2007年11月08日(木)
2410, 「あたりまえ」ということ

金子みすず の「不思議」という素晴らしい詩がある。

*不思議

わたしは不思議でたまらない 黒い雲から降る雨が 銀に光っていることが

わたしは不思議でたまらない 青いクワの葉食べている 蚕が白くなることが

わたしは不思議でたまらない たれもいじらぬ夕顔が 一人でパラリと開くのが

わたしは不思議でたまらない たれに聞いても笑ってて あたりまえだということが

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我われは、いとも簡単に「あたりまえ」と思っていることでも、少し考えてみれば、不思議なことばかりである。
自分が現に存在していること自体が、「あたりまえ」ではない。偶然の一致の重なりで現在の自分が存在している。
その現在の自分が存在している宇宙そのものが不思議である。 それに気づくかどうかである。
不思議な体験を何度もしてきたが、それよりもっと不思議なこと、「いま、ここにある 自分」こそ、不思議そのもの。
その不思議をじっくり考えないから、せっかく不思議な宇宙、そして地球、自分の深さに気づかないのである。
そのためには「あたりまえ」のことに驚かなくてはならないのである。 感謝、感激、感動を周辺の全てから
感じ取らなければならない。最近、とくに感じるのは「いま、ここにある 自分」である。
これほど不思議な瞬間はないのである。こうなると哲学になってくる。あたりまえのことに、驚きを立てることである。
偶然、去年、池田の「あたりまえのことばかり」の書評が書いてあった。
面白いものだが、彼女の「あたりまえ」のことは、普通の人のいう「あたりまえ」とは全く違う。
「あたりまえ」と思っている全ては「あたりまえじゃない」ということ、それを全て疑いないなさいということが、
「あたりまえ」ということを言っている。 少し、ややこしいが・・・

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