2004年09月23日(木)
1269, 否定的想念の恐怖

人間の脳には磁力があり、否定的想念を持てば否定的情報とその類の人間が集まり、
反対に肯定的想念を持てば、肯定的情報とその類の人間が集まる。
私の経験でいうと、否定的想念のほうが肯定的想念より磁力は圧倒的に強い。
周囲には否定的想念の情報とその類の人間の方が圧倒的に多いからだ。
肯定は意志を必要とするし、否定的想念は感情のまま周囲と供に流されていればよい。
教養が身につけばつくほど肯定的生き方になるのは、その知識を持つからだろう。
いやそうでもないか。否定的想念の習慣はその人に、必然的に否定的人生を強いることになる。
「否定的想念の恐ろしさ」を説明するにわかりやすい実験として「ヴードゥー死」と呼ばれる実験がある。
 
ーその内容とは、
ヨーロッパのある国にプアードという死刑囚がいた。
彼はある医師から、医学の進歩のために危険な実験に協力してもらえないかと持ちかけられた。
人間の全血液量は体重の10パーセントが定説となっているが、われわれは10パーセントを上回ると
考えているので、ぜひそれを証明したいという。
彼はその申し出を受け入れ、目隠しをされてベッドに横たわったプアメードは血液を抜き取るために、
足の指先を小さくメスで切られた。足元には、容器が用意され、血液が、滴り落ちる音が、実験室内に響き渡った。
プアメードには1時間ごとに総出血量が、告げられ、やがて実験開始から5時間がたち、
総出血量が、体重の10パーセントを超えたと医師が大喜びした時、哀れこの死刑囚は、
すでに死亡してした。ところが、この実験、実は、血液など抜き取っては、いなかったのだ。
彼には、ただの水滴の音を聞かせ、体内の血液が失われていると思い込ませただけだった。

ーこれが、「ヴードゥー死」と呼ばれる現象である。
人間の想念には、それだけ大きい力があるのだ。
風邪とか、体調を崩した時は深く考えない方がよい。否定的想念に陥りやすいからである。
それと人生マイナスの時は、否定的想念になっている。 仕方がないが。
その時は、無理をせずマイナスの時が過ぎ去るのを待つしかない。
石川啄木の「人がみな我より偉く見ゆるとき、花を買い来て妻と親しむ 」が、こころ打つ。
否定的想念に対する処し方の最適な本は、やはり「中村天風」の本だろう。
もう二十年以上トイレに置いて、毎日読んでいる。それでも時々、マイナス想念の風が吹きあれる。
「 こころこそ こころ迷わすこころなれ こころにこころ  こころ許すな」(古歌) ということか。

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