2007年10月02日(火)
2373, 人は60歳で何をしたか −2

 「人は60歳で何をしたか」藤原治・著   ー読書日記

ある月刊誌が贈呈として昨日、会社に送ってきた。
そこに作家の新井満が寄稿していた文章が「60歳以降に何をすべきか」というテーマ。
よくある偶然の一致であるが、それにしても不思議である。
 
ーまずは、その内容をコピーしてみようー (百楽ーケイアイ出版)

*以前、禅宗の高僧と対談をしたとき「座右の銘は何ですか」ときかれ、お互いに色紙に書くことになった。
お坊さんは、たしか「誠」だった。で、私は「余命7日と想え 何をなして何をなさざるべきか」と書きました。
余命10年と思うと、まだ余裕があるから、死と生について真剣に考えるのはもう少し先にしよう、となってしまうが、
余命7日と想うと、本当にすべきことと、する必要でないことを区別せざるを得なくなるでしょう。そうすると生き方も
変わってくる。「死を考えることは、生を考えること」だというのは、このことなんです。(中略・・・)
私は若い頃から死と隣り合わせで生きてきましたから、死から生を考えるというのは当然のことなんです。
今年の春に自由訳の『老子」という本を出しました。 60歳になったら、どう生きるべきかという内容です。
老子という人物は2500年前の伝説的な哲学者ですが、その思想は難解中の難解といわれています。
私はその思想を、無謀と知りつつ4つに分類しました。1つ無欲、二つ目は謙虚、三つ目は不浄の徳、つまり争わないこと。
4つ目は貢献の徳、社会貢献です。 老子で有名なのは「上善如水」。
水のように生きるのが最高のライフスタイルだといっています。水ほど自己主張しないものはない。
丸い器に入れれば丸くなり、四角い器に入れれば四角くなる。こんな町に従順で弱々しいのに最終的には岩をも砕いてしまう。
万物を潤し、万物に恵みを与えながら、決して威張ることなく、常に謙虚だ。
人間はこの水のように生きるべきだ、というのが老子の基本的な考え方です。この水の生き方はとても参考になります。
それに基いづ明いて、私は人生3期説を考えました。人生、90歳まで生きるとしましょうか。それを30年ずつで区切ってみる。
・最初の30年は、自分探しの時代。
・30歳から60歳までは探した自分を実現する自己実現の時代。
・60歳以降は、自分や家族以外の人間、あるいは人間以外の命のために何が出来るか考える時代。つまり老子の分類でいえば、
 人生の晩年は社会貢献の徳を実現しようという提案です。 これは、あくまで理想論ですがね。
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以上であるが、三期説にしても、5期説にても、その説を立てる論で幾らでも理屈はつく。
5期説とするなら〜20歳、40歳、60歳、80歳、80歳以上の五期に分けることができるが、三期説の方が解りやすい。
三期説で考えると、一番大切な時期は三期目ということになる。人生の収穫期ということになり、一番に充実した日々になる。
一番良くないのは、何も考えないことである。 何も考えないと、どうなるのか? 
あの8〜9割の方の群れている老人達。 表面は楽しそうだが、心の空虚は群れていては埋めることはできない。 
ところで、「人は60歳で何をしたか」藤原治・著で取上げている人たちは、その後も、二期を続けた人たちである、
そうすると荒井満とは少し違ってくる。 片方は世に、それなりのことを達成した人と、凡人は分けて考えるべきか?
ただ生き方を考える上では、藤原治の方が参考になるが。

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