このところ、毎日のようにJR北海道東京電力など謝罪会見がTVのニュースで報道されている。
そのあたりを狙ったのか、『謝罪の王様』という映画が上映され、私も見てきたことは前に書いた。 
土下座は江戸時代の大名行列などで平民が土下座したことに始まり、謝罪というより権力の誇示のため武士がやらせた慣習。
謝罪に土下座をするようになったのは70年以降のこと。映画で、記者会見などの頭下げの時間が20秒が相場で、長いほど
効果があると・・ さっそくNHKクローズアップ現代で、この風潮を取り上げ分析していた。ーまずは、NHKのブログからー
 (番組趣旨より)
空前の高視聴率を記録したドラマ『半沢直樹』。注目を集めたのは、“土下座”シーンだ。宮藤官九郎さんが脚本を書いた映画
謝罪の王様』でも頻繁に出てくるのが“土下座”。 いったいなぜ私たちは“土下座”が気になってしまうのか。 専門家は、
2000年以降、謝罪会見などで経営者の土下座が見られるようになったのは、日本人が心のゆとりを失って不寛容になり、
相手を土下座させるまで追い込む風潮が広がっているからだと分析。“土下座”が氾濫する中で、見え隠れする社会の変化を探る。
 (NHK説明より)
 早速、プレビューを見てきました。 ドラマ「半沢直樹」は視聴率が民放ドラマとして今世紀最高を記録したこともあり、
多くの方がご覧になったと思います。その中で、注目を集めた土下座のシーン。印象深かったですよね。企業の不祥事などで、
社長たちが謝ったり、土下座するシーンを近年よく目にするようになりました。そもそも、「土下座」という言葉に、謝罪という
意味が加わったのは、70年代に入ってからのことらしく、比較的新しいといえます。 中には、土下座するまでもない場面で、
土下座を強要させられることもあるようです。私たちの社会は、なぜ、ここまで土下座を求め、またするようになったのでしょう。
土下座をさせると一時の爽快感があるが、何か見てはいけないものを見たようなそんな居心地の悪い気分になることも事実。
番組を通して分かってくるのは、ますます不寛容な社会になっている、一方で、謝る側も、形だけでも土下座することで、
それ以上追及されることを避けようという姿勢です。本来なら、土下座させるよりも、ことの本質を見てそれを改善することに
向かうべきではないでしょうか。番組の中で一番印象に残るのは、脚本家・宮藤官九郎さんのこんな言葉です。
 「もっと本当は広い心で過ごせたらいいのにっていう思いはありますよね」。 ぜひ、番組をご覧ください!
▼ 報道陣を前にした会見は、公開処刑か、リンチの縮小版に近い。 見ている方は、ライブで大して関係ないのに、直接の
被害者のように怒り、呆れ、嫌なものを見た感覚になり、また優越感に浸る。 謝罪をしている方も変だが、見ている方も、
明らかに変である。要は、役割を演じているだけで、本心からでないのは、有りありと画面から伝わってくる。 大場面なのに、
殆ど悲壮感が伝わってこない。それさえ映画で、笑いネタにされ、それを国営放送の話題になるのだから・・ 
大した謝罪もしないで首相を辞めさせられた、あの二人が再び首相と副首相で登場、更に大きな間違いをしようとしている。
元もと罪の意識もないのだから救いようがない。選挙制度の欠陥もあるが、自民党に大勝させ過ぎた国民が悪い!
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4215, 開国という強迫観念 ー2
2012年10月10日(水)
                 ー反・幸福論『開国という強迫』ー 京大教授・佐伯啓思
 * 果たして欧米社会が普遍的・先進的で、「日本」は特異で後進的か?
 義務教育が終わると、高校受験で進学校と専門高校に分けられ、大学では首都圏の大學か、地方大學に分けられる。
一般的に都心の大学進学は、進歩的文化人としての特権を得るための要素がある。それで果たして、それだけの知識と
教養を積んだかというと、そうではない。あくまで将来に知的素養の下地をつくるため。自由の立場で、世界を、社会を、
人間を見つめるための猶予期間である。しかし、最も重要なことである。  ーその部分からー
 ≪ 「進歩的文化人」こそ自己特権化の典型です。戦後のいわゆる進歩的文化面は、自己特権化という立ち位置に自らを置くことで、
まさに一進歩」した「文化人」を演出したのでした。「進歩的文化人」が西洋思想に関心をもっていたことは事実でしょう。
彼らがそれなりの知的エリート教育を受けていたことも事実でしょう。では彼らが本当に西洋を理解していたかというと全く
そんなことはありません。・・・ 戦前では天皇が頂点にあり、戦後すぐには「マッカーサー」がこの頂点にやってき、その後は
「西洋社会」や「アメリカ」がそこへくる。進歩的知識人、進歩的文化人という存在そのものが「抑圧移譲の原理」に捕捉されていった。
知的商売人には、少し手の込んだ事情があります。それは、彼らは、彼らに都合のよい西洋の思想や学問を取り入れて、それを「科学」
といい、自らを「専門家」といったことです。 「西洋の学問」=「科学」=「専門的」=「先進的」であり、これに対し、
「日本的思考」=「非科学的」=「大衆的」=「後進的」とみなした。その上で、自らの身を前者の「科学」「専門家」「先進的」
の方に置いたのです。 これは、「世界」"「先進的」「普遍的」であり、対して「日本」は「後進的」"「特殊的」というあの図式と同じ。
この両者を重ね合わせ、知識を身に付けた知識人は、あたかも日本の外に立って日本を眺めつつ、その特異性を批判する、という
特権的立場を手に入れたのです。・・(中略) ・・ この潮流からすれば日本はヘンだ。だから、世界へ向けて国を開かないと、世界の
潮流に乗り遅れる」というのです。実は、この発想は、必ずしも「世界」と「日本」に限りません。「世界」は普遍的で先進的であり、
「日本」は特異で後進的であるという発想は、もっと根深いものをもっています。それは日本の近代化そのものを支えてきた思考様式
だったのではないか。この「世界」を「東京」に、そして「日本」を「田舎」に置きかえてみましょう。 ・・・ ≫
 ▼ 哲学の構造主義は、「世界」=先進国は普遍的で先進的で、僻地の住民が果たしては特異で後進的か?を、問うている。
  それまでの欧米は、自分たちは文化人で進んでいる。それを遅れている南米、アフリカ、東洋に普及させるという建前で、
  世界を侵略をしてきた。しかし、その誤魔化しが何時までも続く訳がない。日本の開国という強迫も、西欧文化に乗り遅れる、
  という刷り込みではないかと、著書は問うているのである。しかし、ネット社会は否が応にも開国を迫る。
  真の支配層はネット化で、それぞれの国や社会の開放で、支配力を強化するのが狙い! 
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3850, ツレがうつになりまして −1
2011年10月10日(月)
 「ツレがうつになりまして」という映画を見てきた。 TVでも放映され話題になったストーリー。 ところで、
もう亡くなってしまったが、前の会社の取引先の営業の担当が創業当時から高校の後輩ということもあり、隙間時間に
暇を持て余していた私のところに息抜きに来ていた。 ところが20数年前のバブル崩壊直前に重い躁鬱病になってしまった。
その症状のまま営業や知人先に回るので、再発すると周囲から「彼が再発をした」と、電話が入っていた。 躁の時は、
晴れやかに飲みに誘われ、しかし直前に断りの電話が入る。 鬱のときは、目が据わり今にも自殺でもしそうな暗い顔で、
再発の報告と相談に来ていた。 私も若い時から数多くの挫折体験をしてきたが、宗教書や精神科学の本の言葉で、何とか
危機を乗り越えてきた体験があるので、痛いほど彼の悩みと症状が分かっていた。 その時に彼に言い続けたことは
≪ 躁鬱や分裂病などの精神病、精神症は心の風邪で何にも恥ずかしいことではない。風邪をひいて恥ずかしい、という人は
いないのと同じ。 上司に正直に現状を報告し、直ぐに医者にいって治療すべき。医者の言うとおりにすれば、それ以上悪くなる
ことはないし回復は最短になる。とにかく拗らせないで治療すること。拗らせると廃人になり鉄格子の奥に隔離されることもある≫と。
15年間に大きな躁鬱の波は3〜4年に一度ぐらいは来ていたが、その都度、初めに飛び込んでくるのは私のところ。
欝にしろ、躁にしろ、本人や奥さんから状態を聞くと、それはすざましい。聞いているだけで背筋が寒くなる話しが山ほどある。 
しかし瀬戸際の経験を重ねるうちに、自分で医者に行き、一時入院をするようになっていた。 会社は管理職からヒラになったが、
最後まで病気と付き合いながら職に留まっていた。「精神病」と「精神症」の境は、他人に危害を加えるかどうか。 
その辺はギリギリでセーブをしていた。彼の場合、多くの友人がいて、その失敗を見守って許してくれる人間性があった。
営業先には病気を逆にネタにしてしまう逞しさもあった。 その人も7年前に癌で亡くなってしまったが、純粋で、面白い人であった。 
欝による失態も、決して恥ずかしいことでも何でもない。 だからこそ書いている。 そういう経験があるので、この映画に
感情移入をし、涙をしながら見入ってしまった。 歳をとると年齢に比例して欝が重くなっていく。 足腰の関節が痛くなり、
何らかの成人病が出てくる。 欝になるな! という方が無理な話。 その中で、欝というトラの背中を如何に乗りこなすかと、
割り切りきった方が良策。 それから逆算すると、若い時から何らかの宗教に入っていた方が良いことになる。
 私は子供の頃から仏壇前のお経だった。  次回は、映画の感想文・・
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3485, エッセイ脳 ー2
2010年10月10日(日)
   「エッセイ脳―800字から始まる文章読本」 ー岸本 葉子 (著)
  ー著者のエッセイの基本要件を書き出してみたー
・A、自分の書きたいことを、 B、「他者がよみたくなるように」書く。 「何を」にあたる部分がA、
「どのように」にあたる部分がBになる。単純だが要諦である。 Aは、文章表現の動機になるが、エッセイは読み手(公共)
 の納得の方が優先されなければならない。そのため、「興味の持てる題材であること」と「読みやすい文章」が優先され
 なくてはならない。そのため、ふつうの生活の中で、誰もが興味を持ってもらえる題材を探さなければならない。
・そこで「テーマ」と「題材」の関係が出てくる。テーマは隠されていてもよい。したがって、タイトルにテーマを書く必要はない。
 テーマに合わせて題材を選ぶか、題材の中からテーマを見つけ、タイトルをつける方法がある。
 これは10年近い私の経験の中でも、度々していること。テーマは一般的、抽象的だが題材は個別、具体的になる。
・エッセイも当然、起承転結がある。「(そういうことが)ある、ある、へえ〜っ、そうなんだ」を目指している。
「ある=起、ある=承、へえっ〜=転、そうなんだ=結」になる。そして、「へえっ〜=転」が、書きたいことの中心にある。
 これには驚いてしまった。捻りこそエッセーなら、言われてみれば、そのとおりである。何事も、まずは驚きである。
 したがってテーマを探すときは、驚いたこと、変わったことを探せばよい。 驚きを題材にして、テーマ、そして、タイトルを
 考えればよい。他に大きくても小さくても人生に影響を与えたことも題材として良い。したがって「転、起、承、結」の順に
 なってくる。それはテーマが与えられてない場合である。 与えられている場合は、「結、転、起、承」の順になる。
・エッセイを成り立たせている文章として、枠組み=説明文、描写=おおずかみの文、セリフ「 」に括られるもの、などある。
 これは小説でも同じである。もちろん、エッセイでは誇張も、少々の嘘も入れてもよい。
 枠組は頭にはたらきかけ、描写は、感覚にはたらきかけるケースが多い。
・描写は、客観写生ではない。主観である。その人の主観が読み手からみたら面白いしエッセイの味になる。その人のカメラ・アイ
 こそ、エッセイのエッセイの由縁である。 セリフは描写の補強に適しており臨場感がで、さらに再現性がある。
・書き出しの一文は意識的に短くする。その後だんだん長い文章を入れていく。必要に応じて、問いかけ、呼びかけ(「〜ですね」)
 を交えてもよい。 そして、徐々に、情報を少しずつ出していく。
・エッセイは基本的に一つのエピソードで成り立つ。
・注意事項として�具体性に心かけ�文章は短く�文の見た目(ビジュアル)に配慮ー余白など�文のリズムに配慮する、になる。 
〜エッセイの参考になるだけでない、日常の見方も驚きを立ててみれば人生が豊かになっていく。[あ、そう]が一番の敵。
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3110,生きる幻想 死ぬ幻想
 2009年10月10日(土)
「生きる幻想 死ぬ幻想 」 岸田 秀 (著), 小滝 透 (著)     ー読書日記
 唯幻論者の岸田と、宗教評論家の小滝透の対談は分かりやすく宗教とイデオロギーの関係を
世界的視点から踏み込んでいる。一神教の「正義」そのものが戦争と虐殺の火種になり現在に至っているが、
といって「価値」なしに生きることが可能か問題提起をする。イデオロギー(=一神教の亜種)は果たして終焉したのか。
大きな物語」がなくなった現実の世界は泥沼化しているが、その病巣をえぐりだす二人の異種の対談である。
現在のアラブ対キリスト・ユダヤ世界の対立の根本構造を対話の中からあぶり出している。
  ー「おわりに」で、岸田秀が以下のように、この本で取上げた問題を分かりやすく要約しているー
 毎度いつものわたしの書き出しは、人間は本能が壊れた動物であるということである。
本能とは環境を知覚する枠組みであり、かつ行動の基準である。本能が壊れた人間は周りの世界がどうなっているか、
そこでどう行動すればよいか、さっぱりわからなくなり、耐え難く不安になった。そして滅びてもおかしくなかったが、
人間は、本能の代替え品として自我を発明し、自我を心の支えとして宗教を発明し、辛うして生き延びた。
自我とはここにいる自分という存在はどういう存在であるかの規定であり、宗教とは、自我の周りの世界はどういう
世界であるかを説明し、世界において自分はどうすればいいかを指示する規範である。 神も宗教も幻想であって、
現実的根拠はないのであるが、しかし、それなくしては人間が生きてゆけない必要不可欠の幻想である人間は他者たちと集団を
形成して生きるしかないが、人間が最初に形成した集団は、地縁共同体それをいくらか拡大した規模の共同体であったと思われる。
この共同体が共同体として成立するためには、その起源、由緒、来歴などについての物語が必要である。旧約聖書はそれ・・(略)
 ・・・そのような宗教の形態がどういうものであったかはよくわからないが、とにかく、神々はたくさんいたであろうから、
多神教と言っていいであろう。何らかの形の宗教をもっていない部族あるいは民族はなく、世界の各地の諸民族はそれぞれ独自に
それぞれの宗教を創ったであろうが、そのすべては多神教だったろう。 したがって、多神教が宗教の本来の自然な形であると
言える。 多神教の神々は、一般に、部族あるいは民族と血が繋がっている先祖、あるいはいろいろな経緯でさまざまな
形をとることになった先祖である。そうでなければ、神々が住む周りの世界は親しい、なじみのあるものとならないからである。
ところが、昔々のその昔、地球上のある地方、中東地方に例外的に唯一絶対神を設定する奇妙な宗教、一神教が出現した。
一神教は、古代エジプト帝国において戦争捕虜としてか何かで、それぞれ出自の部族あるいは民族から切り離されて連れてこられ、
差別され、虐待されていた奴隷たちが逃亡して創った宗教であると考えられるが、そのような成立の事情から、この唯一絶対神は、
信者たちと血が繋がっていない赤の他入で、狭量で厳格で嫉妬深く恨みがましい復讐と戦争の全知全能紳であった。
   (以下、字数の関係でカット2010年10月11日)