「年齢(よわい)は財産」〜日本ペンクラブ編 
の随想集の中にあった土居伸光氏の【言葉遊び】ーラ行の受身形ー がよい。
 ーその概要を短く纏めてみるとー
10数年前に末期癌で亡くなった奥さんの、死に至る過程を見つめ、彼女が否定的で
受け入れたくない出来事に対して使われる言葉が、感謝へと転換していく姿を愛情を込めて書いている。
 ラ行の受身形とは・・・
・叱られた   ・文句を言われた  ・虐められた  
・騙された   ・裏切られた    ・嫌われた    これらは私達が日常でよく使う受身形。 
 どちらかというと、否定的で受け入れたくない出来事に使われることが多い。そこで、
「叱られた→叱っていただいた」「嫌われた→嫌っていただいた」など、ラ行の受身形を転換をすればよい。

その結果として、感謝の心を増幅させるだけでなく、人を大らかにし、強くさせる力になる。
 奥さんは、絶えることなく襲ってくる激痛に逃げ出すことはしなかった。 直観力が強くなったのだろう、
激痛を事前に察知して、仏壇の前に正座をし、ローソクと線香を灯し、祈りながらそれがやってくるのを待った。
その後姿に、著者は揺るぎない彼女の覚悟が読み取れた。  そして、ある日、
 「問題は、すべて私の中にある。ガンを早期に発見できなかったのは病院ではない。ガンそのものが、問題ではない。 
  ガンは自らがつくり出したもの。ガンは自分自身。誰も悪くない」と耳の疑うような言葉が彼女の口から飛び出した。 
その言葉を境に、奥さんは大きく変わっていった。・・・ 激痛を乗り越える過程で受身だった彼女は感謝の心に
変わっていったのだ。 そして余命半年といわれていた奥さんは結局三年生きた。 
 我われは老いの進行と共に、頭や身体は思い通りには動いてくれなくなる。 第三者から「ラ行の受身形」の言葉=
《叱責、文句、虐め、騙し、裏切り、嫌悪》が、未来の自分に投げかけられる可能性がある。 その都度、心が大きく
揺れるようでは、人生の平安はほど遠くなる。ラ行の受身形を転換し続けることで、すこし謙虚になったように思うという。
文句を言われるのは、文句を言われるようなことがあったからと気づく。そう考えると、自分の至らなさが見えてきたりする。
そうすると、文句を言った人に、怒りではなく感謝の気持ちがわいてきて、嫌な人物がそうでなくなってくる。 
今の私には嫌な人物は一人もいない。単なる言葉遊びと思われるかもしれないが、やってみる価値は十分ある遊びである。 
この遊びの素晴らしいところは、使っても目減りをしない。
使えば使うほど心は確実に成長し、その結果は微笑みという形をとって顔に現われてくると、無邪気に信じているようになる。
 ー
 深い味わ深い内容である。 この続きも良いので次回に書く。 これは先日書いた「要は、受止めかた次第」の具体例と
考えるとよい。 その意味で、この文章に偶然出会ったのが不思議である。  書いていて思い出したのが
「もとは、こちら、そのままけっこう」である。  実際に現在抱えている幾つかの問題に対して言葉遊びをしてみたら、
直ぐに「そんな問題じゃないだろう」と、心(言葉)が噴出してきた。 しかし、「遊び、遊び!」と自分に言い聞かせ、
何度か言葉遊びを繰り返すと、あれだけ腹立っていたことが収まってくるから不思議である。色いろな悟り方があるもの。

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2787, 不況景色
2008年11月21日(金)

新潟市内の【新潟タクシー】が倒産した。 先日倒産した【新潟相互タクシー】に続いてである。
タクシーの所有が70台、従業員が130人というから、新潟相互タクシーと、ほぼ同じである。
ピーク時の売り上げの半分まで落ちていたというから、仕方がない。 タクシーも、ビジネスホテルも
似たような客商売である。 だから、さもありなんと納得する。 次は何処のタクシー会社?という段階だろう。
二社潰れても,タクシーの台数の一割強でしかない。彼方此方から不況の現場の話しが聞こえてくる。
資産の劣化も始っている。昨夜のNHKの「クローズアップ現代」で、中古マンションの荒廃の実態をレポートしていた。
バブル期のマンションなどが荒廃をして、投売りで暴落、廃墟になっているマンションも出ている。
5〜6年前で2百数十万室もあり、その後も激増しているという。 不動産業者は10年を目安に造り、売却する。
その典型が現在、問題になっているアパとかいう、業者である。 買うほうも深く考えないで目先のファッション服を
買う感覚で購入する。 10年経った後に、大きな問題になってくる。 物件は暴落し、荒廃が進む、という図式になる。
 〜〜
アメリカのシティと、スイスのUSBの株価が暴落している。
USBは、二年前のフォーブスのランキングの数万社の世界の超優良会社で、ベスト9の会社である。
それが、風前の灯といから、すざましい。 ゴールドマンなど、1〜2ヶ月で、半額以下である。
     シティ    $ 6.45(−22.85%)
     UBS    $ 9.28(−14.75%)
     ゴールドマン $55.18(−11.04%)
AIGも時間の問題といわれているし、ビックスリーの自動車会社も、実質破綻に近いという。
自動車関連の従業員が、アメリカの就業者の1割を占めるというから、これまた破綻は国家存亡の問題。 
生かしておいても、資金の垂れ流しになるし、潰せば世界恐慌の速度を速めることになる。
この金融恐慌、他人事ではないから深刻である。 株価が、ある日総崩れになる可能性を孕んでいる。
恐慌は勝ち組も負け組みもない。全てが、死線の上を漂うことになる。社会的には、失業者が急増、凄惨な事件が続く。
それが地域紛争につながり、そして世界戦争に拡大していく。これに鳥インフルエンザが重なると、60年前の姿と酷似する。
ただ、日常は淡々と流れていくが、気がついたときには生活実態は三分の一のレベルまで、下がっているということ。
  まずは、今年の暮から来年の三月までが、第一の倒産ラッシュが吹きすさむ。
トヨタのトップが「市場が消滅してしまうのではないかという恐怖心にかられる」といっていたが、
これから起こることは、想像を遥かに超えたものになる。経済学者が言っていた、「16世紀以来の中産階級の崩壊のプロセス」
に入ったのか。 そうすると、100年に一度の大事件ではなく、1000年に一度の歴史的惨事が待っていることになる。

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2007年11月21日(水)  
2422, サブプライム問題 −2
                                (*´・ω・)ノはよー
 前回の記事の続きを読むと、この問題は裾野が広いのが解る。日本でもビルなどの不動産の証券化した債権が
一般の投資家に対して売り込まれている。これはアメリカだけの問題ではないのである。その意味で今年の暮れから
来年にかけては日本でも問題が発生しかねない。更に駅周辺に怪しげなマンションが、奇麗な歌い文句で売られている。
これも不動産債権と大同小異のもの、直接、跳ね返るのが買った本人になる。それさえ気がつかないから深刻である。   
 ー前回のつづきの記事も解りやすいー
  −−
株価の値下がりは一般的にはサブプライム問題と言われているが、症状の一つに過ぎない。
根本問題は、アメリカ経済が既に一年前から不況期に入っていることにある。そのことは工業品出荷の推移からも
ハッキリと現れている。昨年6月をピークとして急速に落ち込み、昨年10月には前年比マイナスの水準になってしまった。
アメリカが不況になったからこそ、住宅価格が下落に転じ、その結果差プライムが火を噴いたのである。 
サプライム問題を考える時、日本人は日本の住宅ローンを考えるが、これはアメリカとは違うのである。 
日本では、ローンで買った住宅が大きく値下がりした時に家を売却をしても借金が残る場合がある。
この時に、借りた人間は律儀に残債を返すのが当然と思うことは当然と考える。しかし、アメリカはそうではなく、
家を引渡せば、それで済むのである。更に問題を大きくしたのは、「不動産の証券化という先進技術の落とし穴」である。
その証券化された債権の格付けが、大きな問題になってきたのである。
つまり本物のAAA格債券というのは「お宝債券」なのである。そこでサブプライム担保で組成したAAA格債券の登場である。
「高格付けの債券を買いたいけど、値段が高いのは困る」などとムチャな要求をする投資家に対して、
盛大に売り込まれていったのだ。さて、サブプライムローンを一山集めて、その中から絶対焦げつかない部分を取り除いたら、
あとには、焦げつく可能性の高い部分が山のように残される。そこでこれらの部分を宝くじ感覚の投資商品に編成して
割引値段で売りに出す。もしもローンの焦げつきが予想以下で済めば、投機家は大儲けできるだろう。
まさに一撰干金。 夢見る投機家が喜んで飛びついたというわけだ。
信用度に問題がある客を相手にして住宅ローンを貸す商売が成り立つのは、ローンを全部まとめて投資家に売り払い、
すばやく現金化できるようになった為である。証券化という先進技術の恩恵だ、と誰もが考えたことだろう。
だがここには、あきらかに重大な落とし穴がある。 ローンの証券化を行うためには、
大前提として事前にサブプライムローンが焦げつく可能性が見積もられていなければならない。
もちろん見積もるための数字は存在する。だがその数字は、不動産価格が右肩上がりだった過去の数字だ。
予想を超えて不況になり、予想を超えて不動産価格が下落してしまうと、予想を超えて焦げつきが発生する。
そして損の範囲は「絶対安全なはず」と予想されていた部分にまで食い込んでしまうのだ。 
実際に今、格付け機関が「絶対安全な債券」の格付けを下げ始めている。ギャンブルをしていた人間が、賭け金を残らず
失ってもギャンブラーの自己責任だ。だが絶対安全な債券という触れ込みで買った代物が焦げつくかも知れないとなれば
「こんな危ないものは持ってられない。叩き売れ」ということになり、相場は大暴落する。
損を覚悟で叩き売った以上、売った金融機関には赤字が発生する。売らずに持ち続けている金融機関にも評価損が発生する。
金融機関の利益が激減すれば、その金融機関の株価も大暴落する。
なら、ギャンブル型の金融商品の価値は、限りなくゼロになった可能性もある。
そんな紙屑を手放すこともできず、黙って抱え込んでいる会社が、どれだけあるか、誰にもわからないという状況なのだ・・
この構図が誰の目にも明らかに見え始てきた時、株価は暴落への道を始めたのである。
サブプライム問題は、アメリカの不況を原因とする一つの症状にすぎない。
だが激しい咳が患者の体力を急速に奪うように、サブプライム問題が株式市場への不安を加速しているのも事実なのだ。
インフルエンザの症状には発熱もあれば下痢もある。 咳だけが症状ではないのと同様に、不況を原因として、
あらたな症状が噴出す可能性も否定できない。アメリカという巨大消費市場あっての中国だから、
アメリカの不浅が直撃すれば中国株も大暴落するかもしれない。
 ーー
  以上だが、アメリカはどの様にして、このサブプライム問題を解決するのか。
  アメリカの資本がユダヤに支配されているとすれば、先に石油や金などを買い込み、
  その値上がりを図るのは当然のことである。更にアメリカの債権を半ば強制的に
  買わされ、そのツケを払わされるのは日本などである。隷属国家とは、悲しいものである。
                                βyё♪  βyё♪  
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2006年11月21日(火)
2058, あたりまえなことばかり −12
     (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ〜 ヨウ
死は他者の死しか知ることができない。 そして他者のごく身近な人の悲しみの表情をみて、
死=悲しい、という構図を長年人間は描いてきた。象も死んだ子供や仲間の死を悲しむというが、それも、
その象の表情を見て、勝手に思っているだけである。虚無になる恐怖感と言えども、「無になる」とは
他者の死体を見たイメージでしかない。人生ー生死が何ものか解らないのに意味など果してあるのだろうか?
という、疑問が成り立つ。せいぜい、年寄りの老化現象でしかないのか。
といって、意味の意味が、「価値」とするなら、「人生の価値は無い!」と切り捨てることも出来まい。
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 *死ぬことは不幸のことなのか −?
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d(字数の関係でカット 2008年11月21日)
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2005年11月21日(月)
1693, 中学校還暦同期会

あと二ヶ月で還暦になる。(O_O;)Shock!! 中学校の還暦同期会は、考えようによっては面白い。
卒業してから45年という歳月と、義務教育の分別?される前の、危ない場の中学の還暦はそれぞれ思いは深い。 
同期会ということもあって、45年ぶりの再開の人が多い。それも、もう恐らく二度と会うことはない人だ。        
一昨日が、その中学校の還暦同期会があった。来るべき時が来た!というのが、実感!。
そして興奮と感激の連続であった。koufun (+`ω´+)∩・・驚いたのが、学年の三分の一の108人が集まったことだ。
(私のいたクラスは一番まとまりのあるクラスだが、五分の一だった。)
長岡の一流?の料亭の鴨川別館で、会費が写真込みで一万円。幹事は大変だったはずだ。  ase ∩(+`ω´+)∩・・・キュゥ
二次会はフロアーを変えた別会場で設定してあった。ほぼ8割が出席していた。(別料金)不景気、料亭も考えるものである。
これでは、スナックは大変だ。      ヽ(゚Д゚;)ノ!!  
 還暦に神社で御祓いの習慣があることをはじめて知った。わざわざカジュアルの服装で行ったが、男の8割が背広であった。
還暦とは、成人式と同じ感覚なのだろう。 還暦が過ぎると、「生老病死」の問題がシビアに出てくる。
反面60歳代が人生で一番面白いとか? 準備してきたかどうかで決まるだろうが。(O.O;)(oo;)
                      (^_^)/~~
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 2004年11月21日(日)
1328, 「哲学者たちは何を知りたかったの?」−1 
               −読書日記
ー教養は何故必要か?−

ふと本屋で立ち読みをしていたら、ー教養とは自由になるために必要なアーツー という文章にいきあたった。。
早速買ってきて読んだが、なかなか読み応えのする本であった。特に教養に対して、ズバリその本質をついている。
ー「日本で教養というと、大学の教養課程やその延長線上で身につけるものと受けとめられがちだが、本来教養とは、
人間が自由(リベラル)になるために必要な(アーツ)だったのです。ですから、教養としての哲学、教養を持てば、
それがガイドやパイロット、あるいは乗り物となっているので、脳空間の中を自由に飛躍でき、さまざまな世界を
のぞき見ることが可能になる。人間は、神のもとから自由な空間に解放され、そのために多くの不安や悩みを
もつようになりましたが、教養としの哲学を持つことで人間として生きていくことの素晴らしさを味あうことができ、
それがまた、不安や悩みの解消につながり、「幸せ」を招来してくれることも確かです。ーー
 −以上だが、なるほどそのとおりである。生まれでたと同時に、多くの刷り込みが行なわれるが、
教養とは、それを乗りこえる為のパーツの総量ともいえる。教養といえば、字のとおり「教え養われたもの」であるが、
それでは、「それが何のため?」といわれると、言葉に窮してしまう。
一流の職人が「おれ中学しか出てないけど、大学を出ているのと、あまり変わらないと思うんだが?」
という素朴な言葉の中に、多くの問いかけと答えが含まれている。
現象が全てなのだから、それはそれで仕方がない。彼は言葉の中に含まれる意味の世界とは全く無縁であるから、
目の見えない人に視覚が解らないのと同じことである。
しかし、その分他の感覚が研ぎ澄まされるようになったから、一流になれたのだ。
宇宙から見れば人間の存在などチリ以下、いや地球の存在自体チリ以下であることを考えれば、その知識の差、
教養の差など些細なことでしかない。しかし、せっかくこの世に生を受けたからは、この宇宙のこと、地球のこと、
自然のこと、人間のことなど、可能な限り知り体験することは大事なことだ。
人間という拘束された存在を自覚して、少なくとも刷り込みの拘束から自由になることが最も重要である。
私が最も嫌っている、「教養のないオバちゃん」「小狐のような男」とは、現象が全てと信じて疑わない
世間という世界の住人をいう。 束縛されている自分に全く気が付いてない存在である。
人間である限り全ての人に、その要素が殆どを占めている。それを、最小にしていくのが人間の一生の課題といってよい。
読み応えのある本であるが、この随想日記でシリーズで哲学について書いたベースがあったので興味を持って読むことが出来た。
しかし、刺激的な内容でもある。「飛岡健が哲学を書くと、こういう風なのか」という視点を持てるのも、
そのベースがあったためである。教養は、積極的自由を得んがための知識の総量ということか!
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「哲学者たちは何を知りたかったの?」―はたして、彼らは“答え”を見つけられたのかー
                    (河出書房新社)飛岡 健【著】

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2003年11月21日(金)
961, 「いらっしゃませ〜!ぽんぽこぽん〜」

 昼は、毎日のように新潟の郊外に色いろなレストランやファーストフードに通っている。
 昨日はイタリヤン・レストラン、今日はお好み焼屋、その前は讃岐うどん屋、180円ラーメン屋などなど。 
 ダウンタウンの昔ながらの古い商売を、郊外型のレストラン方式にするのが流れのようである。
 その中で一番驚いたのは、讃岐うどんのカフェテラス方式の業態だ。今日、初めて郊外型の「お好み焼屋」に
 入って驚いてしまった。 入ったと同時に『いらっしゃいませ〜!ぽんぽこ、ぽんぽこ、ぽんぽこぽん』である。
 中年が入るには、お客としてはミスマッチの店である。少し気が引けて?、入った瞬間、『いらっしゃいませ!
 ぽんぽこぽん・・・』と、全員が山彦のように繰りかえすのだ。 たったこれだけで、お客の心を掴んでしまうのだ。
 特に子供の心を掴まえてしまうだろう。 こういうバカバカしい?のが大好きである。キャラクターの漫画がタヌキで、
 メニューなどに書いてあった。 鉄板焼きということで『かちかち山のタヌキ』を連想させる為だろう。
 居酒屋で注文をした時、『喜んで!』と言われたとき以来の新鮮さである。
 何回か聞き慣れてしまえば、奇異でなくなってくるのが不思議だ。 お好み焼屋は開店をして、まだ一週間だった。
 長岡の郊外で数店見かけたが、如何してこんな店が郊外に存在をしているか不思議であった。
 しかし考えてみれば家族客にとって気楽に入れる店である。 12時過ぎであったが、私たちを除いて全員ヤングママで、
 満席であった。 昨日もイタメシ屋に入ったが、やはりヤングママで盛況であった。

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587, 方針について

  • 2002年11月21日(木)

ある経営セミナーでなるほどとイヤに納得をした事があった。「経営方針とは何々をするというのではなく、
何々は絶対にしないという事である」非常に解りやすいし、ずばり本質をついている。枠をハッキリ明示して、
エネルギーの分散を避けることだ。何かをする為には何々を守るためには何々はやらないという事を明示しておく事だ。
家訓などはそういえばそうだ。 住友の家訓は「浮利を追わず」がその典型だろう。 父は「無借金経営」であった。
家訓は ・請け判はするな
    ・実力以上のことをするな
    ・質実剛健ー贅沢するな
    ・肩書きを求めるな−ライオンズやノータリンクラブにはいるな!
2代目が家を潰してしまうのは、家訓をふみはずてしまうケースが多い。
家訓に縛られて何もしないのも問題だが。 老舗や名家は代々続いたその家訓が光り輝いている。

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[234] ゼネコンの世界-1

  • 2001年11月21日(水)

 26歳から増築2回も含め八回工事を経験したことになる。その業界の深さ、得体の知れない不気味さを書いてみよう。 
まずは「談合世界」が基本にある。それと業界の情報網がある。国家が認める?犯?システムである。こんな事を書いていいのか?
もちろんよい。 誰も告発は出来ないからだ。 全員が解かっていながら薄ら笑いをしながら、集っているからだ。
イタリヤのマフィアの日本的国家版だからだ。私ら素人?が如何あがいても、どうにもならない世界である。
新潟県のその大本は「大成建設」という話を聞いた事がある。ヤクザの世界にそっくりだ、いやそのものだ。
 普通の素人は、その世界に入ってきた子羊一匹といったところ。その中で自分が出来る最大の抵抗を試みるだけだ。 
考えてみれば、出来上がりの製品を買うわけでないし、設計事務所を100パーセント信用してよいわけがない。
甘ければ甘いだけ商品の価値を下げた建物を造ってくる。 その噂を聞くと、色いろな因縁を作って業者が寄ってくる。
もし親戚とか同級生の業者を入れたとしたら、そこはノーチェックとなる。それがあるから彼らは因縁があるほど有利になる。
もしそれが成立すれば‘いただき!’である。 そんな善意(利害をを目指した因縁)は金を屋上よりばら撒く以下だ。
その連中(騙す奴と騙される奴)がいるから、世の中が成り立っているのだ。
こんな事を書いているだけ、私が純粋か低脳だからだ。暗黙知形式知にかえるバラシを楽しんでいる。
 建物を創るほうから見れば、命を懸けた塊だ!もちろんそれを受けるほうもそうだ。だから談合もあるのだろう。
情報化で、このダニどもが、陽ー情報にあてられのたうちまわり始めてきた。

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ある時間の断片
−11月21日 1968年
11時過ぎ起床。 12時に登校、学食で食事後、「価格理論」に出席をする。
16時から寮の駒村君のところで過ごす。18時に、大妻女子大の宮本さんと、その友人が間中君のところに来る。
 宮本さんに「誰か可愛い人を紹介してよ!」と冗談を言うと、話がこじれてしまった。 
二人を侮辱してしまったようだ。 二人は可愛くないといっているようなものだった。 後味が悪い事になってしまった。 
どうも最近、無神経すぎる。唯我独尊の自分が知らないうちに周囲を傷つけてしまう、困ったものだ。
ー2003年11月20日
何かこういう文章を見ると、今と全く変っていない。
知らないうちに人を傷つけている。 全く、もう!と思う。
この性格はどうも昔から蒲鉾ー板についているーのようだ。