2007年09月26日(水)
2367, エーゲ 永遠回帰の海 −3
               ー読書日記
今回のギリシャ旅行の目玉の一つのデルフィの神殿について、立花隆の「エーゲ 永遠回帰の海」の中に、
解りやすい記述があった。 具体的で解りやすい興味を引かれる箇所である。
ギリシャギリシャ神話と、哲学の起こったところであり、その原点がデルフィでもある。
最近、哲学がますます面白くなってきたことも、このギリシャ旅行への動機になった。
世界は深いし、人生ではその一端しか触れることしかできない。少しでも多く触れて、世界を知ることが人生である。
実際のところ、その場に行ってこそ、その一端が見えてくるのである。
ツアーとはいえ世界の光の場に多く立てたのは大きな心の財産になっている。プラトンの「饗宴」でも読もうか。

ーP・166より
古代人がどれほどアポロンの神託を信じ、それに頼っていたか、現代人には想像を絶するものがある。
国家の重要な政治的決断がしばしばデルフィの神託にゆだねられた。
戦争をすべきかどうかなどというおうかがいもしばしばたてられた。
たとえば、前六世紀、小アジアで最も権勢をふるっていたリディアのクロイソス王は
ペルシアは覇権を競い合う関係にあり、いっそ戦争をすべきかどうかで迷っていた。
そこでデルフィにおうかがいをたてると、「ペルシアに出兵すれば、大帝国を滅ぼすことになろう」
という神託を得たので勇躍して出兵した。しかし、その結果大敗北を喫して、リディアは滅びてしまった。
神託が当たらなかったわけではない。神託の「大帝国」とはリディア自身のことだったのである。
第三次ペルシア戦争で、アテネが全市をペルシアに開け渡し、海戦にさそいこんで大勝利をおさめた
サラミスの海戦の戦略も、デルフィの神託によって与えられたものだった。
あるいは、あのソクラテスが哲学をはじめたのも、デルフィの神託がきっかけだった。
あるときソクラテスの弟子の一人のカイレポンが、デルフィに行って、ソクラテスよりも
賢い者がいるかどうかアポロン神にうかがいをたてた。ソクラテスは当時のアテネに沢山いたソフィストの一人で、
最近評判が高いソフィストだった。 アゴラなどで、他の名だたるソフィストたちに片端から論争を仕掛けては、
これを次々になぎ倒して、高い盛名を得つつあるところだった。

「ソボクレスは賢い エウリピデスはさらに賢い。しかし、ソクラテスは万人のなかで もっとも賢い」
これがカイレポンが得た神託だった。デルフィの神託はいつでもこのような謎めいたエピグラムの形で与えられた。
「万人のなかでもっとも賢い」ということであれば、ソクラテスより賢い者は誰もいないことになる。
カイレポンからこれを聞いたソクラテスは深く悩んだ。
ソクラテス自身は、自分がそれほど賢い人間であるとは、夢にも考えていなかったからである。
同時にソクラテスは敬神の念が大変あつい人であったから、アポロン神の神託が誤っているはずはないと思った。
その矛盾がソクラテスを大いに悩ませた。そこでソクラテスは、前よりもさらに激しく、政治家、法律家、教育家など、
あらゆる分野で賢いとされる人たちをつかまえては、さまざまのテーマで論争をいどんでいった。
そういうことをつづけていれば、いつか自分より賢い入に出会うことができるかもしれないと
考えたのだといわれる。しかし、論争をいくら重ねても、ソクラテスに論争で打ち勝つ者に出会うことはできなかった。
ソクラテスが何か体系的に大きな知識を持ち、それで相手をねじ伏せていったということではない。

論争はいつも、ソクラテスが世の賢者、知者とされる人々に対し、その教えが本当に正しいかどうかを問いただし、
その内容を吟味していくという形をとった。すると、問答を重ねていくうちに、相手の教説に含まれていた大きな
矛盾点が露呈されていき、いつのまにか相手は自己の論理的破綻を認めざるを得ない立場に追いこまれていった。
論争はいつもそのような経過をたどり、世の賢者・知者とされていた人々は次々にソクラテスの前で恥をかかされる
ことになった。そのうちソクラテスは、論争に敗れた世の有力者たちの深い怨みをかうようになった。
そして有力者たちから、ソクラテスは若い青年たちに誤った知識を吹きこみ、世を惑わす者とのそしりを受け、
ついに死刑を宣告されることになった。そのような論争において、ソクラテスが世の知者たちと交わした問答を
集大成したのが、ソクラテスの晩年の弟子プラトンの哲学的主著『対話篇』である。

問答において、ソクラテスは、いつも自分「無知なる者」の立場に置き、「知ある者」にその知の内容を
問いただす形式をとった。それはソクラテスが、いつも自分を無知なるものと自覚していたので、
実際の論争において自然にとっていたポジションであった。
同時にそれは、数々の論争を経ることで、意識的にソクラテスが取るようになったポジションであった。
それが、彼が最後に到達した最終認識とも言うべき、「無知の知」の実践的ポジションになった。
 ーーー
無知の知」こそ、知識としての基礎である。これが真に解っているかといえば、実のところ解っていない。
僅かな知識を振り回し、「無知の知」の貧弱を他者に見て冷笑している我が姿。 教養とは、無知の自分を常に
意識するためにも必要である。それにしても、ギリシャ旅行の前と後では、この本の受け止め方が違ってくる。
何ごとも、実際に目に触れることで、経験することで、理解度が深まるということ。

・・・・・・・・・・
2006年09月26日(火)
2002, 具体的にみるWeb2・0社会とは −1
       おはよ〜!(*^ワ^*)i(~O~)ふぁ・・

長岡商工会議所(9月24日13時半)でおこなわれた「グーグル Google」 の著者の佐々木俊尚氏の講演をまとめてみる。
テーマは「グーグルが拓く、『Web2・0』マーケティングセミナー」である。
著書の説明程度だろうと期待していなかったが、一時間半で最近のネット社会の現状を面白くまとめた内容であった。
「聴衆の、どのレベルを対象に話すのか」も興味もあったが・・
まだ本を出して半年あまり日々刻々ネット社会は進化しているようだ。その中でキーワードが幾つかあった。
mF247」「ポッシュ」「ソーシャライズ」「MIXY」「あげ運」などである。
それぞれ個別に、何回か随想日記に取り上げ説明する。
ーまずはウエブ社会の潮流の話の内容を簡潔にまとめてみた。
   {字数の関係で一部カット(2007年9月26日)}
    −  つづく
                            \(^▽^*)バイ!
 ・・・・・・・・