* 生き直すために!
  朝日新聞のオピニオン「耕論」の『生き直すために』小田嶋隆 ーのコラムが面白い! 
 先回の「そして、人生はつづく」は、「生き直し」でもある。この年齢になると、一年ごとが生き直しの日々。
 筆者は、生き直しは、「やめる」ことから始まるという。 やめることは捨てること。最近、断捨離という言葉を聞くが、
 その捨てることが難しい。 捨てて捨てて捨て去ることは悲しく辛い。が、それを前向きにすることで、辛さを軽減出来る。
  ーまず内容の前半の要約をすると・・
《 「人生やり直し」を二度経験している。1980年に大学を卒業して、新卒で入った会社を8ヶ月で辞めた。
 何をするわけでなく、ただ不愉快なことがあったから逃げただけ。当時、上場企業の正社員というコースから一度
外れると再チャレンジが難しく、3〜4年アルバイトをしていたが、バンド仲間の知人からパソコン入門ライターを
勧められ、パソコンバブルもあって、それが当たった。しかし30歳前後から、アル中になり、酒浸り。
酒が切れるとウツ状態になる。自殺をしないためにも酒を飲み続けた。
 それもあり、仕事が減った39歳の時に断酒をしたが、5日間、断酒をしたら、眠れず、幻聴まで出てきた。そこで、
心療内科に行くとアルコール依存症と診断され、「このままだと、40代で酒乱、50代で人格崩壊、60代でアルコール性痴呆。
もう一生飲まないしかないよ」と宣言された。それまで人と会うのも、音楽を聴くのも、野球を見るのも、酒を飲みながら。
医者に「酒をやめるということは、酒のない人生を新たにつくることだよ」と言われ、慣れ親しんでいたことを次々やめた。
断酒自助グループのアルコホーリクス・アノニマス(AA)で、「棚卸し」というが、いわば人生のリセットをする。
 酒をやめてみると、膨大の時間が余る。何をしていいのか分からない。サッカー観戦だったり、自転車を乗り回したり、
イグアナを飼ったりして時間を潰した。・・・》 ーつづく  
 ▼ 何かを捨てるということは、「空即是色」の現象面の一つ。「空にしてこそ新たな色が現れてくる」。 
 筆者は、上場企業を8ヶ月で辞め、犬に例えると宅上犬から野良犬になった。そこで、彷徨い歩いているうちアル中になり、
 39歳で断酒。そこで得たのは膨大の時間。自分の能力、弱さを認めることから出発しないと、アル中から脱出できない。
  物書きと、創業を目指した私とは大きな違いがある。目標がハッキリすれば、選択することが見えて、自然と、
 「やめる」ことが見えてくる。20歳の頃、創業を決心した時から、私が捨てたのは「世間体」と世間の常識。
 そうとはいえ、やはり本当に捨ててきたかというと、捨てきれる訳がない。決断、決心をする時にまず意識してきた。
  これを捨てるには、まず全てを根こそぎ疑うこと。ここでは「やめる」と言っているが、まず自分の常識を破壊する。
 人生にやり直しなど出来ようがない。天を信じて、捨てるべき時に、捨てるべきことを、捨てないと・・・ 
 捨てることを決断することで、自ずと節目が出来る。「脱皮できない蛇は死ぬ」 脱皮出来ないゾンビが街を徘徊している。
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4218, 神は妄想である ー1
2012年10月13日(土)
                         ー「神は妄想である」 リチャード・ドーキンズ著
 面白い本を図書館で見つけた。無神論の立場を知ることもあるが、「逆照射で宗教とは、神とは何か?」を知るに最適である。
欧米のように、生まれた時から一神教に染められ、神を信じない人間を否定する環境の中で育ってない日本人は、神様目線が
殆どない。殆んどは、「神は妄想」と思っているし、神の話など家庭内では皆無だろう。しかし欧米では無神論者は同性愛と同様か
変人扱いにされる。とはいえ、この情報化の中で、原理主義者などの狂信者を知るにつけ、無神論者が増えてきている。
   まずは、ー背裏表紙の「内容の概要」ーより
≪ 人はなぜ神という、ありそうもないものを信じるのか? 物事は、宗教が絡むとフリーパスになることがままあるが、
なぜ宗教だけが特別扱いをされるのか? 「私は無神論者である」と公言することがはばかられる、たとえば現在のアメリカ社会の
あり方は、おかしくはないのか… 『利己的な遺伝子』の著者で、科学啓蒙にも精力的に携わっている著者は、かねてから宗教への
違和感を公言していたが、9・11の「テロ」の悲劇をきっかけに、このテーマについて1冊の本を書かずにはいられなくなった。
「もう宗教はいいじゃないか」と。著者は科学者の立場から、あくまで論理的に考察を重ねながら、神を信仰することについて
あらゆる方向から鋭い批判を加えていく。 宗教が社会へ及ぼす実害のあることを訴えるために。
 神の存在という「仮説」を粉砕するために。―古くは創造論者、昨今ではインテリジェント・デザインを自称する、進化論を
学校で教えることに反対する聖書原理主義勢力の伸張など、非合理をよしとする風潮は根強い。あえて反迷信、反・非合理主義の
立場を貫き通す著者の、畳みかけるような舌鋒が冴える、発売されるや全米ベストセラーとなった超話題作。≫
 ▼ 無神論は、哲学者などが多く論じているが、『利己的遺伝子』で世界的ベストセラーとなったドーキンズだから、なおのこと、
  注目された内容。 9・11テロに直面して、書かずにいられなかったという。神は妄想という言葉に対し、知人から
  注意があったというが、敢えて、この言葉にしたという。 欧米社会では無神論を公然と語るのは、変人とみなされる。
  とはいえ、知識を持ってしまった人間は、心の奥底で何かすがる絶対的な言葉を欲するもの。自然以外に、まず、それに
  アブラハムが気づき、「絶対神」を発明した。それが数千年を経た現在まで続き、ユダヤ人にはユダヤ教、欧米人には
  キリスト教、アラブ人にはイスラム教に分化していった。人種に宗教が複雑に絡んでいるため、そこに当然、争いが生じるのは
  至極当然で、その対立は激しさを増している。そこで、その神を無神論の立場で妄想と切り捨てる視点も、よく分かる。
  「裸の王様」に対し、思い切って誰かが、「王様は裸だ」と大声でいうことも必要か。どう考えても、人間は、アフリカの
  猿が進化した生きもの。動物どうし、猿どうしが、激しい生存競争の中で生き残った人間が、自然世界の時間をかけた
  進化などをさせてきた、自然法則を神として理屈づけたものと、思うのが大方の人。 ーつづく
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3853, シリアスでストイック
2011年10月13日(木)
 最近、目に付くのが「シリアス」と「ストイック」という言葉。
シリアスはコミックなどで度々、目にする。「リアルに近い意味」と捉えていたが、「本格的なさま、極めて深刻」と辞書にある。
コミックでは、「急に真面目になる」という意味。「真剣になる」というのが一般的である。
ストイックは、「禁欲的な」という意味で、「あの人はストイックだ」という場合は自分に厳しい人という意味になる。
「今回のヒロインはシリアスでストイックなキャラなので、アクションも静かな怒りを感じる」というと、
「ヒロインは極めて真剣で、自分に厳しいキャラなので・・・・」という意味になる。
プロの選手や兵士、そして原稿などの締め切りに追われている作家などは、シリアスで、ストイックの日々を過ごしている事になる。
漫画でいえば、「ゴルゴ13」の主人公が、シリアスでストイックなキャラになる。
そうすると現在の私は、「この変わり目の時節は、シリアスの日々をストイックに過ごさなければならない」ことになる。
まさに毎日の生活習慣は、この言葉どおりである。いや、「ファニー」の一日かもしれない。
その対義語ではないが、正反対のキャラのニュアンスが、「ファニー」である。「おかしな。奇妙な。一風 変わった。」という意味。
お笑いタレント、デブタレントが、これに当たる。サンマ、タモリなどが、このキャラになる。
 その目線で人を見ると、また違って見えてくる。すると、私はシリアスでストイックというより、ファニーの日々を過ごしている?
誰もが、少し視線を変えれば、違って見えて当然だが。 人生を振り返ると、この3つが混在している。 私の場合、「リアル」で、
かつ「コミック」も加わる。 まともに生きればシリアスで、ストイックで、リアルで、コミックの人生になる? 問題は品性か?
品性というと、シリアス、ストイックには品性が含まれていなくては、とすると?・・・ 絶句。 誰かはファニーで、コミックだけ?
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3488, インコのクシャミ
2010年10月13日(水)
 ペットのコガネインコが先週末の土曜日に変になってしまった。身体全体の毛が逆立ち丸くなり、目がうつろ、エサを食べようとしない。
籠の出入り口を開けると出てきて、頭と喉を撫ぜてもらうのが習慣になっている。しかし、そこすら来ないでエサ台の上の止まり場で
ジッとしている。呼びかけても反応がなく、目すら開けれない状態で寝入ってしまう。そして無呼吸状態になり、ハッとして腹式呼吸
母が亡くなる直前も、そうだった。これが危篤状態なら死に目に立ち会ってやろと、付きっ切りで椅子に座り、みていた。
時どき寝入って後ろに転げ落ちそうになるが、片方の足が籠の網を握っているので、辛うじて立ち位置を保っていた。
そこで気づいたのがインコの小さなクシャミ。 小さくクショッと人間のようにするのである。
そこで、これは季節の変わり目の温度差で風邪をひき、熱が出て?変になっていたのに気づいたわけ。インコも風邪をひき、
クシャミまでするとは思ってもいなかった。毛を逆立て目も開けることもできず、蹲っているのをみて、何だろうと思い、
8〜9分は死ぬと思い込んだが。 寝入って呼吸もままならぬ状態の後に深呼吸する状態は人間の危篤時と同じ。
インコは、鳴き声と全身で自分の気持ちを伝えようとする。その辺が何とも愛らしいく、今回も全身で体調の不調が露出する。
クシャミをし、全身の毛が逆立ち、目が虚ろになり、ダルサ眠さなどが露出し、そのまま伝わってくる。
ペットの鳥でも、何ともやりきれなくなる。「あんたは人間、自分はインコをしている」が、そのまま全身から伝わってくる。
全身で苦しみ、全身で喜びを表現している姿に、無心に生きる魂が伝わってくる。考えてみれば動物は「ありのまま」で生きている。
だから、ペットとして人間に好かれるのである。 衰弱し、片足を籠の網にかけ下を向いている写真は、心を奪われる。

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3113,イチロウの言葉
2009年10月13日(火)
 以前もイチロウの言葉について書いたことがあった。その後も、これだけの記録を打ち立て続けている。
  それに対して的確な自己分析を理路整然と話せるのスポーツ選手も珍しい。
(以下、字数の関係上カット、 12年10月13日)
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 2748,  ソロスは警告する −1
2008年10月13日(月)
 「ソロスは警告する」 ジョージ・ソロス著  講談社     ー読書日記ー
 まずは、この本の背裏のジョージ・ソロスの紹介文からして面白い!
生き馬の目を抜く世界でトップのクラスの利益を出しているのだから、余程の知識と哲学がなければ勝ち抜けない。 
10年前から哲学に興味を持って継続して学んできたが? つくづく今まで何をしてきたか考えさせられる。
 (以下、字数の関係上カット、 12年10月13日)
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2007年10月13日(土)
 2384, こころの旅  −1  
 「こころの旅」神谷 美恵子 (著)
藤原治著の「人は60歳で何をしたか」に紹介してあった本である。 さっそくアマゾンで取り寄せ、読んでみて、
もっと早い時期に読んでおきたかったと思わせる本であった。 最近に、こういう本に出会うことが多くなった。
一冊の本に魂を入れることが出来るのである。本とは本来そういうものだろう。 それとも自身が著者の魂を
感じることが出来るようになったのだろうか。人生の旅路には、常に越えなければならないいくつもの峠がある。
(以下、字数の関係上カット、 09年10月13日)
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2006年10月13日(金)
2019, 「私」のための現代思想  −11
      (。^0^。)ノ オッ (*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ
我われは顔を露出することによって呼びかけている。多くの場合、「顔」を合わせることが「呼びかけ」になる。
「呼びかけ」は、常に同時に発生するが「先に呼びかけられた」と感じる奇妙な性質を人は持っている。
「自分の居場所がない」ということに人は非常に敏感である。居場所は、他者の存在によって支えられている。
《私》を支えているのが<他者>だから、<他者>が存在しなくなれば、《私》の存在そのものも危うくなります。
  <他者>の「呼びかけ」に応答し、その存在を望むことが、すなわち「<他者>をもてなす」ということです。
 そしてこの他者をもてなすことが、すなわち「《私》の居場所をつくる」ということであり、それは《私》の
 存在を確かなものにする」ということ、そのものです。それがお互いにとって「ともに生きる」ということです。
第四章「私」にとって「他者」とは何か  −?
  =「ともに生きる」ということ=
 −なぜ人は顔を露出するのかー
<他者>が《私》に呼びかけるということは、音声による呼びかけだけを指しているだけではありません。
実は、私たちは顔を露出することによって呼びかけています。「呼びかけ」は一方からのみ行うものではありません。
つまり、<他者>が《私》に呼びかけるということは、《私》が<他者>に対して「呼びかけ」を行ったことの帰結です。
そして多くの場合「顔」によって行われます。ここでいう「呼びかけ」は、常に同時に発生し、両者とも常に
「先に呼びかけられた」と感じる奇妙な性質を持っています。 このような現象を、私たちが「顔を露出し、
顔によって呼びかけている」ことによって発生します。人は常に「存在している」ことを前提として生きています。
「ともに生きる」こと、そして「呼びかけ」「呼びかけられる」ことを前提として、人は顔を露出しているのです。
(字数の関係上カット2008ねん10月13日) 
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2005年10月13日(木)
1654, 北イタリア旅行記−5 
 ーチンクエテッレー
この意味は、「5つの島」という。海岸線に突き出た小さな島が5つあり、その小高いところに張り付くように
家が建てられており、その家々にカラフルな色が塗ってある。漁民が船で帰ってきた時に、自分の家を識別できるように
好みの色を塗りつけてあり、それが何ともいえない風情がある。 その岩場に細い散歩道が百数十キロ続いていて、
ウォーキングができるようになっている。 その近くを、やはり列車が通っていて5つの村に駅がある。
(字数の関係上カット2008ねん10月13日)
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2004年10月13日(水)
 1289, 「元気の出る言葉」ー4
 ーどん底からはい上がるコトバー1
どれだけ、どん底で先人の一言で励まされたことだろうか。 「元気の出る言葉」シリーズの中で、やはり胸を打つ言葉が多い。 
読んでいて思った事は、実際あの時、果たしてどん底だったのだろうか?今回の一言は、特に気持ちをこめた。
正反合の反という意味で、後で読んだときの思いが合になる。 第三者の視点も合になる。
  ーー
■心配すんな、どうせ死ぬんだ。 (by 軌保博光
一言〜それが解かってないから心配する! でも、死ぬことを常に忘れるな、
 そこから自分の人生を見つめよという点で良い言葉。
■自分だけは自分の潜在能力を信じてあげろ。 (by 高橋がなり
一言〜現在という瞬間の継続が、潜在への入り口。
■時間が迫ってきて追いこまれて「もうできるとかできないとか、そういう問題じゃねえ、
 とりあえずやるしかねえ」って決心した途端に、一件目が決まる。  (by 高橋歩
一言〜本当?
■「わくわく」センサーに従って、進路をズバッと決めてしまうこと。 (by 高橋歩
■今がんばらなければ、いつがんばる。(by 藤田晋
■ぐちだけは、言わんとこうな。
一言〜愚痴か〜 、一人で布団の中で泣くのとどっちがよいのかな〜
■人生は10段変速の自転車のようなもの。
 自分が持っているものの大半は使ってない。(by チャールズ・シュルツ
一言〜一段だけの人もいるんだよな〜
■なんのために生まれてきたのか。答えは1つ。 生まれ変わるため。(by 中谷彰宏
一言〜うん〜〜〜?!
■乗らないと損だと思える提案をせよ。(by 神田昌典
自己実現とは、今の生活を最大限に充実させて満足を感じる能力だ。
(by アブラハムマスロー)
(以下、字数の関係上カット、 09年10月13日)
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 2003年10月13日(月)
 922, アイスランド旅行記−2
  ーアイスランドを印象順に書いてみるー
   字数の関係上、カットしました。(2007年10月13日)

                • -

548,予定挫折

  • 2002年10月13日(日

ミスマッチの組み合わせの言葉である。挫折は途中で断念してしまう事で、予定していれば挫折でない。
この組み合わせの意味は、挫折時期を予想しておいてその準備をしておく事である。
私の場合、大学受験失敗や他の挫折を人生の前半に重ねた為、挫折の痛みと、反面その必要性を実感をしていた。
必ず生きていくうえで変化と転進の必要性がある。大体が7年である。その時期を読み、変化を積極的に自分で
創らなければならない。その時にそれまで続けてきた事を止める、これが予定挫折である。
スキーを子供のとき滑って失速した時、自分から前向きに倒れるコツを覚えた事があった。
その方が大事にならないで済むことを繰り返しの中で知った。柔道や合気道で、まず訓練をされるのが受け身や倒れ方である。
予定挫折を初めから組み込み、その時期がきたら割り切ってしまう事が必要である。節を予定して積極的に創っていく事だ。
ある甥が大手の会社に7年在職後、さっさと辞めて漫画家になった。 有名らしいが漫画を見たことがない。
曰く「入社前から、そう予定していた!デザインで社長賞を貰ったし、もうやり残した事はない。漫画家は自分がなりたかった仕事。
それで生きていけそうだし楽しい!」私事だが、29歳の時に成り行きで実家の商売をみる事になった。
五年を目安とその時の勘で思った。勿論そう宣言をしていた。3年も経てば兄弟が一つ舟の舵取りは無理!と実感。 
予定どおりに5年で今の事業に転進したが、少しは挫折感があった。これが予定挫折というのかと苦笑をした。 
しかしすぐに次の仕事がたっぷり待っていた。挫折時期はある程度読めるものだ。定年退職やリストラとかで、無知の為に
中年クライシスになってしまうのは、ただ流されて生きているからだ。 準備をする時間はあった筈である、たっぷりと!!
・・・・・・
[184] 基本  
 2001/10/13
この20数年春になると、ほぼ毎年のように新入社員の入社前教育をしている。
以前はまる三日、最近はまる一日になった。真っ白な若い人に教育する楽しみも以前ほど無くなってきた。
結局家庭のやるべき躾や言葉使いを、基本から教え直すことから始めなくてはならない。本当にどうなっているのかと、
開いた口がふさがらない事が多いが、もうなんとも思わなくなった。対話形式で基本的な会話・対話の仕方から教えていく!
それはここではどうでもよい話だが、教えるべき要点は
1、本を読むこと             2、日記を書くこと
3、相手の話をきっちり聞き取る事     4、自分の言うべきことを明確にする事
5、メモをとること            6、給料を貰う立場になった事(買い手から売り手の立場の逆転)
7、同質社会ー学校から異質社会に変わった事
8、その会社の制服を着たと同時に、個人はその制服の配役になってしまう事 等々おしえる。
 しかし一番勉強になるのが、自分自身である。 毎年春先にこれを真っ白な新卒に教えていると、
自分自身にそのまま教える事になるからだ。 全てが大事な事だ。
読書にしろ日記にしろ今でも続けているのは、これを毎年反駁しているからだ。
本当にこれをきっちりやっている人間の少ない事は、今更言うまでも無い。
それでもこのレベルの文章しかかけないのだから、別に如何という事がないのか。