「半歩遅れの読書術ー?」で紹介されていた本で、さっそくアマゾンで注文、朝晩の通勤の新幹線内で読んでいる。
  これが何ともいえない味わいがある。 もしかしたら己の人生を間違えていたか?と、考えさせられる内容である。
  明治初期に三井物産を創設した大茶人の益田孝(鈍翁)と、主治医・近藤外巻(平心庵)の心の交流を、
  大正13年から昭和13年までの平心庵日記をもとに、平心庵の長男である近藤道生が描いた本である。
  当時まだ年少だった著者の目を通してみた大正から昭和初期の時代の想い出がも静かに書かれている。
  「明治経済界の重鎮である鈍翁は,江戸の武士道気質と明治以後の欧米ビジネスマンの感覚を合わせ持つ実力者だが、
  政治的には影の存在に徹した。 隠居の地小田原で,無私の外科医・平心庵と茶事を通じて結んだ親交は、
  現代人が失ってしまった真のもてなしの精神と、日本文化の奥行きを伝える豊かな時間であった。」と書評にあるが、
  成るほど読むほどに大茶人の片鱗が窺える。 千利休以来の大茶人と謳われ、
  茶の湯や美術関係の人には、よく知られているという。
  両親の趣味が茶道だったこともあり、子供の頃から色いろな話を聞いたり、茶席に同席させられたこともあり、
  何か、日記の一言一言が目に浮かぶようなイメージが沸いてくる。 これを読んでいて気づいたが、
  両親はかなりの茶人だったようだ。私は、どうも堅苦しい作法に反発を感じ、現在も近寄れない。
  しかし私の人生で、知っておくべき世界だったかも知れない。 
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   「平心庵日記 :失われた日本人の心と矜持」 近藤道生

 ー日記が大体が次のようなベースで書かれていまる。
   「大正14年  元旦」
  ・・・五時頃より国民年中行事正月のところをよみ 六時頃若水をくみ洗面仏前にて礼拝 
 再建のわが家にもはじめて年を迎ふることとてうれしく勇む心しきりなり 長女千蔭 十二歳
 次女みゆき 十歳 長男道生(筆者)六歳となる 道生をつれて海岸に初日の出拝みにゆく
 今しがた水平線を倣なれて一、二尺、開運をいのるよりも安穏をいのる心先なるがこの頃の
 傾きなり 銀盃にて屠蘇いはひ 雑煮いはふ 列席者塾生を含めて十三名と震災後迷ひ込みし三毛猫一匹
 昨年より着手したる漢文学選中国の部大略終りたれば昨日より年表をつくりつつあり今日も百科大辞典みて
 すこし調べたる後、二宮神社に参詣 小峯公園に遊びて皆と別かれ益田邸に御年首に行く
 邸内にて御主人の迎へに来たらるるに遇ひ静江(平心庵の妻ー筆者註)をも 自動車にて呼ばれ
 茶と御料理賜はる お手製の茶碗 珍品そろひの御料理うどの生など結構なりき」
   「大正14年  6月8日」
 五時半起床 便所掃除 朝礼。朝食。文学史万葉の歌例のところ講義。外来患者60人許。
 益田大人より朝 お使ひあり。四時半頃自動車のお迎へいただき五時頃行く。わびたる田舎家風の寄り付き。
 為楽庵にて初座。敦盛草とえぞまんてんの花の下にて懐石。後座 大燈国師の手紙,茶碗ととや 濃茶銘 松の華…」
 真摯な開業医としの生き方が淡々とした日記のなかクッキリと浮かんでくる。 
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   これを読んでいて、やはり両親の趣味だった、茶道を30歳辺りから入るべきだった。
  それなりの子供の時からの下地があったのだから。 私が求めるのは、それだったのである。
  何か人生で足りないものは、求道だったようだ。しかし、ある程度の金と、教養がないと出来ない遊びの世界。
  昔の社交の場だったのだろう。

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