*「老人漂流社会 "老後破産”の現実」
 今朝、家内が青い顔をして、昨夜放送の「老人漂流社会 "老後破産”の現実」を見たが、ショックだった、
録画に入れてあるから、見てみたら!と言う。 で、早速みたみたが・・  ーNHKのHPよりー
≪まず「都内の80代男性、年金支給日の前になると現金が底をつく。月10万円の年金。アパートの家賃6万円。
「まさかこんなんなると思わないですねえ」3年前にガンを患い治療する80代男性、医療費が重い負担。
月3万円の預金を取り崩して生活。≫
≪区内の独居高齢者は4700人。相談員は11人。対策が追いつかない。区のアンケート調査では、年金だけでは
安心して暮らせないという声が。アパートで一人暮らしする田代さん83歳。年金月10万円。家賃6万円。
残額4万円。家賃の安い住宅に引っ越そうにも引越し代がない。≫
≪ 秋田県。高齢化率が31.6%。とくに高齢化が進む湯沢市。コメ農家をしていた西館さん84歳。
いまは田んぼは親戚に任せている。年金は月2万5000円。夫は15年前病気で亡くなった。心筋梗塞で倒れ、
10年あまり入退院を繰り返し。医療費の支払いで、年金の保険料を払えず。 故郷を離れ嫁いだ嫁に会うことも
できない。「余裕ないでしょ。だから自分のもらった年金でどこまでやっていけるかって考えるの」湯沢市
一人暮らしの高齢者は約3000人。西館さん、食費に回す金がほとんどない。おかずの材料は野山に取りに行く。
「フキは干したら柔らかくなる」光熱費を払うと生活費は1万円。食費は月4000円しか使わないと決めている。
「魚は、田んぼに流れてくる水でとってきた。金かからないでしょ、自分でとってくるんだから」
心臓に狭心症の持病があり、発作がいつ起こるかわからない。発作を抑える薬は、街の中心部まで1時間かけて
病院に通い受け取る。次に発作が起きれば危険だという。≫
▼ こういう人が、身近に人知れず多くいる。私自身も、今後、一つ判断を間違えば同じような身の上。
 これは、生老病死の問題そのもの。何か、身につまされてしまった。しかし、死んでしまえば、皆、同じ!
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4591, 2050年の世界 ー18 
2013年10月11日(金)
     「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」〜英『エコノミスト』編集部 (著)
 地球温暖化も人類にとって切実な問題になってきた。大地震津波、異常気象なども、地球温暖化と関連した現象。
これまでの後進国が経済発展で、国民の生活が底上げされることになると、エネルギーの大量消費が避けられなく、
それが地球温暖化に拍車をかけることになる。しかし、時の権力者は、目先のことしか考えない。
    第七章 地球は本当に温暖化するか ーのまとめ
・気候変動について現時点で正確に予想する方法は確立されていない。エネルギーのポートフォリオがどう変わるか、
 経済成長がどうなるのか、気候の変化によって人間が対策を講ずることなど、様々な不確定要因が多すぎるためである。
・しかし、全体として人間が活動する結果としての二酸化炭素の増加は、温暖化に結びつくということはコンセンサスと
 してあり、だからこそ、これまで先進国が音頭をとって、二酸化炭素排出削減の試みがなされてきた。
・一九九二年のリオデジャネイロ地球サミットで案出された国連気候変動枠組条約
 この条約の署名国1ほぼすべての国1は、危険な気候変動を止めることを表明した。
・第二の進展は、一九九七年の同条約の会議で合意された京都議定書。富裕諸国はこの議定書のもと、二〇三年の
 二酸化炭素排出量について、それぞれの数値目標を達成することを表明した。しかし各国の数値目標にはほとんど
 強制力がなくなり意形成を主導したアメリカは議会の批准を得られずに不参加となってしまった
・二〇〇九年のコペンハーゲン会議はこのような状況をさらに前進させ、京都議定書よりもっと野心的な数値目標を、
 富裕諸国だけでなくすべての国々に掲げさせるはずだったが失敗に終わった。その理由は、新興国が経済成長を
 達成するためには、二酸化炭素をこれまで以上に排出せざるをえないという背景がある。
・そうした中、二〇一〇年のメキシコのカンクン会議で中国が、二〇二〇年までに経済の炭素集約度を四〇〜四五パー
 削減すると表明した。これは、GDP当たりの二酸化炭素排出量を、二〇〇五年水準の半分強まで減らすことを意味する。
 中国では、福島原発事故で、原子力への信頼が揺らいでいるのにもかかわらず、新しい原子力発電所を増設していく。
 風力発電など再生可能エネルギーへの投資も増える。
・温暖化で北極は、夏の間は海になるという将来が予想される。海水部が増えることにより、海洋地下資源開発の促進、
 あるいは新たな漁獲域の出現など大きな変化があるだろう。
・人類の活動によるもうひとつの副産物「エアロゾル」は冷却機能を持つ。成層圏にこのエアロゾルを人為的に
 注入することによって温暖化を防ぐという案があるが、どのような影響が出るかわからない面も多く、リスクが
 あるため実現はしないだろう。
▼ 当分の間、現在、生きていくため将来を犠牲にする構造は変わらない。その結果、温暖化問題が、より深刻化
 していく悪魔の循環が、日々、大きくなっている。 世界の氷河の幾つかを見てきたが、何処も氷河の後退が話題に
 なっていた。「地球滅亡」をテーマにした映画を最近、多く見てきたが、このままでは、現実問題になってくる。
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4216, 開国という強迫観念 ー3
2012年10月11日(木)                      
 * 果たして世界>東京>地方か、先進文化度の順は? ー反・幸福論『開国という強迫』ー京大教授・佐伯啓思
Uターンをして、地元に帰ってきて、私の地元に対して感じたのは、閉鎖的城下町の世界だった。
とにもかくも、染まらない、人間関係の序列社会から離れることだった。間違いなく、世界>東京>地方>城下町の
視線だった。新潟市でさえ外部の比率が6割に対し、長岡は2割しかいないことを知った。要は盆地の雪国だった。 
住居を長岡、事業を新潟市にして毎日、通っていると、それが浮き上がって見える。それも首都圏から見れば似た
ようなもの。それを逆照射してみると、世界というより欧米から見れば、日本は極東のアフリカか、中南米のような
世界と同じ。5百年近く前に、日本にやってきた西洋人が、この東洋の島国にやってきて、その文化の高さに驚いた。
当時の織田信長の鉄砲で固めた軍隊は、欧州を滅ぼすほどの近代化された軍隊であった。 世界>東京>地方の
図式は、こと日本において、決して当てはまらないのである。  ーその辺を抜粋してみるー
≪ 世界」を「東京」に、「日本」を「田舎」に置きかえると、「東京」は「国際化」の象徴であり、外へ開かれた
 都市でした。東京へ行くことは、また自分を世界へ開くことでもあったのです。それに対して地方や田舎にいることは
内向きで閉鎖的な部族民に甘んじることなのです。そして、この場合、「東京」が普遍的な「世界」を象徴するならば、
「地方」や「田舎」は特異な「日本」そのものだった。誰も「日本的風景」や「日本的社会」という言葉を聞いて
「東京」を思い浮かべはしないでしょう。「日本的」で連想するのは、田舎の野原に囲まれた風景だったり、地方での
いささか窮屈な生活だったりするのです。だから、確かにここにはかなり「複雑」な事情があります。このことを
突きつめてゆくとかなりやっかいな問題がでてくるのではないか。それはこういうことなのです。
「開国の論理」とは、まずは「田舎」を捨てて「都会」をとるという論理で引く。そして、日本の近代化とはまさしく
「田舎」を捨てて「都会」をとろうとしたのでした。「開国の論理」とは、まさにその延長上にある。ほぼ日本近代化
の論理そのものといってもよい。日本の近代化とは、「田舎」の閉鎖性を後進性とみなして、これを捨てる、もしくは
これを「都市化」することだったのです。この同じ論理をもう少しスケールアップしたのが「開国の論理」でした。
「世界」=「都市」、「日本」=「田舎」と見なせば、ここで、われわれは「日本」を見捨てるか、さもなければ
「日本」をこそ自己特権化の典型です。戦後のいわゆる進歩的文化面は、自己特権化という立ち位置に自らを
置くことで、まさに一進歩」した「文化人」を演出したのでした。 ・・・ ≫
▼ 首都圏の住民は、地方出身者を田舎者と一段、二段、蔑んで見ている。その出身者も、地方からの旅行者を
「おのぼり」と蔑んでみている。当然、都会は階級社会がハッキリしている。その下層の人は、それを地方出身者に
向ける。地方の人も、自然と固定観念に染み付き、自虐の念になる。しかし少し考えれば、どうでも良いことが分かる。
大方が気がつくには死期が迫った時。
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3851, ツレがうつになりまして −2
2011年10月11日(火)
 この映画のストーリは、暗い中にも何か仄々とした明るさがある。欝になるサラリーマンの屈折した心は実際、
こんなものではない。学生時代の友人の商社マンが丁度、ホテルの創業時から新潟支店に勤務になってきて、
それ幸いと古町などで15年ほど隔月ごとに飲んでいたが、半分以上は人間関係の愚痴の聞き役。支店長が変わる度に
全神経が新しい支店長との人間関係の構築に向いてしまう。それも数値責任を達成した上だから、たまったものでない。
トイレの中での男の号泣を何度も聞いてきたというが、具体的な上司の辛らつな虐めの言葉は、耳を覆いたくなるほど
辛いという。 主人公も、外資系の会社で、リストラ、効率化、顧客主義、徹底したコスト削減、顧客のクレーム処理で
神経を磨り潰す。 几帳面で、生真面目で、誠実な人柄の主人公が、ある日突然、鬱病が表立つ。そして、会社を辞めて
家で引篭もりに入った主人公は、ただ死にたいと思うようになる。物語りは実録のためか見ている者を引き込む。
 ノンビリしている伴侶の晴子が、生活費も底につき、自分の漫画の連載を打ち止めになった出版会社の担当に
ツレがうつになりまして、お願いします、仕事を下さい」と懇願したのが、タイトルになっている。たまたま、
その同僚が、欝になり人生論などを扱う部門に配置換えになっていた。その必死さにうたれた担当が、その人を紹介し、
それが、この「ツレがうつになりまして」を書くキッカケになる。 この大不況の中で、どの企業も合理化、リストラ
などで、ウツに追い込まれる人が多い現在、タイミング的に丁度良い題材になった。他人事ではない、私も半年前に
会社を倒産させている。倒産の苦しみは生易しくない。事業を立ち上げ準備が15年、事業期間が30年、
合計45年の会社を自分の手で潰すのだから、ただならぬ事。思いもよらぬ事象も当然起きてくる。その嫌な経験でも、
それを事業の一連として味わい、反面、その自分の姿を冷笑している心の奥の視線もある。当初の三ヶ月は、夜に
布団に入るのが恐ろしいほど。三時間ほど熟睡した深夜の1時から3時に眼が覚めて、あれこれの思いが巡る。
それが連日となると、鉛のような気分に襲われる。 大部分の経験者が、この鉛の気分に押し潰され打ちのめされて
いるのだろう。それも時間が解決してくれることは経験上分かっているが、その重い気分は言葉で言い難い。 
事業を興し、上手くいっている時は、この世の春。しかし、ある時点から転げ落ちるように成績が落ち込み始めたら
鉛の日々になる。 それでも手元資金が完全枯渇する半年前に、止める決意が出来たのは不幸中の幸い。 
ここで欝になった主人公が、出版後、講演での言葉が印象的である。
≪ 私は、この経験から、「あ・と・で」という言葉を大事にしています。 あせらないの「あ」、
自分を特別扱いしないの「と」、できることからやるの「で」、3つ合わせて「あ・と・で」≫と。 
 仕事の手順からみたら、全く逆だが、欝体質の人には大切である。 生真面目すぎ、
挫折経験の免疫が無い人が危ない。 ーつづく
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3486, つれづれに ー閑話小題
2010年10月11日(月)
   * ガラパゴスに戻って
 二年前にドコモの携帯からiPhoneに切り替えて、再び日本のドコモの携帯に切り替えて7日が経つ。
二年前にiPhoneに切り替えたドコモの携帯は、その二年前に買っていたので4年間のブランクになる。 
で、驚いたのが、以前とは格段に使いやすくなったことと、画面が綺麗になったこと、画面が大きくなったこと、
カメラが810万画素になり、タッチ式になったこと、スライド式も出てきたなど大きく変化をしていた。
他からの切り替えのため0円で、カメラとメールの最低条件があれば充分、ということで今の機種を選定した。 
しかし他の機種で4〜5万を出したものなら、その段差は更に大きいはず。 これでも、使いやすさは抜群である。
   * 一世帯あたりの平均所得が14年前の2割減
 厚生労働省が2009年6月に発表した国民生活基礎調査によると、2007年の一世帯の平均所得は556万円となり、
1994年のピークの664万円に比べ2割近く下げた。 一人当たりの平均給与は429万円で、1997年467万円から下がり
続けている。世帯の給与ほど下がってないのは、奥さんが、その補填のため働きに出たり労働時間を延長したこと、
などがある。増税などを含めると、世帯の収入が四分の一も減れば、景気が悪くなるのは当然である。これからも、
団塊の世代の大量の定年退職や、少子高齢化や、人口減少、そして世界恐慌?の進行とともに日本経済はますます
ダウンしていく。おそらく10年で、更に2〜3割以上は減ることになるから、一ときの半分以下の平均世帯給与が
300〜350万円になると、勝ち組の収入格差が3〜10倍の格差がつくことになる。反面、それほどの貧困感は出る
ことはないだろう。中古市場や、フリー(不用品の無料化、デジタル化による無料化)の拡大で有り余った在庫を
融通しあうシステムがネットを通して働くからだ。貧乏だが、最低限のモノや情報には不自由しない時代になっていく。
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3111,つれづれにー閑話小題  
 2009年10月11日(日)
 *「正座が趣味」は、言い得て妙である
 ある随想を読んでいたら「セイザが趣味」とあった。「セイザというと星座と思われるかも知れないが、
私のは正座である」という書き出しが良い。正座をしている人を見て、格好がよかったと思ったので、
正座に挑戦してみたところ、良かったので続けているうちに趣味と思えるようになったという。
 海外旅行などで長時間、飛行機のエコノミーの席に座ってきた経験から言うと、座席にあわせ深く座り、
腰骨を立てて姿勢を正していた方が結局は疲れが少ない。 まあ人生の姿勢も同じであるが。
私は学生時代に合気道を経験したことと、両親が茶道を趣味としていたため、いつも自宅で茶道の会など、
両親の隣に座らされていたこともある。 もちろん、背骨を立て正座である。
 葬式とか、法事で公式の席で座る機会が多いが、最近は途中から正座を崩すようになった。今度は、
どこまで正座に耐えられるかこころみることにしようか。 で、何年後かに「正座が趣味」と言ってみたいが。
  〜〜
  * 自民党総裁選の結果を総括する!
 今さら自民党を取上げることもないが、谷垣を談合もどきで選出した愚を書いてみる。恐らく当たり前のことを
当たり前に述べるのだから、ほぼ同じ内容が、よりシビアに政治評論家が切り捨てているはず。しかし新聞にしろ
マスコミでバッサリと斬った内容を見てない。ところで、その選挙、当て馬の何某は谷垣の反対票を分散するための、
「あの連中(自民党壊滅の戦犯)」が仕立てた役割以外の何ものでもない。要は河野太郎と谷垣との選択選挙だった。 
そこで主張している内容は、河野太郎の方が一方的に筋が通っていた。「森元首相など戦犯を追放し、民主党
大きな政府の対立軸として、小さな政府を目指す党にしなければ自民党は再生できない」全く、そのとおりである。 
それに対して、谷垣は「これまでの派閥の領袖や、森元首相など首相経験者の後ろ盾を背景に、これまでの体制を
維持しながら立て直そう」という。 誰の目にも真っ当なのはどちらかは判断できる。
 小泉のアメリカ追随の新自由主義は行き過ぎだったが、といって自由競争はグローバルになった世界経済社会では
必要である。 また、アメリカと協調していくこともである。従って、民主党の方針をそのまま実行していけば
必ずや行き詰り、自滅するのは目に見えている。 その時を期して、今までの悪しき体質のヘドロ体質を思い切って
保守本流自由主義を目指すのが筋である。 いずれにしても、二大政党としての対立軸は必要なのだから。
 これで、官僚と自民党守旧派は陰湿な手段で陰謀を仕掛けるだろうが、その辺の匂いは、自然と見えてくるもの。
そうこう考えると来年の参院で、更に惨敗の可能性がある。 その方が当面は良いのだろうが。