の私も理解できる内容であった。彼が不動産鑑定士をしているという話は
10数年前のゼミOB会で会ったときに聞いていた。現在、不動産鑑定士だけでなく、
明冶大學や母校の大学院で講師をしているという。私がまとめた概略を記してみる。
その前に、この本をネットで調べた内容をコピーしておきます。

著者: 松下文洋  現代新書
ー私の概略と感想を書いてみるー
字数の関係でカット(2007年12月9日)
(^_^)/~~ja~

・・・・・・・・
2004年12月09日(木)
1346, 23歳の日記-5

実際のところ、書きうつしていて気持ちの良いものではない。
三十五年前の自分と直面するのも恐ろしい。正常と異常の塀の上を一日一日
歩いているようなものだった。それが若さということなのだろう。何か焦りと
焦燥感がつきまとっていた。黒い影に常に追われている気持ちであった。
20代は毎日が変化の激しい息詰まるような日々であったようだ。
もっとも誰もがそうだろうが。それと当時から理屈っぽいのがよく見てとれる。
デズニーのミッキーマウスなどのキャラクターはみな頭がデカイが、若い時は
それでもよいのだろう。パンドラの箱を開けて、覗込んでいるような気持ちである。

4月20日 ー1969年
現在は仕事面でも、私的な面でも日々に流されているに過ぎない。
それを乗りこえなくてはなるまい。それにしても、週に一回同期と飲む酒の
上手さも格別だ。二軒の店を開拓した。我われに丁度良い居酒屋があるものだ。
自分の考えが、あまりに理屈っぽいということは解る。一日一日を毅然としている
しかないが。「転ぶのはそれでよい、立ち上がる事が、立ち上がるその姿勢が、
良いのだ。」 転ぶのを恐れてはいないのか。
 ---
4月26日(土曜日)
現在、会社の一端を知ってきて、不安と不満と安堵感が入り混じった状態である。
8割が女性社会ということは、はっきりいって知らなかった。働いている女性の
生き生きした姿を身近で見るのも初めて。それにしても、いろいろな人がいるもの。 
自分はハッタリだけでないかと自己嫌悪に陥る。
  ーーー
字数の関係でカット(2008年12月9日)

・・・・・・・・・
2003年12月09日(火)
979, 結婚30年

一昨日で、結婚30周年になる。昨日気がついた。今までは結婚祝いなど
したことはない。結婚という視点からいうと、「30年は短かった」という
のが実感である。女性問題でもめたことは一切ないし、夫婦の危機は一度も
なかった。つくづく嫌気がさしたこともない?上手くいっているかどうかの
自己判定は、20組いたら、上位の1~2番目であろう。
「親しき仲にも礼儀あり」が、私たちの特徴である。お互いの世界には立ち
入らないことにしている。 海外ツアーで「あなた方が夫婦とは知らなかった。
いつもバスから降りると別行動をしているから」と何回も言われた。
現場に行けば、その世界に独り溶け込んでしまうからだ。それと、24時間
常に隣にいることになる。その時、せめて一番の見せ場では独りでいた方が
お互いによい。それだけ対象は素晴らしいが。 一つだけ自慢がある。
夫婦で30回近く海外ツアーに参加している人はいない。それだけ大変である。
 昔から「A型、長女、教養、お嬢さま、ウエット」が好みの要素のキーワード。
「30年間比較的うまくいっている」のは、その要素が比較的に多かったためだろう。
それと常に対話をしてきたこともある。長年の「権力闘争」から、全く会話が
ない夫婦がいるが、そうなったらお終い。夫婦を一生続けることは大事業と
いうが、私の場合はそうは感じなかった。 同じTvでも当たりと外れがある。
当たれば10~15年間は全く故障ないが、外れれば2~3年で故障する。 
夫婦も同じである。海外ツアーで、初対面のオバサン同士が自分の連れ添いに
対して、買った家電のように「私は当たり!」と嬉しそうにいっている人と、
「そうなの、良いわね、私は大外れなの!」という会話を聞いたことがあるが、
夫婦の仲はこんなものだろう。一緒に暮らしてみなくては、これだけは
解らないものである。

 数年前に親戚の夫婦が70歳を過ぎて離婚をした。ほんとうに深い人生の
失敗?である。結婚は家庭内離婚を含めると半分近く破綻をする。これも仕方
ないことである。子は鎹ーカスガイというが、本当である。家は住まいである。
「住まい」は「巣まい」が語源という。子供を育てるための居場所が家庭。
子供が巣立てしまった家庭を英語で「何とか?」と言っていたが、今の我が家が、
そうである。そこで再び二人きっりで向き合うことになる。
そして?? 結婚30年は、丁度その時期である。
 川柳に [二人とも 何か欠けてて いい夫婦」というのがあったが、
私らは「二人とも 全て欠けてて ぼけ夫婦」というところだ。

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2002年12月09日(月)
605,ある時間の断片-19

10月12日 1968年
8時起床。 11時半に長岡に出発する。15時過ぎに帰宅。家はやはりよい。 
両親が帰ってくる。学校町と柏崎のおばも来る。兄の三郎さんが婚約したという。
どんな人か早く会ってみたいものだ。長岡の街を歩いてみる。街が禅寺に行って
いたせいか何かよい。西村さん夫婦は旦那の実家に行っていたため会えず。
夜半の3時までオリンピックをみる。世の中も変わったものだ。
小学生の頃のメルボルン大会をラジオでやっと聞こえたのに。
12年でカラーTVで見れるのは夢のようだ。

・・・・・・・・・
2001年12月09日(日)
264,税務調査ー2

野村沙知代が脱税で逮捕された。
悪質の為だが、それにしても実の息子に告発されるとは異常だ。国税局の査察
の場合大部分が内部告発だ。全国の会社の15?で経理の不正が行われているという。
そしてあまり表ざたにならないのは、多かれ少なかれ、脱税が行われているからだ。
「ことを大きくすると全てばらすぞ!」それがあるから、足元を見て不正をする。
国の政治家があれだけ悪い事をし、官僚もたかり放題。やりたくなるのも解るが、
それをいちゃーおしまいである。それにしても今まで、税務調査に入らないのも
おかしい? 野村監督も知らないではすまないはずだが、ここが日本の甘い体質
がそのまま出ている。うちの会社の税務調査の一年後の去年に、至近のホテルに
税務調査が入った。そして一億数千万を追徴されたという。
税務署も当社の数字を参考に、調べあげたと予想される。敵もさるものである。
旧約聖書に税のちょう収人が、かなり身分の低い人としてイヤシメられて書いて
あるが、嫌われる仕事だ。中国に旅行した時、定年退職したばかりの税務署所員
が4人できていた。中国の金で一万円相当を貸してやったが、帰国した新潟空港
で円が下がってると9500円を返した返した。
こうなると卑しいと卑下したくなる。いや、その職業でなく人間性か!

・・・・・
12月9日 1968年

9時半起床。
 11時45分に上野へ、正子さんを迎えに行く。上野の寿楽で食事をしていると、
軽井沢で知り合った、小林君と大井君でバッタリ会う。 彼等と一時間話をする。
やはり方向に迷っているみたいであった。その後、正子さんの希望で京成電鉄
「成田」へ行って、お札を納めてくる。17時にニューオータニに着く。
姉がチェックインをした後、18時に川崎達と会うため赤坂見附へいく。
18時20分に彼等と落ち合う。車が四人乗りで、横浜は無理である。
以前石川と行ったレストランで食事をする。その後、ゴーゴーバーへ行く。
  赤坂見附の近くの「ムゲン」という店である。このような店で踊ったのは
初めて。 姉とその友人とも踊る。サイケ調でその世界に引ずり込まれてしまった。 
その後、「アシベ」というクラブで飲む。遠藤周作がいた。
22時半に姉達を送っていく。