[154] 性善説性悪説   2001/09/22

 以前、身近に[おれは性善説だ]と口癖の男がいた。
本当に性善なら‘それを売り言葉に使うのがおかしい’という事も解らない。
人間なんぞ性善も性悪もごちゃ混ぜになっているもの。
光のあて方でどうにもとれる。「性悪の路線の上を性善で走れ」
あたりが少しもっともらしいのかもしれない。

 善良は、ある状態ー苦労やぎりぎりのところに立ってない状態ーでいっている戯言でしかないというと、
言い過ぎか。善悪とは、多様にあり解釈の結果でしかない。詐欺師やその手合いはその事を熟知している。
従って善良という言葉の衣服を綺麗に着こなす。

 本当に世の中、悪がいる!芯からの悪党がいる。 その人間が‘俺こそは実は性善’だと信じていたら、
手のつけられない悪党になれる。それか、政治家いや政治屋向きであろう。

 自分中に隠れ住んでいる‘邪悪なるものと神聖なるもの’と、とことん付きあってみれば、
 性善説性悪説は見方の一片でしかない事にきずくはずだ。
 どうでもいいことだが、言葉の遊びレベルでいっているだけだが。