2006年10月02日(月)
2008, 「私」のための現代思想  −6
          (。^0^。)オッ(*^○^*)ハ〜

 ー 先に概要を説明しておくと、
 明治以降、日本人が信じてきた価値観がここにきて大きく崩壊している。
ポストモダニズムが日本にも浸透してきたのである。「一流大学を卒業して、一流企業に勤め、そして家を建て・・」
という価値観が根こそぎ信じられなくなってきた現状の原因を、解りやすく説明してある。
現在は、自分で「小さな物語」を創作していく時代である。「小さな物語」は「大きな物語」の裏づけがあればこそだが、
それが無くなった中で創作していくのは並大抵のことではない。
各自がそれぞれの「捨てられない物語」を受けとめて、能動的に生きることが自分の「小さな物語」を究極的に生きることになる。
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第二章 「私」はどこで、どのように生きているのか −2
 ーリオタールの[大きな物語への不信]ー
  *人とは、[物語駆動装置]である
 我われは[何らかの物語]を遂行する生物体です。物語の遂行を止めたとき、私たちは[死]という物語を遂行し始めます。
 この物語は、長い時間をかけて遂行されるものばかりではありません。[次の試験で、良い成績をとる]というのも物語ですし、
[明日の試合に勝つ]というのも物語です。すなわち、生きること自体が、物語を遂行することと同義語です。
 少し前までの社会には「大きな物語」が存在していた。この時代の大多数の人間が採用していた物語のことをいいます。
 たとえば、[一生懸命勉強をして、よい大学に入り、よい会社に入って、高い給料をもらい、結婚して、子供を育て、家を買い・・」
 ということを大部分の人間が望んでいた時代も過去のものになりました。この時代の[尻尾]は、現在でもかすかに残っています。
 
 このような大きな物語は基本的には数が限られており、それはたとえば、[故郷に錦を飾る]とか[立身出世をかざる]
 とかいう言葉でもわかるように、現在では滑稽なものに感じられる。 どれを実現したところで、それが何?
 という程度のものになってしまった。大きな物語は、このような[個人の人生]に関わるものではありません。
[科学の発展によって社会の幸福を増大させる]なども大きな物語です。しかし現在ではむやみに信じられるものではなく、
 人間の理性や知性の限界が露呈して、科学が人間を疎外しているのが現実です。 同様に、政治家が国民のために働く人たちでなく、
 私利私欲を追及する人たちであり、経済学者は国民を豊かにするためでなく、特定の人たちの利益を擁護するために学究に
 いそしむ人たちにように思えます。このように[大きな物語]への不信を特徴とする時代を、フランスの哲学者であるリオタールは
ポストモダン]と呼びました。 これは、大きな物語を信じつつ、理性によって駆動されていた時代が[モダン] であったのに対し、
 その後に到来する時代を[ポストモダニズム]という。
 
 たとえば[働いて、月に一度給料をもらい、その金銭によって生活をし、さらにまた働く]という
[今日を生きる物語]です。[小さな物語」は、[大きな物語]が信じられてこそ成り立つが、それが無くなった時にそれぞれの
[正しさ]を、私たち自身がひねり出さなければならなくなった。その中で[逃れる物語]こそが辛さを発生させている主たる原因です。
 [捨てられない物語]の存在を知ったとき、私たちの生が輝くのです。
 [捨てられない物語]を生きるということは、決して苦痛ではありません。
 それを捨てられないのは、その物語があなたにとっての[究極の物語]であるからです。
 もし、ある時点において、「これは『捨てられない物語』だ」と感じたならば、おそらくその人は、
 これ以上ない幸福の中で生きることになるでしょう。[捨てられない物語]に対しての悲嘆の感情は、
[捨てられない物語]に到達しながらも、その物語に達成しながらも、その物語の達成を不可能であると断じつつ、
「不承不詳生きる」という怠惰によって発生します。
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 評)ほんの数年前まであった誰もが信じていた[大きな物語]がいつの間にか消え去ってしまった。 
 現在の日本は正にその混乱の真っ只中にある。その一つにグローバル化と、情報化社会の本格的な到来がある。
 大きな物語など虚構でしかないことが情報化のために露呈してしまった。
 といって、小さな物語は自分で創作しなくてはならない厄介なもの。
ポストモダニズム]は情報化社会の結果である。特に数年前からのインターネットの「ブログ」が、
 ポストモダニズムをさらに加速させるだろう。 明治以降、日本人は大きな物語を信じ生きてきたが、
 もうそんなものは小説か映画の中でしかない。 それまでの大きな物語は、お笑いでしかない。
 自分自身を考えてみても、元々信じてはいなかった?が、さらに50歳の頃から小さな物語を大切にするようになった。
 そして「大きな物語」の価値体系が残っている自分の構図が見えてきた。この本も、それに気づかせてくれる内容である。
                                 モーニングコーヒーでも!( ^-^)_且~~~  
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