2004年07月06日(火)
1190, 大丈夫!−2 
 * 哲学について−13
      ー不安の哲学ー キエルケゴール

「大丈夫!」を繰り返していうことで、漠然とした不安感が半減したと前に書いた。
これを読んでいて、もし鼻先で笑っている人がいたら、その人は表面的人生しか生きてない人である!
不安感は大きい人ほど、それは自分に目覚め、自由と可能性を考えているか、
生きているからだ。大丈夫!を繰り返すことは、毒消しに単純だが絶大の効果がある。
単純であるが、どうしてそこまで心理的の効果があるかを考えてみる。

人間の不安の90数?は、考えすぎの影でしかない。 ルーズベルト大統領が就任演説で言ったという、
「われわれが恐れるべきは『恐れ』そのものだけである」人間は全て、恐れから派生する大きな影に脅えている。
その意味で「大丈夫」を繰り返すこととは、90?の影を消す効果がある。

不安といえば、哲学者のキエルケゴールが主題にしたテーマである。
彼が考えた「不安」は「ああもなれる、こうもなれるという、
いろいろな可能性を持っているからこそ、不安が生まれる」と考えた。
そして「不安はたとえてみれば目眩のようなものである。
・・自由がいまや自身の可能性をのぞきこんだとき、めまいがおこるのである」といっている。

若いときは、その意味で多くの自由と可能性があった。
その分だけ、大きい不安が自分を支配していた。そして絶望感に陥っていた。
さまざまの可能性を持つからこそ、不安と絶望感があるのだ。

不安感が絶望へのプロセスを生むことになる。 不安から「絶対的な何か」が欠けているという
絶望感に陥ってしまうのだ。「どうしようもならないもんな〜」という言葉が出てきて、そして
お決まりの繰り返しの暗い気持を引き込んで絶望の世界に入っていくのだ。
これが、神の前に1人たたずむありかたであり、人間としての基本的な姿としてとらえて「単独者」と呼んだのだ。

真の自分に至ることとは、神と触れ合うことである。
しかし、人間はさまざまな現世的価値観の中で生きている。しかも、その価値観は全て有限なものである。
そして有限なるがゆえ不安に襲われ、神と自分との絶対的な距離を感じる。
それが絶望のきっかけとなるとキエルケゴールと考えた。
大丈夫という言葉は、ある意味で「神からの言葉」ともいえる。
「ありがとう」という言葉と同格の重要な意味の可能性を含んでいる。

キエルケゴールは、その不安と絶望からくる内面の大きな揺れを(心の中の)「大地震」といっている。
それだけ、この大地震は人間にとって一大事である。
最近香港で、生活保護を受けていた人が亡くなったあと、通帳が発見されたという。
そこには、なんと数億あったという。この人は不安感にさい悩まされていたのだろう。
大丈夫と楽観し過ぎて地震や火災から逃げ遅れたり、倒産したり、
失業したりして明日の生活に困ることが多いのが人生だが。

過剰な不安感をあくまで問題にしているから、勘違いをしないことだ。自分自身のことであるが。

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