2005年07月06日(水)
1555, 将来の不安−3

不安について考えてきたが、図書館で島田裕己の「不安を生きる」という本があった。
2005年・4月10日発刊というから最近の本である。オウム教事件の時にオウム教擁護的発言で
バッシングにあって、東京女子大学の教授を辞めざるをえなくなった人である。
宗教学が専門のためか「不安」心理に対しては専門であり、深い。

宗教には「不安」に対する明確な解答が用意されている。
不安と宗教心は裏腹の関係にある。不安こそ誰もが何時も直面している心の闇である。
その闇に神の世界を提示して見せるのが宗教である。
不安の正体を知ってしまえば、自然と解決方法は出てくる。
更に不安を解消する一つの手段として具体的にネットワークの存在を提案している。

ー面白そうなところを抜粋してみる。
P-76
ところが不安がないということは、下手をすると今の状態に安住することにつながってしまう。
そうなると緊張感もなければ、進歩もない。進歩もないということは達成感もないということです。
イニシエーションという言葉を使えば、一つの役に挑戦することがイニシエーションになってくれない。
逆にそれをイニシエーションにするには不安が必要になってくる。
心の安定ということでは、不安を悩みに変えていく必要があるけど、安定は停滞につながっていくから、
いっぽうで不安も必要になる。海老蔵は、弁慶をやる前日に寝過ごしてしまったと思った時、
これで役者をやめなくてはならないと思ったそうです。
それだけ不安を経験しているからこそ、不安が欲しいという発言が出てくる。
彼は不安を次の発展へのバネにしようとしている。
ーー

不安について以前にも書いてきたが、その対応として思い当たるものをドンドン書き出してみることだ。
それが悩みという具体的に落とし込むことになる。その対応として思考と行動が生まれるきっかけになる。

そういえば、10代、20代の頃は、不安が常につきまとって、それがエネルギーになっていた。                 
                 つづく
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「不安を生きる 」
筑摩書房  島田 裕巳【著】

私たちの社会には今、漠然とした不安が広がっている。
将来の変化を見通せず、未来への希望が持てない。
会社もアテにできず、心底頼れる人も見当たらない。
そんな思いを抱く人が増えている。
こうした事態は、都市化が進展し、かつて私たちを支えていたムラ的な
共同体が衰弱してしまったことと無縁ではない。
しかし、便利な生活を手に入れ、自由を享受する私たちは、
もう後戻りすることはできない。
不安とどう向き合い、どう生きればいいのか。
この問いを多角的に追究した本書は、
現代社会を生きる私たちにとって示唆に富む一冊である。

1 不安と悩み
2 体感不安の時代
3 不安をとらえる視点
4 不安をバネにする
5 仕事と不安
6 都市生活者の不安
7 不安を煽る「癒し」産業
8 「支え」としての共同体
9 自分の足場をつくる

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