* 今年の長岡花火
  今年の長岡花火、初日(8月2日)は天気予報が雨。 空を見あげると雨が降りそうな雲模様。
 それなら降り出したら帰ってくればよいと、行くことにした。 夏の雨は濡れてもしれたものと家内と出かけた。
 ところが信濃川の土手に着く少し前からポツリポツリ、それでも花火の誘惑には勝てず最後まで見てきた。
 ところが最後の『フェニックス』が始る直前には花火の音と間違う音(雷)と共に雨が降ってきて、
 せっかくの花火も興ざめになってしまった。 それでも『天地人』をモチーフにした花火が印象に残った。
 二日目の昨日は、前日とうって変わった晴れ。その中での花火は、どれもこれも良かった。
 特に最後のフェニックスが感動的であった。河原の人混みの中で歓声と共に一体化して見るのも風情があるもの。
    〜〜〜
  * 失業率、実態は8・8%(助成金にひそむ隠れ失業238万人)
 以前にも取り上げたことだが、先日の産経新聞に「6月の完全失業率が5・4%と発表されたが、
助成金申請が238万人に達しているので、それを加えると単純計算で8・8%になる」という記事が載っていた。 
欧州が9・4%、アメリカが9・5%というから、この数字が実態といってよい。過去最悪時は、5・5%だから、
僅か一年足らずで1・5倍の失業率になってしまったということだ。 日米欧の失業者が3300万人となり、
昨年の3月から15月で1200万人も増えてしまった。 私たちの年齢が還暦を過ぎたので、深刻な話は聞かないが、
5〜10歳下あたりの年代では深刻な話が多い。 事業が景気に敏感な商売なので、その深刻さが直に伝わってくる。 
    〜〜〜
  * 「フランクリンの罫線表」
 話が込み入ってくると、(アメリカ元大統領)フランクリンは白い紙を出して、真ん中に線を一本引く。
右にプラスを左にマイナスの印を付ける。そして、相手の言い分を聞きながら、
「その点につていは、あなたの得で、それはコレコレ」とプラスの方へ書き込み、
そしてまた「この点につていは、あなたの方が損でそれはコレコレ」とマイナスの方へ書き込む。
こじれた話が、それで一目瞭然、利害得失が、表の上にはっきり出されてくるので、みんな重宝した。
これが「フランクリンの罫線表」と云われる表である。

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2678, 長岡の花火 −2
2008年08月04日(月)

 −三大花火大会とはー
花火大会といえば秋田の大曲と、隅田川と、長岡の花火と、思っていた。
そこで三大花火で調べると、色々地域によって違うようだ。大阪の花火も、豊田市の花火も、素晴らしいようだ。
花火は、それぞれの川辺の情緒を背景に見るから良いので、本来比べるものではない。
川辺で各家庭が、空を見上げて団欒するのも花火見学と桜見物ぐらいである。
長岡の花火は、フェニックスの花火が中越地震の翌年の2005年から加わり、段違いによくなった。正三尺玉が、
ワイドスタマインと比べてミスボラシクなって、フェニックスが無ければベスト10からも除外されても仕方がなかった。
最近は同色の花火を同じ場所に重ねて打ち上げるので、三尺玉の数倍の大きさになる。
二年に一度のわりで、初日だけ行っていたが、フェニックスが加わってからは、二日とも行くようになった。
この数年、大曲の花火を部屋の電気を消してTVでみている。これがハイビジョンで、現場にいるようで臨場感がある。
ところで昨夜も二日目の花火見物に行ってきた。初日が良かったので、止めておこうか迷ったが・・・・
それでも〔 天地人花火 「愛と雪」〕という花火が、来年のNHKドラマに因んで特別に打ち上げられるというので、
もしかしたらと行くことにした。やはり期待通り、豪華であった。しかし人でも花火も初日に比べ劣っていた。
仕方が無いだろうが。桜と花火とスキーと海水浴と紅葉と足元をみれば屋外で四季折々に楽しめることが幾らでもある。
 少しパソコンとTVから離れることも必要である。でもWowowやレンタルDVDで映画を観るのも面白い!
後記)二年前の同日も、同じテーマで書いていた。完全に忘れているから、改めて読むのも奇妙な気持。

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007年08月04日(土)
2314, 今日が今までの人生で一番幸せな日
                     (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
「今日が今まで一番幸せな日」と思って生きることが出来たら、これほど素晴らしいことはないだろう。
ある人がインタビューで話していた言葉である。 この意味を考えれば考えるほど深い。
「一日、一生」「今、ここ」「一期一会」にも通じていく言葉である。
これを自分の「人生の言葉」にして、常に意識をしていたら、「ありがとうございました」
という言葉に匹敵する。幸せの選択基準がハッキリと見えてくるからだ。
一日を疎かにできないし、何が大事で何が大事でないか見えてくるはず。
「今日一日は、人生で一番大事な日であるし、幸せな日である」ことは、紛れもない事実である。 
気がつかないのは日常に慣れてしまった自分。その視線で周囲を見れば素晴らしいことが多くあることに気づくはず。 
心の底から今日が一番素晴らしい思えるようになれば、過去の一番幸せだった日々を常に意識し、
その気持ちが蘇ることになる。 その気持ちは、周囲の幸せを引き寄せる磁石になってくる。
そうは言っていても、それは暗示でしかないじゃないか? と思うようならば、
「今日が人生で一番幸せな日に‘なりますように!’」という‘願い’にすればよい。
願えば叶うからである。 もし本心に、そう思えるようになってしまえば、後は簡単。
「昨日と同じか、それより少し今日が幸せ!」と思えればよい。
「もしも身内や親しい人が亡くなって『今日が人生で一番不幸の日』の場合は? そうは思えないだろう? 
如何なものか?」そういう時は、そういうことを考えないの!ただ、最悪の日を最悪に過ごせばよいだけ。
今日が人生で一番幸せ!と思える日がきっと来る!と、思えたら思えばよい。
『幸せ』の言葉の替わりに『素晴らしい』でも、『最高』でもよい。
日々の中の何気ないことの中にこそ、多くの幸せのタネが含まれているということだ。
そして、それが開花しているのが「いま・ここ」であり、「今日」である。
       というところで、幸せに! ☆^(*・ω・)ノ~~~βyё βyё♪

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2006年08月04日(金)
1949, 長岡の花火         
*第一日目(8月2日)  おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・

以前は、取引先の小さなビルの屋上で見ていたが・・・最近は、信濃川の土手まで行って見るのは三年に一度位。
自宅近くの土手から、遠方の花火も風情があると決め込んでいた。
去年の震災復興記念花火で超大型花火・フェニックスが打ち上げられたが、居酒屋でオヤジ相手に飲んでいた。
こういうイベントに乗るのが嫌いで、わざわざ人ごみの中にいくのが
面倒でもあった。しかし兄嫁と共に行った家内の話によると「フェニックスが凄くよかった!」という。
ということで45分かけて、信濃川の土手まで歩いていった。 さすがに土手で見ると、迫力がある。
しかし一時間もしないうちに眠くなり帰ろうとすると、家内が「最後のフェニックスは見るべき」という。 
そこで、あと30分我慢することにした。          (-_ゞ (~O~)ふぁ (~O~)
そして打ち上げ、 過去に見た花火の中で断トツのNO・1である。
10個のスタマインが同時に横1・6?にわたり超ワイドスクリーンのように打ちあげられた。
フィナーレは薄オレンジ色に統一されているため、幅1・6?わたる花火が一つの花火のように感じられる大パノラマ。
息を飲んで見入ってしまった。なるほど去年、多くの人が涙をしたというのも解るような気がする。
そういうわけで今日もまた、見に行くことにした。 ところで、昔から長岡花火で地方的な面白いことがある。
花火のパンフレットが新聞の折込に挟まってくる。花火の提供者の企業名簿が、長岡のその時のステータスになる。
あのスーパーがスタマインを例年提供していたのに、今年は出てないのは、他のスーパーに・・とか、 
あの小さな企業が出せるようになった・・とか、それが、花火会場のお喋りのネタになる。まあ、地方的な風情だが。
 ー花火の華?といえば、
・ミラクル・スタマインー幾重にも重なる華やかなXの線を描く
・ワイド・スタマインー5色の色で彩られる華やかなスタマインで、5台の打ち上げ台から同時に打ち上げられる。
・正三尺玉    ー長岡の名物花火、しかし最近では近郊の片貝が4尺玉を売りにしているので、少し影が薄れた。
・ナイアガラの滝  −ナイアガラの滝を思わせるような花火、長生橋から流れ落ちるように花火が舞い降りる
・フェニックス   −横に広く10個のスタマインが同時に打ち上げられる豪華な花火。
          ワイドスタマインの大きいもの・・ 等々である。
 ーーー  
*第二日目(8月3日)
                 \(~o~) n(0 ̄)        
初日のフェニックスが良かったので、また行くことにした。
二日続けていくのは、10年いや20年に一度である。前日より少し遅めに出かけ、20時15分に土手に着いた。
土手には多くの人が行き来している。少しでも立ち止まるとガードマンが執拗に注意する。
前日もそうだが、土手の席の通路ぎりぎりの端のところにシャガム。
ガードマンが注意しそうに近くに来るが、何くわない顔をしていると、前日のようにブツブツ行って通り過ぎる。
ところが、前の席の人が「どうぞ!」と、席の一部を譲ってくれた。こういう時は有難く好意に甘んじることにする。
家内が「何時から席取りをしているのですか?」と聞くと、「午前の9時から」という。
二日にかけて、苦労して席をとったギリギリの境に新聞を敷いて、ガードマンの嫌な視線の中で花火見物・・・ 
他人の軒先を借りてズルをしていたことになる。初日が、久々に土手で見たことも加味しても、二日目はかなりダウン。
辛うじてフェニックスが前日と同様良かった! 他は??、二日続けて大当たりは期待するほうが無理!ということ。                  
60歳代のテーマは「ミーちゃん、ハーちゃん、になること」元々そのレベルだから、ミーハーに徹するということか!
今まで、イベントには、あまり興味を示さなかったが、何でも観てやろう、聴いてやろう、してやろう、
読んでやろう、の心がけである。自分の今までの垣根を一度、鳥瞰した上で、大きなイベントには参加したりして、
垣根を取り払うのも面白そうだ・・・ やはり自分に向いてない!と思わないようにして・・
                    ヽ(●´ω`●)ノ。バイ!
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2005年08月04日(木)
1584, 2005年分路線価が公表

先日、2005年分路線価が公表された。 その要約は
・東京都が13年ぶりに上昇。 山手線外側にも値上がりが波及しだした。
・反面、全国平均は−3.4?で、13年連続下げ。
都内では2割近く上昇する地点がある一方、上野や新宿の歌舞伎町など下落点ものこった。
利用価値で二極化が広がった。値上がりの背景には不動産ファンド浸透も背景にあるという。
東京以外にも横浜、京都、大阪の最も高い路線化が上昇に転じた。
反対に地方の衰退が更に進んでいる。甲府では25?も下落、ピーク時の12?まで落ちた。
新潟市の最高路線価は14?の下落で、まだまだ落ち続けている。
東京の値上がりも、一部大型マンション建設のあおりを受けている一時的現象でしかない。
地方の下落は、地方にあった機能が東京に集中した結果のもので、値下がりはまだまだ続きそうである。
この最高路線価は、その地域の実質的価値をあらわしている。シビアな算定である。
数年後に、東京の勝ち組といわれている土地の暴落も確実と言われている。
不動産の価格は「世につれ人につれ!」である。 面白いものだ!以下は、ある新聞社のHPの記事のコピーです。
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路線価、下げ幅93年以降最少の3.4%・東京は13年ぶり上昇。 国税庁は1日、2005年分の相続税
贈与税の算定基準となる路線価(1月1日現在)を全国の国税局、税務署で公表した。
全国約41万地点の標準宅地の平均路線価は、1平方メートル当たり11万2000円で、13年連続の下落。
しかし下げ幅は3.4%にとどまり、下げに転じた1993年以降最小なうえ、東京都では13年ぶりに0.4%の上昇に転じた。
バブル崩壊以降の地価下落傾向から、都市部を中心に脱却しつつあることが鮮明になった。
 圏域別で04年分からの下落幅の縮小ぶりをみると、愛知万博などで活気づく名古屋圏が3.9ポイントで最大、
大阪圏で3.2ポイント、東京圏1.9ポイント、地方圏も4年ぶりに1.1ポイントの縮小となった。

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2004年08月04日(水)
1219, 「君のためにできること」−2 

20年来、年に10回は酒を飲んていた友人が末期癌になり、終末医療の病院のビハーラに入院している。
本人が言うには、「24時間が拷問である」見舞いに行くたびに衰弱をしていくのが、わか解るから辛い。
丁度その時に、この文章を読んだこともあって身に沁みる内容であった。
お盆は20年近くも、古町を飲むのが恒例になっていた。
そして、今年もその時期が目前になっているが、もう無理である。何か寂しいお盆になる。
ー以下は、作家・大崎善生の奥さんの高橋和の「第24回 言葉にできない」のエッセーであるー
 (サロンのコーナーに、HPが貼り付けてある) 
  ーーー
あれはもう15年以上も前の話になるのだろうか。将棋道場へ行った日だから土曜日のことだ。
夕飯の匂いが辺りに漂い始めたころ、友人から電話がかかってきた。
 「ワガセンが死んじゃった……」 ワガセンは小学校時代にお世話になった先生だった。
私を見つけると「おーい、やまとー」と言いながら髪の毛がくしゃくしゃに
なるまで撫で、最後にニッと笑って去っていく。
風貌はライオン丸、でもその目は穏やかで優しく、大好きな先生だった。
(以下、字数の関係でカット2008年8月4日)
 ー感想
「死は直視できない太陽のようだ」というが、この子の肉体的苦痛は、
想像を絶したものであることを見つめてやらなくてはならない。(字数の関係でカットしています)

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2003年08月04日(月)
852, 孤独について −3

『人は人、我は我、されど仲良く』と武者小路実篤がいっていたが、
それこそそれぞれの 「独」を認め、かつ自分の「独」を大事にする言葉である。
『和して同ぜず』も母校の長岡高校の校是であるが、意味がほぼ同じだ。孤独を特に感じるのは、一人旅であろう。
若い人のバックパッカーの聖書になっている沢木耕太郎の『深夜特急』という小説に、
「独り言をブツブツ言いながら一人、旅をしていた」と書いてあった。
サルトルのいう「即自」と「対自」の会話である。青年期によく国内だが一人旅をした。
一人旅に出なくては精神のバランスが崩れてしまいそうであった。
帰ってくると何か大きなものによって満たされる感じがよかった。旅行の最中は寂しいということは全く無かった。
誰かと対話をしていたのだろう。旅は孤独のプラスの異次元の世界に浸れる。
いま振りかってみて、「旅日記を克明につけておけばよかったのに」と悔やまれる。
「孤独」というキーワードで検索をしていたら、脳性麻痺の青年のホームページが出てきた。
「孤独などと軽がるしく使うな!」とどやされたようだった。口がきけない人や、盲目の人の孤独感は
想像すら出来ない。私の強みは「孤独に強い」と思っていたが、とんでもないことと思い知った。
「孤独は人を殺さないが、絶望は人を殺す」という言葉をアンドレ・マルローがいっているが、
孤独の中の絶望に潰されてしまうのが問題なのだ。 その時こそ愛読書が一番自分を癒してくれる。
大いなる孤独ー作家の心ーとの出会いが本を通じて可能になる。孤独であればあるほどその邂逅が大きくなる。
 いま一つの孤独で考えさせられるのが老人の孤独であろう。
結婚後、母と同居をしている時にトラブルが何回かあったときに、母が「独り暮らしの孤独の知人がいっぱいいる。
彼等はどんなにトラブルがあっても、子供から離れてはならないとシミジミ言っている。我慢をしなくては」
とポツリと言った事があった。知人に数人家庭内離婚者がいる。 ほとんどが浮気がきっかけだ。
それでも離婚をして一人暮らしよりましの為だろうか。
一番嫌いなのは、孤独と孤立の違いも解らない輩だ。群れたがる内なる羊である。

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 2002年08月04日(日)
477, 人口問題と今後の日本

先日平均寿命が発表された。女85歳、男78歳。女性の半分以上が88歳の米寿を祝う事ができるという。
童謡で「今年60の爺さんの・・・」と歌っていたが、いまや爺さんは80歳か90歳である。
100年前の日本の人口は4400万人で、現在までに約3倍になった。
これから100年後は丁度半分の6000万前後になるという。100年で3倍になり、これから100年で半分になる。
人口のピークは2006年で、翌年から60万人が毎年減っていくという。
100年前65歳以上が5?であったのが、後10年後には28?になり、50年後は37?を超えるという。
考えたら背筋が寒くなる。 周辺は年寄りだらけになる。よくぞ100年で人口が3倍になったものだ、
それも第二次大戦をのりこえて。更に国民一人当たりの所得が世界のトップクラスになったのだから。
この100年のシステムは奇跡的な効率であった。そのシステムがもう終わってしまったことは、誰の目にも明らか。
中世でヨーロッパの人口が飛躍的に伸びたのは、南米から芋などの穀物の種が流入したことと、アフリカから
椰子の実から取れた石鹸の流入という。高地で旱魃に強い芋などが飢饉を避ける事が出来るようなった。
石鹸は疫病を激減させた。日本のそれは工業化と儒教天皇制度が有効に働いた為である。
今後思い切ったシステムを作らなくては衰退の一途になるだろう。それよりシステムの均衡縮小をバランスをと
りながら目指すのが筋である。今の若い人たちはこれから大変である。少し硬い話になったが。
デフレはますます進むし、中国の世界への仲間入りで間接的に生活の圧迫が厳しくなる。
これでもまだ90?手つかずで背後に控えているという。中国の人件費のアップは今後無いという。
中国の人件費は日本の100分の1、その中間あたりが落としどころとして、
今の10分の1に無限に近づいていくのが自然である。子供は一人っ子になっていきざるをえない。
  国内需要の右上がりは夢の夢だ。

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2001年08月04日(土)
[98] 現地日本人ガイド

 旅行シリーズもそろそろ終わりに近づいてきた。
考えると話題はいくらでもある。現地日本人ガイドのことである。彼らによって印象が全く違ってくる。
添乗員から聞いた話だが、彼らが言い出さない限りあまり聞かないほうがいいらしい。
彼らは考えてみれば、色々な事情でそこでガイドをやっていて当然である。
でもそれなりに見えてくる。ここで数回に分けて事情を書いてみよう。
イスラエルのガイドの話。
63歳の独り者の男性のガイド。イスラエルに来て10年以上とか。
日本の客は本当に少ないらしい。滞在中一回しかシスターの数人連れしか会わなかった。
本人も久しぶりの日本人の為、うれしくて仕方がないらしい。マイク口からはなさず、喋りっぱなし。
一年前癌の手術をして、放射線にかかっているっらしい。
神学生崩れらしくて、神学のイスラエルの大学を卒業しているという。
旧約聖書にしても、新約聖書にしても博識だ。 ただいつ死がくるかもしれない不安と、
外地で虚無になってしまうかもしれない不安がそのまま伝わってくる。
それがイスラエルの地で聖書の話をすると迫力がありぴったしなのだ。