『怒りの作法』小川仁志 著
    * 日本人はなぜここまで怒らないのか
  何故に日本人は怒らなくなったのか、その理由を幾つか取り上げている。 ーその部分を抜粋ー
・ 三木清は『人生論ノート』の中で、「他の感情から比べ、否定的にとらえられるのは、怒りが憎しみと混同指定している点に
 あるとしている。三木は憎しみは負の感情しかないが、怒りはそれとは違う正のエネルギーを秘めた感情という。 したがって、
 まず怒りに課せられた誤解を解くことから始める必要がある。感情とは内側から生じてくる一種のエネルギーであって、
 それをうまく放出することによって、人間は人間らしくふるまえるのである。
・ なぜ怒りだけが抑圧されるかというと、そのイメージは、ほとんど常に暴力的言動に結びついているため。怒っている
 人の原因を聞くと、理解が出来る。しかし、その言動は否定することになる。互いの主観をみとめ、話し合い、理解するのが
 人間たる由縁だが、暴言や暴力に頼り、他者から理解してもらうことを諦めてしまうため現代人は動物化しているといわれる。
・ 権力者は、怒る人間より従順な人間を好みます。自らの保身のためである。長年かけて教育を始めとした啓蒙活動で
 人間の怒りを去勢し、従順な国民を作り上げてきた。・・・ 怒りという正常な感覚の一部を奪われてしまった人間は、
 他の感情ー喜と哀と楽も歪なものになっていく。笑えない子供、泣けない大人、楽しめない人間。極端までに怒りを嫌悪する
 現代社会は、こうした「異常現象」が顕著になっている。人間は、怒りそのものを抑圧されることによって、喜怒哀楽という
 自然を失い、不自然な存在に歪められていく。
・ 「風土」論にみる日本人とは?といえば、 和辻哲郎の風土論がまっさきに上げられる。彼は世界の気候をモンスーン型、
 砂漠型、牧場型の三つに分けた。モンスーン型は、温暖湿潤なため温厚と同時に忍従的であるため従順な人間になる。
 これに対し砂漠型は、厳しい自然に抵抗するため攻撃的になる。また牧場型は、自然を囲い込んで征服しようとするため、
 合理的に物事を考えるようになる。日本はモンスーン型、アメリカと欧州は牧場型。砂漠型はアフリカやモンゴル。
 中国はアジアに属するが服従しないという点では特殊という。農村的なるもののエートスは、共同体を重視するため
 近所と波風を立てないことが、まず求められる。あの人は、どう思うかということばかりが気になり、常に頭の中に、
 自分を睥睨する他者の視線が紛れ込んでいる。 現在の日本の社会制度はほぼ農村出身者によって作られたもの。
 たとえば、学校。あれは目立たないことを教え、人と違う意見や行動を封じ込める場所。まさに教室という名の農村。
 もう一つ、気候と関連するものに地形がある。小さな島国の日本人は、外部に対して、まず慌て動揺する。
・ 個人主義化が、歪んで怒れなくなったことも注目すべきである。30年前の1982年頃は丁度個人主義が満開に達し、
 日本中が浮かれ出した。思想界では、ポストモダンというバラバラの個人を前提とした考え方が隆盛を極めていた。
 もう一緒に共通の夢、「大きな物語」を追いかける時代は終わったと・・・ それ以降、個人主義が拍車をかけていった。
 そして誰も怒らなくなった。権利意識だけ高まった人を怒って面倒になるなら、自分の夢を追求した方がましだからです。
▼ 怒れなくなった若者、切れる老人が多くなったのは、正しい怒り方が出来ないからである。デフレ時代の恵まれない
 時代背景に、どう怒ってよいのか、ただ呆然として立ち竦み、怒りの沈殿が、個々人の中で憎しみに変わろうとしている。
 そういえば、北朝鮮の女アナウンサーのコメントは常に怒った内容。そして威嚇したもの。内向きの統制が目的のためも
 あるが、明らかに支離滅裂。とはいえ、その対極にあるような日本も間違いなく変。 何のポチは怒りを悪と洗脳されたか。
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4111、フルゴシップ小さな問題 ー民主党スプリットティーファンドラマ
2012年6月27日(水)
   * つれづれに
 民主党は一度、解党するしかない。欧州発の世界恐慌が迫っている中、日本は数年限定の大連合を結集するしかない事態である。
欧州も刻一刻と危機が迫っている。国債と株式の暴落は、一度暴落が始まると、あとは歯止めが利かなくなる。その時が世界恐慌である。
その影響を一番受けるのが弱体化している日本になる。その上、アメリカも中国も、かなり危険な事態である。その結果、かなり際どい
金融政策もありえる。それを隠すために、戦争を中東辺りで仕掛けてくる可能性が強い。イスラエルによるイラン攻撃か、シリア攻撃か、
北朝鮮の暴発にみせかけた挑発か、中国の内乱も十分考えられる。80年前の世界恐慌は第二次大戦で、それまでの世界の仕組みを叩き壊し、
その再建を新たなエネルギーとして利用した。 ソ連と、共産中国の台頭、そして欧米の西側世界の制覇である。今度の、それは、
やはり新資本主義中国と、インドの台頭になる。 要は、資源である。その先導は電気自動車と、新エネルギーと、食料の確保。 
原発は危険としても残すだろう。 想像を絶した世界の混乱と、創造に向けての動きが始まったようだ。私も不摂生のため、長くて十年。
混乱の中で新しい創造の芽を見ることができるかどうか。スマートフォンタブレットPCが、更に時代を大きく動かすことになる。
   * 民主党の分裂茶番劇  (上記の文を書いて気づいたこと)
ー 民主党の分裂劇は要するに、こういうことだろう。
【 反自民党連合の民主党が政権を取ったが、政索公約はを殆んど空約束に終わった。このままでは自民党か、維新の会とかいう
関西系弁護士の新興勢力に取ってかわってしまう。近々、総選挙になれば惨敗は明らか。特に、小沢チルドレンは、殆ど落選する。
ならば、原発再開反対、消費税増税反対を公約に掲げ、民主党の隠れ分党をし、出来れば過半数か、三分の二を残したい。
さあ、芝居の始まり始まり。恐慌と大災害の中では消費税の増税など当たり前のこと。その前のすべき国家的リストラなど、
この国の体質では無理なのは自明のこと。宗主国アメリカの間接占領を再びしてもらわなけば不可能なのが現実。自民党だけには、
二度と権力を与えてはならない。】が、筋立てである。 政治はマツリゴトである。国民全体のレベル以上の政策は無理ということ。
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3745, ジャズについて(?) ー「ジャズ完全入門!」?  −16
2011年06月27日(月)
                 ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー ?
 三枝成彰の「音楽の本」でのジャズの章の記述は、非常に分かりやすい内容で、15回に渡り書き出し繰り返し読んでいる。
しかし、それは熱狂的な長年のファンの記述と実感ではない。 そこで図書館から数冊、ジャズ関係の文庫本を借りてきた。
その中で聴手の立場の知りたいポイントが書いてあったのが、この本である。
 その「はじめの」の中の次の部分は、聴き手として知りたいと思っていた部分が要約してある。
【  *「ジャズは、それぞれが個性的なミュージシャンたちの‘演奏’を聴く音楽である」
 これは、音楽ファンにとっては当然のことのように思えるけれど、枝葉をはしょって突き詰めてしまえば、これはかなり
ジャズの本質に追った鋭い答だし、他のジヤンルの音楽は、実は必ずしもこの言い方には収まり切らない要素を少しずつ含んでいる。
 たとえば、ジャズと同じように熱心なファンに支えられているクラシック音楽は、バッハやベートーベン、モーツァルトといった
昔の作曲家たちの作品を、カラヤンとかグールドといった現代の演奏家たちの手によって再現されたものを聴くことが一般的なので、
演奏を聴くことは、同時に作曲された作品を聴くことでもある。 別の言い方をすれば、クラシック音楽の演奏は過去の作品の解釈、
再現でもあり、ちょっと図式的な理解ではあるけれど、紙に書かれた楽譜を実際の音として人に聴かせる、目的のための手段、
といった側面もある。つまりクラシック音楽では、どんなに個性的な演奏をしたとしても、「演奏者だけが音楽の主人公ではない」
というところが、ジャズとは大きく異なっているのだ。 
 また常日ごろおなじみのポップスや歌謡曲は、親しみやすい、あるいは心に染みわたるメロディの美しさが音楽の魅力になっている
ことが多く、お気に入りのミユージシャンが歌い、あるいは演奏する好みの楽曲を聴くというのが普通の楽しみ方だろう。・・・・
要約すれば、ポピュラー・ミュージックの世界では演奏能力や歌唱力に加え、人々にアビールする曲想、歌詞の力が、とりわけ
現代では、アーティストの人的魅力が備わっていなければ、ファンに対して通用しないところを思い出してもらいたい。
 それらに対してジャズは、多くの人たちが誤解しているように「曲」を聴かせることだけが演奏の目的ではない。
またその演奏している曲目にしても、メロディがよくわからない(この部分を「アドリブ」という)ものを延々と吹きまくるばかりで、
いったい何をどう聴いていいやら見当もつかない、というのが一般の印象ではないだろうか。ところが、この何をやっているのか
よくわからない「演奏」部分こそが、ジャズの本質とも言うぺき肝であり、聴きどころなのだ。 だから多くのジャズマンたちは、
いかに人と違ったやり方で、この「演奏」をカッコよく仕立てあげるかに、それこそ全身全霊を傾けているのである。・・・ 】
▼ ジャズマンは、「曲」は、自分の「演奏」の素材として、自分の個性の表出として、オリジナリティを証明するための
 利用対象にしている。曲にメロディがあっても、何処かがずれているが、それでよいのである。その個性的演奏がジャズの
 持ち味である。従って、聴手の方から、理解しない限り何が何だか分からないという。もちろん演奏者には、個性を売りにできる
 内容がない限り、ジャズのファンはのっけから相手にしない。ジャズを聴きながら、これを読んでいると、この世界が、こんなに
 深く面白いとは、知らなんだ。
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3380, 閑話小題
2010年06月27日(日)
  * 新潟市の自殺率が政令指定都市でトップ
 先日、新潟市が去年の自殺率が政令指定都市の中で新潟市がトップと発表された。
10万人あたり30・4人という。ということは80万人として240人が自殺で亡くなっていることになる。3日に2人になる。
(2012年6月28日字数制限の為カット)
  * 詐欺師が教える「タダで手紙を出す方法」
「だまし」の心理学 という本にタダで手紙を出す方法があるそうな。
手口といえば、「宛先のところに、差出人の自分の名前を書く。それでは、相手の名前は? というと、
本来、差出人の名前を書く部分、つまり封書なら裏に書く。それで、ポストに投函すればよい。切手が貼られてないので、
差出人のところに届けられる」という訳。 それが詐欺師の本質を突いた事例という。 なるほど! 
(2012年6月28日字数制限の為カット)
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3005,戒名を自分で付けてみた
2009年06月27日(土)
 「戒名は自分で付けよう」 高林院釈俊信居士著    ー読書日記
以前から「戒名は自分で生前に付けられないものか」と、思っていたら図書館で「戒名は自分で付けよう」という本を見つけた。 
早速、借りて読んでみたが、面白い。戒名は一字10万、9字で90万あたりが相場という。坊様が葬式のドサクサに故人の
苗字と名前を元に名前を捻りだすので、まあいい加減で噴出すモノでしかない。
それなら自分でルールを踏まえたうえで考え出した方が、遺族としても心の深くに響くというもの。
ネットで調べると、自分で付けるのは「邪道」と坊様はのたまっているが、口から出まかせレベル。 
 宗派により、それぞれルールは違うが、 
浄土真宗(私の家の宗派)は、 ○○院釈△△居士(女性は○○院尼△△大姉)が基本 
 ○○は仕事とか(会計士なら懐慶院とか)、精神的・宗教的な言葉を入れるケースが多い。
精神の本籍的な位置づけになる。それに対して△△の部分は本人の名前に一字を入れるケースが多い。
それに本人が好きな言葉、例えば誠、信、真、愛、とかを入れればよいのである。
(最終決定でないとしても、こういうのが後で振り返っても良いことが多い)
この本を一通り目を通して10分間で、自分と、家内と、二人の息子の戒名を即興でつくってみた。これも縁である。
私 =堀井八郎    志誠院釈八楽居士  (志は母の名前の一字、誠は父の名前の一字)
家内=堀井恵子    慈愛院釈尼恵光
長男 =堀井大    霊覚院釈大道居士   次男=堀井崇史    自然院釈崇駿居士
 まあ、決して悪くはない出来栄?である  80ー90点?。
訳もわからない戒名を坊様にドサクサでつくって貰うよりは良いはず。
 浄土宗なら、○○院×誉△△居士 (×は自分の一生の誉れ、例えば絵、歌など・・・)
 臨済宗は、基本として浄土真宗と同じ。 
だから、亡くなる前に自分で付けて紙に書いて仏壇に置いておけば、後は仏具屋か葬式屋にお願いすればよい。
「本人の希望で、戒名は故人が自分で決めてあります」といえば、欲深でも「邪道」など言わないだろう。
ところで、改めて両親の位牌を仏壇から持ってきて見てみた
父=堀井誠作   池行院釈誠道    母=  志麻   報寿院釈尼信華
 合格点だが、父の池行の行を蓮にして 池蓮院釈誠道 にする。
ネットでも1万9千で戒名を付けくれるのがあったが、私は居酒屋で一杯で結構。
丁度良い酒の肴になる。  酒楽院釈酩酊居士 の戒名か?
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2641, 今年前半の総括
 2008年06月27日(金)
毎年、大事件は後半に起きる傾向にあるが、今年は前半に続いた。
  ー海外では
アメリカのサブ・プライム問題で、株の暴落と、ドル安  ・石油が暴騰、さらに穀物など世界同時インフレが始った
ミャンマーのサイクロンで十数万人が死亡        ・中国のチベットで暴動、全国的にも波及
・中国の四川省で大地震で9万人近くが死亡・行方不明   
ー国内では
・岩手・宮城大地震                    ・秋葉原などで、無差別殺人事件がつづいた
アメリカのサブ・プライムによる余波で日本も株価の暴落  ・石油や穀物が一挙に暴騰、インフレ状況になった
・この半年で更に景気が冷え込んでしまい、特に地方は最悪といってよい状況
 特に秋葉原の無差別殺人は、戦後教育の集大成といってよいような最悪の事件だった。
これで日本中が否が応でも、若者達の冷え切った心の奥の一端を見せ付けらてしまった。
ー個人的にみると、
・長男がUターンをして職さがし。仕事が落ちつくまでは、自分まで落ちつかず。
・両親の兄弟(姉妹)の最後の一人の叔父が亡くなる。(連れ合いも全て亡くなった)これで親戚関係の付き合が大きく変わる。
・パソコンをMacのデスク型に変えた為に、パソコン環境が劇的に良くなった。
 iPodを購入し、常に携帯するようになったのも大きい。
・酒を飲んでフラフラ歩いていて車にも跳ねられたし、呼び込み二人強引にピンクに引き込まれそうになり警察騒動もあった。 
・本は、何冊か面白いものに行き当たった。こんど書くつもり。
  ー会社は、
・昨年の10月半ばより長期の団体が5月末まで入っていたので、2月末の決算は好調。
 今期の見通しの数字はたったが、不景気の影は迫っている。後半も大きな波乱要素が多くある。
 山より大きな猪はいない、というから、その中で面白おかしく日々を過ごすしかない。
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2007年06月27日(水)
2276, 天才論 ー1  ヽ(★>з<)。o○[ォハヨ]  ー読書日記
「天才論」
ダ・ヴィンチに学ぶ「総合力」の秘訣ー 茂木健一郎著を読んだが、成る程と思う箇所が多くあった。
この本はダ・ヴィンチの作品を通して、「天才」について論じている。
ダ・ヴィンチの絵については、「モナリザの微笑み」が有名だが、「モナリザ」はダ・ヴィンチの自画像だった
とも言われてきた。ダ・ヴィンチの芸術家としての根幹に「正式に結婚していない両親から生まれた婚外子ということも含めて、
自分のアイデンティティに深い懐疑を抱いていた印象がある。・・誰にでもある、ある種のコンプレックスをダ・ヴィンチ
持っており彼の作品に少なからず影響を及ぼしているように思えた」というところが印象的である。
「万能の天才」が誰も持っている「でこぼこ」(プラス・マイナス面)を、ダヴィンチに当てはめるとしたら何なんだろうか?
モーツアルトが、あれだけ素晴らしい音楽が作れるのに、字がへたであったことと同様に、ダ・ヴィンチにもいくつかの「でこぼこ」
があるはずとの著者の指摘。ダ・ヴィンチは絵については評価は高いが、彫刻にしても、手稿として残されたものに書かれてある
「機械」についても疑問点をあげている。その辺に「でこぼこ」のマイナスのヒントを見ている。
  レオナルドは「脳」における視覚の成り立ちが二つあるとして、
 ・外から入る刺激が徐々に処理されていく「ボトムアップ」と
 ・部屋のようすを目を閉じて想像する「トップダウン」と分類。
 (2010年6月28日字数制限の為カット)
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2006年06月27日(火)
1911, スペイン画家・堀越千秋ー3         (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ? ヨウ
「スペインうやむや日記」ー2     ー 読書日記
 ースペイン人の特質ー
この本は読んでも読んでも飽きない。いや読むほどに堀越スペインの世界に引き込まてしまう。
同じ世代で、身近に感じ取れとられることもあるが・・・ 堀越の自在から滲み出ている人間の味が、葡萄酒のように漂ってくる。
28歳でスペインに渡って30年の実感を「国際人とは、長年の孤独に慣れた者のことなのである」といっているが、
海外の流浪者の哀感がそのまま伝わってくる言葉である。流浪の民の著者の言葉だからこそ、言葉の重みがそのまま迫ってくる。
ースペインの特徴を、いたって解りやすく説明してくれるー
(2012年6月28日字数制限の為カット)
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2005年06月27日(月)
 1546, 人生の最後に後悔すること
アメリカの90代の男女1万人の質問、「90年も生きてきた人生の中で、最も後悔していることは何ですか?」の答えは、
「もっと、いろんなことにチャレンジすれば良かった・・」ということだという。おそらく今後未来永劫?同じ答えになるだろう。
一度しかない人生、やりたいことをどんどん見つけ存分生きることこそ、人生が私たち問いかけている問題である。
この人生の問いかけを、人生の全てをかけて答えを探すことこそ、後悔をしない生き方になる。中村天風のいう「積極一貫」を、
人生を通して徹することである。何故、色んなことに頑なに目を向けなかったのだろうか?知識がなかった現状に満足しきっていた、
余裕がなかった、人生を真剣に考えなかった、等々、いろいろあるだろうが。豊かなアメリカの90代の人々が
「もっと多くのことをチャレンジすれば良かった」という切実な後悔は、何を意味しているしているのか? 
旧共産圏や後進国では、こういう問いかけは少ないはずだ。それを言えるだけの豊かさという環境があるからこそいえる。 
ということは、「余裕が出来たら可能なかぎり色いろなことにチャレンジしてみるべきだ」という答えが自動的に返ってくる。
教養とは、
・家庭や社会から縛られた先入観や馬鹿の壁を、広く深い知識と経験持つことによって知ることをいう。また、
・『人生は可能なかぎり多くのことことにチャレンジすべし』を知る経験と知識である。
 しかし、一つのことを突きつめた人に、この問いかけは無かったはずだ。限界まで生きてきたからだ。それしかないし、
他は考えられないからだ。 それでも、あるのが人間であるが。「もっと多くのことにチャレンジしておけばよかった!」 
この半年間、人生の直線コーナーに入る前である、もっと深く問い詰めてみよう!か。
父が死期を悟った時に、私に預金通帳を見せて「この中味は、自分にとって単なる数字の羅列でしかない!」
と言ったことを思い出す。 中味も大事であるが、といって死んでしまえばそれまでだ。人間を支配している不安と恐怖が、
新しいチャレンジを阻害するのだろう。そして貯金をすることで解消しようとする。それに支配される状態が、老いている状態である。
今度、不安について哲学的に問い詰めてみよう。90歳の人がいうから問題がクローズアップする。20歳でも同じ問いかけが必要である。
周りを見渡せば幾らでもチャレンジの対象がある。見えてないのだ。それも足元にあるのに。
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2004年06月27日(日)
 1181, カント ー 哲学についてー11
カントは、一般的にギリシャ以降の哲学の世界に登場した最大の思想家とみなされている。
ドイツのケーニヒスブルクの貧しい馬の蹄鉄屋の家に生まれます。 因果なことに、“ せむし ”で、背中にコブがあり、
身体がゆがんで胸が小さく、生まれついての喘息もちだった。脈はいつも120をこえ、いつもゼイゼイと今にも 死にそうな
子供であったのだそうです。毎日毎日苦しみながら、それでも17歳を迎えたとき、 父親はカントを「 駄目でモトモト 」
と半ばあきらめつつ、年に数回巡ってくる有名な医者のところへ連れて行く。そうするとこの医者は、じっとカントの様子を
見てからこう言います。「 あなたは本当に気の毒な身体をしている。辛かろう苦しかろう。それは医者として見ただけでわかる。
しかし、それは身体だけのことだ。身体は確かに気の毒な状態だけれど、心はどうでもなかろう。
心までも“ せむし ”みたいにゆがんで息苦しくてゼイゼイしているのならともかく、あなたの言うことも心もしっかりしている。
身体のことで辛い、苦しい、といくら騒いでも、父さんや 母さんやみんなが辛いだけで何にもならない。それよりも、
心のしっかりしていることに感謝しなくては。死なずにいるのはそのおかげなんだよ。そのことを喜びと感謝にしていけば、
身体の方も次第に軽くなって 良くなっていくものなんだ。このことがよくわからないようだったらお前は本当に不幸なんだよ。」
カントは、家に帰ってからこの言葉をじっと考えます。人間というのは、 身体あってのものだろうか、心あってのものだろうか・・。 
そしてついにカントは、世界が誇る大哲学者への道を歩み始めた。終生独身だった彼の生活は、平凡で真面目いっぽうにみえた。
毎日きまった時間に散歩をする姿を見て、街の人は時計の時間を修正をしたという。
  (2008年6月27日字数制限の為カット)
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2003年06月27日(金)
814, 「ありがとう」の言葉 ー6
 昨日、現地見学ということで千葉の越谷に行ったが、どうしても現地の場所がわからない。たまたま通りがかりの自転車に
乗った女の人に聞いたら、そっちに行くから案内をしてくれるという。ところがなかなか現地のその場所がわからない。
( 2008年6月28日字数制限の為カット )
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2002年06月27日(木)
450,吉村作治-宗教・教えー3
(2008年6月28日字数制限の為カット)
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2001年06月27日(水)
[66] ソフト変更
昨日よりこのコーナーのソフトが変わった。今までのものは70日で書いた内容が自動的に消される。
これは写真も貼れる。そうなると写真日記とダブルという問題もでてくる。お笑いも分類のコーナーをつくり、見やすくした。
まだ分類の移行ができてないが、徐々にしていくつもりだ。昨日は3Dホームページソフトの打ち合わせと、
このホームページの変更の打ち合わをしたが、だんだん形が見えてきた。