つれづれに

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今日のYoutube
http://www.youtube.com/watch?v=nqgiTZLHJwE



http://www.platinadata.jp/top.html
金曜日は「シネマの日」にしている。
昨日は、「プラチナデータ」を観てきたがアラシの
一人が出ていたか、女子学生の連ればかり。何か場違いだが、
物語は刑事ものでシリアスな内容で、面白い。90点というところ。

その後、高校の同級会の打ち合わせの後、一杯飲む。
結局帰ったのが23時過ぎになった。


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1092, 大相撲・千秋楽
2004年03月30日(火)

一昨日が大相撲の千秋楽であった。4人が11日目まで全勝。
最後の一番で優勝が決まった面白い場所であった。
一時のつまらない時期を過ぎたようだ。
外国出身の力士ということを気にしないようにしたら面白くなった。
幕下、十両、幕内前半に有望の歴史が目白押しに出てきた。
大関横綱になる素質は大体わかるが、それでも多くは外れてしまう。
我や病気で伸びが止まってしまう場合が多い。
幕下に「萩原」という17歳の超有望な日本人力士も出てきた。
若手で大関横綱級としては、他には朝赤龍白鵬黒海琴欧州あたりだろう。
萩原以外が外人というところが面白いが。
モンゴル人だけで37人もいるのだから、何処の国で開催しているのか
錯覚してしまうほどだ。
モンゴルの大草原で羊の肉で育った飢えた彼らに、日本人が敵わないのは
仕方がない。元々はモンゴル相撲がルーツである。
数日前も、総合格闘技のK-1が放映、興奮をしてみていたが、
別に日本人かどうかは全く関係はない。
格闘技に関して、世界には底知れない強い選手が多くいる。
異種格闘技という垣根を取り払ったことが、試合を面白くしている。
さらにグローバル化で、広範囲になったこともある。
野球に、スケートに、K-1に、サッカーなど時間が足りないほど見ていて
面白いスポーツが増えた。
その時間は自分自身という面では何もプラスになるものはない?
いや、ストレスの解消になる?
まあ、難しいことは考えない!
ー以前、書いた千秋楽について書いた文章をコピーしておきます。
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2003/09/22
相撲を考える
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2002/09/22
大相撲ー頑張れ武蔵丸
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2003年03月30日(日)
725, 今日の結婚スピーチ
 今日は会社の女子社員の後藤早苗さんの結婚式だ。
何か祝辞をいわなくてはならないが、これはというのが出てこない。
気持ちの入らない祝辞ほど聞いていて、いやなことがないのを知っているから
流す事もできない。こういう時は自分の話しをすればよい。
結婚観をそのまま話をするしかないと思ったが、そうはいかない。
初めて図書館で「祝辞・結婚スピーチ」のコナーを覗いてみた。
「結婚スピーチー死ぬまで忘れられない話」斉藤茂太著があった。
さすがだ、といってそれを読んでいる時間が少ないので、
やはり自分の話しをする事にした。
今日の11時10分あたりに話している内容を先に書いて出かける。
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・まずはうちの会社の女性ーすなわち花嫁の褒め殺しとして、  
 彼女が陽気であることを紹介します。
 陽気は最大の美徳であり、素質であります。 陰気は罪悪です。
・結婚は決してよいことことばかりではありません。
 「二つ良いことさてないものよ」という言葉がありますが、この言葉を
 一番実感するのが結婚です。離婚がいまや三割を超えているといいます  が、家庭内離婚を入れたら過半数は破綻です。
 これだけは家電と同じで、当たり外れは長い時間を経って見ないと解りま せん。あとは神のみぞ知るのみです。
 当たりであることを心より願っています。
・また結婚は二人の権力闘争です。それも死ぬまで続く泥沼の死闘です。
 これも仕方がありません。それでは如何したらよいか?
 「過去の事は持ち越さない、ぶり返さない」ことです。
 それしかありません。
・私の家内と本当に結婚してよかったと思います。 
 いやそう自己暗示を与えています。
 陽気であり大らかさからです。
 最後は泣くか笑うかです、なら笑う人が良いのではないかと思います。
 
  まあこの程度にしておきます。
 ライオンに食べられそうになったら、耳元にこっそり次の事を呟けば
 ライオンは逃げ出すそうです「私を食べる前に、少し長い演説をさせてく れ!」と。

良い家庭を築いてください。
それと収入の10%以上の天引き預金を習慣にしてください。
以上です。お幸せになってください。

斉藤茂太の「結婚スピーチ」の抜粋は明日か明後日書きます。

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2002年03月30日(土)
361,イスラエル

主観であるが、旅行をしたところに事件がおきる。
ペルー、エジプト、イスラエル、そしてフィジーケニアと次々と、
ああそれとパキスタンとネパール。
それから考えると、今度はヨルダンかシリアあたりか。
考えてみたらペルーを除けばイスラム教に関係している。
イスラエルに行った時に危ない感じがした。
まずは入国審査の審査は異常なくらい厳しいものだった。
また国内はあちこちで兵士が機関銃を持って歩いていた。
私用の時も身から離さないようだ。
あちこちの広場に兵隊が駐屯していた。
市場で兵隊が3人血相を変えて走って行く。
その後を商店主のアラブ人が何事かと走って行く。
これが日常のようであった。
アラブ人地区に入るとやはり民度が落ちるのが解る。
4000年の対立は致し方ないのだろう。
3年前の文章をコピーしておく。
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H1105イスラエル聖なる旅 

この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。
四国の面積とほぼ同じ中に、数えきれないほどのドラマがあった。
現地の日本人ガイドのシャワ-のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続であった。
その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の成果となった。
関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。

考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。
人生のもっと早い段階で、じっくり読むべきであった!。
旧約は先入観で固く難しそうであったが、読んでみれば何もむずかしくない、
ただただ面白い!内容であった。
旧約はユダヤユダヤ民族の歴史の書であった。
また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。

印象の強い順に列記してみると、

まずは何といってもエレサレムである。イスラエルがそのまま凝縮されているといってよい。
四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台となった。
そして現在も続いている。
この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と出会い同行することかもしれない。
エスが十字架を背負って歩いた悲しみの道=ヴィア・ドロロ-サ。
磔刑に処せられたゴルゴダの丘
最後の晩餐の部屋。イスラム教の重要な寺院=岩のド-ムとアクサ寺院。
ユダヤ教徒にとって最も貴い嘆きの壁と広場。そしてダビデの塔。
旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま物語っている。

次はモ-ゼの十戒で有名なシナイ半島シナイ山である。
深夜の二時に三時間かけて登って山頂からのご来光とシナイ山の山並み。
そして、その麓にあるカタリ-ナ修道院と、神の声をきいたという“燃える柴”。
そして帰路にたちよったベトウィンの部落。そして、そこで飲んだ紅茶。

マサダの要塞”=この旅行までは全く知らなかったが、キリストが死んだ四十年余り後に、
ロ-マ軍に追いつめられた熱心党員のユダヤ人九六七名がたてこもった自然要塞。
陥落の前日、そこの指揮者ベン・ヤイルの演説の後、
七名を除く九六〇人の集団自決のあった場所であった。
その時の詳しい内容が生き残った者の証言で残った
(ヨセフスの“ユダヤ戦記”に生々しく残っている)。
=「奴隷にされる前に...自由の状態におもむこうではないか。」
=自殺を厳禁しているユダヤ教徒の集団自決であるからその意味が違ってくる。

エスの生まれたベツレヘムの岩のほら穴の馬小屋と岩の飼葉桶。

ユダヤ教エッセネ派の“死海写本”が発見されたクムラン洞穴。
一九四七年、近くを歩いていたベトウィンの少年が、洞穴で土器に入った巻物を発見。
壷に納められた六〇〇を越える巻物には、イザヤ書全巻や旧約聖書等々記されていた。
今世紀最大の発見といわれている。ここで他にとんでもない事が記された文書があった。
-イエスキリストが主張された大すじが、そのずっと昔のこの文書の中にあったという。

“イエスエッセネ派の指導者の一人でしかなかったのでは?”
という疑問がでてきたのである。そうすると西欧キリスト教の根底が変わってしまう。

あと十年後に振り返った時、恐らく今回のイスラエル旅行は私の内的深奥で
一大転機の経験となるのではないだろうか。
旅行は外界を訪れるだけでなく内奥の自分との出会いの機会でもある。
 
<お笑い>
[破れ傘 ] ☆☆

ある男 夜 山道に 迷っていたところ 一軒の家があった。
1人の綺麗な後家さんふうの女が 気持ちよく 泊めてくれた。
夜中よからぬ気持ちになり、ついつい夜這いにおよんだ。
どうしてもうまくいかずそのまま寝込んでしまった。
狐に化かされたのだ。朝 山道に一人転がっていたのだ。
そして  そこに一本の破れ傘が落ちていた。
男曰く、‘どうりでさせない訳だ’