つれづれに

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 今日のYoutube


今日はシネマの日だが、暑そうな上に、
人が多そうなため、月曜日に延期。

昨日は、結局、暑さもあって、「花火見物」にはいかず。
後は、明日のネタに…


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4523, 生きる悪知恵  ー2
2013年08月04日(日)
   「生きる悪知恵 ー正しくないけど役に立つ60のヒント」西原 理恵子(著)
 
* 働いて金稼げ、子つくれ、いい嘘つけ、枠を外せ!
 今東光の身の上相談のように歯に衣をきせない回答がよい。ー
アマゾンのレビューに
【昔読んだ山本直樹のマンガに「悩み事は自分の目の前にある壁に描かれた、
ただの絵の窓。押しても引いてもびくともしない。でも、振り向いてみると
その先には開け放たれた窓がある。振り向きさえすればいいのだ。回答の数々は
その「振り向き方」。ちょっと思いつかない方向から答えが飛んでくるような
感覚すら覚えますが、全ての質問を冷静に分析し、かなり真面目に、しかも
的確に答えています。意外ですが、現実的に実行できる解決策ばかりです。】
というのがあった・・・  もう一つは、【相談から「問題の本質」を発見し、
「問題を設定し直し」て、それが正鵠を射ているのに感心した。
「悩んでいる人」というのは「悩み方」からして間違っていることが多い。
サイバラはその「悩み方」をいっぺん解体し再構築します。その結果、説得力
があり、かつ実行可能な解決策が提示されている。ちょっとした名人芸です。】 
これも分かりやすい。学生時代の人事管理の武澤ゼミのケース・スタディによる
問題解決法と同じ。何事も、自分一人の知識と経験で考えても限界がある。
問題を把握し、考え続ければ、思いもよらない解決法があることを知っておく
べきである。ー目についたものを書き写しただけでも、
これだけある
・就職できない。            →横入りしろ。
・向いてない部署に異動になった。   →仕事のインナーマッスルを鍛えろ。
・妻の飯がマズい。         →焼いてポン酢をかければ何でもうまし。
・義母から「早く子供を」という圧力が。 →そのうち死ぬから放っておけ。
・妻子ある人との関係をやめるべきか。 →バックアップ(3チンポ)の用意を。
・元彼と結婚した友達を祝福できない。  →敵は己の中にあり。
・空気が読めない。         →空気読めなくても許される人間になれ。
・隣に騒音おばさんが。         →外に働きに出れば一石二鳥。
・部下が使えません。      →使い方が悪い。人と思うな、ネジだと思え。 
・苦手な英語が社内で必須になりました。→フィリピンパブへ通って
                     彼女を作って楽しく覚えろ。
・一言多い性格を直したい。       →関西に引っ越せば解決。
・浮気を疑う妻に      →携帯を見たあんたが悪い。勝手に携帯見てる
                    時点で夫婦終わってるだろ。
▼「働いて金稼げ、子供作れ、いい嘘つけ、自分を顧みろ」の範囲だが、
 それでも説得力がある。次回から幾つかを取り上げる。

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4148、男性不遇社会へ
2012年08月04日(土)
 団塊世代が定年をむかえ、会社から家庭中心の生活に入りつつある。
しかし、そこに妻という海千山千の難敵が控えている。そして丁度良い捌け口
の対象として鬼婆化して団塊粗大ゴミに襲いかかってくる。 団塊粗大ゴミの
妻たちも、女社会では、目のつく嫌われ者として君臨しているから、陰湿な闘い
の勇者として力は蓄えている。ところが、その団塊ジュニアの男も、厳しい立場
にある。対象になる女性の7割近くが結婚相手に年収400万以上を求めて
いるが、それを満たすのは僅かに25%しか存在してない。そこに45%の
絶対的開きがある。そのため未婚の男女が増えている。去年の男性の自殺率
は女性の二倍。3万数千のうち、二万以上が男である。 女性は9割以上が、
「今度生まれてくるときも女が良い」という。先日も中学の同期会があったが
元気が良いのは女性だけ、男は片隅で大人しい。家内と私の関係を見ていても、
同じ流れ。色いろあって自宅は家内名義になった途端に・・連日、サンドバック
代り。外国人の目からみて、中年女性連れがデパートやレストランに多く
見かけるのに驚くという。旦那が会社で必死に働いている間に、長年かけて
TVやネットで文化的教養が蓄積され、コンサートホールや、世界的名画の
展覧会などに大挙してオバサンが押し寄せる。
そこに添え物のように連れてきてもらっているのが亭主という図式。
家内を見ていて気づいたが、自分の行先に合わせて相手を選別している。
行動パターンは単独行動が基本。年に一度は、4日間乗り放題の特別割引を使い、
4日連続の日帰りの東京通いである。曰く、「ツアーと思えばよい。単独行動は
気ままでよい。問題は一人でランチがとれるかどうか。これを身に付ければ東京
は面白さが数倍になる」とか。世界中を旅行した蓄積は、そんなことは朝飯前。 
要はオバサン化いや、オバアサン化したということ。とにもかくにも、男と違い、
消耗していない。「国滅びても山河あり」というが、国が衰ると女が表立ってくる。
リーマンと東北大震災で、明らかに世界も日本も激変の嵐になってしまった。
その背景には、情報化社会の本格的到来がある。激変現象の一つが、女の優位
社会の到来がある。子供の頃から、姉が4人もいて鍛えられていた素養が、
ここで活きてくるのか? ったく。

たったこれだけの文章の中に人生の全てを言い尽くしている。
これは詩である、人生を言い尽くした。
必ず誰も思う道だ。


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3783, ユング ー16
2011年08月04日(木)

  * ユング心理学、3つの流れ ー ③ 発達派
 ☆ 発達派ー人間の精神的成熟と対人関係
【 ユング派の第三の流れは発達派と呼ばれており、主にロンドンを中心に活躍しているユング派の人たち。
 ロンドンというユング派とフロイト派の両方が交流しながら発展している地域柄もあって、フロイト派の
精神分析に近い考え方を持っている。この派の特徴の一つに、「成人の人格の発達における幼児期の重要性
を強調」している。 その人が幼児期にどのような親子関係で育ってきたかが、その人の現在の人格のあり方
にとって大きな影響力を持っているという考え方。その頃の親子関係が、対人関係と感情や衝動のコント
ロールに関して、非常に重要になってしまう。その頃、あまり親に愛されてないと感じた子供は、大人に
なってからも、「自分は(親に愛されてなかったから)もっと愛されたい」とか、「自分は、いつも良い子で
ないと受け入れてもらえなかったから、この人にも良い人と思われないと、見捨てられる」とか、歪んで
いきやすい性格になってしまう。
  ー発達派の治療態度ー
  治療場面で、治療者と患者(あるいは相談者)にわきおこる転移、逆転移を取り扱うことを主な作業と
するのも発達派の特徴である。転移とは、治療の過程で相談者がそれまでの人生において重要だった人物
(親とか養育者)との関係を治療者との間で再現することをいう。つまり、治療過程で、患者(相談者)が、
両親や、それに類する人に感じられる人になるということである。 これと逆に、治療者が相談者に抱く
特別の感情を逆転移という。この転移、逆転移を「対人関係におけるファンタジー・幻想」といった方が
分かりやすいかもしれない。そこに、集合的・普遍的な父親像、母親像も表現されるのでそれが重要な
分析材料になる。 】
▼ いかに、幼児への親の対し方が難しいか、その辺のところが人間の精神の成熟の鍵が隠されている。
10歳までに人間の性格、能力の殆どが決定されてしまうことは、自分と、至近の人たちを見渡せば分かる。
そこまで、立ち戻って治療をしていくのが発達派の治療態度。これを血筋と昔から日本人は言っていた。
(哲学的にいえばハビタス)。 もちろん、それぞれ例外はあるが・・ 両親との関係から、現在の自分に
至ったプロセスを見つめ、その歪みを自覚させるように導き出す。 多かれ少なかれ歪みの集合体が
自分ということになる。
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3418, 哲学者の言葉 100
2010年08月04日(水)
    「最高の人生を送るための哲学者の言葉100」稲垣真美
 何気なく借りてきた本だが、軽いタッチで読みやすいが、唸るような言葉が次々と出てくる。
10項目に100の言葉が書かれ、解説してある。10項目の中から幾つか書き出して考えてみる。
  * 第一章、哲学と人間
≪ 心(ハート)をあらゆる努力で守りなさい。あの血(生命)の泉もそこから流れ出るのだから ≫
ハイデッガー
【 ハイデガーの学説を、一言で解釈し、具体的に説明するのは容易ではありませんが、古代ギリシャ
アリストテレス以来、種々に考えられてきた「存在」の問題について、人間存在とは「私が在る」
ということであり、したがって人間とは「現存在」である、と規定しました。「現存在」存在の仕方を
「世界内存在」とも呼びました。 この場合、「現存在」の言葉の中には、すでに「今」という時間が
入ってきます。 すなわち「存在」とは、常に「時間の問題」に突き当たり、一心同体なのです。
そうだとすると、「今(現在)」とは何でしょうか。「私がこれこれのことを意図している今」
「12時である今」「光が消えている今」等で確定される「今」には「私」「私自身」、あるいは
ほかの誰でもがそのまま時間ということになります。「現存在」は時間なのです。「私」は本来的に
時間であり、「私」は時間をもっているのです。このように考えて、ハイデガーは、私たち一人一人の
時間としての営みの大切さに思いに至った。南ドイッのフライブルク市の郊外にあったハイデガー
自宅の扉には、文字を刻み込んだ一枚の板がぶら下げられていました。 その文字はハイデガーが大切な
誓いの言葉とした。「旧約聖書」の箴言でした。「君の心をあらゆる努力で守りなさい。あの血(生命)
の泉もそこから流れ出るのだから」ハイデッガーは、この言葉を「現存在」である自らに対しても、
訪れてくる客人たちにも、誓いの言葉として掲げたのです。】
 ~~
「ワシがやらねで、誰がやる、今、やらねで、何時できる」という言葉こそが、ハートである。
「現存在」とは、時間そのものである。「私」は本来的に時間である。土手の此方側に居る「私」、
そして、あちら側に渡った「私」に時間の経過と同時に変わる「私」がいる。 此方の「私」と、
あちら側の「私」と、時間の経過で違う「私」になる。それぞれの「私」に時間が含まれていることが、
これより分かる。 だから、一期一会があり、かけがえのない今があり、ここから生命の泉が流れ出る
のである。魂を込めるとは、今・現在に集中することである。今は永遠に繋がっている。
人生そのものが、今なのかもしれない。過去を振り返ると、その意味が見えてくる。後は、オボロだが。
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3043,閑話小題
2009年08月04日(火)
* 今年の長岡花火
 今年の長岡花火、初日(8月2日)は天気予報が雨。 空を見あげると雨が降りそうな雲模様。
それなら降り出したら帰ってくればよいと、行くことにした。 夏の雨は濡れてもしれたものと家内と
出かけた。ところが信濃川の土手に着く少し前からポツリポツリ、それでも花火の誘惑には勝てず
最後まで見てきた。ところが最後の『フェニックス』が始る直前には花火の音と間違う音(雷)と共に
雨が降ってきて、せっかくの花火も興ざめになってしまった。 それでも『天地人』をモチーフにした
花火が印象に残った。二日目の昨日は、前日とうって変わった晴れ。その中での花火は、どれもこれも
良かった。 特に最後のフェニックスが感動的であった。河原の人混みの中で歓声と共に一体化して
見るのも風情があるもの。
* 失業率、実態は8・8%(助成金にひそむ隠れ失業238万人)
 以前にも取り上げたことだが、先日の産経新聞に「6月の完全失業率が5・4%と発表されたが、
助成金申請が238万人に達しているので、それを加えると単純計算で8・8%になる」という
記事が載っていた。 欧州が9・4%、アメリカが9・5%というから、この数字が実態といってよい。
過去最悪時は、5・5%だから、僅か一年足らずで1・5倍の失業率になってしまったということだ。 
日米欧の失業者が3300万人となり、昨年の3月から15月で1200万人も増えてしまった。 
私たちの年齢が還暦を過ぎたので、深刻な話は聞かないが、5~10歳下あたりの年代では深刻な話が多い。 
事業が景気に敏感な商売なので、その深刻さが直に伝わってくる。 
* 「フランクリンの罫線表」
 話が込み入ってくると、(アメリカ元大統領)フランクリンは白い紙を出して、真ん中に線を一本
引く。右にプラスを左にマイナスの印を付ける。そして、相手の言い分を聞きながら、「その点につていは、
あなたの得で、それはコレコレ」とプラスの方へ書き込み、そしてまた「この点につていは、あなたの方
が損でそれはコレコレ」とマイナスの方へ書き込む。こじれた話が、それで一目瞭然、利害得失が、表の上
にはっきり出されてくるので、みんな重宝した。これが「フランクリンの罫線表」と云われる表である。
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2678, 長岡の花火 -2
2008年08月04日(月)
 -三大花火大会とはー
花火大会といえば秋田の大曲と、隅田川と、長岡の花火と、思っていた。そこで三大花火で調べると、
色々地域によって違うようだ。大阪の花火も、豊田市の花火も、素晴らしいようだ。花火は、それぞれの
川辺の情緒を背景に見るから良いので本来比べるものではない。川辺で各家庭が、空を見上げて団欒する
のも花火見学と桜見物ぐらいである。長岡の花火は、フェニックスの花火が中越地震の翌年の2005年
から加わり、段違いによくなった。正三尺玉が、ワイドスタマインと比べてミスボラシクなって、
フェニックスが無ければベスト10からも除外されても仕方がなかった。最近は同色の花火を同じ場所に
重ねて打ち上げるので、三尺玉の数倍の大きさになる。二年に一度のわりで、初日だけ行っていたが、
フェニックスが加わってからは、二日とも行くようになった。この数年、大曲の花火を部屋の電気を
消してTVでみている。これがハイビジョンで、現場にいるようで臨場感がある。ところで昨夜も
二日目の花火見物に行ってきた。初日が良かったので、止めておこうか迷ったが・・・
それでも〔天地人花火「愛と雪」〕という花火が、来年のNHKドラマに因んで特別に打ち上げられる
というので、もしかしたらと行くことにした。やはり期待通り、豪華であった。しかし人でも花火も
初日に比べ劣っていた。仕方が無いだろうが。桜と花火とスキーと海水浴と紅葉と足元をみれば屋外で
四季折々に楽しめることが幾らでもある。 少しパソコンとTVから離れることも必要である。
でもWowowやレンタルDVDで映画を観るのも面白い!
後記)二年前の同日も、同じテーマで書いていた。完全に忘れているから、
改めて読むのも奇妙な気持。

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007年08月04日(土)
2314, 今日が今までの人生で一番幸せな日   (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 
「今日が今まで一番幸せな日」と思って生きることが出来たら、これほど素晴らしいことはないだろう。
ある人がインタビューで話していた言葉である。 この意味を考えれば考えるほど深い。
「一日、一生」「今、ここ」「一期一会」にも通じていく言葉である。これを自分の「人生の言葉」
にして、常に意識をしていたら、「ありがとうございました」に匹敵する。幸せの選択基準がハッキリ
と見えてくるからだ。一日を疎かにできないし、何が大事で何が大事でないか見えてくるはず。
「今日一日は、人生で一番大事な日であるし幸せな日である」ことは、紛れもない事実。気がつかない
のは日常に慣れてしまった自分。その視線で周囲を見れば素晴らしいことが多くあることに気づくはず。
心の底から今日が一番素晴らしい思えるようになれば、過去の一番幸せだった日々を常に意識し、
その気持ちが蘇ることになる。その気持ちは、周囲の幸せを引き寄せる磁石になってくる。
そうは言っていても、それは暗示でしかないじゃないか?と思うようならば、「今日が人生で一番
幸せな日に‘なりますように!’」という‘願い’にすればよい。 願えば叶うからである。
もし本心に、そう思えるようになってしまえば、後は簡単。「昨日と同じか、それより少し今日が幸せ!」
と思えればよい。 「もしも身内や親しい人が亡くなって『今日が人生で一番不幸の日』の場合は? 
そうは思えないだろう? 如何なものか?」そういう時は、そういうことを考えないの!
ただ、最悪の日を最悪に過ごせばよいだけ。今日が人生で一番幸せ!と思える日がきっと来る!と、
思えたら思えばよい。『幸せ』の言葉の替わりに『素晴らしい』でも、『最高』でもよい。日々の中の
何気ないことの中にこそ、多くの幸せのタネが含まれているということだ。そして、それが開花して
いるのが「いま・ここ」であり、「今日」である。    というところで、幸せに! 

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2006年08月04日(金)
 1949, 長岡の花火         
 *第一日目(8月2日)  おはよ~!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・
以前は、取引先の小さなビルの屋上で見ていたが・・・最近は、信濃川の土手まで行って見るのは
三年に一度位。自宅近くの土手から、遠方の花火も風情があると決め込んでいた。去年の震災復興
記念花火で超大型花火・フェニックスが打ち上げられたが、居酒屋でオヤジ相手に飲んでいた。
こういうイベントに乗るのが嫌いで、わざわざ人ごみの中にいくのが面倒でもあった。
しかし兄嫁と共に行った家内の話によると「フェニックスが凄くよかった!」という。ということで
45分かけて、信濃川の土手まで歩いていった。 さすがに土手で見ると、迫力がある。しかし一時間
もしないうちに眠くなり帰ろうとすると、家内が「最後のフェニックスは見るべき」という。 
そこで、あと30分我慢することにした。 そして打ち上げ、 過去に見た花火の中で断トツのNO・1
である。10個のスタマインが同時に横1・6?にわたり超ワイドスクリーンのように打ちあげられた。
フィナーレは薄オレンジ色に統一されているため、幅1・6?わたる花火が一つの花火のように感じられる
大パノラマ。息を飲んで見入ってしまった。なるほど去年、多くの人が涙をしたというのも解るような
気がする。そういうわけで今日もまた、見に行くことにした。 ところで、昔から長岡花火で地方的
な面白いことがある。花火のパンフレットが新聞の折込に挟まってくる。花火の提供者の企業名簿が、
長岡のその時のステータスになる。あのスーパーがスタマインを例年提供していたのに、今年は出て
ないのは、他のスーパーに・・とか、あの小さな企業が出せるようになった・・とか、それが、
花火会場のお喋りのネタになる。まあ、地方的な風情だが。
 ー花火の華?といえば、
・ミラクル・スタマインー幾重にも重なる華やかなXの線を描く
・ワイド・スタマインー5色の色で彩られる華やかなスタマインで、5台の打ち上げ台から同時に
打ち上げられる。
・正三尺玉   ー長岡の名物花火、しかし最近では近郊の片貝が4尺玉を売りにしているので、
少し影が薄れた。
・ナイアガラの滝  -ナイアガラの滝を思わせるような花火、長生橋から流れ落ちるように花火
が舞い降りる
・フェニックス  -横に広く10個のスタマインが同時に打ち上げられる豪華な花火。
ワイドスタマインの大きいもの・・等々。
 ーーー  
*第二日目(8月3日)                 \(~o~) n(0 ̄)        
初日のフェニックスが良かったので、また行くことにした。二日続けていくのは、
10年いや20年に一度である。
               (字数の関係でカット09年08月04日)
・・・・・・・
2005年08月04日(木)
 1584, 2005年分路線価が公表
先日、2005年分路線価が公表された。 その要約は
・東京都が13年ぶりに上昇。 山手線外側にも値上がりが波及しだした。
・反面、全国平均は-3.4?で、13年連続下げ。
  (字数制限のためカット 2010年8月4日)
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2004年08月04日(水)
 1219, 「君のためにできること」-2 
20年来、年に10回は酒を飲んていた友人が末期癌になり、終末医療の病院のビハーラに入院している。
本人が言うには、「24時間が拷問である」見舞いに行くたびに衰弱をしていくのが、わか解るから辛い。
丁度その時に、この文章を読んだこともあって身に沁みる内容であった。お盆は20年近くも、古町を
飲むのが恒例になっていた。そして、今年もその時期が目前になっているが、もう無理である。
何か寂しいお盆になる。ー以下は、作家・大崎善生の奥さんの高橋和の「第24回 言葉にできない」
のエッセーであるー
 (サロンのコーナーに、HPが貼り付けてある) 
(以下、字数の関係でカット2008年8月4日)

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2003年08月04日(月)
 852, 孤独について -3
『人は人、我は我、されど仲良く』と武者小路実篤がいっていたが、それこそそれぞれの 「独」を
認め、かつ自分の「独」を大事にする言葉である。『和して同ぜず』も母校の長岡高校の校是であるが、
意味がほぼ同じだ。孤独を特に感じるのは、一人旅である。若い人のバックパッカーの聖書になっている
沢木耕太郎の『深夜特急』という小説に、「独り言をブツブツ言いながら一人、旅をしていた」と
書いてあった。サルトルのいう「即自」と「対自」の会話である。青年期によく国内だが一人旅をした。
 一人旅に出なくては精神のバランスが崩れてしまいそうであった。帰ってくると何か大きなものに
よって満たされる感じがよかった。旅行の最中は寂しいということは全く無かった。誰かと対話をして
いたのだろう。旅は孤独のプラスの異次元の世界に浸れる。いま振りかってみて、「旅日記を克明に
つけておけばよかったのに」と悔やまれる。「孤独」というキーワードで検索をしていたら、脳性麻痺
の青年のホームページが出てきた。「孤独などと軽がるしく使うな!」とどやされたようだった。
口がきけない人や、盲目の人の孤独感は想像すら出来ない。私の強みは「孤独に強い」と思っていたが、
とんでもないことと思い知った。「孤独は人を殺さないが、絶望は人を殺す」という言葉をアンドレ
・マルローがいっているが、孤独の中の絶望に潰されてしまうのが問題。 その時こそ愛読書が一番
自分を癒してくれる。大いなる孤独ー作家の心ーとの出会いが本を通じて可能になる。孤独であれば
あるほどその邂逅が大きくなる。 いま一つの孤独で考えさせられるのが老人の孤独であろう。
結婚後、母と同居をしている時にトラブルが何回かあったときに、母が「独り暮らしの孤独の知人が
いっぱいいる。彼等はどんなにトラブルがあっても、子供から離れてはならないとシミジミ言っている。
我慢をしなくては」とポツリと言った事があった。知人に数人家庭内離婚者がいる。 ほとんどが浮気
がきっかけだ。それでも離婚をして一人暮らしよりましの為だろうか。一番嫌いなのは、孤独と孤立の
違いも解らない輩だ。群れたがる内なる羊である。

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 2002年08月04日(日)
477, 人口問題と今後の日本

先日平均寿命が発表された。女85歳、男78歳。女性の半分以上が88歳の米寿を祝う事ができる
という。童謡で「今年60の爺さんの・・・」と歌っていたが、いまや爺さんは80歳か90歳である。
100年前の日本の人口は4400万人で、現在までに約3倍になった。これから100年後は丁度
半分の6000万前後になる。100年で3倍になり、今後100年で半分になる。人口のピークは
2006年で、翌年から60万人が毎年減っていくという。100年前65歳以上が5?であったのが、
後10年後には28?になり、50年後は37?を超えるという。考えたら背筋が寒くなる。 周辺は
年寄りだらけになる。
(字数制限のためカット 2011年8月4日)

・・・・・・・・
2001年08月04日(土)
[98] 現地日本人ガイド
 旅行シリーズもそろそろ終わりに近づいてきた。考えると話題はいくらでもある。現地日本人
ガイドのことである。
彼らによって印象が全く違ってくる。添乗員から聞いた話だが、彼らが言い出さない限りあまり
聞かないほうがいいらしい。彼らは考えてみれば、色々な事情でそこでガイドをやっていて当然である。
でもそれなりに見えてくる。 ここで数回に分けて事情を書いてみよう。
  ーイスラエルのガイドの話。
63歳の独り者の男性のガイド。イスラエルに来て10年以上とか。日本の客は本当に少ないらしい。
滞在中一回しかシスターの数人連れしか会わなかった。本人も久しぶりの日本人の為、うれしくて
仕方がないらしい。マイク口からはなさず、喋りっぱなし。一年前癌の手術をして、放射線にかかって
いるっらしい。神学生崩れらしくて、神学のイスラエルの大学を卒業しているという。旧約聖書にしても、
新約聖書にしても博識だ。 ただいつ死がくるかもしれない不安と、外地で虚無になってしまうかもしれ
ない不安がそのまま伝わってくる。それがイスラエルの地で聖書の話をすると迫力がありぴったしなのだ。