2007年10月13日(土)
2384, こころの旅  −1
  
 「こころの旅」神谷 美恵子 (著)

藤原治著の「人は60歳で何をしたか」に紹介してあった本である。 さっそくアマゾンで取り寄せ、読んでみて、
もっと早い時期に読んでおきたかったと思わせる本であった。 最近に、こういう本に出会うことが多くなった。
一冊の本に魂を入れることが出来るのである。本とは本来そういうものだろう。 それとも自身が著者の魂を
感じることが出来るようになったのだろうか。人生の旅路には、常に越えなければならないいくつもの峠がある。
この本は「こころの峠」の、それぞれの年代に焦点を当てて優しく語りかけている。

この本のどの部分を読んでも、深い魂から呼びかけてくる声が聞こえるようである。
この本は十章から構成されているが、一章ごとに過去を振り返りながら読める。
人が死ぬのは肉体だけで、「こころ」は何時までも残る、と感じさせる本である。 
人生で何か一番大事な部分から目を離していたのかもしれない。 この本の最終章に、この本の要約が書いてあった。
一番感じたことは「こころ」に「よろこび」が必要ということである。 アホかと思われるかもしれないが、
「こころ」に喜びはシャワーのように浴びせてきた。それが人生を振り返り、一番良かったと言えることである。

ーまずは、その中から一部をコピーしてみる
 ーー
からだにとって空気や水や食べ物が必要なのと同様に、「こころは生きる喜びが必要である」ことは一生を通じて
変わらないことであった。 幼児期のホスピタリズムは、これを証明するもっとも早期の例であったが、
その後も「生きるよろこび」欠乏のために神経症、犯罪、自殺企画、自殺そのものが各時期におこりえたはずである。
ことに大きな危機は青年期と向老期であることは見てきたとおりである。
日本では老人の自殺率がいつも世界で一、二を争うほど高いという。
老人をめぐる社会的環境の悪さのために、老年期もまたこころの旅にとって一つの危機なのだろう。
社会的次元のことは社会全体の努力と工夫によって、かなりのていどまで改められるはずである。
老人にもこころのよろこびを、というのがその目標でなくてはならない。

人間のこころのよろこびがどんなものかは、幼いころから次第に明らかになっていった。
愛し愛されること、あそび、美しいものに接すること、学ぶこと、考えること、生み出すこと。
こうしたよろこびが宇宙の中でどれほどの意味を持つかはわからない。
パスカルに言わせればみな「気散じ」の中に入れられてしまうかも知れない。
(以下字数の関係でカット)

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