* 謝るとき、人は誰でも主人公
 先日、シネマで『謝罪の王様』をみてきた。この映画は、謝りのコンサルタントを仕事をする人たちの姿がテーマ。
このところTVで不祥事を起こした会社のトップが記者会見で、深々と頭を下げる姿が放映されている。
 今夏、ドラマ半沢直樹』ブームが吹き荒れ平均視聴率は28.7%、9月22日最終は42.2%を記録。それは平成ドラマでトップ。 
ここで、何度か土下座をする姿があった。謝る時は、人は誰でも主人公なのである。二人の男の対立で、時間をおいてだが、
土下座を互いにする場面がハイライト。土下座される方も、その時は主役なのである。
 人生を振り返ると、二度、何かで土下座をしたことがある。そして、両手を合わせて頼みごとをしたことも数回ある。
泣いて詫びたこともある。ある意味で、人生の究極の場面であった。土下座、拝み倒しなど、普通では、やらない。
恥も外聞もなくし、謝り、感謝しなければならない場面が人生には何度かある。それが振り返ると、実は人生のハイライト。
 会社整理の時、一番大口の金融機関の担当に、弁護事務所で、ふとした場面で二人きりになった時、深々と頭を下げ
「申し訳ありません」と両手を膝について謝罪をした。悪かったという思いが、そうさせたが、気持ちは通じたようだった。
4億前後の金額で、謝って済む問題ではないが・・  謝っている私も決して悪い気持ちでなかった。
 「謝る」には、射るに言ベンが付いている。言葉、態度で謝罪することで迷惑をかけた相手の心を射ることになる。
人生で土下座をする場面も、される場面も、そうあるものでない。謝罪すべき時は、割り切って、土下座をしてでも
詫びることが必要である。
 大学を卒業して半年の頃、配属された神戸店でのこと。「男子社員は屋上に集まって下さい」という店内放送で、
何だろうと駆けつけると、自店の数人と、テナントに入っていた電器店チェーンの数人が、何かの切っ掛けで、
乱闘直前の場面。 そこで、スっと間に入り、深々と「私が代表で謝ります」と頭を下げたところ、両者とも呆気にとられて、
スっと引き上げたことがあった。タイミングが良かっただけだが、合気道で、気をのむコツを知っていた効用である。
それから半年、非常に居心地がよい職場に変身した。営業のプロは、謝り方が決めて。土下座する場面を常に探し、
それを果敢に実行するという。「土下座など、そうされることはない。なら、してしまえ!」というのが、理由のようだ。
そういえば、したことはあっても、されたことはない。 ところで、土下座の練習を、今度しておこうか。 
それもカミさん相手に!?  昔、きつい家内と母の間で、どうしようか悩んだ結果、深夜、寝ている後ろ姿に、
両手を合わせて拝んだところ、気持ちが何故か、収まった。 まあ、いろいろある。いや、あった。
・・・・・・
 4211, 異郷日記 ーアフリカの不思議の力
2012年10月06日(土)
     * ライオンの魂              「異郷日記」西江雅之
 アフリカ、アメリカ、中国、東南アジアに住んでいた頃の逸話は、生々しく惹きつけられるものばかり。
アフリカでは、今でも魔術が信じられているところが多いというが、芯から信じれば、それは現実。ー以下も、その一つであるー
≪ 不思議な力を持つものには、以前に出会ったことがある。東アフリカで生活をしていた頃のことだった。村人の話によると、
雄のライオンのなかには、死ぬ瞬間に自分の魂を勢いよく口から吐き出すものがいるという。普通の姿勢を保っている状態では、
ライオンの口は下を向いている。死ぬ瞬間に吐き出される魂は、地中深く埋まってしまい、人の目に触れるしとはない。
ある猟師はライオンに出くわしてしまって正面から撃った。その瞬間にライオンも自らの魂を吐出した。その魂が飛ぶスピードは
弾丸並みであった。そこで、猟師とライオンは相討ちとなり両方とも死んでしまった。まことしやかに話すというのではない。
本気で語っているのである。東アフリカの多くの地域では、ライオンの魂は貴重品である。それを家に置いておいたり、携帯して
いたりすれば、戦争に行っても弾には当たらない、旅に出ても強盗に襲われない、病魔も近づかない・・などなど、如何なる
災害からも身を護ってくれると信じられている。ある時、わたしはそのライオンの魂なるものを村人から手に入れた。
直径三インチほどの毛玉のようなものである。わたしの目には、それはどうやらライオンが食べた動物のうぶ毛が腸のなかで
結石のようになったもののように見えた。とにかくそれを持って町に帰り、嬉しくなって近所の人にそのことを話したら、
なんということか、その後の何日か、わたしの部屋は狙われ続けて、すベての害から身を護れるはずのものを手に入れた途端に、
それまでは一度もなかった害の恐しさを経験することになったのだ。ライオンの魂は、それほど素晴らしく、安全を求める人心を
惑わすほどどのものなのだと、わたしは納得した。 ≫
 ▼ 「所有すると、その家に不幸があると言われる高村光雲の像を一時期、購入して所有したことがあったが、何故か不幸が
  続いて気持ちが悪くなり、売ったことがある・・云々」という逸話を父から聞いた話が妙に記憶に残っている。私の高校の
  知人が写真家をしているが、仏像の写真集で写真を撮っているときに不思議なことの連続だったという話も聞いた。
  それと、このライオンの魂の話は少し違うが、こういう話を聞いて信じるか、信じないかだけである。現在、「神は妄想である」
  という遺伝学者の本を読んでいるが、これが面白い! 裸の王様の一神教の信者の愚かさ、信じる者は救われるか! 逆か?
・・・・・・
3846,‘よい写真を撮る’コツは ?
2011年10月06日(木)
  海外旅行など、つまらない写真を見せつけられて困った経験は誰もある。それは撮るほうも撮られるほうも構えるからである。
私もスナップ写真を中心に多くの写真を撮り続けてきたが、少しは真っ当な写真が撮れるようになったのが、デジカメで
写し始めてからである。 デジカメはコストを考えないで済むので、気分に沿ってドンドン撮り、後で気に入ったものを選べばよい。
 観光地などの写真は、幾らでもネットや絵葉書で入手が可能。そこには、自分が撮ったという現場感覚が入ってなくては面白くない。
写すというより、その場の雰囲気に従って対象から逆に「自分の一番良いところを撮ってくれ」と、指示された目線で撮るとよい。
その為には対象の景色に、まず感動し、その感動をカメラに収める気持ちが必要である。
 また小さな花をアップにし、その背景として撮りたい景色を背景にすれば、大小のコンストラストが現場の空気を際立たせてくれる。
人物を撮るときに、「撮りますよ」と自分から構えては良い写真は撮れない。後姿やリラックスの自然体の姿を撮るのが原則。 
その為に、その人の表情が出てくるタイミングを待たなければならない。だからハイ(雰囲気に酔った)の状態で、その場を撮ると、
比較的良いのが撮れる。それは、その場に自分が溶け込んでいるためである。篠山紀信荒木経惟の女性などの撮影現場をTVでみたが、
徹底的に相手をリラックスさせ、その個性が湧き出るまで待っている。 その為には、まず撮影していること自体を忘れさせてしまう。
動物も人間も見られると緊張する生き物。 電信柱にとまっているカラスをジッと見つめると、緊張の反応を示す。
人間も同じでカメラなど構えれば、緊張するなという方が無理。そこで、撮影を忘れさせ、何気なくカメラを向けると良い。
 今まで、デジカメは少しは使いこなせたが、一眼レフを使いこなせたことはない。どうしても、構えて良い写真を撮ろうと、
構図の選択に構えが出てしまうからである。 対象の真善美を、リラックスした自然状態で、純心に同化することが理想である。
その為には、やはり場数と、基本的原則を知っていなければならない。何ごとも同じ。スナップ写真こそ難しい。 文章も同じことになる。
 ・・・・・・・・
3481, ライフログのすすめ
2010年10月06日(水)
  ライフログのすすめ―人生の「すべて」をデジタルに記録する!     ゴードン ベル , ジム ゲメル (著)
 ― 内容(アマゾンの紹介文より)ー
人の記憶力には限界がある。だが、あなたの見聞きしたもの、触れたもの、そして普段は気にかけない自分の位置情報や
生体情報まで、人生の「すべて」をデジタルに記憶させれば、いつでも簡単に検索して取り出すことができる。
仕事に役立つのみならず、病気の兆候を発見することや、いずれはヴァーチャルな分身に人生を語らせることも可能だ。
いいことずくめの「ライフログ」の時代はやってきたのだ!みずから「人生の完全記録」を試みるコンピューター科学の重鎮が、
その基本概念と可能性、実践法までを情熱豊かに語り尽くす。(ビル・ゲイツ
▼ 序文をビル・ゲイツが書いている。著者の二人はマイクロソフトの主席研究員と、研究員。特にIT業界で名が知られている
70歳を超えたゴードン・ベルが、人生のすべてを記録し、「完全記憶(トータル・リコール)」として利用することの可能性や
実現方法を語っている。 PCの性能やストレージの容量が劇的に向上しているこの時代、今までの人生の膨大の「思い出」を
ほぼ保存していくことは、そんなに遠くない未来に可能になるという。  10年近く前にHPを立ち上げ、それまで読みっぱなし、
書きっぱなしだった読書感や、毎日の思いを公開することで自己啓発をしようと発念し、現在まで、ほぼ休むことなく続けてきた。 
ネタ探しを含めると、一日2〜3時間は要している。 で、この程度。 更に、これまでの旅行記や写真や、過去の思い出の写真も
ネットに載せ公開することにした。それが「ライフログ」だったのである。五十歳代の10年間30年分の人生を圧縮して押し込んで
生きようと考え実行した結果である。もう一つの秘境・異郷旅行と二本立ての一本である。まず習慣化し、それが苦痛を乗り越えれば
私にとって黄金の習慣になる、と思いつめて続けてきた。ところが先日、この本を手にとって「これだった!」と思い知った。
10年間が一つの目安と本文中にあったので、この習慣も、ある時点に到達してきたのである。 著者の内容をみるとスケールも
深さも違っている。当たり前のことだが。しかし膨大のエネルギーを投入したのも事実である。 「ライフログ化」という
コンセプトのブログや商品も出てくるはず。特にタブレット式パソコンのソフトは狙い目になる。 私も10年のキャリアがあるから、
経験を生かせる筈だが。面倒か! 夕飯でも、ペットでも、自分の毎朝の8時の顔写真でも、毎日デジカメで撮り、ブログで載せ続ければ、
それもライフログの一つになる。高校の同級生が卒業してから46年以上、手帳に毎日、仕事、私生活を木目細かく書き続けてきたという。 
 ・・・・・・・
3106,返済猶予法案の成立から見えてくること! ー4
 2009年10月06日(火)
 昨日のブログに、朝日新聞の「記者の目」の山田厚史の内容を取上げたが、以下は、それをメールで教えたくれた
林さんとの遣り取りを、コピーしたもの。 林さんの御蔭で金融の動きには非常に鋭敏になると同時に、
自民党から民主党に変わると、政策の根底がここまで大きく変化するのに驚いている。
* 堀井 様
 拝見しました。 今日の朝日新聞では、「私の視点」欄の「記者の視点」で、テレビにもよく出てくる
山田厚史と言う人が、「モラトリアム 金融行政の塾足を債務者に」と題して書いていました。 
ここでは、「銀行が3年ほど元本を据え置くのは無理なことではない。金利が入ることが大事なのだ。」
と手のひらを返す書き方です。そして、この転換の理由づけとしたのが、貴兄も触れられていた10月3日の読者の声欄の投稿です
(これは立派な投稿でした)。 あと一点、「視点」の内容で私が注目したのは
「日銀統計によると全国145銀行の中小企業融資残高は7月末で177兆円」と書いている点です。
実は前の貴兄へのメールでは書いていませんでしたが、私が指摘したもう一つの点は、社説に書いていた「関連融資総額280兆円」
としていた点です。「その根拠は何か?」と。 これに対する答えも、「一般にそう言われている。」でした。
(これが、一般に云われていれば、他社が書いていれば、根拠も確かめずに書くのか、につながってきます。)
この「記者の視点」はこちらの指摘を全面的に認め、先の社説をソット訂正してきたというところでしょう。
このなし崩し的なやり方、上記での「一般にそう言われている」との弁明、先の「亀山大臣に賛成だから言うのでしょう」
と言ってくること、「日経新聞も書いている」という返事(これらは、嘲笑の的となるところでしょう。)
そして、ここに浮かび上がってくる実態が、マスメディアとしての朝日新聞に対しての私の一番の批判点です
朝日新聞お前もか、というところ)。それにしても、それならば表立って批判していこうか、という気にさえなってきます。
最近小生はいよいよ人生のラストステージとして、懸案の「中小企業論(あるいは政策論)」を纏めようと考え少しずつ準備に
入っていますが、そのいいきっかけにはなりました(それで、朝日新聞に電話する気になったのですが…)。 ではまた ー林
* To: 林様
 今朝の朝日新聞に目を通したのですが、うっかり見落としました。早速読みましたが、9月29日とは一転した内容ですね。これは、
マスコミのマイナス論調の大きな分岐点になるでしょう。 それにしても、変わり目が早いですね。と同時に、やはり良識が残って
いるということで、林さんの電話が大きく影響したようです。今日も、フジTV系が扱っていた以外は、何かいずこも避けていたようです。
ますます面白くなってきましたね。再び、迷惑をかけないように、この遣り取りを数日以内に取り上げたいと思っています。
手前味噌になったら、ご勘弁を!               堀井
 ――
朝日新聞の社説を批判、変更させるのだから痛快だろう。「償却前の黒字かどうかが、特に装置産業では大きな目安になる」
と常日頃から言っている林さんも、その論拠の論文か、本を出す時期に来ているが、少しタイミングが遅い?
「返済猶予の目安は償却前黒字!」という題名で!目立つという点では「文藝春秋」あたりが良いのでは?毒されていて駄目か?