つれづれに
他のブログ
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
http://horii888888.toypark.in/cgi-bin/s_diarys.cgi
http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive
今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=BC-Lc5zQKBw
昨日はシネマの日。『謝罪の王様』をみてきた。
前半が面白かったが、後半は失速気味で、80点というところ。
土下座して謝ったのは、二度ある。
末っ子は、謝れば許される生き方が性格についている。
http://www.king-of-gomennasai.com/
夜は幼稚園から高校まで同期だった幼馴染と酒を飲む。
結局帰ったのは、22時半。
ーー
閑話小題 ー謝るとき、人は誰でも主人公
* 謝るとき、人は誰でも主人公
先日、シネマで『謝罪の王様』をみてきた。
この映画は、謝りのコンサルタントを仕事をする人たちの姿がテーマ。
このところTVで不祥事を起こした会社のトップが記者会見で、深々と頭を下げる姿が放映されている。
今夏、ドラマ半沢直樹』ブームが吹き荒れ平均視聴率は28.7%、9月22日最終は42.2%を記録。
それは平成ドラマでトップ。 ここで、何度か土下座をする姿があった。
謝る時は、人は誰でも主人公なのである。二人の男の対立で、時間をおいてだが、土下座を
互いにする場面がハイライト。土下座される方も、その時は主役。
人生を振り返ると、二度、何かで土下座をしたことがある。そして、両手を合わせて頼みごとを
したことも数回ある。泣いて詫びたこともある。ある意味で、人生の究極の場面であった。
土下座、拝み倒しなど、普通では、やらない。恥も外聞もなくし、謝り、感謝しなければならない場面が
人生には何度かある。それが振り返ると、実は人生のハイライト。
会社整理の時、一番大口の金融機関の担当に、弁護事務所で、ふとした場面で二人きりになった時、
深々と頭を下げ「申し訳ありません」と両手を膝について謝罪をした。悪かったという思いが、そうさせたが、
気持ちは通じたようだった。4億前後の金額で、謝って済む問題ではないが・・
謝っている私も決して悪い気持ちでなかった。 「謝る」には、射るに言ベンが付いている。
言葉、態度で謝罪することで迷惑をかけた相手の心を射ることになる。
人生で土下座をする場面も、される場面も、そうあるものでない。謝罪すべき時は、
割り切って、土下座をしてでも詫びることが必要である。
大学を卒業して半年の頃、配属された神戸店でのこと。「男子社員は屋上に集まって下さい」という
店内放送で、何だろうと駆けつけると、自店の数人と、テナントに入っていた電器店チェーンの数人が、
何かの切っ掛けで、乱闘直前の場面。 そこで、スっと間に入り、深々と「私が代表で謝ります」
と頭を下げたところ、両者とも呆気にとられて、スっと引き上げたことがあった。タイミングが良かっただけだが、
合気道で、気をのむコツを知っていた効用。それから半年、非常に居心地がよい職場に変身した。
営業のプロは、謝り方が決めて。土下座する場面を常に探し、それを果敢に実行するという。
「土下座など、そうされることはない。なら、してしまえ!」というのが、理由のようだ。
そういえば、したことはあっても、されたことはない。 ところで、土下座の練習を、
今度しておこうか。 それもカミさん相手に!? 昔、きつい家内と母の間で、どうしようか悩んだ結果、
深夜、寝ている後ろ姿に、両手を合わせて拝んだところ、気持ちが何故か、収まった。
まあ、いろいろある。いや、あった。
・・・・・・
2003年10月05日(日)
ある時間の断片ー34
11月7日 -1968年
・10時半起床。12時に池袋に出発。
掲示板をみていると川崎と出会う。「ヤタロー」で食事。
その後、「価格理論」の授業を聴講。 12月5日に試験とか。
産業関係論が11月21日に試験と帰りに寄った掲示板に書いてあった。
明日のゼミの工場見学の資料を取りに武沢教授の部屋に行くが、助手の横浜さんが居ない。
川崎君と一時間位喫茶店で話す。磯部嬢とバッタリ会う。石川とは上手くいってないみたいだ?
数ヶ月前に行ってきた欧州旅行のことを話したいみたいだ。17時に帰寮。
・・・・・
540,お経
- 2002年10月05日(土)
お経は「般若心教」「観音経」「歎異抄ー第一章」「生長の家」の経を暗記してある。
別に生長の家の信者ではないが、お経の内容は良い。
お参りとかの時にそれを使い分けている。「お経を暗記してると何なんになるんだ?」というが、
逆に暗記してない事を考えてみると、その効果は絶大という事が解る。
少なくとも、夜寝れない時の眠り薬になる。般若心教は「憶える前とその後」といえる位な
内面の変化がみられる。心のベース基地ができる感覚である。南無阿弥陀仏やアーメンの中に
「オーム」という響きが入っている。オームは宇宙からのある波長と同じという。
暇な時間に「オームオームオーム」とゆっくりと繰り返して100回位唱えてみると、
気持ちが落ち着いて宇宙と一体感になっているような気になる。
8年前に書いた文章をコピーしておきます。
・・・・・・
ーH0605般若心経のすすめ ー
十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”という講演で般若心経のすばらしさを聞いて
一ケ月がかりで丸暗記をした。今まで何万回唱えただろうか。当社では入社教育で丸暗記が必須となっている。
二人の子供ま毎朝の仏壇での私のお経の為か丸暗記をしてしまった。
十年間の経験より(私の実体験より)直観した事を列記すると?自分サイズの時空を超えた一つの視点をえた
?心臓音に波長があっている(リズム)
?α波がくみこまれている
?“念”がこの中に入っている
?お寺・神社等で唱えるとTPOとして、その場のイメージが鮮明に残る
?情報雑念等を切断、整理をする働きがあり結果として“運=無意識の判断”を左右する
?これをくり返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき自己の中にその中空がつくられる
?夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、等々限りない。
立花隆と宇宙飛行士との対話の中で「彼等は地球をはなれた体験の中の一瞬にキリストや
仏等の教祖が苦難の上で直感した“絶対無”を観た」のではないかと言っている。
それは般若心経をくりかえしの中で少しでも近づける様な気がする。
・・・・・・
[175] 忘れられない店ー3
2001/10/05 11:25 NoName
衣料のデスカウント店で、産地直結の仕入れで大量仕入れ大量販売のはしりで、全国的に有名な店であった。
大阪、岐阜、岡山、広島の産地に直接仕入れをしていた。また大手商社からも直接仕入れをしていた。
全国的に超繁盛店で有名にもなっていた。20年間位は店にはお客が殺到していた。
大家族のため両親からの干渉は一切なく、放任そのものであった。各自が自分ひとり生きていくのが精一杯の状態。
-当時は商売をしているところは、大方そうでなかったかと思われる。
そのプロセスで大光無尽の駒形重吉とかいう男の‘金貸し’の勃興とか、三条の香具師か露天商の渡辺とかいう人の
興こした‘丸大’とか、十日町の衣料品店の市村とか言う人の興した‘イチムラ’とか、‘内山商店’とか、
大手通りを見ているだけで激しい流れがあった。
私の実家は(特に父は)戦前、津上製作所の津上退助とか、互尊翁といわれた野本某とか、
山本五十六とかに可愛がられ、茶人としてもかなりのレベルの人であったようだ。
怪しげな金貸しの駒形某など馬鹿にしきっていた。反面羨ましそうの面もあったが。
そういえばこの本家すじの山形の元家老の事業家が、私のところに来たことがあった。
10歳までの10年間は遠い彼方の異次元の世界に思える。
ーーーーーーーーーーーーーーー
今回旅行はベトナム
2001/10/05
(11月8日~14日ー7日間)に決定!
ー近畿ツーリストー 16.8万ー
ガラパゴスかマダガスカル島かベトナムか迷っていた次回旅行が
ベトナムに決定。このニューヨークのテロで本命のマダガスカルが成立せず、
ガラパゴスもどうも出発も怪しげで、今回は自粛も含めてベトナムに決定した。
旅行仲間からベトナムのよさは聞いていて、この2~3年先の計画に入れていた。
あまり今回のテロの影響の少ないベトナムが手ごろと判断した。
行くなら今のうちがベトナムの合言葉になっていた。
あと10年も経てば今のタイや中国みたいに、西洋社会に染められるからである。
今年はメキシコとロシヤ・北欧と今回のべとなむと刺激の少ないところだった。
来年は西アフリカ、ガラパゴス、スイスアルプスの予定だ、いければの話だが。
何があっても行くのが趣味の世界だ。
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昨日はシネマの日。『謝罪の王様』をみてきた。
前半が面白かったが、後半は失速気味で、80点というところ。
土下座して謝ったのは、二度ある。
末っ子は、謝れば許される生き方が性格についている。
http://www.king-of-gomennasai.com/
夜は幼稚園から高校まで同期だった幼馴染と酒を飲む。
結局帰ったのは、22時半。
ーー
閑話小題 ー謝るとき、人は誰でも主人公
* 謝るとき、人は誰でも主人公
先日、シネマで『謝罪の王様』をみてきた。
この映画は、謝りのコンサルタントを仕事をする人たちの姿がテーマ。
このところTVで不祥事を起こした会社のトップが記者会見で、深々と頭を下げる姿が放映されている。
今夏、ドラマ半沢直樹』ブームが吹き荒れ平均視聴率は28.7%、9月22日最終は42.2%を記録。
それは平成ドラマでトップ。 ここで、何度か土下座をする姿があった。
謝る時は、人は誰でも主人公なのである。二人の男の対立で、時間をおいてだが、土下座を
互いにする場面がハイライト。土下座される方も、その時は主役。
人生を振り返ると、二度、何かで土下座をしたことがある。そして、両手を合わせて頼みごとを
したことも数回ある。泣いて詫びたこともある。ある意味で、人生の究極の場面であった。
土下座、拝み倒しなど、普通では、やらない。恥も外聞もなくし、謝り、感謝しなければならない場面が
人生には何度かある。それが振り返ると、実は人生のハイライト。
会社整理の時、一番大口の金融機関の担当に、弁護事務所で、ふとした場面で二人きりになった時、
深々と頭を下げ「申し訳ありません」と両手を膝について謝罪をした。悪かったという思いが、そうさせたが、
気持ちは通じたようだった。4億前後の金額で、謝って済む問題ではないが・・
謝っている私も決して悪い気持ちでなかった。 「謝る」には、射るに言ベンが付いている。
言葉、態度で謝罪することで迷惑をかけた相手の心を射ることになる。
人生で土下座をする場面も、される場面も、そうあるものでない。謝罪すべき時は、
割り切って、土下座をしてでも詫びることが必要である。
大学を卒業して半年の頃、配属された神戸店でのこと。「男子社員は屋上に集まって下さい」という
店内放送で、何だろうと駆けつけると、自店の数人と、テナントに入っていた電器店チェーンの数人が、
何かの切っ掛けで、乱闘直前の場面。 そこで、スっと間に入り、深々と「私が代表で謝ります」
と頭を下げたところ、両者とも呆気にとられて、スっと引き上げたことがあった。タイミングが良かっただけだが、
合気道で、気をのむコツを知っていた効用。それから半年、非常に居心地がよい職場に変身した。
営業のプロは、謝り方が決めて。土下座する場面を常に探し、それを果敢に実行するという。
「土下座など、そうされることはない。なら、してしまえ!」というのが、理由のようだ。
そういえば、したことはあっても、されたことはない。 ところで、土下座の練習を、
今度しておこうか。 それもカミさん相手に!? 昔、きつい家内と母の間で、どうしようか悩んだ結果、
深夜、寝ている後ろ姿に、両手を合わせて拝んだところ、気持ちが何故か、収まった。
まあ、いろいろある。いや、あった。
・・・・・・
2003年10月05日(日)
ある時間の断片ー34
11月7日 -1968年
・10時半起床。12時に池袋に出発。
掲示板をみていると川崎と出会う。「ヤタロー」で食事。
その後、「価格理論」の授業を聴講。 12月5日に試験とか。
産業関係論が11月21日に試験と帰りに寄った掲示板に書いてあった。
明日のゼミの工場見学の資料を取りに武沢教授の部屋に行くが、助手の横浜さんが居ない。
川崎君と一時間位喫茶店で話す。磯部嬢とバッタリ会う。石川とは上手くいってないみたいだ?
数ヶ月前に行ってきた欧州旅行のことを話したいみたいだ。17時に帰寮。
・・・・・
540,お経
- 2002年10月05日(土)
お経は「般若心教」「観音経」「歎異抄ー第一章」「生長の家」の経を暗記してある。
別に生長の家の信者ではないが、お経の内容は良い。
お参りとかの時にそれを使い分けている。「お経を暗記してると何なんになるんだ?」というが、
逆に暗記してない事を考えてみると、その効果は絶大という事が解る。
少なくとも、夜寝れない時の眠り薬になる。般若心教は「憶える前とその後」といえる位な
内面の変化がみられる。心のベース基地ができる感覚である。南無阿弥陀仏やアーメンの中に
「オーム」という響きが入っている。オームは宇宙からのある波長と同じという。
暇な時間に「オームオームオーム」とゆっくりと繰り返して100回位唱えてみると、
気持ちが落ち着いて宇宙と一体感になっているような気になる。
8年前に書いた文章をコピーしておきます。
・・・・・・
ーH0605般若心経のすすめ ー
十年前に創造工学の中山正和氏の“運のつくり方”という講演で般若心経のすばらしさを聞いて
一ケ月がかりで丸暗記をした。今まで何万回唱えただろうか。当社では入社教育で丸暗記が必須となっている。
二人の子供ま毎朝の仏壇での私のお経の為か丸暗記をしてしまった。
十年間の経験より(私の実体験より)直観した事を列記すると?自分サイズの時空を超えた一つの視点をえた
?心臓音に波長があっている(リズム)
?α波がくみこまれている
?“念”がこの中に入っている
?お寺・神社等で唱えるとTPOとして、その場のイメージが鮮明に残る
?情報雑念等を切断、整理をする働きがあり結果として“運=無意識の判断”を左右する
?これをくり返しているとベースとして“空”がつみ重ねられてゆき自己の中にその中空がつくられる
?夢の中で“空”を直感するイメージを得られた、等々限りない。
立花隆と宇宙飛行士との対話の中で「彼等は地球をはなれた体験の中の一瞬にキリストや
仏等の教祖が苦難の上で直感した“絶対無”を観た」のではないかと言っている。
それは般若心経をくりかえしの中で少しでも近づける様な気がする。
・・・・・・
[175] 忘れられない店ー3
2001/10/05 11:25 NoName
衣料のデスカウント店で、産地直結の仕入れで大量仕入れ大量販売のはしりで、全国的に有名な店であった。
大阪、岐阜、岡山、広島の産地に直接仕入れをしていた。また大手商社からも直接仕入れをしていた。
全国的に超繁盛店で有名にもなっていた。20年間位は店にはお客が殺到していた。
大家族のため両親からの干渉は一切なく、放任そのものであった。各自が自分ひとり生きていくのが精一杯の状態。
-当時は商売をしているところは、大方そうでなかったかと思われる。
そのプロセスで大光無尽の駒形重吉とかいう男の‘金貸し’の勃興とか、三条の香具師か露天商の渡辺とかいう人の
興こした‘丸大’とか、十日町の衣料品店の市村とか言う人の興した‘イチムラ’とか、‘内山商店’とか、
大手通りを見ているだけで激しい流れがあった。
私の実家は(特に父は)戦前、津上製作所の津上退助とか、互尊翁といわれた野本某とか、
山本五十六とかに可愛がられ、茶人としてもかなりのレベルの人であったようだ。
怪しげな金貸しの駒形某など馬鹿にしきっていた。反面羨ましそうの面もあったが。
そういえばこの本家すじの山形の元家老の事業家が、私のところに来たことがあった。
10歳までの10年間は遠い彼方の異次元の世界に思える。
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今回旅行はベトナム
2001/10/05
(11月8日~14日ー7日間)に決定!
ー近畿ツーリストー 16.8万ー
ガラパゴスかマダガスカル島かベトナムか迷っていた次回旅行が
ベトナムに決定。このニューヨークのテロで本命のマダガスカルが成立せず、
ガラパゴスもどうも出発も怪しげで、今回は自粛も含めてベトナムに決定した。
旅行仲間からベトナムのよさは聞いていて、この2~3年先の計画に入れていた。
あまり今回のテロの影響の少ないベトナムが手ごろと判断した。
行くなら今のうちがベトナムの合言葉になっていた。
あと10年も経てば今のタイや中国みたいに、西洋社会に染められるからである。
今年はメキシコとロシヤ・北欧と今回のべとなむと刺激の少ないところだった。
来年は西アフリカ、ガラパゴス、スイスアルプスの予定だ、いければの話だが。
何があっても行くのが趣味の世界だ。