『60歳からの人生を楽しむ技術』渡部昇一著           
    * 人生はたくさん憶えているほど豊かになる
 55歳から、ネット上に、この『テーマ日記』を欠かすことなく書き続けている。 
1000,3000、6000と書き続け、その日書いたミニ物語を含めて18年分を流し読み
ていると、人生の行蔵を含めた記憶がフラッシュのように現れ出てくる。
この蓄積の内容が、自分そのものであり、これ以上でも、以下でもない?
 20歳代の学生時代などの日記に、リアルな日常の細部が、数十年後も読返す
と、その時の自分に一時、立ち返ったような錯覚になる。それも記録として
細部を書いていた為である。人生は多く憶えているほど豊かになる。思いだした
時どきに、小まめに記録すれば良いが、それがなかなか。
17年数ヶ月、書き続け、蓄積すればするほど、心豊かになっているはずだが。
そして毎朝、自分のアイデンディティと向き合った時間は、ある意味、瞑想を
しているような異次元世界に居るような…。記憶こそが我が人生そのものになる。 
 〜そうか、記憶が人生ですか。とすると、小さいながらも過剰リッチになるのか。

【 …記憶とは何なのだろうとよくよく考えると、その人のアイデンティティ
 そのものであるという結論に至ります。記憶こそが、自分自身というもので
あり、今の自分の行動を規定しているもっとも大きな要因だと気付いてハッと
します。たとえば、私の妻と他の女性を画然と区別するのは、この51年間、
2人の記憶が共通していることです。 同じ事柄に対する2人の見方や印象や
解釈が異なることはおおいにあっても、2人に起こった毎日毎日の小事件に
ついては記憶を共有しているのです。夫婦というものが特別な関係なのは
セックスだけではありません。老夫婦ともなればセックスに関係なくても、
数十年の記憶を共有しているのです】
 『遺留分放棄』について…
【 私の遺産をどうするかと考えた時、その対象は妻子になります。それは、
 私と共有した記憶の量によって決まっていることに気付きます。おそらく私は
全財産を妻に残すべく、子どもたちに遺留分の放棄を求めるでしょう。これは、
私と共有する記憶の量がずば抜けて多いのが妻だからです。もし妻が私より先に
死んだら、私は子どもたち3人がほぼ均等に遺産を分けるようにという遺言状を
書くと思います 】
 『記憶』に関して、
【 突き詰めて言えば、人生とは記憶です。もしすべての記憶が失われたら、
 肉体はその人であっても、人格はその人ではなくなります。晩年を生きるに
あたって、もっとも大切なことは記憶力を鍛え、多くの記憶を持ち続けること
ではないでしょうか 】
 『記憶維持には、脳を使い続けるしかない』で、
【 記憶の働きというのは本当に不思議です。『人は二度死ぬ』と言います。
 一度目は息を引き取った時、二度目はその人のことを記憶する者がなくなった
時だ。 … 細胞という水を流していた川に相当する記憶が失われる。
川がなくなって、行き場を失った水だけが淀んでいるようなものです。
これは長寿者に起こり得るもっとも大きな悲劇でしょう。『ボケてしまえば
何もわからないから本人は幸せ』と言う人もいますが、記憶を失った自分は
自分ではありません。自分でなくなった自分の肉体が、生きて徘徊する姿を
想像して、怖ろしくない人はいないでしょう。それに家族も大変です。】

ーー
▼ 「記憶は、記録!」の要素は大。記録として残してない期間は、残して
 ある期間と比べると薄弱になる。忘却も人生には必要だが、書き残すとは、
記憶の痕跡を残すことになる。

 追: 何か去年の同月同日分の内容と、丁度よく繋がる…
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6053,「ナミヤ雑貨店の奇蹟」ー2 
2017年10月09日(月)
   * 「大変な人」たち
 一昨日、「ナミヤ雑貨店の奇蹟」の感想文を書いていて、何か奇妙な感覚に
なっていた。この随想日記を書き続けて16年半年になるが、40年以上前の学生
時代の日記を書き写しながら当時を回顧したり、その時々の読書や映画の感想文
や、旅行紀行や、還暦、古希の節目とか、会社整理とかに、ありのままの気持ち
を正直に書いていた。 早朝、書上げた後に、それまでの同月同日の文章を流し
読みも楽しみの一つ。 映画で、ナミヤ雑貨店の主人が悩み相談を受けた翌日、
牛乳ポストに、その返事を書いて入れておくのと、私のほぼ忘却した過っての
時空を超えた文章との自己対話が何かしら奇妙に似ている。真剣にテーマに
立向かっている瞬間は、垂直にたつ永遠の一点。「ナミヤ雑貨店」のシャッター
の新聞の入口から投げ込まれる相談の手紙が、過って書いた同月同日の文章。
 今は空家の雑貨店に侵入した3人組の青年の一人が勝手口から出て、外側の
シャッターから白紙の便箋を投げ込むが、時空を超えて、その店内の主人に届く。
その白紙に、主人が返答を書き込むが、それは白紙からの再生を促す内容。
早朝、新たな文章を書上げ、過去文を読返し、過っての自分を見つめなおす
のに酷似する。確かに、あの時、私は生きていた。その瞬間は永遠であった。
それを読んでいる時間も永遠だった。この雑記帳のようなテーマ日記は、私に
とっての生れ変りの役割りになってきた。その結果が、この「大変な人」か!
「城下町コスプレの大変な人たち」を31年間、新潟〜長岡間を通い続けたから
こそ確信を持って「ドッチも変」と言える。 「大変な人」が、如何した?
<「大変な人」など、あなたの心象風景。心の歪みじゃないかい! 
 成るほど、変になるわ!>と、内なる声! 

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脳がよろこぶ話 ー2
2014年10月09日(木)
      対談ー小菅正夫『脳がよろこぶ話』茂木健一郎ー5人との対談
  *「平気で生きている」ことの強さ
 三年前に、めったに出来ない経験をしてみたが、いざとなると意外と平気。
よほど、事業立ち上げの準備期間の15年間の方が厳しい状況であった。
足元が、固まってない不安と、虚無感は、何とも厳しいものがあった。
開き直りもあるが、全力で、し終えた実感があるが、まだ見ぬ計画段階を
独りで、ひたすら具体化をするのは非常に厳しい。あった物を失うことより、
無いものを形にするほうが、何倍、何十倍のエネルギーを要する。
   ーその辺りよりー
≪ ・茂木:共通の幸福の条件ってあるんですかね。
・小菅:先ほど申し上げた通り、まず食べ物を発見したとき、ちゃんと食べ
られたとき。それと繁殖。交尾がちゃんとできた、出産がちゃんとできた、
育児ができた。これだけです。彼らはホントにそぎ落とした生き方しているから。
・茂木:ムダがない。
・小菅:ムダがないというより、余裕がない。生きていくだけで精一杯。
・茂木:もともと野生環境は厳しい。
・小菅:人も日本人を基準に考えたらダメ。僕もこの前ケニアに行っていた
んだけど、ホントにね、痩せた子ども。ハエがたかった子どもが街にいる。
それを抱えているお母さんが物乞いをしている。人ですらそうでしょう。
ましてやチンバン�も死んだ子ども抱えて、ライオンだってごく一部の幸運
な子どもしか育たない。彼らがそういう環募なかで生きているということは、
われわれとちょっと次元が違うと思う。それで満足というよりも、本当に
それしかできない。余裕がない、僕らは食べ物を取ったらその後、何か
楽しみが待っているけど、彼らはそこから、せっかく自分の身体の中に入れた
エネルギーをなるべく長持ちさせるようにゆっくり休んでいる。(中略)・・
・小菅:百何歳の曹洞宗の禅師のインタビューで、「悟りとは何ですか」
という、質問者がたずねた。「平気で死ぬことですか」と。そしたら禅師は、
「平気で生きていることですよ」― あれ、動物と同じだと思った。
動物って平気で生きている。たとえばうちにアサコていうゾウがいました。
六十歳超えていて、最後の臼歯が半分欠けて落ちた。それであまり食べられ
なくなっちゃったんだけど、それでも平気で生きている。気にしない。
 文句言わない。今までとまったく変わらない生き方をしている。
そしてパタッと倒れて死もんでいく。 あの平気さっていうのはね。
宮崎さんという方が「平気で生きていることが悟り」と言うんだったら、
動物はみんな悟っているなと。
・茂木:不思議ですね、そうすると修行を積まれた高僧の方がたどりついた
境地というのは、もっとわれわれの祖先が動物だった時代に持ぞいたもの
かもしれない。われおれは忘れちゃっているだけなんですかね。
そういう蓄があるんだと思う。≫
▼ でも、「平気で死ぬこと」も、動物の大きな特性である。
 人間の最大の問題は、肉体的苦痛と、苦悩への恐れの解決である。
 確かに、底知れぬ苦痛と、苦悩の中、消滅していくのだろうが・・ 
  
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5686,閑話小題 〜父の金銭教育
2016年10月09日(日)
   * 金銭教育と知識管理
 ここで何度か書いてきたが、父親から、姉・兄たちともに、幼児の頃から
<金銭教育>=「質素倹約、贅沢は身を滅ぼす。小銭は、大きくして使え」と
仕込まれていた。その一つが、幼児期から個々の通帳に大晦日に貰った御年玉
を翌日、回収されて、預金をされる。その時だけ通帳の残高を見せられる。
しかし、何時の間に、その残高が年々、増えていくのを見るのが楽しみになる。
溜める楽しみを教えたかったようだ。そして、姉たちには結婚時に、それを元金
にし、『家つき娘』としての新居を建て与えていた。 別立の積立の習慣が、
金銭管理の第一歩の実践と・・ 
 会社整理で、最小の傷で済んだのも、父親の金銭管理の実践あればこそ。 
進学するにつれ、同期の友人の実家がリッチになっていく。ところが、友人
たちの金銭感覚が、細かく、シリアスになっていく共通項があった。
大金は平気に使うが無駄金は一切使わない。お金は命と同様に大事という
教えが入っていた。 
 サラリーマン家庭は、手取りの2割の天引き積立が基本というが、結婚来、
総額の15%の家内名義の給与を支払ってきた。その事業者版が、このシステム。
税務署も、その辺りは難しくいわない。 ところで、家計力の評価として、
・家計安全度(負債が少ないほど高評価)、
・貯蓄パワー(貯蓄割合が高いほど高評価)、
・スケールパワー(純資産が多いほど高評価)、
・コストダウン努力(支出が少ないほど高評価)、
・リスク耐久力(家族1人当たりの資産額が多いほど高評価)
の5項目があるが、最も重視するのは貯蓄パワー。「世帯手取り収入に対し
貯蓄率が21%を超える家庭は、貯金体質にある」という。当時の男子社員に、
父は天引き預金を勧め、それを手堅い『北陸ガス』株の購入をさせていた。
そして姉たち同様、結婚時に値上がりした株式を元に、一部ローンを組ませて、
住宅を購入させていた。 
 プロのトレイダーは、別建ての地道な預金を人知れずしているという。
金銭管理と知識管理、共通点がある。 こつこつと、時にムダ金も必要である。
 知識管理は? どうだろう? 教訓は多く聞いていたが。

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5321,寺院経営の惨状とは
2015年10月09日(金)
  * 貧困は寺院経営に顕著に現れ出る
 寺院の年間収入50万円以下が2割、100万円以下が3割の数字に目を疑った。
その3割の大方(9割)が生活困窮状態?という。 一年ほど前に親戚の
法事に参列したが、その宴席の隣席が午前様。 何気ない会話の中で、
『由緒ありそうなお寺のようですが、墓は幾つあるのですか?』と若い跡継ぎ
の午前様に聞くと、顔色がサッと変わり、『それは、言えません!』と答えた。
後で、「寺院経営の窮状を悟られたくないためか」と、気づいた・・ 
葬式や法事で聞く法話も、情報化の中で、『成るほど!』と心に残る内容は
今では皆無。 ネットで調べた内容は、衝撃的でさえある。
≪ 今年4月、『生活困窮者自立支援法』が施行。生活保護に至る前の自立
 支援が狙いだ。背景には、深刻な生活困窮者の増加がある。6月、厚生労働省
は「今年3月時点での生活保護受給者が217万4331人と過去最高を更新」と発表。
受給世帯数も、前月比3773世帯増の162万2458世帯と、こちらも過去最高。
増加に転じた平成7年時の受給者数は88万2229人。この20年で約2.4倍増えた。
増加の要因は、就労に依る自立困難な高齢者世帯の増加、更にリーマン
ショックや経済低迷の影響となれば、今後も増加傾向は容易に変わらない。
日本の高齢化は進む一方であり、6月19日に衆譲院を通過した労慟者派遣法
改正案は、労働者側からすれば生活を一層不安定にすると懸念されているから。
 ところで、この生活保護を受けられる最低ラインの生活扶助基準とは、
どれくらいか? 世帯数や地域でも変わるが、両親と就学前児童1人の3人家族
の場合では、最も高い東京23区で凡そ月16万円という。年収約200万円だ。
これに住宅扶助等の諸々が加えられる。
 では、この額に比してお寺の現状はどうなのか? 曹洞宗が10年に1度
おこなっている宗勢総合調査(平成17年)の寺院の年間収入は如何だろう? 
 先ず、年間収入50万円以下が何と2割を占め、100万円以下が3割。
確実に最低生活水準を満たしていない寺院が3割もあるのだ。平成21年に
浄土真宗本願寺派が行った宗勢調査の結果だが、こちらも2割近くが年収
100万円未満なのだ。当然、この年収では、いや、全体の半数を占める
300万円未満でも生活は厳しい。現に、本願寺派では300万円未満の寺院の
9割が「全く生活できない」「かなり切り詰めないと生活が成り立たない」
と回答。一般家庭と異なり、寺院には様々な維持管理費が必要。
布教の為の教化費もいる。収入の全てを生活費に充てる訳にはいかない。
実際、同派で300万円未満の寺院の7割が「兼業収入を寺院護持に使っている」
と答えている。 (略)・・・
 過疎や高齢化・家制度の揺らぎ・仏事に対する意識の薄れ等、お寺を取り巻く
環境の変化に依る今後の見通しは極めて厳しい。どの地域にあっても他人事では
ないことは明らかだ。そんな中、檀家の少ないお寺を継ぐことは極論すれば、
将来に“負債”を抱えるようなものという見方もあろう。現に、過疎地寺院の
後継者難が、どの宗派においても深刻な問題になっている。しかし、それでも
実は寺院数が激減していないのは、檀家は勿論、住職や寺族が物心両面で
お寺を支えているからに違いない。・・・ ≫
▼ お寺でも、その規模などによる経営格差がしている。
 大都市一極化、少子化、家制度の激変の中で、仏事に対する考えも変化。
それに伴い収入も激減し、寺院経営は大きな岐路に立たされている。
「長い歴史で、情報基地の役割を果たしてきた寺院のシステムが、情報化
社会の変化に立ち遅れた結果」ということになる。特に過疎地は酷いようだ。

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4589, 2050年の世界 ー17
2013年10月09日(水)
   「2050年の世界 ー英『エコノミスト』誌は予測するー」
         〜英『エコノミスト』編集部 (著)
    第八章 弱者が強者となる戦争の未来 ーのまとめ
第二次世界大戦後、戦争による死者の数は劇的に減っている。
 それは冷戦期、米ソの対立によって、戦争が逆に管理されていたからである。
・その一方で不確実性は高まった。米英も地上兵力を科学技術力によって激減
 できると考えたが、9・11を皮切りとする非対称的な戦争では、それは誤って
 いたことがわかった。
・技術の拡散によって、不良国家やテロ組織がアメリカに非対称的な戦争を
 しかけられるだけの力を持ってきている。インターネットを基盤とする既成
 の通信手段と暗号化ソフト、安価な精密誘導ミサイルと迫撃砲、人間が持ち
 運びできる新型の防空兵器、対衛星システム、対艦ミサイル、核弾頭を搭載
 できる高精度長距離弾道ミサイルなどの技術である。
・一方、地域間の紛争の危険も高まり、その紛争の原因は宗教を起点として、
 水やエネルギーなどの資源を実利として行なわれる。
・そうした地域間の紛争で、核兵器の使用の懸念がある。米ソ冷戦期に
 おいては、距離的な緩衝材があったために、核戦争は管理され実際には
 起こらなかったが、国境を接する国々ではそうした抑止の力がない。
・イランは確実に核保有国家になるだろう。米国と同盟関係にあるはずの
 アラブ諸国は、米国を信じておらず、米の核抑止力に頼らず、独自に核を
 持とうとするだろう。サウジアラビアとエジプト、そしてイラク、シリア
 などが核を保有しようとする
・現在英米の戦略は、空母打撃群を中心に、短距離飛行の戦闘機を中心に
 組み立てられているが、そうした戦略に危惧をいだく専門家もいる。
 彼らは、B-52のような長距離爆撃機こそ必要だと考えている。
無人飛行機などの戦争のロボット化は引き続き進む。
・先進国は、高齢化による財政悪化で、かつてほどは防衛費に国家予算を
 回せなくなる。
▼ そうこう考えると、40年の間、核戦争が起きない方が不思議で、必ず
 起こるはず。20世紀前半では、1億以上の人が犠牲になったが、再び億単位の
人たちの犠牲も有りうる。今のところ国家間の核攻撃の問題だが、他の科学兵器
を含めた個人の意思による攻撃も充分あり得る。 狂った猿の兵器が、ますます
強大になった結果、人類そのものの存在さえ危くなる。細菌テロなどの科学
兵器が、一国を滅亡させる可能性さえある。追い詰められた弱者の暴動を押さえ
込むシリアの科学兵器攻撃でオバマが激怒したのではなく、それ自体が国家に
よる反乱への弾圧の手段として使用したことに対する歴史的行為であるからだ。
その意味で、中国と、ロシアも、米国の攻撃を阻止した行為は、歴史に残る
愚行として間違いなく残る。そう、細菌などの化学兵器がテロで日常的に使用
される時代が、近い将来の姿である。 

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4214, 開国という強迫観念 ー1
2012年10月09日(火)
 ある雑誌にー反・幸福論『開国という強迫』ー京大教授・佐伯啓思のレポート
があった。TPPの反対論だろうと読んでみたが、なかなか面白い。 私自身、地域
社会に埋没しないことと、両親などの刷り込みによる思い込みなどからの脱却が
人生のテーマにしてきた。自分を開き、違った世界を受け入れ、同化することが
人間の成長と信じ、生きてきた。しかし、反面、知らない世界に常に怯え、同化
を拒否していた。これは人間として当然でもある。 ここで著者は、「開国は、
突き詰めればアメリカに対する不利な条件をつけられた開城ではないか?」と、
問題提起をしている。 その辺の論拠を何回かに分け取り上げてみる。  
  ーまずは、その抜粋からー
≪ 丸山真男は、戦国から安土時代へかけてが「第一の開国」、明治維新
「第二の開国」、そして終戦後が「第三の開国」といいました。また松本健一は、
明治維新が「第一の開国」、終戦後が「第二の開国」、そして1990年代の
グローバリズムを「第三の開国」と呼んでいる。両者を足し合わせれば、すでに
日本は四回開国しており、今回は五回目の「開国」なのです。「開国」の大安
売りで、「開国」「続開国」「続々開国」と、いったいどこまで開けばよい
のでしょう。気になるのは、明らかにここにはあるバイアス、もしくは先入見が
あり、それは国を閉ざすことは悪、開くことこそが善、という強力な思い込みが
あるということです。閉所恐怖症ならぬ「閉国恐怖]と「開国強迫観念」がある。
「開国」すなわち「国を開く」ことは国際化を意味し、無条件に歓迎すべきだ、
という思い込みです。TPP賛成の「開国論」は、しばしば、「TPP反対派は外国に
対していわれなき怯えと恐怖をもっている」といいます。しかし逆にいえば、
「TPP推進の開国論は、国を開かなければ世界からは取り残されるという強迫観念
。・・・(中略) その一大典型が、先ほどの「開国論」を唱える丸山真男
はじめとする戦後進歩的文化人でした。彼らの主張は、何よりまず、戦後日本を
民主化し近代化する、ということでした。ではどうして彼らはそのような主張が
できたのか。それは民主的な近代市民社会を成立させた先進国の立場に自らを
同一化したからです。その上で、民主主義が根付かない後進国である日本を批判
したわけです。日本人部族の大半は閉鎖的で西洋のような先進世界を知らない。
知らないから、自己中心的で、世界には通用しない自分たちの流儀に得々として
いる、というわけです。いわば「部族社会の原理」で生きている、というのです。
このようにいってしまえば、彼らだけ主義が根付き、個人の自由や人権が保障
され、合理的精神、いわゆる市民社会だとことあるごとに強調しました。
しかし、現実は大きく違います。アメリカには今でも根深い差別意識があり、
ヨーロッパには強烈なエリート主義や隠然たる階級意識があります。
古代ローマギリシャへの敬意は未だに強く(だから、あの「だらしない」
ギリシャをわざわざEUに入れたのです) ≫
▼ 日本周辺の地勢から考えると、強迫観念を持つのは当然。アメリカと
 ロシアと中国に囲まれた現実世界が存在している。もし、開国してなかったら、
アメリカか中国の一部になっている可能性もある。 戦国から安土の開国は、蒙古
襲来があったため。明治維新は、アメリカの開国要求に対して近代国家樹立が
生きる道であった。終戦アメリカに敗戦したため。グローバリズムは共産圏が
消滅し、世界各国の壁が低くなったためである。しかし著者はここで、
「開国という強迫観念」があった、と主張する。  −つづく