2005年10月28日(金)
1669, おい、どうすんだ、定年後!−3

 葬式に参列した故人の写真に自分の姿をイメージをして、 そこから「故人としての自分から、生前の自分への言葉」
 とは、こんなものだろう。 心の底の真実の声である? 背後から迫ってくる自分の声でる。
  ーー
 おい、何やってんだ!まだ娑婆の縛りに囚われているのか?
 この写真に入ってしまえば解ることだが、好きなことを可能なかぎり求めるとよい!
 死んでしまえば、無である。お前なんぞ、一年もしないうちに忘れ去られるのだ。
 いや数ヶ月だ。 好きなことを早く見つけろ! そして、それをさっさと一つずつやれ!何を、ためらっているのだ!
 今夜、美味いものを食べろ! といっているのではない。死ぬのは何時か解らないから、したいことを見つけろ!
 といっているのだ。俺は、実際にこんなに早く死ぬとは思っていなかった!そして、やり残したことに後悔しているのだ。 
 だから後悔する生き方をするな! といいたいのだ。呆けっとしている周囲の顔など見るな! 自分の内面を見ろ!
 
 色いろなことに、もっと目を向けろ、せっかく地球にいるのだから!
 この奇妙な惑星を自分の目でもっと見ろ、そして多くのことを経験しろ!
 葬式の写真に入った今、あれもこれも経験しておけばよかったと後悔しているのだ!
 人の評価など、どうでもよいことだ、とにかく生きろ!生きろ!そして活きろ!
 未知に向かってどんどん歩け! それしか人生はないのだ!
 その為には、俺の言葉を真剣に聴け! 生きているうちだぞ、娑婆は! 呆けに惑わされるな!
 いや、お前が呆けているのだ! それにに気がつけばよいのだ。 自由になれ、その壁に気がついてないのか!
 ーー
 自分の潜在からの声が、死者たちからの声に聞こえてきた。{メメント・モリ}ー死をおもえ、ということか。
 
 ・・・・・・・