つれづれに

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 そろそろ年内の早朝のポタリングは来週いっぱいで、
終了時期に。 後は、昼の晴間に行くことになるが。






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6096,閑話小題 ~象と象使い
2017年11月21日(火)
        <『しあわせ仮説』ージョナサン・ハイト著>
   * 酔払いモンゴル人の顛末を解剖すると…
 マスコミの餌食になっている、‘酔払いモンゴル人の顛末’、先日、
借りてきた本の「象(感情)と、象使い(理性)の喩え」を思い出した。
外国に出稼ぎにきたモンゴル人、出かけ先の神事を建前にした格闘家が、
同国人の飲み会で、象使いと象そのものが酩酊した結果の暴力沙汰。傍から
すれば、暴力沙汰だが、本人たちには、殴り、叩き合うのが仕事。悪いこと
に、改革を気どった、元・アイドル系横綱の親方が、巡業部長の立場を忘れて、
警察に告訴。国際的暴力沙汰として報じられる始末。さて、落としどころは?
 ~ネット検索による解説より~
≪・ハイトは、人間の欲求や感情の強さと、それをコントロールするはずの意志
 や理性の弱さを、「象(欲求・感情)の背中に乗った象使い(意志・理性)」
と表現する。自分自身の行動について、理性にもある程度はコントロールする力が
あるが、主導権は感情に握られている。「私は手綱を握り、あっちへ引っ張ったり、
こっちへ引っ張ったりして、象に回れ、止まれ、進めなどと命令することが出来る。
象に指令することはできるが、それは象が自分自身の欲望を持たない時だけだ。
象が本当に何かしたいと思ったら、私はもはや彼にかなわない。」
 仏陀プラトンフロイトは、感情を動物(野生の象や馬車)にたとえて、
理性の役割は感情を制御し運転することだとしたが、20世紀以前の人物である
彼らは数多くの家畜動物に囲まれて生きており、自分よりも大きな生物に自分の
意思を伝える苦労を理解していたはずである。象と象使いのメタファーには、
意志の力によって感情を制御することは難しい(ほとんど不可能)という意味と、
感情は意志からは自律しており意志よりも優れた判断をすることが多い、という
意味が含まれている。(p.9-14)
・ハイトは、プラトンよりも、「理性は情緒の奴隷にすぎず、そうあるべきで
あり、情緒に奉仕し、服従する以外の役目を望むことはけっしてできない」と
したヒュームの方が真実に近い、と考えている。(p.31)
・心の処理システムは「制御されたプロセス」(理性)と「自動化されたプロセス」
(感情)とに分けられている。 制御されたプロセスは言語を使用しながら意識の
中心舞台で働き、自動化されたプロセスは無意識的に働く。例えば、飛行機に乗ら
なければ行けない時に、何時に家を出るかを考えたり、空港までの移動手段を選択
することは、制御されたプロセスによって行なわれる。一方で、いざ家から出かけて、
空港まで車を運転していくときに行なわれる、呼吸・まばたき・ギアの操作・車間
距離をとること、他のドライバーへのしかめ面、などはいずれも意識して行なうもの
ではなく、自動化されたプロセスによって行なわれる。大半の心理プロセスは自動的
なものである。制御されたプロセスには、一度に一つのことしか考えられないという
限界があるが、自動的なプロセスは一度に多くのことをこなすことができる。
・自動化されたプロセスの歴史は長く、6億年以上前に動物が最初に脳を持った
ときから続いている。目的を見失わずに長距離を移動する鳥類や、仲間と協力して
戦う社会性を持つアリたちなど、非常に洗練された自動化プロセスが発達していた。
人間の自動化プロセスも歴史に裏打ちされたものであり、優れている。一方、
制御されたプロセスはヒト科が言語を獲得した数万年?数百万年の歴史しか持たず、
まだまだ未完成である。安価なコンピュータでも、論理や数学やチェスなどでは、
人間よりも優れている。一方で、どれほど高価なロボットでも「森を通り抜ける」
という課題では、6歳児にも負ける。 (p.22-31)  ≫

▼ モンゴル人に番付上位を寡占されて10数年経過する。数百、数千年の間、
 肉食をしてきたモンゴル人とは体質が違い、本来、勝てないのが自然の理。
当然、貴乃花親方が、彼らを番付通り優遇する現大相撲体制に不満を持って当然。
この問題は根が深い。日本人の深層に、二度の蒙古襲来がある。何とか台風の
御蔭で制圧されずに済んだが、神風を吹かせた筈の神様の祭りの余興の相撲に、
モンゴル人が参戦し、上位番付を10年以上も制圧されてしまった。
で、体制の批判勢力の頭の貴乃花親方の弟子のモンゴル力士に陰湿で、激しい
暴力沙汰である。 象も、象使いも、暴れ出したのである。象の一番の本質は
『怒り』。そこに、何とか誤魔化し横綱にした稀勢の里も、力不足で早期引退?
弱いのを横綱にするからである。これでは、興業の主催の執行部も大変!  
 でも余興とすれば、「際物」の最高のパフォーマンス!
横綱も、一人の酔っ払いと見れば、夢も希望もないバカな大男。
  <我が内なる判事>は、かく宣う。
 ・今さらだが、大相撲にとって朝青龍が悪過ぎた!
 ・まず、立合い時の「張り手」を禁じ手にすべし。
 ・貴乃花にも、問題あり。引退に値する。
 ・気の毒だが、日馬富士は引退、不起訴で、帰国!
 ・外国人力士の入門制限を更に厳しく。
 ・大相撲協会の特別待遇を廃止すべし… 。
「でも、これはこれで面白いから、いいじゃないですか。何を馬鹿なことを!」
『大相撲』から『OO!SUMOU』と思いたくなるが、「侍文化」そのままの
『大相撲』だからこそ、面白く味わいがある。
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5729,つれづれに哲学 ~上部構造・下部構造
2016年11月21日(月)
  * マルクス唯物史観~【上部構造】【下部構造】
 最近、マルクス唯物史観が見直されている。そこで、ネット検索をすると、
基本概念の【上部構造】【下部構造】について、以下のようにあった。
≪【上部構造、下部構造」とは、マルクス主義史的唯物論の基本的概念。
 政治的・法律的諸制度と、それに照応する社会の政治的・法律的・宗教的・
道徳的・哲学的・芸術的意識形態(イデオロギー)をさす語。 
それは、ある発展段階の社会の経済的構造(土台=下部構造)に規定され、
一定範囲内でそれに反作用を及ぼすとされる。】  他に、
史的唯物論では、社会的・政治的・精神的生活過程として具現する上部構造
と、経済的構造としての土台との間に、前者の後者に対する能動的反作用や両者
弁証法的相互作用も主張されるが、土台の規定的役割、つまり、経済的構造
こそが特定の社会全体のあり方を最終的に決定するという点が強調される。
したがって、生産手段の所有関係といった生産関係に関して階級対立が存続
する限り、政治における支配と被支配をめぐる階級闘争も存続するとされ、
社会変革の根本的課題も土台に即して提起されることになる。また、上部構造
イデオロギー的性格をもち、主観的要素が強いのに対して、土台にかかわる
物質的変革は自然科学的・客観的確定性をもつとも主張される。】≫
――
▼ この社会構造を、個々の意識構造に置換えて考えてみる。
 下部構造の経済構造としての土台、貯蓄と収入が、上部構造の、社会的・
政治的・精神的生活を決める。「恒産あって恒心あり」の「恒産」が下部構造、
「恒心」が上部構造にあたる。情報化社会では、その恒産が、情報によって
得られるチャンスが増している。世界を相手に一発当てさえすれば、地球規模
の対象から利益を得やすくなる。問題は、それを如何に見つけるか。人生を
振返ると、節目にチャンスの芽を見つけてきた。土壇場になると、火事場の
馬鹿力が脳に働き、チャンスの芽に気づく。「恒産失い、恒心生ず」になる。
ドラッガーのいう「機会の開発」を魂で取組まざるを得なくなるからだ。
 人間としての「下部構造」の肥大も何だが、上部構造の肥大も何である!
この両者共ども卑小なのが、娑婆の「世間様」 肥大、いや肥満が「トランプ」

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3527, 円高より深刻な国力低下
2010年11月21日(日)

 18日の産経新聞・一面の「日本の未来を考える」で、
東大の伊藤元重教授の「円高より深刻な国力低下」の論説がよい。 
  ーこの内容を大ざっぱにまとめるとー
≪ 現在の円高は1995年に比べると、アメリカの物価などを考慮すると、まだ30~40パーの円高に過ぎない。
しかし、産業界の実情を聞くと、どうも、その時のレートより今の方がきつそうだ。 それを考えると、
15年間で日本の経済力が落ちてしまったのではないか。言い換えると、周辺国の競争力が上ったのである。
これは、円高を嘆くより、経済力、国力の低下を嘆かなければならない。≫  と言うのだ。
 この20年間、海外に出て、日本に帰ってきて新聞と週刊誌を飛行場で買って読むが、年々、紙面から出て
くるエネルギーが目だって落ちている実感がしていた。 最近は、それも慣れてしまい、それすら感じない。
 様子が変わったのがバブルの崩壊からである。一度、1995年に持ち直したに見えたが、数年もしないうち、
再び下がり基調になってしまった。金融再編成で都市銀行が、三つになったり、証券会社が淘汰された時期。
そこに、2001年のリーマンショックである。そこで、まず地方の弱体化が本格化した。その間に、関東・東海
地区は、金融と輸出で大きく潤ったが、地方は弱肉強食の弱肉になってしまった。そして、2008年のリーマン
ショックで、関東と東海に原爆ニ発が落とされた位の大打撃を被った。しかし、同時にとって、地方の更なる
衰弱になっていった。悪いことに自民党の自滅で、民主党が政権を取ってしまい、更に国力が削ぎ落とされて
しまった。これで、まだ大底についてないのが実情で、この数年で大底が待っている。二番底の可能性がある。
それを前提に現在を、この20年、30年を振り返ると、アメリカによる日本の愚民化政策が見えてくる。
それが現状と、数年先に予測されるだろう惨状である。大学生の半分近くの就職先が見つからない事態を、
10年、20年前に誰が予測しただろう。この地方経済の惨状もである。高度経済成長の時代の陽気さと、
現在の暗い世相の段差が分かればこそ、国力の低下を嘆くのであって、それを知らない若い人たちは、こんな
ものと思っているのか。まだ円高だからよいが、円安になったら、国力の衰退など言っていられなくなる。

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3152, ラ行の受身形
 2009年11月21日(土)
「年齢(よわい)は財産」~日本ペンクラブ編 
の随想集の中にあった土居伸光氏の【言葉遊び】ーラ行の受身形ー がよい。
 ーその概要を短く纏めてみるとー
10数年前に末期癌で亡くなった奥さんの、死に至る過程を見つめ、彼女が否定的で
受け入れたくない出来事に対して使われる言葉が、感謝へと転換していく姿を愛情を込めて書いている。
 ラ行の受身形とは・・・
・叱られた   ・文句を言われた  ・虐められた  
・騙された   ・裏切られた    ・嫌われた    これらは私達が日常でよく使う受身形。 
 どちらかというと、否定的で受け入れたくない出来事に使われることが多い。そこで、
「叱られた→叱っていただいた」「嫌われた→嫌っていただいた」など、ラ行の受身形を転換をすればよい。
その結果として、感謝の心を増幅させるだけでなく、人を大らかにし、強くさせる力になる。
奥さんは、絶えることなく襲ってくる激痛に逃げ出すことはしなかった。 直観力が強くなったのだろう、
激痛を事前に察知して、仏壇の前に正座をし、ローソクと線香を灯し祈りながらそれがやってくるのを待った。
その後姿に、著者は揺るぎない彼女の覚悟が読み取れた。そして、ある日、「問題は、すべて私の中にある。
ガンを早期に発見できなかったのは病院ではない。ガンそのものが、問題ではない。ガンは自らがつくり
出したもの。ガンは自分自身。誰も悪くない」と耳の疑うような言葉が彼女の口から飛び出した。 
その言葉を境に、奥さんは大きく変わっていった。・・・ 激痛を乗り越える過程で受身だった彼女は
感謝の心に変わっていったのだ。 そして余命半年といわれていた奥さんは結局三年生きた。 
 我われは老いの進行と共に、頭や身体は思い通りには動いてくれなくなる。第三者から「ラ行の受身形」
の言葉=《叱責、文句、虐め、騙し、裏切り、嫌悪》が、未来の自分に投げかけられる可能性がある。 
その都度、心が大きく揺れるようでは、人生の平安はほど遠くなる。ラ行の受身形を転換し続けることで、
すこし謙虚になったように思うという。文句を言われるのは、文句を言われるようなことがあったからと
気づく。そう考えると、自分の至らなさが見えてきたりする。そうすると、文句を言った人に、怒りでは
なく感謝の気持ちがわいてきて、嫌な人物がそうでなくなってくる。 
今の私には嫌な人物は一人もいないという。 単なる言葉遊びと思われるかもしれないが、
やってみる価値は十分ある遊びである。この遊びの素晴らしいところは、使っても目減りをしない。
使えば使うほど心は確実に成長し、その結果は微笑みという形をとって顔に現われてくると、無邪気に
信じてくるようになる。
 ー
 味わ深い内容である。この続きも良いので次回に書く。これは先日書いた「要は、受止めかた次第」
の具体例と考えるとよい。その意味で、この文章に偶然出会ったのが不思議である。書いていて思い出した
のが「もとは、こちら、そのままけっこう」である。  実際に現在抱えている幾つかの問題に対して言葉
遊びをしてみたら、直ぐに「そんな問題じゃないだろう」と、心(言葉)が噴出してきた。 しかし、
「遊び、遊び!」と自分に言い聞かせ、何度か言葉遊びを繰り返すと、あれだけ腹立っていたことが
収まってくるから不思議である。色いろな悟り方があるもの。
・・・・・・・・・
2787, 不況景色
 2008年11月21日(金)
新潟市内の【新潟タクシー】が倒産した。 先日倒産した【新潟相互タクシー】に続いてである。
タクシーの所有が70台、従業員が130人というから、新潟相互タクシーと、ほぼ同じである。
ピーク時の売り上げの半分まで落ちていたというから、仕方がない。タクシーも、ビジネスホテルも似た
ような客商売である。 だから、さもありなんと納得する。 次は何処のタクシー会社?という段階だろう。
二社潰れても,タクシーの台数の一割強でしかない。彼方此方から不況の現場の話しが聞こえてくる。
資産の劣化も始っている。昨夜のNHKの「クローズアップ現代」で、中古マンションの荒廃の実態を
レポートしていた。バブル期のマンションなどが荒廃をして、投売りで暴落、廃墟になっているマンション
も出ている。5~6年前で2百数十万室もあり、その後も激増しているという。 不動産業者は10年を目安に
造り、売却する。その典型が現在、問題になっているアパとかいう、業者である。 買うほうも深く
考えないで目先のファッション服を買う感覚で購入する。 10年経った後に、大きな問題になってくる。 
物件は暴落し、荒廃が進む、という図式になる。
 ~~
アメリカのシティと、スイスのUSBの株価が暴落している。
USBは、二年前のフォーブスのランキングの数万社の世界の超優良会社で、ベスト9の会社である。
それが、風前の灯といから、すざましい。 ゴールドマンなど、1~2ヶ月で、半額以下である。
     シティ    $ 6.45(-22.85%)
     UBS    $ 9.28(-14.75%)
     ゴールドマン $55.18(-11.04%)
AIGも時間の問題といわれているし、ビックスリーの自動車会社も、実質破綻に近いという。
自動車関連の従業員が、アメリカの就業者の1割を占めるというから、これまた破綻は国家存亡の問題。 
生かしておいても、資金の垂れ流しになるし、潰せば世界恐慌の速度を速めることになる。
この金融恐慌、他人事ではないから深刻である。 株価が、ある日総崩れになる可能性を孕んでいる。
恐慌は勝ち組も負け組みもない。全てが、死線の上を漂うことになる。社会的には、失業者が急増、凄惨な
事件が続く。それが地域紛争につながり、そして世界戦争に拡大していく。これに鳥インフルエンザ
重なると、60年前の姿と酷似する。ただ、日常は淡々と流れていくが、気がついたときには生活実態は
三分の一のレベルまで、下がっているということ。
  まずは、今年の暮から来年の三月までが、第一の倒産ラッシュが吹きすさむ。
トヨタのトップが「市場が消滅してしまうのではないかという恐怖心にかられる」といっていたが、
これから起こることは、想像を遥かに超えたものになる。経済学者が言っていた、「16世紀以来の
中産階級の崩壊のプロセス」に入ったのか。 そうすると、100年に一度の大事件ではなく、1000年に
一度の歴史的惨事が待っていることになる。

・・・・・・・・
2007年11月21日(水)  
 2422, サブプライム問題 -2                      (*´・ω・)ノはよー
 前回の記事の続きを読むと、この問題は裾野が広いのが解る。日本でもビルなどの不動産の証券化した債権が
一般の投資家に対して売り込まれている。これはアメリカだけの問題ではないのである。その意味で今年の暮れ
から来年にかけては日本でも問題が発生しかねない。更に駅周辺に怪しげなマンションが、奇麗な歌い文句で
売られている。これも不動産債権と大同小異のもの、直接、跳ね返るのが買った本人になる。それさえ気が
つかないから深刻である。   
 ー前回のつづきの記事も解りやすいー
  --
株価の値下がりは一般的にはサブプライム問題と言われているが、症状の一つに過ぎない。根本問題は、
アメリカ経済が既に一年前から不況期に入っていることにある。そのことは工業品出荷の推移からもハッキリ
と現れている。昨年6月をピークとして急速に落ち込み、昨年10月には前年比マイナスの水準になってしまった。
アメリカが不況になったからこそ、住宅価格が下落に転じ、その結果差プライムが火を噴いたのである。 
サプライム問題を考える時、日本人は日本の住宅ローンを考えるが、これはアメリカとは違うのである。 
日本では、ローンで買った住宅が大きく値下がりした時に家を売却をしても借金が残る場合がある。
この時に、借りた人間は律儀に残債を返すのが当然と思うことは当然と考える。しかし、アメリカはそうでは
なく、家を引渡せば、それで済むのである。更に問題を大きくしたのは、「不動産の証券化という先進技術の
落とし穴」である。その証券化された債権の格付けが、大きな問題になってきたのである。つまり本物の
AAA格債券というのは「お宝債券」なのである。そこでサブプライム担保で組成したAAA格債券の登場である。
「高格付けの債券を買いたいけど、値段が高いのは困る」などとムチャな要求をする投資家に対して、
盛大に売り込まれていったのだ。さて、サブプライムローンを一山集めて、その中から絶対焦げつかない
部分を取り除いたら、あとには、焦げつく可能性の高い部分が山のように残される。
そこでこれらの部分を宝くじ感覚の投資商品に編成して割引値段で売りに出す。もしもローンの焦げつきが予想
以下で済めば投機家は大儲けできるだろう。まさに一撰干金。 夢見る投機家が喜んで飛びついたというわけだ。
信用度に問題がある客を相手にして住宅ローンを貸す商売が成り立つのは、ローンを全部まとめて投資家に売り
払い、すばやく現金化できるようになった為である。証券化という先進技術の恩恵だと誰もが考えたことだろう。
だがここには、あきらかに重大な落とし穴がある。 ローンの証券化を行うためには、大前提として事前に
サブプライムローンが焦げつく可能性が見積もられていなければならない。
 (字数制限のためカット 10年11月21日)
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2006年11月21日(火)
2058, あたりまえなことばかり -12
     (。^0^。)ノ オッ(*^○^*)ノ ハ~ ヨウ
死は他者の死しか知ることができない。 そして他者のごく身近な人の悲しみの表情をみて、
死=悲しい、という構図を長年人間は描いてきた。象も死んだ子供や仲間の死を悲しむというが、それも、
その象の表情を見て、勝手に思っているだけである。虚無になる恐怖感と言えども、「無になる」とは
他者の死体を見たイメージでしかない。人生ー生死が何ものか解らないのに意味など果してあるのだろうか?
という、疑問が成り立つ。せいぜい、年寄りの老化現象でしかないのか。
といって、意味の意味が、「価値」とするなら、「人生の価値は無い!」と切り捨てることも出来まい。
  ------------
 *死ぬことは不幸のことなのか -?
  ------ーーーーーー
(字数の関係でカット 2008年11月21日)
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2005年11月21日(月)
 1693, 中学校還暦同期会
あと二ヶ月で還暦になる。 中学校の還暦同期会は、考えようによっては面白い。卒業してから45年
という歳月と、義務教育の分別?される前の、危ない場の中学の還暦はそれぞれ思いは深い。同期会と
いうこともあって、45年ぶりの再開の人が多い。それも、もう恐らく二度と会うことはない人だ。        
一昨日が、その中学校の還暦同期会があった。来るべき時が来た!というのが、実感!。
そして興奮と感激の連続であった。koufun (+`ω´+)∩・・驚いたのが、学年の三分の一の108人が
集まったことだ。(私のいたクラスは一番まとまりのあるクラスだが、五分の一だった。)
長岡の一流?の料亭の鴨川別館で、会費が写真込みで一万円。幹事は大変だったはずだ。  
二次会はフロアーを変えた別会場で設定してあった。ほぼ8割が出席していた。(別料金)不景気、料亭も
考えるものである。これでは、スナックは大変だ。      ヽ(゚Д゚;)ノ!!  
 還暦に神社で御祓いの習慣があることをはじめて知った。わざわざカジュアルの服装で行ったが、
男の8割が背広であった。還暦とは、成人式と同じ感覚なのだろう。 還暦が過ぎると、「生老病死」の
問題がシビアに出てくる。反面60歳代が人生で一番面白いとか? 
準備してきたかどうかで決まるだろうが。

 ・・・・・・・・    
 2004年11月21日(日)
1328, 「哲学者たちは何を知りたかったの?」-1      -読書日記
 ー教養は何故必要か?-
ふと本屋で立ち読みをしていたら、ー教養とは自由になるために必要なアーツーという文章にいきあたった。
早速買ってきて読んだが、なかなか読み応え本であった。特に教養に対して、ズバリその本質をついている。
ー「日本で教養というと、大学の教養課程やその延長線上で身につけるものと受けとめられがちだが、本来
教養とは、人間が自由(リベラル)になるために必要な(アーツ)だったのです。ですから、教養としての
哲学、教養を持てば、それがガイドやパイロット、あるいは乗り物となっているので、脳空間の中を自由に
飛躍でき、さまざまな世界をのぞき見ることが可能になる。人間は、神のもとから自由な空間に解放され、
そのために多くの不安や悩みをもつようになりましたが、教養としの哲学を持つことで人間として生きて
いくことの素晴らしさを味あうことができ、それがまた、不安や悩みの解消につながり、「幸せ」を招来
してくれることも確かです。ーー
 -以上だが、なるほどそのとおりである。生まれでたと同時に、多くの刷り込みが行なわれるが、
教養とは、それを乗りこえる為のパーツの総量ともいえる。教養といえば、字のとおり「教え養われたもの」
であるが、それでは、「それが何のため?」といわれると、言葉に窮してしまう。 一流の職人が「おれ中学
しか出てないけど、大学を出ているのと、あまり変わらないと思うんだが?」という素朴な言葉の中に、
多くの問いかけと答えが含まれている。現象が全てなのだから、それはそれで仕方がない。彼は言葉の中に
含まれる意味の世界とは全く無縁であるから、目の見えない人に視覚が解らないのと同じことである。
しかし、その分他の感覚が研ぎ澄まされるようになったから、一流になれたのだ。宇宙から見れば人間の存在
などチリ以下、いや地球の存在自体チリ以下であることを考えれば、その知識の差、
教養の差など些細なことでしかない。しかし、せっかくこの世に生を受けたからは、この宇宙のこと、地球のこと、
自然のこと、人間のことなど、可能な限り知り体験することは大事なことだ。人間という拘束された存在を
自覚して、少なくとも刷り込みの拘束から自由になることが最も重要である。
(字数制限のためカット 10年11月21日)
------
2003年11月21日(金)
961, 「いらっしゃませ~!ぽんぽこぽん~」
 (字数制限のためカット 09年11月21日)
・・・・・・・・
587, 方針について
- 2002年11月21日(木)
ある経営セミナーでなるほどとイヤに納得をした事があった。「経営方針とは何々をするというのではなく、
何々は絶対にしないという事である」非常に解りやすいし、ずばり本質をついている。枠をハッキリ明示して、
エネルギーの分散を避けることだ。何かをする為には何々を守るためには何々はやらないという事を明示して
おく事だ。家訓などはそういえばそうだ。 住友の家訓は「浮利を追わず」がその典型だろう。
父は「無借金経営」であった。
家訓は ・請け判はするな       ・実力以上のことをするな
    ・質実剛健ー贅沢するな    ・肩書きを求めるな-ライオンズやロータリンクラブにはいるな!
2代目が家を潰してしまうのは、家訓をふみはずてしまうケースが多い。
家訓に縛られて何もしないのも問題だが。 老舗や名家は代々続いたその家訓が光り輝いている。
 ・・・・・・・・・
[234] ゼネコンの世界-1
- 2001年11月21日(水)
 26歳から増築2回も含め八回工事を経験したことになる。その業界の深さ、得体の知れない
不気味さを書いてみよう。 
 (字数制限のためカット 09年11月21日)
・・・・・・・
ある時間の断片
-11月21日 1968年
11時過ぎ起床。 12時に登校、学食で食事後、「価格理論」に出席をする。16時から寮の駒村君のところで
過ごす。18時に、大妻女子大の宮本さんと、その友人が間中君のところに来る。 宮本さんに「誰か可愛い人
を紹介してよ!」と冗談を言うと、話がこじれてしまった。 二人を侮辱してしまったようだ。 
二人は可愛くないといっているようなものだった。 後味が悪い事になってしまった。 
どうも最近、無神経すぎる。唯我独尊の自分が知らないうちに周囲を傷つけてしまう、困ったものだ。
ー2003年11月20日
何かこういう文章を見ると、今と全く変っていない。知らないうちに人を傷つけている。 
全く、もう!と思う。この性格はどうも昔から蒲鉾ー板についているーのようだ。