2005年04月06日(水)
1464, 発想名人 −読書日記

最近よく本屋で見かける斉藤孝の本を図書館から数冊借りて読んでいたが、
また「発想名人」を借りて読んでみた。
内容は前の本からみると軽いが、表紙裏の言葉がなかなかよい。

ー『ネガティブな意見を言っている暇があったらアイディアをだせ!』
これが私の最近のスローガンである。すべての現実の困難は、具体的な
アイディアによって乗りこえるものだと私は考えています−

ネガティブな意見を出すのは簡単である。
相手の正反対の視点を設定して正面から突き刺すのである。
私も独りで考える時に、正反の問いかけを何回かしてみる。
その繰り返しの中で問題を掘り下げる。それが、考えることである。
したがって、肯定だけでなく否定の視点も必要である。

計画を練ることは、正反合を繰り返し繰り返ししていくことである。
ネガティブの意見も「異見」として正の立場を逆に見直すことになる。
チームで計画を練ると、否定だけの人がいる。
ネガティブはエネルギーを殆んど使わないで済むことを知っている。
ただ、アイデア・バスターをしていれば済むからだ。 ほぼ対案を持ってない。

特に女性に多い。 亭主の否定をして、稼ぎを当然のように取りあげれば済む。
それも自覚してないケースが多いから泥沼に陥ってしまうケースが多くなる。
判断を相手にさせて失敗した場合に、その非をなじるか、冷笑しているばこと足る。
その辺は巧妙であり、テクニックである。

これを繰り返していると、本人がアイディア欠乏症になる。
ネガティブが体質として身につくと、アイデアー知恵が出てこなくなるのだ。
思考停止になってしまい、武器は否定だけになる。
全ての神経が武器に集中することになるから、アイデアなど出てくるわけが無い。
恐ろしいのは、自分のアイデアさえも否定してしまうことである。
いや、出てこないのだろう。

正・反・合の繰り返しが経験知として蓄積されて知識から知恵へと醸造されてくる。
否定はそこで全て切断してしまい、思考を切断してしまう。
秀才があるところまで行くと、全く成長が停止をしてしまうのは、
イデアが出てこなくなるからだ。 だから評論家には、このタイプが多くなる。

色いろな人がいるから世の中が成り立つのだろうが、企業活動ではプラスにはならない。
企業は知恵の集合体でなければならない。特に情報化社会では無限にある情報を
選択して知恵に換えていかなくてはならないからだ。
寝ても醒めても、自分の仕事に集中しないと知恵は出てこない。
その知恵を否定するのだから、そのエネルギーの深さが見えなくなる。

考えつくしていると、考えない人の否定が見えてくる。
最後はこの辺に話になってしまうが、
実際のところ自分自身にこそ、その傾向が強いのだろう。
「我内なる否定者」の話でもあるが、 しかし、・・・
口先だけの肯定もあるから何ともいえないが?

・・・・・・・