* 欧州サッカー選手権と、EUの離脱問題
 今回の英国のEUからの離脱問題。欧州サッカー選手権の最中の熱い時期の
タイミングが良くなかった。英の自国内も含めた、欧州同士のサッカー試合を
通した代理戦争のような試合が行われている最中の離脱成否の国民選挙である。
何とか抑えてきた抑えてきた愛国心、郷土愛が欧州連邦を崩す切欠になるのか。
 英国とユーラシア大陸の位置関係と、日本とアジア大陸の地勢上の立ち位置
から類推してみると似ている。日本に大陸から大挙して押し寄せて、街の一角
に住んだとしたら、当然、離脱をしたくなる。 中国、韓国、フィリッピン
インド人が、近くのアパートに住んで、大声で深夜、騒いだとしたら、それは
拒否反応を示しす。現に自宅前のアパートの何世帯が、住人である。
我慢できないレベルではないが、数倍になったとしたら、考えるだろう。
それも犯罪が激増するとしたら・・ 
 離脱問題が、大した問題でないのか、想像を絶した大問題なのか、二日間、
新聞、TV、ネットの情報を通して考えてみたが、これはパンドラの箱が開いた
リーマンショック以上の大問題。プラス面に光が当てられたグローバリズム
の問題が、マイナス面に表出した一現象である。これでトランプがアメリ
大統領に選出される可能性が出てきた。いや、いくらなんでも?
EUは、解体もありうる。それと、スコットランドの独立もである。
 ソ連邦解体と、中国の共産主義政策の放棄と、情報社会の到来をみた上に、
EUの壮大な生成の実験と、その崩壊過程?まで目撃できるとは! 驚き。
アメリカの不良債権も、各国政府、金融機関の金庫の中に押し込まれたまま。
何かの切欠で表立った時、世界恐慌は表立つ。今週は、先週に続いて見もの!
まず株式と為替から。現役だったら、夜も寝れないだろうに。
アベノミックスは、株安、円高の潮目で、失敗が露呈してくる。娑婆は面白い。

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5217,神学と物理学と哲学の三位一体論
2015年06月27日(土)
              『立花隆の書棚』立花隆・蒼田純一写真    
   * 神学と物理学と哲学の三位一体論 
 書店の店頭で数ヶ月前から黒表紙の『立花隆の書棚』という分厚い本が並んで
いた。面白そうだが買うのを控えていたのを図書館で見つけ、さっそく借りた。
  その「まえがき」の内容が良い!
≪ 「やはり、若い才能というのはあるもので、昔のいい本にもう一度出会う
 のも悪くないが、若いブリリアントな才能の持ち主と出会うことは嫉妬の対象
にこそなれ、なかなか賛嘆の対象にはならなかった。しかし、七十を過ぎて、
素直に、何でも、よいものはよい、と言いたくなった」 ・・・(略)
 『20歳の君へ』の中で、キリスト教の三位一体説を取り上げ、父なる神と、
子なる神と、精霊なる神が一体であるとはどういうことか、それに対する異論から、
最初の異端、アリウス派が生まれたという話をした。
イエス・キリスト=神」とする正統的な三位一体論に対して、歴史上、
異論を唱える教派が何度も出ては、異論とされてきたのである。現代においても、
アメリカで最も有力な教派(ユニテリアン)が同じ見解の下に集団を作っていて、
アリウス派の現代版と目されるということを指摘した。
「現代版三位一体論を考えるなら、今こそ、神学と物理学と哲学の三位一体論を
やるべきだと思う。それは、光とエネルギーと物質の三位一体論であり、これは
物理学の公式で書き表せば、E=mc²のアインシュタインの相対論と、E= hνの
プランク量子力学から導き出せる。これがこの本を書きながらたどり着いた
一つのことである。・・ 光とエネルギーと物質は、結局は同じものであり、
われわれ自身も、われわれを作ったものも、われわれが作り出してきたものも、
すべてこの三位一体説の中にあるのである。≫
▼ そもそも光とは? エネルギーとは? 物質とは何か?を知らなければ
 ならない。結局は同じものというが、それは何か?である。 猫ビルなどの
書棚の写真を見ていると、本という媒体という物質。そこに込められた著者の
エネルギー。光は情報・知識ということか。 あるいは、人間そのものも、
肉体が物質、エネルギーが行為、光は情報・知識になる。どれもこれも磨き
続けないと、劣化を始める。 問題は行き先の設定。それぞれ違ってくるが。
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4852,「事業人生を決心して45年」の語り直しー22
2014年06月27日(金)
  * 本店ビルの建替えへ
 そうこうするうちに、地元百貨店の二社が大手チェーンのニチイと、ヨーカ堂
傘下になっていた。そのニチイ傘下に入った隣地の百貨店と数軒の店舗の共同開発
ビル計画が立ち上がっていた。当地は、その四角にあり、要になるため、当然、
参加の打診があった。私が生まれ育った旧ビルも30年も経って寿命もきていた。 
私は当初、共同ビルに参加には賛成だったが、共同ビルの設計は当然、大型店に
都合よいレイアウト。即刻、参加取りやめになったが、この機会に新ビルを
建替えることになった。私には千葉・千城台ビル立上げの経験がある。
この設計過程と、ビル建設の二度目のチャレンジになった。設計会社は千葉と同じ
設計事務所と、担当を同じにした。30年前に、そこで、父が木造店舗から、
新ビルの立上げを、身近に見ていた幼児体験もあった。これに、千葉でのビルの
経験を加えての設計の立案、この建物は、その後の建物でのベストの傑作の設計。 
扇状の四つ角のビル。柱は最小に、ビル売却を前提において、テナントビルなどに
転用可能に、考え抜かれたレイアウトになっている。二階以上のフロアーと地下を
メインの1Fと分離できるテナントビルへの転用可能である。
この建替プロセスほど、人生で面白かったことはなかった。 父の魂が私に乗り
うつって建てたような建物。現在は予備校として稼動しているが、実兄が、通り
相場の3〜5割高で売却が出来た。その買った人物が、その後に取組んだホテル
創業のスタッフだった因縁があった。ニヶ月でコンビ解消をしたが・・その人も、
私から傑作作品と聞いていた 面白いものである。 10年後には、異種の
ブラックスワンの出現で・・? 話は戻るが、新規ビル建設で旧ビルを壊すことに
なったが、私の手で壊すのも大きな因縁。仮店舗への移動のため、閉店売出しで
一切を整理をした最終の夜、二階で全員で冷酒で乾杯。旧ビルへの御別れで、
飲みほした茶碗を一斉に床に叩き付けた。ところが、全ての茶碗が割れない。
長年の熱湯で強固になっていたため。茶碗にも年季が入っていることを教えられた。 
 ところで、敷地ギリギリの鉄筋ビルの解体を、どうするかに非常に興味があった。
何と各フロアの真中に5m程の穴を開け、上層から壊したコンクリートと鉄筋を
1Fに落とし、運び出す。5Fの後は、4,3,2Fと。
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4485, 怒らないって本当は恐い! ー2
2013年06月27日(木)
                 『怒りの作法』小川仁志 著
 * 日本人はなぜここまで怒らないのか
何故に日本人は怒らなくなったのか、その理由を幾つか取り上げている。
 ーその部分を抜粋ー
・ 三木清は『人生論ノート』の中で、「他の感情から比べ、否定的に
とらえられるのは、怒りが憎しみと混同している点にあるとしている。
三木は憎しみは負の感情しかないが、怒りはそれとは違う正のエネルギーを
秘めた感情。  したがって、まず怒りに課せられた誤解を解くことから始める
必要がある。感情とは内側から生じてくる一種のエネルギーであって、それを
うまく放出することによって、人間は人間らしくふるまえるのである。
・ なぜ怒りだけが抑圧されるかというと、そのイメージは、ほとんど常に
暴力的言動に結びついているため。怒っている人の原因を聞くと、理解が出来る。
しかし、その言動は否定することになる。互いの主観をみとめ、話し合い、
理解するのが人間たる由縁だが、暴言や暴力に頼り、他者から理解してもらう
ことを諦めてしまうため現代人は動物化しているといわれる。
・ 権力者は、怒る人間より従順な人間を好みます。自らの保身のためである。
長年かけて教育を始めとした啓蒙活動で人間の怒りを去勢し、従順な国民を作り
上げてきた。・・・ 怒りという正常な感覚の一部を奪われてしまった人間は、
他の感情ー喜と哀と楽も歪なものになっていく。笑えない子供、泣けない大人、
楽しめない人間。極端までに怒りを嫌悪する現代社会は、こうした「異常現象」
が顕著になっている。人間は、怒りそのものを抑圧されることによって、
喜怒哀楽という自然を失い、不自然な存在に歪められていく。
・「風土」論にみる日本人とは?といえば、 和辻哲郎の風土論がまっさきに
上げられる。彼は世界の気候をモンスーン型、砂漠型、牧場型の三つに分けた。
モンスーン型は、温暖湿潤なため温厚と同時に忍従的のため従順な人間になる。
これに対し砂漠型は、厳しい自然に抵抗するため攻撃的になる。また牧場型は、
自然を囲い込んで征服しようとするため、合理的に物事を考えるようになる。
日本はモンスーン型、アメリカと欧州は牧場型。砂漠型はアフリカやモンゴル。
中国はアジアに属するが服従しないという点では特殊。農村的なるものの
エートスは、共同体を重視するため近所と波風を立てないことが、求められる。
 あの人は、どう思うかということばかりが気になり、常に頭の中に、自分を
睥睨する他者の視線が紛れ込んでいる。 現在の日本の社会制度はほぼ農村
出身者によって作られたもの。たとえば、学校。あれは目立たないことを教え、
人と違う意見や行動を封じ込める場所。まさに教室という名の農村。
もう一つ、気候と関連するものに地形がある。 小さな島国の日本人は、
外部に対して、まず慌て動揺する。
・ 個人主義化が、歪んで怒れなくなったことも注目すべきである。
30年前の1982年頃は丁度個人主義が満開に達し、日本中が浮かれ出した。
思想界では、ポストモダンというバラバラの個人を前提とした考え方が隆盛を
極めていた。一緒に共通の夢「大きな物語」を追いかける時代は終わったと・・
 それ以降、個人主義が拍車をかけていった。 そして誰も怒らなくなった。
権利意識だけ高まった人を怒って面倒になるなら、自分の夢を追求した方が
ましだからです。
▼ 怒れなくなった若者、切れる老人が多くなったのは、正しい怒り方が
 出来ないからである。デフレ時代の恵まれない時代背景に、どう怒ってよいか、
ただ呆然として立ち竦み、怒りの沈殿が、個々の中で憎しみに変わろうと
している。そういえば、北朝鮮の女アナウンサーのコメントは常に怒った内容。
そして威嚇したもの。内向きの統制が目的のためもあるが、明らかに支離滅裂。
とはいえ、その対極にあるような日本も間違いなく変。
何のポチは怒りを悪と洗脳されたか。
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4111、閑話小題 ー民主党
2012年6月27日(水)
   * つれづれに
 民主党は一度、解党するしかない。欧州発の世界恐慌が迫っている中、
日本は数年限定の大連合を結集するしかない事態。欧州も刻一刻と危機が迫る。
国債と株式の暴落は、一度暴落が始まると、あとは歯止めが利かなくなる。
その時が世界恐慌である。その影響を一番受けるのが弱体化している日本になる。 
その上、アメリカも中国も、非常に危険な事態である。その結果、際どい金融
政策もありえる。それを隠すために、戦争を中東で仕掛けてくる可能性が強い。
イスラエルによるイラン攻撃か、シリア攻撃か、北朝鮮の暴発にみせかけた
挑発か、中国の内乱も十分考えられる。80年前の世界恐慌は第二次大戦で、
それまでの世界の仕組みを叩壊し、その再建を新たなエネルギーとして利用した。 
ソ連と、共産中国の台頭、そして欧米の西側世界の制覇である。今度の、
それは、新資本主義中国と、インドの台頭になる。 要は、資源である。
その先導は電気自動車と、新エネルギーと、食料の確保。原発は危険としても
残すだろう。想像を絶した世界の混乱と、創造に向けての動きが始まった。
私も不摂生のため、長くて十年。 混乱の中で新しい創造の芽を見ることが
できるかどうか。スマートフォンタブレットPCが、更に時代を大きく
動かすことになる。
   * 民主党の分裂茶番劇  (上記の文を書いて気づいたこと)
ー 民主党の分裂劇は要するに、こういうことだろう。
【 反自民党連合の民主党が政権を取ったが、政索公約はを殆んど空約束に
 終わった。このままでは自民党か、維新の会とかいう関西系弁護士の新興勢力
に取ってかわってしまう。近々、総選挙になれば惨敗は明らか。特に、小沢
チルドレンは、殆ど落選する。ならば、原発再開反対、消費税増税反対を公約
に掲げ、民主党の隠れ分党をし、出来れば過半数か、三分の二を残したい。
さあ、芝居の始まり。恐慌と大災害の中では消費税の増税など当り前のこと。
その前のすべき国家的リストラなど、この国の体質では無理なのは自明のこと。
宗主国アメリカの間接占領を再びしてもらわなけば不可能なのが現実。
自民党だけには、二度と権力を与えてはならない。】が、筋立てである。 
政治はマツリゴトである。国民全体のレベル以上の政策は無理ということ。
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3745, ジャズについて(�) ー「ジャズ完全入門!」�  −16
2011年06月27日(月)
             ー 「ジャズ完全入門!」 後藤雅洋著 ー �
 三枝成彰の「音楽の本」でのジャズの章の記述は、非常に分かりやすい
内容で、15回に渡り書き出し繰り返し読んでいる。しかし、それは熱狂的な
長年のファンの記述と実感ではない。 そこで図書館から数冊、ジャズ関係
の文庫本を借りてきた。その中で聴手の立場の知りたいポイントが書いて
あったのが、この本である。 その「はじめの」の中の次の部分は、
聴き手として知りたいと思っていた部分が要約してある。
【  *「ジャズは、それぞれが個性的なミュージシャンたちの
                     ‘演奏’を聴く音楽である」
 これは、音楽ファンにとっては当然のことのように思えるけれど、枝葉を
はしょって突き詰めてしまえば、これはかなりジャズの本質に追った鋭い答だし、
他のジヤンルの音楽は、実は必ずしもこの言い方には収まり切らない要素を少し
ずつ含んでいる。たとえば、ジャズと同じように熱心なファンに支えられている
クラシック音楽は、バッハやベートーベン、モーツァルトといった昔の作曲家
たちの作品を、カラヤンとかグールドといった現代の演奏家たちの手によって
再現されたものを聴くことが一般的なので、演奏を聴くことは、同時に作曲
された作品を聴くことでもある。 別の言い方をすれば、クラシック音楽の演奏
は過去の作品の解釈、再現でもあり、ちょっと図式的な理解ではあるけれど、
紙に書かれた楽譜を実際の音として人に聴かせる、目的のための手段、といった
側面もある。つまりクラシック音楽では、どんなに個性的な演奏をしたとしても、
「演奏者だけが音楽の主人公ではない」というところが、ジャズとは大きく
異なっているのだ。また常日ごろおなじみのポップスや歌謡曲は、親しみやすい、
あるいは心に染みわたるメロディの美しさが音楽の魅力になっていることが多く、
お気に入りのミユージシャンが歌い、あるいは演奏する好みの楽曲を聴くという
のが普通の楽しみ方だろう。・・・ 要約すれば、ポピュラー・ミュージックの
世界では演奏能力や歌唱力に加え、人々にアビールする曲想、歌詞の力が、
とりわけ現代では、アーティストの人的魅力が備わっていなければ、ファンに
対して通用しないところを思い出してもらいたい。 それらに対してジャズは、
多くの人たちが誤解しているように「曲」を聴かせることだけが演奏の目的でない。
またその演奏している曲目にしても、メロディがよくわからない(この部分を
「アドリブ」という)ものを延々と吹きまくるばかりで、いったい何をどう聴いて
いいやら見当もつかない、というのが一般の印象ではないだろうか。
ところが、この何をやっているのかよくわからない「演奏」部分こそが、
ジャズの本質とも言うぺき肝であり、聴きどころなのだ。 だから多くのジャズ
マンたちは、いかに人と違ったやり方で、この「演奏」をカッコよく仕立て
あげるかに、それこそ全身全霊を傾けているのである。・・・ 】
▼ ジャズマンは、「曲」は、自分の「演奏」の素材として、自分の
 個性の 表出として、オリジナリティを証明するための利用対象にしている。
曲にメロディがあっても、何処かがずれているが、それでよいのである。
その個性的演奏がジャズの持ち味である。従って、聴手の方から、理解しない
限り何が何だか分からないという。もちろん演奏者には、個性を売りにできる
内容がない限り、ジャズのファンはのっけから相手にしない。ジャズを聴き
ながら、これを読むと、この世界が、こんなに深く面白いとは、知らなんだ。
・・・・・・・
3380, 閑話小題
2010年06月27日(日)
  * 新潟市の自殺率が政令指定都市でトップ
 先日、新潟市が去年の自殺率が政令指定都市の中で新潟市がトップと発表。
10万人あたり30・4人という。ということは80万人として240人が
自殺で亡くなっていることになる。3日に2人になる。
(2012年6月28日字数制限の為カット)
  * 詐欺師が教える「タダで手紙を出す方法」
「だまし」の心理学 という本にタダで手紙を出す方法があるそうな。
手口といえば、「宛先のところに、差出人の自分の名前を書く。それでは、
相手の名前は? というと、本来、差出人の名前を書く部分、つまり封書なら
裏に書く。それで、ポストに投函すればよい。切手が貼られてないので、
差出人のところに届けられる」という訳。 それが詐欺師の本質を突いた
事例という。 なるほど! (2012年6月28日字数制限の為カット)
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3005,戒名を自分で付けてみた
2009年06月27日(土)
 「戒名は自分で付けよう」 高林院釈俊信居士著    ー読書日記
以前から「戒名は自分で生前に付けられないものか」と、思っていたら図書館で
「戒名は自分で付けよう」という本を見つけた。早速、借りて読んでみたが、
面白い。戒名は一字10万、9字で90万あたりが相場という。坊様が葬式の
ドサクサに故人の苗字と名前を元に名前を捻りだすので、まあいい加減で噴出
するモノでしかない。それなら自分でルールを踏まえたうえで考え出した方が、
遺族としても心の深くに響くというもの。ネットで調べると、自分で付けるのは
「邪道」と坊様はのたまっているが、口から出まかせレベル。 
 宗派により、それぞれルールは違うが、 
浄土真宗(私の家の宗派)は、○○院釈△△居士(女性は○○院尼△△大姉)
 が基本  ○○は仕事とか(会計士なら懐慶院とか)、精神的・宗教的な言葉
を入れるケースが多い。精神の本籍的な位置づけになる。それに対して△△の
部分は本人の名前に一字を入れるケースが多い。それに本人が好きな言葉、
例えば誠、信、真、愛、とかを入れればよいのである。
(最終決定でないとしても、こういうのが後で振り返っても良いことが多い)
この本を一通り目を通して10分間で、自分と、家内と、二人の息子の戒名を
即興でつくってみた。これも縁である。
私 =堀井八郎  志誠院釈八楽居士(志は母の名の一字、誠は父の名一字)
家内=堀井恵子  慈愛院釈尼恵光
長男 =堀井大  霊覚院釈大道居士 
次男=堀井崇史  自然院釈崇駿居士
 まあ、決して悪くはない出来栄?である  80ー90点?。
訳もわからない戒名を坊様にドサクサでつくって貰うよりは良いはず。
 浄土宗なら、○○院×誉△△居士 (×は自分の一生の誉れ、例えば絵、歌)
 臨済宗は、基本として浄土真宗と同じ。 
だから、亡くなる前に自分で付けて紙に書いて仏壇に置いておけば、後は仏具屋か
葬式屋にお願いすればよい。「本人の希望で、戒名は故人が自分で決めてあります」
といえば、欲深でも「邪道」など言わないだろう。
ところで、改めて両親の位牌を仏壇から持ってきて見てみた
父=堀井誠作   池行院釈誠道    母=  志麻   報寿院釈尼信華
 合格点だが、父の池行の行を蓮にして 池蓮院釈誠道 にする。
ネットでも1万9千で戒名を付けくれるのがあったが、私は居酒屋で一杯で結構。
丁度良い酒の肴になる。  酒楽院釈酩酊居士 の戒名か?
・・・・・・・・・
2641, 今年前半の総括
 2008年06月27日(金)