2007年12月24日(月)
2455, 歌舞伎町事変(1996〜2006) −2
                (p≧w≦q)オッ☆ o(≧▽≦)o ハァァァァァァ♪
 この数年、週刊誌に歌舞伎町の泥酔客の喧嘩や、 露わな若い女性客の狂態の写真を見かけるが、
 この写真家?が撮ったものだろう。私も新潟駅前のヤクザの徘徊する足元でよく酒を飲んでいたものだ。
 数回ニアミスをして凄まれそうになったことはあったが。それよりも危ない世界と、
 危なくない世界の人間の臭いを彼らが一番知っているはず。それと、隙があるかどうかもあるが。
 数年前から、ホテヘルとかデリヘルとかいう噂を聞く。私の性格上、絶対にそういう客は当方に泊めないのが方針。
 今更というが性格なら仕方がない。新潟も来年の4月から本格的に浄化の流れになるが。
 歌舞伎町の彼ら(風俗)はどうなったのか? 以下は、その変身の実態である。
 先日、新潟の事務所の近くの図書館に行く道すがらラブホテルの前を通ったら、
 明らかに一仕事を終えた女性が出てきてきたが、そこには、曇りガラスの車が待機していた。
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 P−62
以前から、「歌舞伎町に許可店のヘルスは 3、4店舗しかないといわれていた。
しかし浄化作戦以前には300軒以上のヘルスが存在し、なかには堂々と朝まで営業している店も少なくなった、
これらはすべて無許可ヘルスだったのである。付近に花園小学校や大久保病院のある歌舞伎町で、
改正営法にかなうヘルスなど、もともとあり得なかったのだ。 歌護町ルネネサンス推進協議会の会合で、
新宿署で「違法店舗200店以上を廃業に追い込み、白い看板が続き、摘発の明白な成果を察したとおり、
浄化作戦でほぼ全ての無許可ヘルスが摘発され、残りの店もホテヘルやデリヘルに転換を余儀なくされた。
関西や九州の一部ではすでにホテヘルというものが存在してはいたが、東京で認知されはじめたのは、
03年の池袋での風俗浄化後のこと。 基本的にそのシステムは、風俗嬢を事務所に置き、付近にある提携している
レンタルルームやラブホテル、ビジネスホテルに派遺するという形式にすることでデリヘルと同じ「派遣型風俗」となり、
警察への届出だけで営業できる。 しかも夜間営業でもO K。こうして歌舞伎町から店舗型のヘルスは消え、
ホテヘルがいたるところに出現した。客は案内所へ行き、才ススの店を紹介してもらい、そこから店に行く。
とはいっても受付だけの事務所で金を払い、近くのラブホテルやレンタルルームへ行き、そこへ女の子がやってきて
プレイするというものだ。では、ヘルスがホテヘルになってからの客の反応はどうだろう。
よく聞かれるのは、レンタルルームを使うヘルスの場合、狭くて汚いという意見だ。
しかしピジネスホテと提携している店は違う。部屋は広びろして、客は存分プレイできるとあって好評のようだ。
当然、ホテルを利用する方が女のコとの親密さが増すというのもある。。
またビジネスホテルの場合、客側にもおいしいことがある。単刀直入に言うと、本番を持ちかけられるのだ。
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長岡で何度か兄と行ったスナックの前がラブホテル。出入りが窓から見えるが、その数に驚くと言う。
それも、合法というから・・・・
                ゜・。*バイバイヾ(´∀`o)+。
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