*創業30周年の日に・・
 そういえば、今日が30年前の命がけで始めたホテル開業の日である。 当時の名前はベンクーガーホテル。
その一週間前に、ホテルの一角でデザイン学生服をオープンをしていた。 いま思い出しても、良い時代だった。
一瞬で消え去る学生服メーカーのネーミングをホテルにつけるという奇抜さが話題をよんだ。平日はホテルに集中。
土日は学生服を販売する変わったホテルである。チンケといえばチンケだが。 当時は、まだ高度成長時代の真っ只中、
創業前に人材を集めるのが大変な時代。 当時と現在の、時代の格差に驚きざるをえない。
ホテルなど誰も経験者がいない中で、右往左往の緊迫した日々が懐かしい。 何かにガムシャラに前に向かえば、
そこには求めるもの答えがあった。私たちは時代背景の中でしか生きることが出来ない。そして、30年後の現在、
当時より客室の価格平均が三割以上も下がっている。 平均給与は数倍に上がっているに関わらずに。 
 ドルショック、バブルとバブル崩壊、2001年の9.11テロ、2008年の9・15のリーマンショック。そして、この大震災。
その中で特に日本は、その都度大きく変動した。 自分の人生を振りかってみて、時代の要請にそって能力をつくり上げ、
成功と挫折をしながら生きていく、それが人生だった。 事業は30年が大きな節目になる。その節目がきた。

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3291, 人みな骨になるならば ー7
 2010年03月30日(火)
 * 健康法は一種の信仰である
 ー まずは、その一部を抜粋してみる ー
長年医者をやっていて、少しは自分でものを考えたことのある人は、病気や寿命は畢竟するところ「運」ということを知っている。
昔ならとうに亡くなっている人が、現代医療で長生き出来たケースもあるが、現代に生を受けた強運である。次に、感染や、
悪性腫瘍、循環障害の大半は不運に起因するところが多い。 出会いしかり、遺伝・体質しかり、生活条件しかりである。
これに無理に生活習慣病と名づけ、本人の素行いかんで完全に予防・解消できるという発想は、希望的観測や信仰に近い。
ただ皆がそうであることを熱望しているから信じられているだけだ。 健康や寿命まで運次第というと不安だからだろう。・・・
 ありとあらゆる健康法をしたところで、それは入手できる限りのお守りを持っているのと大差がなく、死病を発する時には
やはり発するのである。5歳で白血病になる幼児や、20歳過ぎてクモ膜下出血をおこした青年にとって、健康法が
いかなる意味があるか。 ・・・  むしろ健康法とは一種の信仰なのである。本当かどうかは二の次である。
「これさえやっておけば」「これをやめておけば」は、健康と長寿が保証されるかを信じこむことで不安を紛らわせているに過ぎない。
つまり健康法とは念仏とかわらないのである。 たしかに健康法や健康習慣をつづけることは念仏百万遍と同じ安心感につながる。
・・・少なくとも無心で念仏を唱えることは精神衛生によろしい。 もし当人にとって健康食品が美味しく、スポーツが楽しく、
タバコが嫌いで、規則的な生活が好きなら、念仏が趣味と同じで、それに越したことはない。 それは本質的に健康法ではなくて、
単なる好みの問題である。・・・結局、健康法や養生法というのは、いくぶん不確かな「何かのための手段を確保しようとする試み」
以上のものではない。むしろ大事なのは「何か」のほうであって・・・
 モーツアルやショパンが作曲そっちのけで健康法に没頭して長生きして孫に囲まれゲートボールを楽しんだとして、
後代のわれわれにとって何の意味もないし、彼等はモーツアルトでもショパンでもない。
さらに、はっきり言えば、古今を通じて健康法や医療によって最終的に死を免れた者は絶無である。
 ――
 現在も、健康法を色いろ続けている。 ウォーキングは三十年近く続けているし、健康食品も幾つか飲み続けている。
しかし、「そんなものは御守りでしかない」「それを続けていることで安心しているに過ぎない」とまで言うのか。
私は、もしウォーキングを続けていなかったら、間違いなく高血圧などの成人病で、死んでいるか、重症になっていると、
今でも信じている。 しかし、それをしているから少し不節制をしても大丈夫という慢心が出ていることも事実である。
「酒飲まず、煙草も吸わずに、百まで生きた馬鹿がいる」というが、「酒を飲み、煙草を吸って、百まで生きた奴がいる」になる。
実際は、やはり不摂生をした方が早死している。ストレス解消に、徹夜で煙草を吸いながらマージャンしている人に、
癌や高血圧になる人が多いのは誰の目にも明らかである。それで死んでも、死ななくても、その程度でしかない?ということか。 
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2916,とんでもないことなんだよ!
 2009年03月30日(月)
 先週の金曜日の昼、新潟駅至近にあるレストランでのこと。隔月ぐらい入るが、パンとコーヒーが美味しい店である。
食事が終わった後でコーヒーが美味しかったので、追加料金が100円こともあり注文をした。
ところが一口飲んで噴出しそうになった。 (ぬるま湯ではなく)ホボ水に近いコーヒー。出してくれた女性に思わず
「水に近いけど、これって、とんでもないことなんだよ!」と言ってしまった。それより何で、水に近いコーヒーを
出してしまったのか、その方が興味を持った。コーヒーに濃い目と薄めとメニューにあったので薄めを頼んだが、
湯を継ぎ足すのを水と間違ったようだ。フロアーの女性が近くのカウンターで入れていたが。コーヒーは本当に難しい。
一杯ずつ丁寧に出せば時間とコストがかかるし、つくり置きは直ぐに劣化する。当方もUCCから自動マシーンを入れてから、
客の苦情の心配が無くなった。私の知人がコーヒーの専門店を開いた時のこと。 広告代理店の営業担当で20年以上の
付き合いがあった人である。 会社の副支配人が同行したが、彼は元コックなど料理関係のプロ。 帰りの車で彼いわく、
「あの人は素人の域を出てない。コーヒー専門店にかかわらず、他の客が来た時に駐車場の案内のために場を外した。
それも一番、微妙なタイミングに。あの時は、コーヒーを出した後に自分が車を持っていくべきだ」という。なるほど、
奥行きが深い世界である。事務所の前のコーヒー専門店にランチを週一ぐらい行くが、2〜3回、ぬるめのコーヒーを
出したことがあった。客は普段の美味しいコーヒーより、それを憶えているもの。私が新潟で、この事業をしようと
思い立った時に、オークラホテルに人材派遣をしている会社の二代目専務を紹介された。オークラに訪ねて会って
話していると、のっけからド素人がと小ばかにした態度。それはそれで、仕方がないが、一つだけ驚いたことがあった。 
2Fのレストランでコーヒーを飲んだが、少しヌルイコーヒーだった。ところが、コーヒーを出した担当を呼び出して
大声で叱咤したのには驚いた。「こんなコーヒーを出しているのか」と。今から考えると、素人がホテルを立ち上げる
ことなど無謀と間接的に教えてくれたのである。当初は、宿泊より飲食部門に全エネルギーが入ってしまった。
当時は、飲食部門をホテルの「村の鎮守様」に位置づけていた。 守り本尊である。
レストランでは、コーヒーが命である。だから思わず「とんでもないことだよ」と言ってしまったのである。
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2552, アランの幸福論
 2008年03月30日(日)
「幸福論」は、古典的に読み継がれているのが、ヒルティ、ラッセル、そしてアランがある。
 この3つは世界の三大幸福論と言われている。 アランは、19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの哲学者。
 1906年のはじめ、アランは地方紙に、毎日原稿用紙2枚程度の短い文章を書きつづけ、このコラムは
「あるノルマンディー人のプロポ」という見出しで、第一次大戦が勃発する1914年までにこうしたプロポを3078編、
 さらに大戦後に約2000編を新聞や雑誌に書けた。 健全な身体によって心の平静を得ることを強調。全の不運や
 つまらぬ物事に対して上機嫌にふるまうこと。 また社会的礼節の重要性を説く。
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「幸福であることは他人に対する義務である」「私たちが自分を愛してくれる人のためになしうる最善のことは、
 自分が幸福になることである」「望んでいることはすべて、人を待っている山と同じ。自らよじ登っていかなければ
 ならないのだ」「上機嫌療法を行うと、物事を気持ちの良いシャワーのように受け流し、筋肉をのばししなやかにし、
 食欲がすすみ、気分がさばさばして、生命が元気づく。」「もし道徳論を書かねばならなくなったら、私は、
 上機嫌を第一位におくだろう」「新年の贈りもので私がお勧めしたいのが、上機嫌である。これこそ、贈ったり、
 貰ったりすべきものだろう。何よりもまず贈り主を豊かにする真の礼儀である。これこそ、交換によって増大する宝物である。
 あなたがどこへ投げ捨てても、それは芽を出し、花を開くだろう」「運命は不変ではない。指をパチンと鳴らした瞬間にも、
 新しい世界が生まれているのだ」「嘆きも悲しみも、鳥と同じ。ひょいと留まっては、飛びさっていく」
「まず自分がほほえまなくて、誰がほほえむのか」「私は投獄されれば、毎日たった一人で笑うことを健康法とするだろう」
「幸せとは、すべてが満たされている状態ではなく、多少の満たされない部分があり、それを追求するところに幸せがある」
「体操と音楽とがプラトンの二大療法であった 」「深い悲しみは肉体の病的状態の結果である」
うつ病者は、グルメのように自分の悲しみの味をかみしめてばかりいる」
「悲しみは病気なのだから、あれこれ理由など考えず、病気として我慢すればいい」(5.ふさぎの虫)
「子供たちには幸福になる方法をしっかり教えるべきである。その第一の規則は、現在のものにせよ、
 過去のものにせよ、自分の不幸について、決して第三者に話さないことである」
 ーーーー
 この本は学生時代に読んだが、本はもう手元にない。そこで図書館から借りて読んでみたが、時間を隔てた後に読むと
 受け止め方が違ってくる。幸福な人と、そうではない人(不幸)の経験をしたり、周囲に実例を多く見たためである。
 何をしても駄目な人、結果として周囲を利用してマイナスを振りまいている人と、その正反対の人がハッキリ分かれている。
 その分岐は「求めよ、さらば与えられる」と、「上機嫌であること」と「基礎教養」と「節度」である。 
 アレンは、そのことを一貫して述べているし、周囲を見ると、その実行の継続がポイントと教えてくれる。知ること、
 経験すること、今ここを上機嫌にすること。同じ人生、面白おかしく節度を守って、求めていかないと!二度とないのだから!
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2007年03月30日(金)
2187, 土地デフレが終焉?   オッ ¥(*^○^*)ノ ハ?ヨウ!
土地デフレが終焉に向かっているようだ。先日の国土庁の発表で全国の平均地価が十六年ぶりに前年を上回った。
日経新聞の「終焉・土地デフレ」の三回のシリーズの概要を、以下の通りまとめてみた
 ーー
・銀行・企業が負の遺産処理にメドをつけた一方、
・東京などは都市再開発で土地の収益性が向上。グローバル化の加速に伴う海外マネーの流入と相まって土地デフレは終焉。
・東京の山手線南部地域は10年後にはマンハッタンの様相になる。
・賃料収入など利用価値に着目した収益性が地価の基準としてほぼ定着。利回りを狙う新しい投資環境が出来上がった。
・さらに規制緩和も見逃せない。敷地面積に対する延べ床面積を示す容積率の上限を3割あげ、土地の収益性を高めた。
 この規制緩和を生かせる認定申請の期限を今年三月末からさらに五年延ばす。
・さらに企業が復活してきたことも大きい。過剰債務を脱した企業は社屋建て替えや拠点拡充に動きはじめ、  
 都心のオフィス需要が高まり、空室率が低下、平均賃料は昨年から上がり始めた。
 これは実需に基づく収益性向上を意味するので、地価を押し上げる要素になる。
・一部には過熱感もある。 福岡の博多駅前で商業地が四〇%上がり、地価上昇が収益性を上回っているという。
 しかし、現在の日本の土地資産総額は千二百兆円程度で、ピークの半分以下。
 全国の商業地の地価は七〇年代後半とほぼ同水準で、デフレを脱した段階。
・日本の名目国内総生産(GDP)はこの二十年で5割増えたが、東京都の商業地の地価は まだ20年前の6割の水準。
 地価反転を確かな経済成長につなげるには、不動産を選別・開拓するミクロ的調整と、慎重なマクロ政策がポイントとなる。
新潟市政令都市の目玉としての新潟駅再開発工事で、1400億円の投資が予定されており、関連の投資を含めて
2000〜3000億円の投資で、新潟駅周辺への一極化は日ごと進んでいく。    
土地も一強多弱の様相をみせてきた。自社にとっては明るい陽がやっと差し込んできた。 ホンジャ \(^▽^*)バイ!
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2006年03月30日(木)
1822, あちら側の世界 ?4    
              (@°▽°@)ノオッハヨー
ウェブ進化論ー4  ーオープンソース現象ー
オープンソース現象」が最近の潮流になっているというが、これが大きな変革をもたらす要素になる。
  ー以下は、この著書 Pー176からの抜粋である。(非常に哲学的にも深い示唆がある)
     (字数の関係でカット2008年3月30日)        ホンジャ o(▽^*)ノ~~
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2005年03月30日(水)
 1457, 乱気流の恐怖
先日「台湾行きの飛行機が乱気流で42人の重軽傷者!」と報道されていた。私も台湾周辺で乱気流に遭遇したことがあるが、
あの恐怖感は言語で言いあらわせない。(どうなるかは神のみぞ知る異常事態)スーッと50?位?飛行機が垂直に落ちる感じで、
体が上につきあがりそうになる。それも何度もつづくから恐怖も頂点になる。
もちろん、シートベルトをしてなければ体が放り出されている。死なないと確証があれば逆に面白い?のだろうが。
飛行機は順調の場合は恐怖感はゼロであるが、乱気流に出あったり、飛行機に不調があるのではないかと疑いが
出たときは恐怖のどん底に落とされる。もしかしたら、このまま消滅してしまうのではないかという恐怖感である。
二十数年前のことだが、ハワイで「飛行機の上部が吹き飛んで座席が丸見えの状態で着陸をした映像」をニュースで見て、
そのリアルな状況にゾッとした記憶が鮮明に残っている。確か何人かが吹き飛ばされたと記憶しているが。
また映画でも墜落ギリギリの状態のものを何本か見たことがある。実際に経験したものでなければ、あの恐怖感はわからない。
飛行機は時速1000キロで一万メートル上空を飛んでいる。そのことに何もない時は気がつかないが、
意識をした時にそのことに気がつく。9・11の時も、実際にテロリストが飛行機を乗っ取ってビルに
突入したのだから乗客は恐怖のどん底であったはずだ。以前にも書いたことがあったが飛行機で夢を見たことがあった。
自分が空に浮き上がっていく。電信柱が下に見えてきて、まずいと思っているうちに夢から醒めた。
そしてやっと地上にいる自分に戻ったと思った瞬間、自分が飛行機の中にいる。その瞬間、直感的に空を1000キロの時速で
飛んでいる体感がした。大声を上げて助けを呼びたいが、回りの人は寝ている。その時の恐怖の極みを今も鮮明に記憶している。
普通の日常では経験できない異常密室空間が飛行機の中である。
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2004年03月30日(火) 
1092, 大相撲・千秋楽
一昨日が大相撲の千秋楽であった。 4人が11日目まで全勝。最後の一番で優勝が決まった面白い場所であった。
一時のつまらない時期を過ぎたようだ。外国出身の力士ということを気にしないようにしたら面白くなった。
幕下、十両、幕内前半に有望の歴史が目白押しに出てきた。大関横綱になる素質は大体わかるが、それでも多くは外れてしまう。
(字数の関係でカット2008年3月30日) 
・・・・・・・
2003年03月30日(日)
 725, 今日の結婚スピーチ
 今日は会社の女子社員の後藤早苗さんの結婚式だ。
何か祝辞をいわなくてはならないが、これはというのが出てこない。気持ちの入らない祝辞ほど聞いていて、
いやなことがないのを知っているから流す事もできない。こういう時は自分の話しをすればよい。結婚観をそのまま
話をするしかないと思ったが、そうはいかない。初めて図書館で「祝辞・結婚スピーチ」のコナーを覗いてみた。
「結婚スピーチー死ぬまで忘れられない話」斉藤茂太著があった。さすがだ、といってそれを読んでいる時間が少ないので、
やはり自分の話しをする事にした。今日の11時10分あたりに話している内容を先に書いて出かける。
ーーーーー
・まずはうちの会社の女性ーすなわち花嫁の褒め殺しとして、彼女が陽気であることを紹介します。
 陽気は最大の美徳であり、素質であります。 陰気は罪悪です。
・結婚は決してよいことことばかりではありません。「二つ良いことさてないものよ」という言葉が
 ありますが、この言葉を一番実感するのが結婚です。離婚がいまや三割を超えているといいますが、
 家庭内離婚を入れたら過半数は破綻です。 家電と同じで、当たり外れは長い時間を経って見ないと解りません。
 あとは神のみぞ知るのみです。当たりであることを心より願っています。 
・また結婚は二人の権力闘争です。それも死ぬまで続く泥沼の死闘です。これも仕方がありません。
 それでは如何したらよいか?「過去の事は持ち越さない、ぶり返さない」ことです。それしかありません。
・私の家内と本当に結婚してよかったと思います。いやそう自己暗示を与えています。陽気であり大らかさからです。
 最後は泣くか笑うかです、なら笑う人が良いのではないかと思います。 まあこの程度にしておきます。
 ライオンに食べられそうになったら、耳元にこっそり次の事を呟けば
 ライオンは逃げ出すそうです「私を食べる前に、少し長い演説をさせてくれ!」と。
良い家庭を築いてください。それと収入の10%以上の天引き預金を習慣にしてください。
以上です。お幸せになってください。 斉藤茂太の「結婚スピーチ」の抜粋は明日か明後日書きます。
・・・・・・・・・
2002年03月30日(土)
 361,イスラエル
主観であるが、旅行をしたところに事件がおきる。ペルー、エジプト、イスラエル、そしてフィジー
ケニアと次々と、ああそれとパキスタンとネパール。それから考えると、今度はヨルダンかシリアあたりか。
考えてみたらペルーを除けばイスラム教に関係している。イスラエルに行った時に危ない感じがした。
まずは入国審査の審査は異常なくらい厳しいものだった。また国内はあちこちで兵士が機関銃を持って歩いていた。 
私用の時も身から離さないようだ。あちこちの広場に兵隊が駐屯していた。市場で兵隊が3人血相を変えて走って行く。
その後を商店主のアラブ人が何事かと走って行く。これが日常のようであった。
アラブ人地区に入るとやはり民度が落ちるのが解る。4000年の対立は致し方ないのだろう。
 3年前の文章をコピーしておきます。
 ーーーー
 ーH1105  ーイスラエル聖なる旅ー
この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。四国の面積とほぼ同じ中に、
数えきれないほどのドラマがあった。現地の日本人ガイドのシャワ?のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続。
その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の成果となった。
関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。
人生のもっと早い段階でじっくり読むべきであった!旧約は先入観で固く難しそうであったが、読んでみれば何もむずかしくない、
ただただ面白い!内容であった。旧約はユダヤユダヤ民族の歴史の書であった。
また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。
 ー印象の強い順に列記してみるとー
まずは何といってもエレサレムである。イスラエルがそのまま凝縮されているといってよい。
四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台となった。そして現在も続いている。
この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と出会い同行することかもしれない。イエスが十字架を背負って歩いた
悲しみの道=ヴィア・ドロロ?サ。磔刑に処せられたゴルゴダの丘。 最後の晩餐の部屋。
イスラム教の重要な寺院=岩のド?ムとアクサ寺院。ユダヤ教徒にとって最も貴い嘆きの壁と広場。そしてダビデの塔。
旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま物語っている。次はモ?ゼの十戒で有名なシナイ半島シナイ山である。
深夜の二時に三時間かけて登って山頂からのご来光とシナイ山の山並み。そして、その麓にあるカタリ?ナ修道院と、
神の声をきいたという“燃える柴”。そして帰路にたちよったベトウィンの部落。そして、そこで飲んだ紅茶。
 (以下、字数の関係で中間カット09年3月29日)