2005年05月08日(日)
1496, いま・現在について−4
「記憶のない男」ーDVDレンタル

レンタルDVD で観た「記憶のない男」が、
「いま」と「私」を考える上で面白い内容であった。

ー知らない街に仕事を捜しに来て、
暴漢に襲われて記憶を全て失った中年男の物語ー
それぞれの人の「いま」は、それぞれの過去を背景を持っている。
過去が記憶喪失で失われた場合、その人の「いま」は無いに等しい。
ストーリーの中では、そこまでは表現しつくしてはいなかったが。
しかし、その空白を「いま・現在」という現実の中で、必死になって埋めようとする
主人公の心を、静かに淡々と映し出していた。

過去の想起がなければ、[私]は存在しないに等しい。
動物に[私]はない。それは想起ができないからである。
もし自分が過去の記憶をなくしたら、「いま」という感覚は希薄になる。

青年時代の日記を偶然倉庫で発見。 それを、悪趣味的?に、この随想日記で露わにした。
その過去の「いま」を、思い出せば出すほど、現在の「いま」との重なりが見えてくる。
そして現在の「いま」がより濃く深くなっていく。 それは現在が過去より成立しているからだ。

過去や、未来より、「いま」が全てだと考えがちだが、過去も未来も重要であることを教えてくれた映画。
{「いま」を人間の手とすると、過去と未来は人間の身体}
と例えると解りやすい。手は手としては存在し得ない。手はあくまで身体の一部でしかない。
記憶喪失とは、「手そのものしか自分を感じ得ない」ということだ。
身体全体が失われた感覚は想像しただけで恐ろしい。

そこ(いま)には、「私」はないに等しい。
[いま]に集中するということは、過去と未来にそして「楔」を打つことである。
楔を打つことは最も重要な行為である。しかし全体の構造を考えて打たなくてはならないのである。

今上の人生、来世のことは考えない方がよいのか? それとも、来世のために今生を生きるか?
やはり「いま」に全てを傾けるべきである!?「どうせ死んでしまう」のだから。

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