2003年05月03日(土)
759, 陽気と陰気

 陽気とは外交的で何事も前向きな人をいう。人と交わることを好み、常に活動的なタイプだ。
陰気とは消極的であり、心が内向き後ろ向きの人をいう。引っ込み思案で他人と交わるより独りを好む。
どちらが良いということはないが、やはり傍にいるなら陽気の人の人がよい。
陽気のタイプとしては、秀吉をあげることができる。 陰気は家康だろう。
信長はどちらであろうか?、陰気と考えるとさっきの定義は違うことになる。

我々は、生きていくために陽気が求められる。外に心を向けていないと生きにくくなってしまう。
その為にどうしても自分の中の陽気の部分を積極的に前面に出して無理をしなくてはならない。
しかし陰気が悪いのだろうか。プラスにみれば精神性の深さ求めていることだ。

我々は青年期や壮年期に陽気に振るまい、心を外に向けて生きる。
しかし50歳を越える頃、あまりに内側に目がいってなかったことに
唖然とする。そして心の空虚さになす術がなくなる。そして内側の充実に取り掛かるようになる。
そこで、気づく時期が遅かったことに失望をする。
それさえ気がつかない人を、私は抽象的に「小狐」といって、この随想日記に度々書いている。

その意味で、決して陰気は否定してはならない。
何故なら陰のエネルギーも人生のバランスを考えると必要であるからだ。
ただマイナス思考の行き過ぎが悪いのだ。家には居間も必要だし、書斎も必要である。
陽気を居間に喩えるなら、陰気を書斎に喩えることができる。
そこで内側の精神の充実をはかる場所だからだ。書斎に閉じこもることも必要だ。
といって、閉じ篭り出てこないのもバランスを崩してしまう。

このように居間でパソコンを打つのも中途半端になるのか?いや中庸でよい!ほんと。

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