2007年12月22日(土)
2453, 歌舞伎町事変(1996〜2006)
                           ー読書日記
 「歌舞伎町事変」文ー李小牧  写真ー権 徹  {{"(;-┏Д┓-)o"オハヨウ
歌舞伎町案内人と呼ばれるこの街を知り尽くした中国人、李小牧
不夜城の暴力と欲望の全てを写し撮るため徘徊し続ける韓国人写真家、権徹。
歌舞伎町の生の姿を撮りつづけた10年分の記録である。
殆どが白黒と、カラーの写真で彩られている。いつの間にか新宿歌舞伎町の
魔界のヤクザと警官と不法滞在外人などの緊迫した世界に引き込まれてしまう。
恐いもの見たさでついつい見ているうちに、カメラマンの目なってしまっている。
歌舞伎町裏社会の話が当事者から生の写真でレポートされているから迫真に迫っている。
新潟とはいえ飲食繁華街で商売をしているので、知っていた方がよい情報で満ちている。
韓国人、中国人の目で見ているのも切口を鋭くしていた。
これを読んでいると、あまり一見の店には行けなくなる。

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 P−44
2001年年9月11日が歴史の美転換期であったように、03年4月年は、
2003年4月22日は、歌舞伎町にとって大きなターニングポイントだった。
この日を境に、この街の歴史は一変し、私を含めて、数多くの「住人」たちが
様々な影警を受けた。生きるか、死ぬかの影馨だ。あれから3年以上が経過した。
現在の歌舞伎町がどのように変化したかは、一度足を運んだ者なら身をもって
感じていていることだろう。300軒以上あったヘルスや本番エステなどの性風俗店は、
風営法以前からの許可店3-4軒を残して全滅。街中にいた1000人以上のキャッチたちも激減。
街を歩いても、これまでのように韓国語や中国語、タイ語の嬌声は聞こえてこない。
住入たちを惹きつけてやまなかった地下カジノは一掃され、全国からわざわざ
買いに来る人もいた歌舞伎町名物「裏DVD」を売る店も跡形もなくなってしまった。
他にも、過激さが売りだった個室つきのセクキャバ、中国美女の持ち帰りができる
デートクラブ、風俗嬢やキャパ嬢のパネルが焼々と光る無料案内所…等々、
なくなってしまったものを挙げればキリがない。
摘発期間中、もちろん私は毎日歌舞伎町に立ち続け、数々の摘発の瞬間に居合わせ、
立ち会ってきた。私が一番詳しいといっても過言ではない。
そして、一斉摘発の2年後。05年-月27日に、歌舞伎町から犯罪をなくし、
健全な街としての活性化を目指す任意団体「歌舞伎町ルネッサンス推進協議会」
(会長・中山弘子新宿区長)が発足した。
警察や消防、入管、自治体、有識者、地元商店街、興行会社が参画し、犯罪取り締まりと
街の活性化、街づくりを一体的に進める試みである。
協議会は元内閣安全保障室長の佐々淳行氏、建築家で東大特別栄誉教授の安藤忠雄氏、
・・・・(略)

p−109
監視カメラとNシステムの設置も原因の一つだろう。2002年に運用が開始された「街頭防犯システム」
という名の監視カメラ網は、最初に設置された50台を皮切りに、その後も着々と増設されている。
当初の50台の内訳は、固定カメラ18台(デジタルズーム30倍超)
固定カメラ(左右360度・上下、180度回転。光学ズーム20倍、デジタルズームをかけあわせると220倍にもなる)、
そして高感度カメラ1台(光学ズームー5倍。 3CCDで超精密撮影が可能)である。これらのカメラは、
最高で人間が持つ新聞上の文字さえも判別できるという。 この監視カメラの映像が、新宿署と警視庁に
送られるという仕組みだ。さらに同時期、歌舞伎町を囲いこむ形で、
Nシステム(通過する全車両のナンバープレートを無差別に撮影し、データを記録。・・・・(略)
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後記) リンチや、警察に追われて逃げ回るヤクの売人、そして警察から身を隠す女たちの後姿など、
見たことの無かった写真の羅列である。これも情報化なのだろうが、その場に身を投じていなければ
写せない写真である。             つづく
                  アァン!(▼□▼#)モンクアンノヵ?
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