フィジーの思い出 ー4
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・・・・・
ぼんやり時間をしてますか?
ーひと言でいいのですー吉川直美編 より
* ぼんやり時間
これを読んで気づいたことが、3年前からのリタイアで「ぼんやり時間」が少なかったこと。当時、心配したのが、
心の空白からくるウツ症である。それも初老性ウツは、周辺で何人か見ている。そこで、無為の時間を最小にすることを
第一にすること。 そのために、早朝から、寝るまでミニ・サイクリングと、スポーツジム通いで運動をすること。
そして、ブログ作成と、ネット・サーフィンと、TVの連続ドラマと、週一の映画館通いなどを組込んで置くことで、
まずは3年間を乗越えることにし、その合間に、寝室か、書斎で空白をおくことにした。それが私の「ぼんやり時間」。
~その箇所から~
《 「ぼんやりしているのは人間にとって非常に大切な貴い時間である。単に漠然と貴いと言っている訳ではなく、
この間に、本人はどの程度意識しているか分からないが、必す貯えられているものがある。」 ~串田孫一より
一日の予定が、朝から晩まで有意義な計画で埋め尽くされてはいませんか。
スケジュール帳に有益な予定が 隙間なく詰まっていないと、人生を無駄にしているようでそわそわしませんか。
白紙の部分は無益な時間ではなく、自由な発想が与えられ、想像力が羽を伸ばすぼんやり時間、たましいの息継ぎ時間。
箸休めがあってこそ濃厚な時間も引き立つのです。 お気に入りのカフェでコーヒーを味わう。
風に流れる雲をなんとはなしに目で追いかける。 公園のベンチに座って子どもたちの遊ぶ声に包まれる。
仕事の合間にふと手を止めて、雨の音に耳を澄ます。ーそんな無為な時に、ゆらりと身を任せてみましょうか。》
▼ この30数年間、何事も「遊び、仕事、学び」と、分けて、重なりの合間に余白として入れてきた。
それが瞑想だったり、独りボ~と物思いにふける時間だったり、散歩だったり。ここで気づいたのは、ご隠居の現在、
ボ~とする時間を、より多く持つこと。ポタリングをしていると、信濃川の土手で、ぼんやりベンチにいる人がいる。
散歩の休憩なのか、ぼんやりが目的なのか? 「ぼんやり」を検索したところ ーぼんやり時間 辰濃和男著ーがあった。
今日にでも図書館で探してみるが、面白そう。 欧州では夏場など、避暑地で、何をするでなく浜辺で無為の時間を
過ごすのが最高のレジャー。生活圏から離れ、綺麗な空気の中で「ぼんやりする時間」が最高の時間とすると、
早朝のポタリングと、午前中の三時間近い書斎でのフリータイムが私の「ぼんやり時間」? 違う!これな日常の範疇!
・・・・・・
4394, 私たちの住む宇宙は、10の27乗・10の-35乗の世界 ー1
2013年03月28日(木)
「宇宙は何でできているのか」村山 斉 (著)
* 私たちの住む宇宙は、10の27乗・10の-35乗の世界 ー1
村山斉の「宇宙は本当にひとつなのか」が非常に刺激的で、去年読んだ本ではベスト。
「現在、宇宙論はコペルニクス以来の大転換期にある」と素人に分かり易く書いてあった。
「我われの住む宇宙の他に10の500乗の宇宙が存在している」というから、
驚きである。この「宇宙は何でできているのか」は、その10ヶ月前に発行されたもの。
比べてみると、新著が宇宙論入門書で、
これは素粒子論が主とした内容。素粒子を突き詰めると宇宙と同じというから・・・
=まずアマゾンのー内容紹介ーより=
≪ 全ての星と原子を足しても宇宙全体の重さのほんの4%。では残り96%は何なのか?
物質を作る最小単位の粒子である素粒子。
誕生直後の宇宙は、素粒子が原子にならない状態でバラバラに飛び交う、高温高圧の火の玉だった。
だから、素粒子の種類や素粒子に働く力の法則が分かれば宇宙の成り立ちが分かるし、逆に
宇宙の現象を観測することで素粒子の謎も明らかになる。
本書は、素粒子物理学の基本中の基本をやさしくかみくだきながら、
「宇宙はどう始まったのか」「私たちはなぜ存在するのか」
「宇宙はこれからどうなるのか」という人類永遠の疑問に挑む、限りなく小さくて大きな物語。≫
ーキーポイントの部分の抜粋ー
【 この本のテーマは『素粒子物理学で解く宇宙の謎』。なぜ素粒子と宇宙が関係あるのか?
最も大きいのが137億光年の宇宙で、最も小さいのが素粒子・・
たとえば、リンゴは直径約0.1m。人間の身長は、桁がーつ上がって、1~2メートル程度。
ビルやマンションはもう1桁上がって、数十メートルの高さ。東京タワーは333m、建設中の
東京スカイツリーは634mにです。それぞれおよそ「3×、10の二乗メートル」「6×、10の二乗メートル」。
高い富士山(3776メートル)、「10の三乗」という桁数。では、富士山が載っている地球の直径は
約1万2千キロメートルですから、メートルに直すと桁数は「10の7乗」。富士山の1万倍。
その地球が太陽のまわりを公転する軌道の大きさは、富士山の1万倍のさらに1万倍(10の11乗メートル)
のオーダー。でも、それは宇宙全体から見ればほんの小さな点のようなもの。太陽系は「天の川銀河」
の片隅にありますが、この銀河は地球の軌道の約10億倍の大きさ(10の20乗m)。さらに天の川銀河はほかの
銀河系と一緒に「銀河団」を形成しており、その銀河団は天の川銀河の1000倍程度の規模(10の23乗mのオーダ)。
もちろん宇宙には、そういう銀河団がほかにもたくさんあります。それらをすべてひっくるめたのが、宇宙です。
そして、私たちがいま実際に観測できる宇宙のサイズは、1つの銀河団のさらに1万倍(10の27乗)。
こうなると「兆(10の12乗)」や「京(10の16乗)」とといった単位では表せないので「10のX乗」という
表現が必要になります。これがまさに、いわゆる「天文学的な数字」のスケールなのです。】
▼ 最も小さな素粒子については次回するが、我われのすむ宇宙は、極大と極少合わせ10の62乗の世界。
しかし、この他に宇宙が10の500乗もある可能性がある。世界観が変わったとかいう問題でなく、
宇宙観が変わってしまう。 他の宇宙から、我われの住む宇宙にループ状になってつながって
暗黒エネルギーを供給しているという。これを読むと、人生、社会、人間がつくり上げた神、正義、愛、
価値とかは、虚無の彼方の中に消えてしまいそうになる。それなら日々を味わいつくし、楽しめば良い。
少なくとも、何時の間に刷り込まれたバイアスに縛られないこと。 -つづ
・・・・・・
2187, 土地デフレが終焉?
2007年03月30日(金)
オッ ¥(*^○^*)ノ ハ~ヨウ!
土地デフレが終焉に向かっているようだ。
先日の国土庁の発表で、全国の平均地価が十六年ぶりに前年を上回った。
日経新聞の「終焉・土地デフレ」の三回のシリーズの概要を、以下の通りまとめてみた
ーー
・銀行・企業が負の遺産処理にメドをつけた一方、
・東京などは都市再開発で土地の収益性が向上。
グローバル化の加速に伴う海外マネーの流入と相まって土地デフレは終焉。
・東京の山手線南部地域は10年後にはマンハッタンの様相になる。
・賃料収入など利用価値に着目した収益性が地価の基準としてほぼ定着。
利回りを狙う新しい投資環境が出来上がった。
・さらに規制緩和も見逃せない。
敷地面積に対する延べ床面積を示す容積率の上限を3割あげ、
土地の収益性を高めた。
この規制緩和を生かせる認定申請の期限を今年三月末からさらに五年延ばす。
・さらに企業が復活してきたことも大きい。
過剰債務を脱した企業は社屋建て替えや拠点拡充に動きはじめ、
都心のオフィス需要が高まり、空室率が低下、平均賃料は昨年から上がり始めた。
これは実需に基づく収益性向上を意味するので、地価を押し上げる要素になる。
・一部には過熱感もある。 福岡の博多駅前で商業地が四〇%上がり、
地価上昇が収益性を上回っているという。
しかし、現在の日本の土地資産総額は千二百兆円程度で、ピークの半分以下。
全国の商業地の地価は七〇年代後半とほぼ同水準で、デフレを脱した段階。
・日本の名目国内総生産(GDP)はこの二十年で5割増えたが、
東京都の商業地の地価はまだ20年前の6割の水準。
地価反転を確かな経済成長につなげるには、
不動産を選別・開拓するミクロ的調整と、
慎重なマクロ政策がポイントとなる。
新潟市も政令都市の目玉としての新潟駅再開発工事で、
1400億円の投資が予定されており、関連の投資を含めて2000~3000億円の
投資で、新潟駅周辺への一極化は日ごと進んでいく。
土地も一強多弱の様相をみせてきた。
自社にとっては明るい陽がやっと差し込んできた。
ホンジャ \(^▽^*)バイ!
・・・・・・・・
2006年03月30日(木)
1822, あちら側の世界 -4
(@°▽°@)ノオッハヨー
ウェブ進化論ー4 ーオープンソース現象ー
「オープンソース現象」が最近の潮流になっているというが、
これが大きな変革をもたらす要素になる。
私の、このHPも小さなオープンソースである。
これを多くの大組織がすることで、いや個人も含めてすることで
核爆発的に情報が満ち溢れる事態になってきている。
ー以下は、この著書 Pー176からの抜粋である。(非常に哲学的にも深い示唆がある)
オープンソースの考え方は、当初は「アカデミアを中心としたソフトウェア開発の世界」
というコップの世界であった。Windowsnなどの爆発的広がりにより、インターネット休火山の
大爆発が起こり、そのコップが壊れ、リナックスのような大成功が引き起こされた。
そして、「オープンソース」は、IT業界の大潮流になってしまった。
しかし、この流れはそれだけにとどまらなかった。
「オープンソース」とは、「知的資産の種がネット上に無償公開されると、
世界中の知的リソースが自発的に結びつき」しかも
「集権的リーダーシップが中央にいなくとも、解決すべき課題に関する情報が
共有されるだけで、その課題が解決される」という発見を意味していた。
それは他の分野の、複雑な構築物や科学の分野でも応用できることを意味していた。
その発見は、さらに「人は何故働くのか」「企業組織だけが万能ではないんだ」
といった普遍的かつ根源的な問いかけや予感を誘発した。
「オープンソース」はソフトウエア世界を超えて、世の中全体に
応用できるのではないかと思わせるだけの、不思議な魅力を秘めていた。
これがオープンソース現象である。現にコレラ対策で、大きな成果をおさめている。
まだまだ開発途上国では、コレラは大問題である。
対策には高い治療費か、高いスキルが必要で相変わらずコレラに苦しめられていた。
ネット上でこの問題が提示されたとたん、わずか数ヶ月で、関連分野のさまざまな
領域の見知らずのプロフェッショナルたちがネット上で協力し合い、
低コストでしかも訓練なしで使える新システムが開発されてしまった。
コレラ治療のプロジェクトに参加した人々は、自分の貢献したアイデアが
大勢の命を救う製品に、まるでジグローパズルが少しずつ出きるのに
はまり込んでいったのだろう。
ー
この文章を読んだ時、これからの時代を示唆しているように感じた。
・・・・・・・・
2005年03月30日(水)
1457, 乱気流の恐怖
先日「台湾行きの飛行機が乱気流で42人の重軽傷者!」と報道されていた。
私も台湾周辺で乱気流に遭遇したことがあるが、あの恐怖感は言語で言いあらわせない。
(どうなるかは神のみぞ知る異常事態である)
スーッと50㍍位?飛行機が垂直に落ちる感じで、体が上につきあがりそうになる。
それも何度もつづくから恐怖も頂点になる。
もちろん、シートベルトをしてなければ体が放り出されている。
死なないと確証があれば逆に面白い?のだろうが。
飛行機は順調の場合は恐怖感はゼロであるが、乱気流に出あったり、
飛行機に不調があるのではないかと疑いが出たときは恐怖のどん底に落とされる。
もしかしたら、このまま消滅してしまうのではないかという恐怖感である。
二十数年前のことだが、ハワイで
「飛行機の上部が吹き飛んで座席が丸見えの状態で着陸をした映像」
をニュースで見て、そのリアルな状況にゾッとした記憶が鮮明に残っている。
確か何人かが吹き飛ばされたと記憶しているが。
また映画でも、墜落ギリギリの状態のものを何本か見たことがある。
実際に経験したものでなければ、あの恐怖感はわからない。
飛行機は時速1000キロで一万メートル上空を飛んでいる。
そのことに何もない時は気がつかないが、意識をした時にそのことに気がつく。
9・11の時も、実際にテロリストが飛行機を乗っ取ってビルに突入したのだから
乗客は恐怖のどん底であったはずだ。
以前にも書いたことがあったが、飛行機で夢を見たことがあった。
自分が空にドンドン浮き上がっていく。
電信柱が下に見えてきて、まずいと思っているうちに夢から醒めた。
そしてやっと地上にいる自分に戻ったと思った瞬間、自分が飛行機の中にいる。
その瞬間、直感的に空を1000キロの時速で飛んでいる体感がした。
大声を上げて助けを呼びたいが、回りの人は寝ている。
その時の恐怖の極みを今も鮮明に記憶している。
普通の日常では経験できない異常密室空間が飛行機の中である。
・・・・・・・・
2004年03月30日(火)
1092, 大相撲・千秋楽
一昨日が大相撲の千秋楽であった。 4人が11日目まで全勝。
最後の一番で優勝が決まった面白い場所であった。
一時のつまらない時期を過ぎたようだ。
外国出身の力士ということを気にしないようにしたら面白くなった。
幕下、十両、幕内前半に有望の歴史が目白押しに出てきた。
大関・横綱になる素質は大体わかるが、それでも多くは外れてしまう。
怪我や病気で伸びが止まってしまう場合が多い。
幕下に「萩原」という17歳の超有望な日本人力士も出てきた。
若手で大関横綱級としては、他には朝赤龍・白鵬・黒海・琴欧州あたりだろう。
萩原以外が外人というところが面白いが。モンゴル人だけで37人もいるのだから、
何処の国で開催しているのか錯覚してしまうほどだ。
モンゴルの大草原で羊の肉で育った飢えた彼らに、日本人が敵わないのは仕方がない。
元々はモンゴル相撲がルーツである。数日前も、総合格闘技のK-1が放映、
興奮をしてみていたが、別に日本人かどうかは全く関係はない。
格闘技に関して、世界には底知れない強い選手が多くいる。
異種格闘技という垣根を取り払ったことが、試合を面白くしている。
さらにグローバル化で、広範囲になったこともある。
野球に、スケートに、K-1に、サッカーなど時間が足りないほど見ていて
面白いスポーツが増えた。
その時間は自分自身という面では何もプラスになるものはない?
いや、ストレスの解消になる?
・・・・・・・
2003年03月30日(日)
725, 今日の結婚スピーチ
今日は会社の女子社員の後藤早苗さんの結婚式だ。
何か祝辞をいわなくてはならないが、これはというのが出てこない。
気持ちの入らない祝辞ほど聞いていて、いやなことがないのを知っているから
流す事もできない。こういう時は自分の話しをすればよい。
結婚観をそのまま話をするしかないと思ったが、そうはいかない。
初めて図書館で「祝辞・結婚スピーチ」のコナーを覗いてみた。
「結婚スピーチー死ぬまで忘れられない話」斉藤茂太著があった。
さすがだ、といってそれを読んでいる時間が少ないので、
やはり自分の話しをする事にした。
今日の11時10分あたりに話している内容を先に書いて出かける。
ーー
・まずはうちの会社の女性ーすなわち花嫁の褒め殺しとして、
彼女が陽気であることを紹介します。
陽気は最大の美徳であり、素質であります。 陰気は罪悪です。
・結婚は決してよいことことばかりではありません。
「二つ良いことさてないものよ」という言葉がありますが、この言葉を
一番実感するのが結婚です。離婚がいまや三割を超えているといいますが、
家庭内離婚を入れたら過半数は破綻です。
これだけは家電と同じで、当たり外れは長い時間を経って見ないと解りません。
あとは神のみぞ知るのみです。当たりであることを心より願っています。
・また結婚は二人の権力闘争です。それも死ぬまで続く泥沼の死闘です。
これも仕方がありません。それでは如何したらよいか?
「過去の事は持ち越さない、ぶり返さない」ことです。それしかありません。
・私の家内と本当に結婚してよかったと思います。
いやそう自己暗示を与えています。陽気であり大らかさからです。
最後は泣くか笑うかです、なら笑う人が良いのではないかと思います。
まあこの程度にしておきます。 ライオンに食べられそうになったら、
耳元にこっそり次の事を呟けばライオンは逃げ出すそうです
「私を食べる前に、少し長い演説をさせてくれ!」と。
良い家庭を築いてください。
それと収入の10%以上の天引き預金を習慣にしてください。
以上です。お幸せになってください。
斉藤茂太の「結婚スピーチ」の抜粋は明日か明後日書きます。
・・・・・・・・・
2002年03月30日(土)
361,イスラエル
主観であるが、旅行をしたところに事件がおきる。
ペルー、エジプト、イスラエル、そしてフィジー、ケニアと次々と、
ああそれとパキスタンとネパール。それから考えると、今度はヨルダンかシリアあたりか。
考えてみたらペルーを除けばイスラム教に関係している。
イスラエルに行った時に危ない感じがした。
まずは入国審査の審査は異常なくらい厳しいものだった。
また国内はあちこちで兵士が機関銃を持って歩いていた。
私用の時も身から離さないようだ。あちこちの広場に兵隊が駐屯していた。
市場で兵隊が3人血相を変えて走って行く。その後を商店主のアラブ人が何事かと走って行く。
これが日常のようであった。
アラブ人地区に入るとやはり民度が落ちるのが解る。
4000年の対立は致し方ないのだろう。
3年前の文章をコピーしておきます。
-------
H1105イスラエル聖なる旅
この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。
四国の面積とほぼ同じ中に、数えきれないほどのドラマがあった。
現地の日本人ガイドのシャワ-のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続であった。
その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の成果となった。
関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。
考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。
人生のもっと早い段階で、じっくり読むべきであった!。
旧約は先入観で固く難しそうであったが、読んでみれば何もむずかしくない、
ただただ面白い!内容であった。
旧約はユダヤとユダヤ民族の歴史の書であった。
また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。
ー印象の強い順に列記してみるとー
まずは何といってもエレサレムである。イスラエルがそのまま凝縮されているといってよい。
四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台となった。
そして現在も続いている。
この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と出会い同行することかもしれない。
イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道=ヴィア・ドロロ-サ。
磔刑に処せられたゴルゴダの丘。 最後の晩餐の部屋。
イスラム教の重要な寺院=岩のド-ムとアクサ寺院。
ユダヤ教徒にとって最も貴い嘆きの壁と広場。そしてダビデの塔。
旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま物語っている。
次はモ-ゼの十戒で有名なシナイ半島のシナイ山である。
深夜の二時に三時間かけて登って山頂からのご来光とシナイ山の山並み。
そして、その麓にあるカタリ-ナ修道院と、神の声をきいたという“燃える柴”。
そして帰路にたちよったベトウィンの部落。そして、そこで飲んだ紅茶。
“マサダの要塞”=この旅行までは全く知らなかったが、キリストが死んだ四十年余り後に、
ロ-マ軍に追いつめられた熱心党員のユダヤ人九六七名がたてこもった自然要塞。
陥落の前日、そこの指揮者ベン・ヤイルの演説の後、
七名を除く九六〇人の集団自決のあった場所であった。
その時の詳しい内容が生き残った者の証言で残った
(ヨセフスの“ユダヤ戦記”に生々しく残っている)。
=「奴隷にされる前に...自由の状態におもむこうではないか。」
=自殺を厳禁しているユダヤ教徒の集団自決であるからその意味が違ってくる。
イエスの生まれたベツレヘムの岩のほら穴の馬小屋と岩の飼葉桶。
ユダヤ教エッセネ派の“死海写本”が発見されたクムラン洞穴。
一九四七年、近くを歩いていたベトウィンの少年が、洞穴で土器に入った巻物を発見。
壷に納められた六〇〇を越える巻物には、イザヤ書全巻や旧約聖書等々記されていた。
今世紀最大の発見といわれている。ここで他にとんでもない事が記された文書があった。
-イエスキリストが主張された大すじが、そのずっと昔のこの文書の中にあったという。
“イエスはエッセネ派の指導者の一人でしかなかったのでは?”
という疑問がでてきたのである。そうすると西欧キリスト教の根底が変わってしまう。
あと十年後に振り返った時、恐らく今回のイスラエル旅行は私の内的深奥で
一大転機の経験となるのではないだろうか。
旅行は外界を訪れるだけでなく内奥の自分との出会いの機会でもある。
【別記】
この旅行と旧約聖書を読んで今の日本に絶望的気分になった。
四千年間の他民族・他宗教と血と血で争う闘いが現在まで続いている。
六十年前には六〇〇万人ものユダヤ人がナチに殺されている。
現在も一歩間違うと今の国土より追放されかねない緊張感・危機感が全土にあった。
男子は三年、女子は二年の兵役があった。
国中どこにいっても機関銃を持った兵隊がいた。
一歩家の中に入ると機関銃が無造作においてあるという。
といってその手の事件は一切ないという。
その銃の目的は敵に使うもの、国を守る為のものというのがはっきりしているからである。
今の日本の防衛に対する考え方甘さが対比すると浮き彫りにされた旅行でもあった。
1999.4.14~4.24
http://www.enpitu.ne.jp/usr5/54909/
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http://d.hatena.ne.jp/horii888888/archive
・・・・・
ぼんやり時間をしてますか?
ーひと言でいいのですー吉川直美編 より
* ぼんやり時間
これを読んで気づいたことが、3年前からのリタイアで「ぼんやり時間」が少なかったこと。当時、心配したのが、
心の空白からくるウツ症である。それも初老性ウツは、周辺で何人か見ている。そこで、無為の時間を最小にすることを
第一にすること。 そのために、早朝から、寝るまでミニ・サイクリングと、スポーツジム通いで運動をすること。
そして、ブログ作成と、ネット・サーフィンと、TVの連続ドラマと、週一の映画館通いなどを組込んで置くことで、
まずは3年間を乗越えることにし、その合間に、寝室か、書斎で空白をおくことにした。それが私の「ぼんやり時間」。
~その箇所から~
《 「ぼんやりしているのは人間にとって非常に大切な貴い時間である。単に漠然と貴いと言っている訳ではなく、
この間に、本人はどの程度意識しているか分からないが、必す貯えられているものがある。」 ~串田孫一より
一日の予定が、朝から晩まで有意義な計画で埋め尽くされてはいませんか。
スケジュール帳に有益な予定が 隙間なく詰まっていないと、人生を無駄にしているようでそわそわしませんか。
白紙の部分は無益な時間ではなく、自由な発想が与えられ、想像力が羽を伸ばすぼんやり時間、たましいの息継ぎ時間。
箸休めがあってこそ濃厚な時間も引き立つのです。 お気に入りのカフェでコーヒーを味わう。
風に流れる雲をなんとはなしに目で追いかける。 公園のベンチに座って子どもたちの遊ぶ声に包まれる。
仕事の合間にふと手を止めて、雨の音に耳を澄ます。ーそんな無為な時に、ゆらりと身を任せてみましょうか。》
▼ この30数年間、何事も「遊び、仕事、学び」と、分けて、重なりの合間に余白として入れてきた。
それが瞑想だったり、独りボ~と物思いにふける時間だったり、散歩だったり。ここで気づいたのは、ご隠居の現在、
ボ~とする時間を、より多く持つこと。ポタリングをしていると、信濃川の土手で、ぼんやりベンチにいる人がいる。
散歩の休憩なのか、ぼんやりが目的なのか? 「ぼんやり」を検索したところ ーぼんやり時間 辰濃和男著ーがあった。
今日にでも図書館で探してみるが、面白そう。 欧州では夏場など、避暑地で、何をするでなく浜辺で無為の時間を
過ごすのが最高のレジャー。生活圏から離れ、綺麗な空気の中で「ぼんやりする時間」が最高の時間とすると、
早朝のポタリングと、午前中の三時間近い書斎でのフリータイムが私の「ぼんやり時間」? 違う!これな日常の範疇!
・・・・・・
4394, 私たちの住む宇宙は、10の27乗・10の-35乗の世界 ー1
2013年03月28日(木)
「宇宙は何でできているのか」村山 斉 (著)
* 私たちの住む宇宙は、10の27乗・10の-35乗の世界 ー1
村山斉の「宇宙は本当にひとつなのか」が非常に刺激的で、去年読んだ本ではベスト。
「現在、宇宙論はコペルニクス以来の大転換期にある」と素人に分かり易く書いてあった。
「我われの住む宇宙の他に10の500乗の宇宙が存在している」というから、
驚きである。この「宇宙は何でできているのか」は、その10ヶ月前に発行されたもの。
比べてみると、新著が宇宙論入門書で、
これは素粒子論が主とした内容。素粒子を突き詰めると宇宙と同じというから・・・
=まずアマゾンのー内容紹介ーより=
≪ 全ての星と原子を足しても宇宙全体の重さのほんの4%。では残り96%は何なのか?
物質を作る最小単位の粒子である素粒子。
誕生直後の宇宙は、素粒子が原子にならない状態でバラバラに飛び交う、高温高圧の火の玉だった。
だから、素粒子の種類や素粒子に働く力の法則が分かれば宇宙の成り立ちが分かるし、逆に
宇宙の現象を観測することで素粒子の謎も明らかになる。
本書は、素粒子物理学の基本中の基本をやさしくかみくだきながら、
「宇宙はどう始まったのか」「私たちはなぜ存在するのか」
「宇宙はこれからどうなるのか」という人類永遠の疑問に挑む、限りなく小さくて大きな物語。≫
ーキーポイントの部分の抜粋ー
【 この本のテーマは『素粒子物理学で解く宇宙の謎』。なぜ素粒子と宇宙が関係あるのか?
最も大きいのが137億光年の宇宙で、最も小さいのが素粒子・・
たとえば、リンゴは直径約0.1m。人間の身長は、桁がーつ上がって、1~2メートル程度。
ビルやマンションはもう1桁上がって、数十メートルの高さ。東京タワーは333m、建設中の
東京スカイツリーは634mにです。それぞれおよそ「3×、10の二乗メートル」「6×、10の二乗メートル」。
高い富士山(3776メートル)、「10の三乗」という桁数。では、富士山が載っている地球の直径は
約1万2千キロメートルですから、メートルに直すと桁数は「10の7乗」。富士山の1万倍。
その地球が太陽のまわりを公転する軌道の大きさは、富士山の1万倍のさらに1万倍(10の11乗メートル)
のオーダー。でも、それは宇宙全体から見ればほんの小さな点のようなもの。太陽系は「天の川銀河」
の片隅にありますが、この銀河は地球の軌道の約10億倍の大きさ(10の20乗m)。さらに天の川銀河はほかの
銀河系と一緒に「銀河団」を形成しており、その銀河団は天の川銀河の1000倍程度の規模(10の23乗mのオーダ)。
もちろん宇宙には、そういう銀河団がほかにもたくさんあります。それらをすべてひっくるめたのが、宇宙です。
そして、私たちがいま実際に観測できる宇宙のサイズは、1つの銀河団のさらに1万倍(10の27乗)。
こうなると「兆(10の12乗)」や「京(10の16乗)」とといった単位では表せないので「10のX乗」という
表現が必要になります。これがまさに、いわゆる「天文学的な数字」のスケールなのです。】
▼ 最も小さな素粒子については次回するが、我われのすむ宇宙は、極大と極少合わせ10の62乗の世界。
しかし、この他に宇宙が10の500乗もある可能性がある。世界観が変わったとかいう問題でなく、
宇宙観が変わってしまう。 他の宇宙から、我われの住む宇宙にループ状になってつながって
暗黒エネルギーを供給しているという。これを読むと、人生、社会、人間がつくり上げた神、正義、愛、
価値とかは、虚無の彼方の中に消えてしまいそうになる。それなら日々を味わいつくし、楽しめば良い。
少なくとも、何時の間に刷り込まれたバイアスに縛られないこと。 -つづ
・・・・・・
2187, 土地デフレが終焉?
2007年03月30日(金)
オッ ¥(*^○^*)ノ ハ~ヨウ!
土地デフレが終焉に向かっているようだ。
先日の国土庁の発表で、全国の平均地価が十六年ぶりに前年を上回った。
日経新聞の「終焉・土地デフレ」の三回のシリーズの概要を、以下の通りまとめてみた
ーー
・銀行・企業が負の遺産処理にメドをつけた一方、
・東京などは都市再開発で土地の収益性が向上。
グローバル化の加速に伴う海外マネーの流入と相まって土地デフレは終焉。
・東京の山手線南部地域は10年後にはマンハッタンの様相になる。
・賃料収入など利用価値に着目した収益性が地価の基準としてほぼ定着。
利回りを狙う新しい投資環境が出来上がった。
・さらに規制緩和も見逃せない。
敷地面積に対する延べ床面積を示す容積率の上限を3割あげ、
土地の収益性を高めた。
この規制緩和を生かせる認定申請の期限を今年三月末からさらに五年延ばす。
・さらに企業が復活してきたことも大きい。
過剰債務を脱した企業は社屋建て替えや拠点拡充に動きはじめ、
都心のオフィス需要が高まり、空室率が低下、平均賃料は昨年から上がり始めた。
これは実需に基づく収益性向上を意味するので、地価を押し上げる要素になる。
・一部には過熱感もある。 福岡の博多駅前で商業地が四〇%上がり、
地価上昇が収益性を上回っているという。
しかし、現在の日本の土地資産総額は千二百兆円程度で、ピークの半分以下。
全国の商業地の地価は七〇年代後半とほぼ同水準で、デフレを脱した段階。
・日本の名目国内総生産(GDP)はこの二十年で5割増えたが、
東京都の商業地の地価はまだ20年前の6割の水準。
地価反転を確かな経済成長につなげるには、
不動産を選別・開拓するミクロ的調整と、
慎重なマクロ政策がポイントとなる。
新潟市も政令都市の目玉としての新潟駅再開発工事で、
1400億円の投資が予定されており、関連の投資を含めて2000~3000億円の
投資で、新潟駅周辺への一極化は日ごと進んでいく。
土地も一強多弱の様相をみせてきた。
自社にとっては明るい陽がやっと差し込んできた。
ホンジャ \(^▽^*)バイ!
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2006年03月30日(木)
1822, あちら側の世界 -4
(@°▽°@)ノオッハヨー
ウェブ進化論ー4 ーオープンソース現象ー
「オープンソース現象」が最近の潮流になっているというが、
これが大きな変革をもたらす要素になる。
私の、このHPも小さなオープンソースである。
これを多くの大組織がすることで、いや個人も含めてすることで
核爆発的に情報が満ち溢れる事態になってきている。
ー以下は、この著書 Pー176からの抜粋である。(非常に哲学的にも深い示唆がある)
オープンソースの考え方は、当初は「アカデミアを中心としたソフトウェア開発の世界」
というコップの世界であった。Windowsnなどの爆発的広がりにより、インターネット休火山の
大爆発が起こり、そのコップが壊れ、リナックスのような大成功が引き起こされた。
そして、「オープンソース」は、IT業界の大潮流になってしまった。
しかし、この流れはそれだけにとどまらなかった。
「オープンソース」とは、「知的資産の種がネット上に無償公開されると、
世界中の知的リソースが自発的に結びつき」しかも
「集権的リーダーシップが中央にいなくとも、解決すべき課題に関する情報が
共有されるだけで、その課題が解決される」という発見を意味していた。
それは他の分野の、複雑な構築物や科学の分野でも応用できることを意味していた。
その発見は、さらに「人は何故働くのか」「企業組織だけが万能ではないんだ」
といった普遍的かつ根源的な問いかけや予感を誘発した。
「オープンソース」はソフトウエア世界を超えて、世の中全体に
応用できるのではないかと思わせるだけの、不思議な魅力を秘めていた。
これがオープンソース現象である。現にコレラ対策で、大きな成果をおさめている。
まだまだ開発途上国では、コレラは大問題である。
対策には高い治療費か、高いスキルが必要で相変わらずコレラに苦しめられていた。
ネット上でこの問題が提示されたとたん、わずか数ヶ月で、関連分野のさまざまな
領域の見知らずのプロフェッショナルたちがネット上で協力し合い、
低コストでしかも訓練なしで使える新システムが開発されてしまった。
コレラ治療のプロジェクトに参加した人々は、自分の貢献したアイデアが
大勢の命を救う製品に、まるでジグローパズルが少しずつ出きるのに
はまり込んでいったのだろう。
ー
この文章を読んだ時、これからの時代を示唆しているように感じた。
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2005年03月30日(水)
1457, 乱気流の恐怖
先日「台湾行きの飛行機が乱気流で42人の重軽傷者!」と報道されていた。
私も台湾周辺で乱気流に遭遇したことがあるが、あの恐怖感は言語で言いあらわせない。
(どうなるかは神のみぞ知る異常事態である)
スーッと50㍍位?飛行機が垂直に落ちる感じで、体が上につきあがりそうになる。
それも何度もつづくから恐怖も頂点になる。
もちろん、シートベルトをしてなければ体が放り出されている。
死なないと確証があれば逆に面白い?のだろうが。
飛行機は順調の場合は恐怖感はゼロであるが、乱気流に出あったり、
飛行機に不調があるのではないかと疑いが出たときは恐怖のどん底に落とされる。
もしかしたら、このまま消滅してしまうのではないかという恐怖感である。
二十数年前のことだが、ハワイで
「飛行機の上部が吹き飛んで座席が丸見えの状態で着陸をした映像」
をニュースで見て、そのリアルな状況にゾッとした記憶が鮮明に残っている。
確か何人かが吹き飛ばされたと記憶しているが。
また映画でも、墜落ギリギリの状態のものを何本か見たことがある。
実際に経験したものでなければ、あの恐怖感はわからない。
飛行機は時速1000キロで一万メートル上空を飛んでいる。
そのことに何もない時は気がつかないが、意識をした時にそのことに気がつく。
9・11の時も、実際にテロリストが飛行機を乗っ取ってビルに突入したのだから
乗客は恐怖のどん底であったはずだ。
以前にも書いたことがあったが、飛行機で夢を見たことがあった。
自分が空にドンドン浮き上がっていく。
電信柱が下に見えてきて、まずいと思っているうちに夢から醒めた。
そしてやっと地上にいる自分に戻ったと思った瞬間、自分が飛行機の中にいる。
その瞬間、直感的に空を1000キロの時速で飛んでいる体感がした。
大声を上げて助けを呼びたいが、回りの人は寝ている。
その時の恐怖の極みを今も鮮明に記憶している。
普通の日常では経験できない異常密室空間が飛行機の中である。
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2004年03月30日(火)
1092, 大相撲・千秋楽
一昨日が大相撲の千秋楽であった。 4人が11日目まで全勝。
最後の一番で優勝が決まった面白い場所であった。
一時のつまらない時期を過ぎたようだ。
外国出身の力士ということを気にしないようにしたら面白くなった。
幕下、十両、幕内前半に有望の歴史が目白押しに出てきた。
大関・横綱になる素質は大体わかるが、それでも多くは外れてしまう。
怪我や病気で伸びが止まってしまう場合が多い。
幕下に「萩原」という17歳の超有望な日本人力士も出てきた。
若手で大関横綱級としては、他には朝赤龍・白鵬・黒海・琴欧州あたりだろう。
萩原以外が外人というところが面白いが。モンゴル人だけで37人もいるのだから、
何処の国で開催しているのか錯覚してしまうほどだ。
モンゴルの大草原で羊の肉で育った飢えた彼らに、日本人が敵わないのは仕方がない。
元々はモンゴル相撲がルーツである。数日前も、総合格闘技のK-1が放映、
興奮をしてみていたが、別に日本人かどうかは全く関係はない。
格闘技に関して、世界には底知れない強い選手が多くいる。
異種格闘技という垣根を取り払ったことが、試合を面白くしている。
さらにグローバル化で、広範囲になったこともある。
野球に、スケートに、K-1に、サッカーなど時間が足りないほど見ていて
面白いスポーツが増えた。
その時間は自分自身という面では何もプラスになるものはない?
いや、ストレスの解消になる?
・・・・・・・
2003年03月30日(日)
725, 今日の結婚スピーチ
今日は会社の女子社員の後藤早苗さんの結婚式だ。
何か祝辞をいわなくてはならないが、これはというのが出てこない。
気持ちの入らない祝辞ほど聞いていて、いやなことがないのを知っているから
流す事もできない。こういう時は自分の話しをすればよい。
結婚観をそのまま話をするしかないと思ったが、そうはいかない。
初めて図書館で「祝辞・結婚スピーチ」のコナーを覗いてみた。
「結婚スピーチー死ぬまで忘れられない話」斉藤茂太著があった。
さすがだ、といってそれを読んでいる時間が少ないので、
やはり自分の話しをする事にした。
今日の11時10分あたりに話している内容を先に書いて出かける。
ーー
・まずはうちの会社の女性ーすなわち花嫁の褒め殺しとして、
彼女が陽気であることを紹介します。
陽気は最大の美徳であり、素質であります。 陰気は罪悪です。
・結婚は決してよいことことばかりではありません。
「二つ良いことさてないものよ」という言葉がありますが、この言葉を
一番実感するのが結婚です。離婚がいまや三割を超えているといいますが、
家庭内離婚を入れたら過半数は破綻です。
これだけは家電と同じで、当たり外れは長い時間を経って見ないと解りません。
あとは神のみぞ知るのみです。当たりであることを心より願っています。
・また結婚は二人の権力闘争です。それも死ぬまで続く泥沼の死闘です。
これも仕方がありません。それでは如何したらよいか?
「過去の事は持ち越さない、ぶり返さない」ことです。それしかありません。
・私の家内と本当に結婚してよかったと思います。
いやそう自己暗示を与えています。陽気であり大らかさからです。
最後は泣くか笑うかです、なら笑う人が良いのではないかと思います。
まあこの程度にしておきます。 ライオンに食べられそうになったら、
耳元にこっそり次の事を呟けばライオンは逃げ出すそうです
「私を食べる前に、少し長い演説をさせてくれ!」と。
良い家庭を築いてください。
それと収入の10%以上の天引き預金を習慣にしてください。
以上です。お幸せになってください。
斉藤茂太の「結婚スピーチ」の抜粋は明日か明後日書きます。
・・・・・・・・・
2002年03月30日(土)
361,イスラエル
主観であるが、旅行をしたところに事件がおきる。
ペルー、エジプト、イスラエル、そしてフィジー、ケニアと次々と、
ああそれとパキスタンとネパール。それから考えると、今度はヨルダンかシリアあたりか。
考えてみたらペルーを除けばイスラム教に関係している。
イスラエルに行った時に危ない感じがした。
まずは入国審査の審査は異常なくらい厳しいものだった。
また国内はあちこちで兵士が機関銃を持って歩いていた。
私用の時も身から離さないようだ。あちこちの広場に兵隊が駐屯していた。
市場で兵隊が3人血相を変えて走って行く。その後を商店主のアラブ人が何事かと走って行く。
これが日常のようであった。
アラブ人地区に入るとやはり民度が落ちるのが解る。
4000年の対立は致し方ないのだろう。
3年前の文章をコピーしておきます。
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H1105イスラエル聖なる旅
この旅行は、四千年の旧約・新約聖書に出てくる歴史と出会う旅であった。
四国の面積とほぼ同じ中に、数えきれないほどのドラマがあった。
現地の日本人ガイドのシャワ-のような説明が新鮮かつ面白く驚きと感激の連続であった。
その為か帰ってきて、新約・旧約聖書をじっくり読む事ができた事が最大の成果となった。
関連を含めると十冊を前後二ヶ月たらずで読んでしまった。
考えてみたら私の人生の転機の度に必ず聖書か聖書関連の本があった。
人生のもっと早い段階で、じっくり読むべきであった!。
旧約は先入観で固く難しそうであったが、読んでみれば何もむずかしくない、
ただただ面白い!内容であった。
旧約はユダヤとユダヤ民族の歴史の書であった。
また新約は出会い=イエスの心との出会いの書と言ってよかった。
ー印象の強い順に列記してみるとー
まずは何といってもエレサレムである。イスラエルがそのまま凝縮されているといってよい。
四千年の昔から神の名と民族の誇りをかけ、数え切れない戦いの舞台となった。
そして現在も続いている。
この街を歩く事は世界の歴史の生き証人と出会い同行することかもしれない。
イエスが十字架を背負って歩いた悲しみの道=ヴィア・ドロロ-サ。
磔刑に処せられたゴルゴダの丘。 最後の晩餐の部屋。
イスラム教の重要な寺院=岩のド-ムとアクサ寺院。
ユダヤ教徒にとって最も貴い嘆きの壁と広場。そしてダビデの塔。
旧市街を囲んでいる城壁は四千年の歴史の深さをそのまま物語っている。
次はモ-ゼの十戒で有名なシナイ半島のシナイ山である。
深夜の二時に三時間かけて登って山頂からのご来光とシナイ山の山並み。
そして、その麓にあるカタリ-ナ修道院と、神の声をきいたという“燃える柴”。
そして帰路にたちよったベトウィンの部落。そして、そこで飲んだ紅茶。
“マサダの要塞”=この旅行までは全く知らなかったが、キリストが死んだ四十年余り後に、
ロ-マ軍に追いつめられた熱心党員のユダヤ人九六七名がたてこもった自然要塞。
陥落の前日、そこの指揮者ベン・ヤイルの演説の後、
七名を除く九六〇人の集団自決のあった場所であった。
その時の詳しい内容が生き残った者の証言で残った
(ヨセフスの“ユダヤ戦記”に生々しく残っている)。
=「奴隷にされる前に...自由の状態におもむこうではないか。」
=自殺を厳禁しているユダヤ教徒の集団自決であるからその意味が違ってくる。
イエスの生まれたベツレヘムの岩のほら穴の馬小屋と岩の飼葉桶。
ユダヤ教エッセネ派の“死海写本”が発見されたクムラン洞穴。
一九四七年、近くを歩いていたベトウィンの少年が、洞穴で土器に入った巻物を発見。
壷に納められた六〇〇を越える巻物には、イザヤ書全巻や旧約聖書等々記されていた。
今世紀最大の発見といわれている。ここで他にとんでもない事が記された文書があった。
-イエスキリストが主張された大すじが、そのずっと昔のこの文書の中にあったという。
“イエスはエッセネ派の指導者の一人でしかなかったのでは?”
という疑問がでてきたのである。そうすると西欧キリスト教の根底が変わってしまう。
あと十年後に振り返った時、恐らく今回のイスラエル旅行は私の内的深奥で
一大転機の経験となるのではないだろうか。
旅行は外界を訪れるだけでなく内奥の自分との出会いの機会でもある。
【別記】
この旅行と旧約聖書を読んで今の日本に絶望的気分になった。
四千年間の他民族・他宗教と血と血で争う闘いが現在まで続いている。
六十年前には六〇〇万人ものユダヤ人がナチに殺されている。
現在も一歩間違うと今の国土より追放されかねない緊張感・危機感が全土にあった。
男子は三年、女子は二年の兵役があった。
国中どこにいっても機関銃を持った兵隊がいた。
一歩家の中に入ると機関銃が無造作においてあるという。
といってその手の事件は一切ないという。
その銃の目的は敵に使うもの、国を守る為のものというのがはっきりしているからである。
今の日本の防衛に対する考え方甘さが対比すると浮き彫りにされた旅行でもあった。
1999.4.14~4.24