「宇宙は何でできているのか」村山 斉 (著)
   * 私たちの住む宇宙は、10の27乗.10のマイナス35乗の世界 ー2 
【 宇宙は10の27乗メートル、素粒子は10のマイナス35乗メートル。これが、私たちが存在する自然界の「幅」。
 その両端にある宇宙研究と素粒子研究のあいだに62桁もの「距離」がある。ところが最近、まったく関係なさそうに見える
 2つが、実は密接につながっていることがわかってきました・・】 これが、この本のポイント。
  今回は素粒子になるが、どうも10の−35乗という世界の実感が沸いてこない。137億光年の彼方より私を逆照射して、
 更に8桁小さい素粒子の世界を科学の言葉として突きつけられたのである。それを実感じろという方が無理。
 「人間の大きさを一として、外界は137億光年の広がり、内は、その広がりを逆算した、更に8桁も小さな素粒子
 そして、宇宙と素粒子は同じようなもの? 何なんだろう、これは? 
   ーまず、この辺りのポイントの箇所を抜粋してみるー
 ≪ ちなみにリンゴー個と原子-個の大きさの比は、天の川銀河と地球の大きさの比と同じぐらい。
 天の川銀河がリンゴだとすると、地球の軌道は原子1個程度の大きさしかない。さて、原子1個の直径は、
10の−10乗メートル。かつては、これが「この世でいちばん小さいもh素粒子」だと考えられていました。しかし、
やがて原子にも「内部構造」があるーつまり「もっとバラバラにできる」ことが判明します。原子の中心には「原子核」と
呼ばれるものがあり、そのまわりを「電子」がくるくると回っている。先ほどの「原子の直径(10の−10メートル)」とは、
電子が回る軌道の直径だったわけです。そして、電子の軌道から原子核までの距離は、決して近くありません。
地球と人工衛星ぐらいの距離感をイメージする人が多いと思いますが、原子核の直径は電子の軌道よりはるかに小さく、
10のマイナス15乗メートル。電子の軌道の10万分のーです。もちろんミクロの世界の話ですから、私たちの目から見れば
どちらも同じようなものですが、実際は5桁も違う。富士山の標高と地球の直径でさえ、4桁しか違いません。
原子核から見ると、電子ははるか彼方を飛び回っているのです。この原子核の発見によって、「素粒子」のサイズは一気に
小さくなりました。ところが、話はそこで終わりません。原子核にも「陽子」や「中間子」といった内部構造があり、その陽子や
中間子も、いくつかの粒子によって形づくられているのです。 その粒子が「クォーク」と呼ばれるもの。いまのところ、
クォークこそが真の「素粒子」だと考えられています。その大きさは、どんなに大きく見積もっても10のマイナス19乗M。
かつて「素粒子」だと思われた原子とは9桁、その真ん中にある原子核とも4桁違うのです。さらに重力と電磁気力、そして
あとで説明する強い力と弱いカも統一すると期待されている「ひも理論」は、素粒子の大きさは10のマイナス35乗Mだと
考えられています。≫
 ▼ 世界は「ウロボロスの蛇」(蛇が自分の尾っぽを齧っている絵)で、宇宙研究と素粒子研究の二つが密接に繋がっていて
  原理的に同じという。 「天の川銀河がリンゴだとすると、地球の軌道は原子1個程度の大きさ。 これが10の−10乗。
  素粒子は−35乗」と言われても、実感など出来ようがない。ただ「物は事の変化の過程の有り様」という意味が少し
  分かるような気がする。振り返れば過去は夢幻でしかない。いや現在もである。「実は宇宙のエネルギーの96パーセントが、
  他の宇宙からループ状の管の先から無限に注ぎ込まれている」と言われても、「何それ?」の話になる。 まあ、面白い!
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4022, シングルイン、31年間の総括 ー4
2012年03月30日(金)
    * あの日から今日で会社の一周忌
  あの日から、今日で一年になる。17時を持って弁護士二人と女事務員二人と、私と役員二人が同席の中、
 「今日の17時を持って会社は消滅をしました。ご苦労さま!」と弁護士が宣言、全員起立をし深々と頭を下げた瞬間、
 31年間の(株)ホテル・プロジェクトは消滅した。 そして、3つの会社実印と通帳の全てを弁護士に引渡し、
 総務・経理関係全ての弁護士事務所への引継ぎが始まった。 3月18日に会社解散を決めた瞬間から整理手続きが始まったが、
 全てがドラマのよう。 翌日31日9時から、銀行に弁護士と事情説明にまわり、午後13時に従業員全員を集めて解雇の言い渡し。
 その後に退職手続きに入った。 修羅場には異常に強い方だが、不安そうに事情を聞いている従業員の姿を目の当たりに見て、
 「気の毒。悪かった。」という言葉が脳裏に浮かんだ瞬間、涙が溢れ出てしまった。 弁護士の手順は慣れたもの。一つずつ流れが、
 進んでいった。 丁度、東北大震災と原発事故の進行が重なり、現実離れした映画の渦中にいるような日々。新潟駅周辺には、
 自国に逃げ出す中国人と韓国人が溢れていた。 自分では冷静と思っていたが、実際は動転していたようだ。
 「交通事故だけは気をつけて下さい。普段の数倍の確率で起きるのが通例で、大よそ一割の人が事故にあいます。」と、
 弁護士に何度も注意された。 実際にマスコミが騒ぎ出すのは、その一週間後になった。 弁護士が「直接原因は、東北大震災」と
 流したため、ニュースは全国レベル。 家に隠るのは精神上悪いので県外のホテルでも行っていようか、弁護士に相談すると、
 「ここで後ろ向きの行為は、なお良くない。家にいるべき」という。 これも一理と納得。 日曜日18時のドキュメント「バン記者」
 のスタッフから、「一連を取り上げたい」と早速電話が入ったが、もちろん断った。毎月、月次決算のために30年間、事務所に来ていた
 会計事務所の担当が、「あなたは、処理過程を楽しんでいる。何が起こっているか、理解していないのでは」と、呆れたようにいう。 
 腹を据えてしまえば、後は冷静にコトに従うしかない。全力で、事に取り組めば、自然と体が浮いたように動く。 それが活き活き
 楽しんでいるように見えたようだ。 冷静に振り返ると、創業の生みからみれば、万一の準備を備えていれば、苦しみは数分一。
 それが第三者には見えない。 長年かけ準備をし30年も続けた事業は、行蔵として強く残るもの。 死や人生と同じである。
  考えれば考えるほど、この事業に心底、感謝している。 結果に、悔いも、未練もない。「 ご覧のとおり、そのまま結構! 」
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30年前の3月31日を前にして
2011年03月30日(水)
  * 創業30周年の日を前にして ・・
 そういえば、明日が30年前の命がけで始めたホテル開業の日である。 当時の名前はベンクーガーホテル。
その一月前の2月28日にホテルの一角でデザイン学生服をオープンをしていた。いま思い出しても、良い時代だった。
一瞬で消え去る学生服メーカーのネーミングをホテルにつけるという奇抜さが話題をよんだ。平日はホテルに集中。
土日は学生服を販売する変わったホテルである。チンケといえばチンケだが。 当時は、まだ高度成長時代の真っ只中、
創業前に人材を集めるのが大変な時代。 当時と現在の、時代の格差に驚きざるをえない。ホテルなど誰も経験者がいない中で、
右往左往の緊迫した日々が懐かしい。 何かにガムシャラに前に向かえば、そこには求めるもの答えがあった。
私たちは時代背景の中でしか生きることが出来ない。そして、30年後の現在、当時より客室の価格平均が三割以上も下がっている。 
平均給与は数倍に上がっているに関わらずに。ドルショック、バブルとバブル崩壊、2001年の9.11テロ、2008年の9・15のリーマンショック
そして、この大震災。その中で特に日本は、その都度大きく変動した。自分の人生を振りかってみて、時代の要請にそって
能力をつくり上げ成功と挫折をしながら生きていく、それが人生だった。事業は30年が大きな節目になる。その節目がきた。
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3291, 人みな骨になるならば ー7
 2010年03月30日(火)
 * 健康法は一種の信仰である
 ー まずは、その一部を抜粋してみる ー
長年医者をやっていて、少しは自分でものを考えたことのある人は、病気や寿命は畢竟するところ「運」ということを知っている。
昔ならとうに亡くなっている人が、現代医療で長生き出来たケースもあるが、現代に生を受けた強運である。次に、感染や、
悪性腫瘍、循環障害の大半は不運に起因するところが多い。 出会いしかり、遺伝・体質しかり、生活条件しかりである。
これに無理に生活習慣病と名づけ、本人の素行いかんで完全に予防・解消できるという発想は、希望的観測や信仰に近い。
ただ皆がそうであることを熱望しているから信じられているだけだ。 健康や寿命まで運次第というと不安だからだろう。・・・
 ありとあらゆる健康法をしたところで、それは入手できる限りのお守りを持っているのと大差がなく、死病を発する時には
やはり発するのである。5歳で白血病になる幼児や、20歳過ぎてクモ膜下出血をおこした青年にとって、健康法がいかなる意味があるか。 
・・・  むしろ健康法とは一種の信仰なのである。本当かどうかは二の次である。「これさえやっておけば」「これをやめておけば」は、
健康と長寿が保証されるかを信じこむことで不安を紛らわせているに過ぎない。つまり健康法とは念仏とかわらないのである。 
たしかに健康法や健康習慣をつづけることは念仏百万遍と同じ安心感につながる。・・・少なくとも無心で念仏を唱えることは
精神衛生によろしい。 もし当人にとって健康食品が美味しく、スポーツが楽しく、タバコが嫌いで、規則的な生活が好きなら、
念仏が趣味と同じで、それに越したことはない。 それは本質的に健康法ではなくて、単なる好みの問題である。
・・・結局、健康法や養生法というのは、いくぶん不確かな「何かのための手段を確保しようとする試み」以上のものではない。
むしろ大事なのは「何か」のほうであって・・・ モーツアルやショパンが作曲そっちのけで健康法に没頭して長生きして
孫に囲まれゲートボールを楽しんだとして、後代のわれわれにとって何の意味もないし、彼等はモーツアルトでもショパンでもない。
さらに、はっきり言えば、古今を通じて健康法や医療によって最終的に死を免れた者は絶無である。
▼ 現在も、健康法を色いろ続けている。 ウォーキングは三十年近く続けているし、健康食品も幾つか飲み続けている。
しかし、「そんなものは御守りでしかない」「それを続けていることで安心しているに過ぎない」とまで言うのか。
私は、もしウォーキングを続けていなかったら、間違いなく高血圧などの成人病で、死んでいるか、重症になっていると、
今でも信じている。 しかし、それをしているから少し不節制をしても大丈夫という慢心が出ていることも事実である。
「酒飲まず、煙草も吸わずに、百まで生きた馬鹿がいる」というが、「酒を飲み、煙草を吸って、百まで生きた奴がいる」になる。
実際は、やはり不摂生をした方が早死している。ストレス解消に、徹夜で煙草を吸いながらマージャンしている人に、
癌や高血圧になる人が多いのは誰の目にも明らかである。それで死んでも、死ななくても、その程度でしかない?ということか。 
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2916,とんでもないことなんだよ!
 2009年03月30日(月)
 先週の金曜日の昼、新潟駅至近にあるレストランでのこと。隔月ぐらい入るが、パンとコーヒーが美味しい店である。
食事が終わった後でコーヒーが美味しかったので、追加料金が100円こともあり注文をした。
ところが一口飲んで噴出しそうになった。 (ぬるま湯ではなく)ホボ水に近いコーヒー。出してくれた女性に思わず
「水に近いけど、これって、とんでもないことなんだよ!」と言ってしまった。それより何で、水に近いコーヒーを
出してしまったのか、その方が興味を持った。コーヒーに濃い目と薄めとメニューにあったので薄めを頼んだが、
湯を継ぎ足すのを水と間違ったようだ。
(字数制限のためカット2012年3月30日)
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2552, アランの幸福論
 2008年03月30日(日)
「幸福論」は、古典的に読み継がれているのが、ヒルティ、ラッセル、そしてアランがある。
 この3つは世界の三大幸福論と言われている。 アランは、19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの哲学者。
 1906年のはじめ、アランは地方紙に、毎日原稿用紙2枚程度の短い文章を書きつづけ、このコラムは
「あるノルマンディー人のプロポ」という見出しで、第一次大戦が勃発する1914年までにこうしたプロポを3078編、
 さらに大戦後に約2000編を新聞や雑誌に書けた。 健全な身体によって心の平静を得ることを強調。全の不運や
 つまらぬ物事に対して上機嫌にふるまうこと。 また社会的礼節の重要性を説く。
「幸福であることは他人に対する義務である」「私たちが自分を愛してくれる人のためになしうる最善のことは、
 自分が幸福になることである」「望んでいることはすべて、人を待っている山と同じ。自らよじ登っていかなければ
 ならないのだ」「上機嫌療法を行うと、物事を気持ちの良いシャワーのように受け流し、筋肉をのばししなやかにし、
 食欲がすすみ、気分がさばさばして、生命が元気づく。」「もし道徳論を書かねばならなくなったら、私は、
 上機嫌を第一位におくだろう」「新年の贈りもので私がお勧めしたいのが、上機嫌である。これこそ、贈ったり、
 貰ったりすべきものだろう。何よりもまず贈り主を豊かにする真の礼儀である。これこそ、交換によって増大する宝物である。
 あなたがどこへ投げ捨てても、それは芽を出し、花を開くだろう」「運命は不変ではない。指をパチンと鳴らした瞬間にも、
 新しい世界が生まれているのだ」「嘆きも悲しみも、鳥と同じ。ひょいと留まっては、飛びさっていく」
「まず自分がほほえまなくて、誰がほほえむのか」「私は投獄されれば、毎日たった一人で笑うことを健康法とするだろう」
「幸せとは、すべてが満たされている状態ではなく、多少の満たされない部分があり、それを追求するところに幸せがある」
「体操と音楽とがプラトンの二大療法であった 」「深い悲しみは肉体の病的状態の結果である」
うつ病者は、グルメのように自分の悲しみの味をかみしめてばかりいる」
「悲しみは病気なのだから、あれこれ理由など考えず、病気として我慢すればいい」(5.ふさぎの虫)
「子供たちには幸福になる方法をしっかり教えるべきである。その第一の規則は、現在のものにせよ、
 過去のものにせよ、自分の不幸について、決して第三者に話さないことである」
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 この本は学生時代に読んだが、本はもう手元にない。そこで図書館から借りて読んでみたが、時間を隔てた後に読むと
 受け止め方が違ってくる。幸福な人と、そうではない人(不幸)の経験をしたり、周囲に実例を多く見たためである。
   (字数制限のためカット2011年3月30日)
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2006年03月30日(木)
1822, あちら側の世界 ー4         (@°▽°@)ノオッハヨー
ウェブ進化論ー4  ーオープンソース現象ー
オープンソース現象」が最近の潮流になっているというが、これが大きな変革をもたらす要素になる。
  ー以下は、この著書 Pー176からの抜粋である。(非常に哲学的にも深い示唆がある)
     (字数の関係でカット2008年3月30日)        ホンジャ o(▽^*)ノ~~
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2005年03月30日(水)
 1457, 乱気流の恐怖
先日「台湾行きの飛行機が乱気流で42人の重軽傷者!」と報道されていた。私も台湾周辺で乱気流に遭遇したことがあるが、
あの恐怖感は言語で言いあらわせない。(どうなるかは神のみぞ知る異常事態)スーッと50?位?飛行機が垂直に落ちる感じで、
体が上につきあがりそうになる。それも何度もつづくから恐怖も頂点になる。
もちろん、シートベルトをしてなければ体が放り出されている。死なないと確証があれば逆に面白い?のだろうが。
飛行機は順調の場合は恐怖感はゼロであるが、乱気流に出あったり、飛行機に不調があるのではないかと疑いが
出たときは恐怖のどん底に落とされる。もしかしたら、このまま消滅してしまうのではないかという恐怖感である。
二十数年前のことだが、ハワイで「飛行機の上部が吹き飛んで座席が丸見えの状態で着陸をした映像」をニュースで見て、
そのリアルな状況にゾッとした記憶が鮮明に残っている。確か何人かが吹き飛ばされたと記憶しているが。
また映画でも墜落ギリギリの状態のものを何本か見たことがある。実際に経験したものでなければ、あの恐怖感はわからない。
飛行機は時速1000キロで一万メートル上空を飛んでいる。そのことに何もない時は気がつかないが、意識をした時にそのことに気がつく。
9・11の時も、実際にテロリストが飛行機を乗っ取ってビルに突入したのだから乗客は恐怖のどん底であったはずだ。
以前にも書いたことがあったが飛行機で夢を見たことがあった。自分が空に浮き上がっていく。電信柱が下に見えてきて、
まずいと思っているうちに夢から醒めた。そしてやっと地上にいる自分に戻ったと思った瞬間、自分が飛行機の中にいる。
その瞬間、直感的に空を1000キロの時速で飛んでいる体感がした。大声を上げて助けを呼びたいが、回りの人は寝ている。
その時の恐怖の極みを今も鮮明に記憶している。普通の日常では経験できない異常密室空間が飛行機の中である。
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2004年03月30日(火) 
1092, 大相撲・千秋楽
一昨日が大相撲の千秋楽であった。 4人が11日目まで全勝。最後の一番で優勝が決まった面白い場所であった。
一時のつまらない時期を過ぎたようだ。外国出身の力士ということを気にしないようにしたら面白くなった。
幕下、十両、幕内前半に有望の歴史が目白押しに出てきた。大関横綱になる素質は大体わかるが、それでも多くは外れてしまう。
(字数の関係でカット2008年3月30日) 
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2003年03月30日(日)
 725, 今日の結婚スピーチ
 今日は会社の女子社員の後藤早苗さんの結婚式。
何か祝辞をいわなくてはならないが、これはというのが出てこない。気持ちの入らない祝辞ほど聞いていて、
いやなことがないのを知っているから流す事もできない。こういう時は自分の話しをすればよい。結婚観をそのまま
話をするしかないと思ったが、そうはいかない。初めて図書館で「祝辞・結婚スピーチ」のコナーを覗いてみた。
「結婚スピーチー死ぬまで忘れられない話」斉藤茂太著があった。さすがだ、といってそれを読んでいる時間が少ないので、
やはり自分の話しをする事にした。今日の11時10分あたりに話している内容を先に書いて出かける。
 ーー
・まずはうちの会社の女性ーすなわち花嫁の褒め殺しとして、彼女が陽気であることを紹介します。
 陽気は最大の美徳であり、素質であります。 陰気は罪悪です。
・結婚は決してよいことことばかりではありません。「二つ良いことさてないものよ」という言葉が
 ありますが、この言葉を一番実感するのが結婚です。離婚がいまや三割を超えているといいますが、
 家庭内離婚を入れたら過半数は破綻です。 家電と同じで、当たり外れは長い時間を経って見ないと解りません。
 あとは神のみぞ知るのみです。当たりであることを心より願っています。 
・また結婚は二人の権力闘争です。それも死ぬまで続く泥沼の死闘です。これも仕方がありません。
 それでは如何したらよいか?「過去の事は持ち越さない、ぶり返さない」ことです。それしかありません。
・私の家内と本当に結婚してよかったと思います。いやそう自己暗示を与えています。陽気であり大らかさからです。
 最後は泣くか笑うかです、なら笑う人が良いのではないかと思います。 まあこの程度にしておきます。
 ライオンに食べられそうになったら、耳元にこっそり次の事を呟けば
 ライオンは逃げ出すそうです「私を食べる前に、少し長い演説をさせてくれ!」と。
良い家庭を築いてください。それと収入の10%以上の天引き預金を習慣にしてください。
以上です。お幸せになってください。 斉藤茂太の「結婚スピーチ」の抜粋は明日か明後日書きます。
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2002年03月30日(土)
 361,イスラエル
主観であるが、旅行をしたところに事件がおきる。ペルー、エジプト、イスラエル、そしてフィジー
ケニアと次々と、ああそれとパキスタンとネパール。それから考えると、今度はヨルダンかシリアあたりか。
考えてみたらペルーを除けばイスラム教に関係している。イスラエルに行った時に危ない感じがした。
まずは入国審査の審査は異常なくらい厳しいものだった。また国内はあちこちで兵士が機関銃を持って歩いていた。 
私用の時も身から離さないようだ。あちこちの広場に兵隊が駐屯していた。市場で兵隊が3人血相を変えて走って行く。
その後を商店主のアラブ人が何事かと走って行く。これが日常のようであった。
アラブ人地区に入るとやはり民度が落ちるのが解る。4000年の対立は致し方ないのだろう。
 ー 3年前の文章をコピーしておきます。
 ーH11/05  ーイスラエル聖なる旅ー
この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。四国の面積とほぼ同じ中に、
数えきれないほどのドラマがあった。現地の日本人ガイドのシャワ?のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続。
その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の成果となった。
関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。
人生のもっと早い段階でじっくり読むべきであった!旧約は先入観で固く難しそうであったが、読んでみれば何もむずかしくない、
ただただ面白い!内容であった。旧約はユダヤユダヤ民族の歴史の書であった。また新約は出会い=イエスの心との
出会いの書と言ってよかった。
 ー印象の強い順に列記してみるとー
まずは何といってもエレサレムである。イスラエルがそのまま凝縮されているといってよい。
四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台となった。そして現在も続いている。
この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と出会い同行することかもしれない。イエスが十字架を背負って歩いた
悲しみの道=ヴィア・ドロロ?サ。磔刑に処せられたゴルゴダの丘。 最後の晩餐の部屋。
イスラム教の重要な寺院=岩のド?ムとアクサ寺院。ユダヤ教徒にとって最も貴い嘆きの壁と広場。そしてダビデの塔。
旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま物語っている。次はモ?ゼの十戒で有名なシナイ半島シナイ山である。
深夜の二時に三時間かけて登って山頂からのご来光とシナイ山の山並み。そして、その麓にあるカタリ?ナ修道院と、
神の声をきいたという“燃える柴”。そして帰路にたちよったベトウィンの部落。そして、そこで飲んだ紅茶。
 (以下、字数の関係で中間カット09年3月29日)