[165] 創業の思い出-20年になるが  
 2001/09/29

 ホテルの社長と称する連中が押しかけてきた。
現N・S社長、G.Hの息子?(現社長?)、現D・Hの社長、w・Hの息子だそうだ。
ーどうであれ社長は社長だー名前は!−私もか。
あいた口が閉じなかった。何だコリャ!土人か。アフリカの槍を持った???。
これは成功だ!と心のなかで直感した。それより面白かった。
 曰く「値段を垂れ幕に出すとはけしからん!顔をただ見たいから来た、値段を表示するのは可笑しい」
 私「これだけの尊敬すべき先輩がこう言っているなら言うことを聞きましょう。
   その皆さんがこうして団体で来るのはどいう訳ですか」
 自分たちは疾しい事をしている負い目が、彼らにあった。おどおどしていた。そこだけはしっかり見ていた。
次の日に垂れ幕を下ろした、そんなことどうでもよかった。
一人の強さとはこういうものか、反面闘いのない世界とはこういうものかと。
こんな程度か!地方は面白い!小手先の世界だと。馬鹿にされたのも、気きずいて?なかったみたいだ。
この連中のビジネスホテル協会とか。価格協定談合組合ということらしい。
いまでも残骸として残っているという。長野はその5年後実質解散したという。
5歳の頃、両親から全く同じ話を聞いていた。あの連中のあの感覚を!
20年前のその時期に、新?ビル管理?の馬鹿専務が、気の遠くなるような漫談を言っていた。
内容は可哀想で言えない。それぞれの視点がある。とりあえず楽だった。繊維の世界との差がありすぎた。