2004年05月03日(月)
1126, 「ライフ・レッスン」−9
ー恐れのレッスン

秘境ツアーに行きはじめた当初、出発前のプレッシャーは相当のものだった。
その恐怖感と不安感の波を乗り越えたさきの、すばらしさが直感できたからこそ、
恐れを乗り越えることができた。

初めてアフリカに行った時、10年のベテラン女性ツアーコンダクターも不安で、
震えていた。先輩に『天国と地獄がある』と脅されたきたという。
インドの時も、タンザニアの時も、南米の時も、恐怖感の山であった。
しかし一度飛行機に乗ってしまえば腹が据わる。
そして実際現地にいってみると、恐れの殆どは無知からの妄想でしかないことが判る。
いまでは、そのプレッシャーも料理の味付けとわりきっている。

恐れのプラス面は 万一に備えて、こころの準備と、持ち物の準備、情報の準備のエネルギー源になることだ。
未来を思い煩うなかれ、過去を悔やむなかれ。いまに挑戦し、いまに生き、いまを見つめ、いまを味あうことだ!
人間ができることはそれしかない。

積極とは、極みを積むことである。極みは、自分の限界のラインにたつことである。
積極とは、その先の経験にチャレンジすることである。そこには、恐れのレッスンがある。
恐れは自分の壁に対する自分自身のレッスンになる。

すべてがレッスンと思うことは、世界を広くしてくれるし、こころを上からみる魂の視点になる。

ー抜粋ー

・人生がわたしたちにあたえるものの多くは、恐れや心配などの前兆なしに、いきなりやってくる。
恐れが死の進行をとどめることはない。恐れがとどめるのは生の進行である。
大部分の人が考えている以上に、わたしたちの人生の多くは恐れとその波及効果への対処に費やされている。
恐れはすべてをさえぎる影である。愛、真の感情、幸福、そして存在そのものが、恐れの影にさえぎられている。
私達は恐れのなかで育ち、未来にみえるのは恐ればかりだ。
しかし、恐れていることの何パーセントが、実際におこるのか?ほとんどはおこらないのだ。
それにもかかわらず、多くの人の人生が危惧や心配や恐怖に支配されている。
だからこそ保険会社は、人々の危惧の大半がただ幻想であるという可能性に賭け、
その賭けに勝って、毎年、数十億ドルという利益を上げている。
掛け率からいえば、人生はけっしてそれほど低いものではないのだ。

・人生で経験する感情には、幸福、恐れ、喜び、恨みなど、さまざまな
ものがある。しかし、そのずっと底のほうの、人間の核になる部分には、愛と恐れという二つの感情しかない。
あらゆる肯定的な感情は愛から生まれ、あらゆる否定的な感情は恐れから生まれる。

愛は幸福、満足、平和、よろこびがわきあがり、恐れからは怒り、憎しみ、罪悪感がわきあがる。
基本的な感情は愛と恐れの二つしかないことは確かであり、両立しないのが特徴である。
愛と恐れはまったく同時に感じることはできないのだ。
愛を感じているときは恐れを感じることはできず、恐れを感じているときは愛を感じることはできない。

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【-恐怖について-】-

・恐怖と勇気がどんなに近くに共存しているかは、
敵に向かって突進する者が一番よく知っているであろう。 −モルゲンシュルテン
・船は水よりも火を恐れる。              −西洋の諺
・恐怖はつねに人間の中に何か正しくないことが生じた徴候である。
恐怖は、苦痛が肉体に対して果たすのと同様に、精神に対しても貴重な警告者の
役目を果たす。                    −ヒルティ
・何も知らざる者は何も恐れず。            ーイタリアの諺
・恐怖は残酷の両親である。              −フロード
・恐怖には、恐怖に対する恐怖というものしかない。   ーアラン
・苦痛には限度があるが、恐怖には限度がない。     ープルニウス

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