* 美人の黄金比
 誰もがその人を美しいと感じる、“美人の法則”が存在するという。
1:目を中心にして、「頭の頂点まで」の長さと「アゴの先まで」の長さが同じであること。
2:「目と目の間」の長さと「鼻の幅」が同じであること。
3:「目と目の間」の長さと「目の幅」が同じであること。
4:「口の幅」が「鼻の幅」の1.5倍であること。
5:「顔の横幅」が「鼻の幅」の4倍であること。
 上記5種類の「顔の黄金比」に対して、誤差が「0」に近ければ近いほど良いとされています。
ちなみに、一般的な人の顔の誤差数値は、「1.1」〜「1.3」とか。 どうでもよい話?
要は、傍目でみたバランスが上記だと美人になるということ? それにしても綺麗で優しく温かみがあり、
清潔感がある人が、一般的に美人というのだろう。それに、教養が、まずベースにあることが前提である。
 美人は、顔と全身のバランスでしかない。そのバランスの均整も一時のもの。身近で、姉達や、同僚などを
見てきて、その時期は、わずか5年間でしかない。だから、それが良いのである。
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2013年10月12日(土)
4592, そして、人生はつづく ー3
  * 「アバウト・シュミット」の『そして人生はつづく
5月の連休明けにシネマでみた「アバウト・シュミット」が、まさに「そして、人生はつづく」をテーマにしている。
   ーその概略をHPでみるとー
《 仕事一筋の平凡な男が、定年退職を機に第2の人生を歩む姿をユーモアとペーソスを織り交ぜて描く
 ヒューマン・ドラマ。人生の終盤を迎えて大きな転機に直面し孤独と戸惑いを見せる主人公の悲哀を名優
ジャック・ニコルソンが見事に表現。監督は「ハイスクール白書 優等生ギャルに気をつけろ!」の新鋭
アレクサンダー・ペインアメリカ中西部オマハ。この日、勤め先の保険会社で定年退職の日を迎える66歳の
ウォーレン・シュミット。彼はこれまで妻ヘレンと今は離れて暮らす娘ジーニーと共に、平凡だが特に不満のない
人生を送ってきた。そして次の日から新たな人生を歩むことになる。しかし、翌朝目覚めてみると、シュミットは
会社中心の生活リズムが染みついていたせいか手持ち無沙汰になる日々が続いた。そんなある日、妻ヘレンが急死。
そして葬儀の準備に追われるシュミットのもとへ、愛娘ジーニーが婚約者ランドールを伴い戻ってくるのだった…。》
▼ 一流保険会社で働き、良き同僚や妻と一人娘に恵まれて、自分でもそれなりの人生を送っていると思っていたが、
 定年をむかえた直後、妻が急死、その葬儀も終えたところで、何をしてよいか分からなくなり、離れて住む娘を
 車で訪ねるが、何か来て欲しくない様子。ラテン系娘婿の家族は、これまで接したことのない世界の人たち。
  その旅の中で、これまでと違った様々な経験をする。それが何か無様で、ホロ寂しい姿で、哀愁が漂う。
 職場と連れ添いの喪失で、なす術のない男の悲喜劇が、人生の終末期の有り様を浮き上がらせている。
 妻に先立たれた寡夫ほど大変なものはない。 5月の連休明けに、この映画を見たが、会社を整理をして二年。
 主人公の姿に自分が二重写しに見える部分がある。また、「そして、人生はつづく」の著者に似ている部分がある。
 10年近く前の話になるが、幼馴染が倒産と同時に離婚。一人アパートで自閉症になって半年、お金も尽き、
 辛うじて知人に拾われ、働き出し、営業で私のところに訪ねてきた。が、風貌は歯が数本抜け、やせ細り、20歳は
 老けていた。数年後、年金生活に入ったが、重症のアル中になって県外の娘夫婦の住宅近くのアパートへ引越した。
 現在も「そして、人生は続いている」のだろう。豊かな老後には、十年以上かけたライフワークがあるかどうか・・
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4217, 開国という強迫観念 ー4
2012年10月12日(金)                      
    * 「開国」とは何だろう      ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思 
 「世界標準」とはアメリカの示したルールであり、常に自国に有利に作り変えることが可能なアメリカに世界は
振り回されてきた。TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)も、有利なのはアメリカ。しかし入らないと、競争力が
明らかに不利になるため、従うしかない。属国から離脱など出来ないように囲い込まれてしまっているのが日本である。 
 ーその辺りからー
≪ ・・ところで「開国」とは何でしょう。先ほどから、「開国」とは、「世界の潮流に乗ること」であり、
「世界の普遍性に乗ること」だといってきました。いや、近代以降、日本ではそう考えられていました。しかし、
本当はそうではないでしょう。世界は実は多様です。「開国」とは異質なものに出会い、世界は多様であることを
知ることなのではないでしょうか。「開国」とは、何よりまず、異質な文化、社会、宗教などに出会うことです。
そして、己の独自性を改めて知ることなのです。特異性ではありません。独自性です。自国の、自文化の独自性を
認識することなのです。もちろん、他国もまたそれぞれの独自性を持っています。その世界の多様性に触れることが
「開国」ではないでしょうか。決して「普遍的世界」と「特異な日本」ということではない。世界には、西洋もあれば、
中国も、インドもイスラム諸国もあるのです。しかしわれわれは「普遍的な世界」や「グローバル・スタンダード
といった時に、決してイスラムやインドやアフリカなどを思い浮かべません。「普遍的」や「標準的」ということで、
常に西洋先進国を思い浮かべるのです。いやもっと端的にいってしまいましょう。少なくとも戦後、我々が「世界」
といった時に「何か」というと、実は「アメリカ」なのです。「世界標準」とはアメリカの示したルールなのです。
「普遍的な世界」とはアメリカのことなのです。「世界に乗り遅れる」というのは実は「アメリカに見捨てられる」
ということなのでした。 ≫
▼ 軍事的用途で作られたインターネットをアメリカが公開した。そしてネット社会が、それまでの世界に張り
 巡らされ、現実世界を覆ってしまった。そして、タブレットPCとスマートフォンで、世界隅々の個人がポケットに
持ち歩けるようになった。それで、個人情報の受発信が気楽に、しかも安価に可能になった。
この流れは世界のグローバル化を、より推し進めることになる。それは、情報をコントロールでき利用できるものと、
出来ない人の格差を大きくする。その最も利益を得ることが可能なのがアメリカの一部の人たちである。
日本の中流は、世界から見れば上流の部類に入る。垣根が低くなれば、世界の中流、そう、現在の日本の水準から
見れば下流になる。総下流社会である。しかし、大部分がそれなら、言葉として、それが中流ということになる。
 預金がゼロが三割、借金と相殺すればゼロになる世帯を入れれば、既に国民の過半数を超えているという。
失われた20年で、日本社会は大きき体力を失った。「敗戦で朝鮮のように分割され、歪にならないで済んでよし」
とすべきか? 難しいところ。
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3852, ツレがうつになりまして ー3
2011年10月12日(水)
 鬱病のタレントは、音無美紀子小山明子萩原流行千葉麗子生田悦子岸部四郎音無美紀子、高島忠男、
小川宏木の実ナナなど多くいる。作家では夏目漱石北杜夫がいる。タレントの何人かが手記を出しているが、
本当に辛そうだ。老齢化してくると誰しもが軽い鬱状態が日常になる。長生きの人生の利子。私の倒産のストレスは
実際のところ大きいが、その方面の知識を積み重ねていたので、今回も最小?で済んでいる。対策として、直後から、
 * 早朝の一時間のサイクリング+スポーツセンターの二時間 =合計三時間の運動で身体を動かす。
 * 10年間続けてきた、この随想日記を書き続ける。 
 * 孤独を守り、人の目線を意識的に遮断する。 その為に、哲学書を一歩踏み込んで読み込むこと、
  と決め実行している。しかし、この結果に対しては外部要因が三分の二としても、当然、無念な気持ちは残る。
 当然のことだが。欝状態は、気分の落ち込みの底から自分を解放できなくなること。一度、底に落ち込むと、
這い上がるには膨大なエネルギーを要する。そして更に泥が蓄積し沼(心)の泥は深くなり、辛さが積もっていく。
私事になるが、元もと人間関係はアウトサイダーを保っていたので、その崩壊は最小で済んでいる。所詮は、娑婆娑婆!
 もしインサイダー人間だったら、私の性格からみて袋叩きだろう。それも娑婆娑婆。 地域社会を象の皮膚の隙間と
すると、そこの住人は寄生虫でしかない。そう考えると気持ちが楽になる。 その自分も、その一匹。経験からして、
心の傷は癒えるのに長くて三年、短いと一年。平均で二年弱。時間が全てを解決すると腰を据えるしかない。
結局は、自分で這い上がるしかないのが、この病気。 見渡してみると重い経験者は一割。軽いのを入れると三分の二。
 問題は独り遊びが出来るかどうか。独りで飲みに行く、読書に没頭する、映画館の梯子をするとか、新しい何かに
挑戦するとか。それが出来ないから欝になるから、これ愚答。 そうすると自立(脱皮)しろ!というサインと考え、
悶えるしかないか。で、悶える? 住んでいる場所を変える、生活習慣を変える、趣味を変える、仕事を変える、
どれかが短期的に効果的。 書店か図書館に行くと、(神経が研ぎ澄まされているので)そこの天使が感応し、
ピッタリの書棚に案内をしてくれる。これは神様の情け。気づかないで通り過ぎるのがいるが、それは本人の問題。 
朝日をクラシックを聴きながら浴びると、毒素が出ていくのが分かる。
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3487, ジョハリの窓
2010年10月12日(火)
 「ジョハリの窓」という原則がある。 ーネットによると
ジョハリの窓とは、1955年にJoseph Luft とHarry Inghamが考案した自己理解のメカニズムを指す。
 対人関係における自己理解について、4つの窓の視点を提示し、自己理解がどのようになされるのかを分かりやすく
説明した。コミュニケーション心理学の分野で認知されており、研修や能力開発の場面で使用されることが多い。
  <4つの窓>
A.自分も他人もよく知っている自由な行動領域「開放の窓」:B.他人は知っているが、自分は気づいていない「盲点の窓」
C.自分は知っているが、他人には隠している領域「秘密の窓」: D.自分にも他人にもまだわからない領域「未知の窓」    
 ・いつも失敗する人は、「盲点の窓」が大きい。自分の悪いところも、いい部分も気づいていない。
 ・「秘密の窓」が大きい人も、表と裏の顔が違うもう1人の自分を隠していて、いざというときに、その自分が顔を出して
「こんな人じゃないのに・・・」と言われることもある。その、もう1人の自分をできるだけオープンにすること。
その窓を広げるためには、自分の気持ちを率直に話すこと。自分を開示していくのは難しい。横にA→Bへと窓を広げる
ためには友達や周りの人からの率直な感想を謙虚に聞く姿勢が必要です。そして友達も気づいたことや感じたことを
率直に伝えることが大切。このよう知らなかった自分に気づくことで、人は成長し「未知の窓」を広げていく。】とあった。
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 私のHPは、ジョハリの窓そのもの。10年近くも頭の中と私生活をオープンし「C・B」から「A」へ
移行してきた。そして自分で自分が書いた内容を読み返している時に、「D」領域が垣間見ることがある。
過去を思いやった時に、鳥瞰の視線でBとCに気づくと同時に、Dの影?も見え隠れする。その時点で気づかない
未知の窓の気づきがある。そこには、戦略、夢、目標、神の視線、純粋なギブ&ギブ、血筋、教養、等々色いろある。
未知の窓こそ人間に進化?するプロセスの生命、動物の進化のプロセスが遺伝子に書き込まれる潜在意識の世界が隠される。 
開放の窓・Aと未知の窓は対角線・Dの位置にある。自分を開放し、自由な行動をすればするほど、自他ともが窺い
知れない未知の世界に飛び出す確率が高くなる。驚き、感動が人間にとって最も重要な受容能力だが、それこそ未知の
窓へ通路。驚き、感動の周辺に知識・知恵が豊富に存在する。 外は、広い、内は、深い!そして人間には
限界があり、それぞれの外は狭く、内は浅いのである。それをソクラテスが・・・
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